境界線シリーズ短編集

光闇 游

オウガ・ボーダーライン番外編 ――彼女の殺人概論――

「――なにが『殺人鬼もどき』よ。ただの小娘じゃない。期待して損だったわ」

 そう語るお姉さん(オレより年上っぽいからお姉さんでいいはずだ)は、オレを見下ろして笑った。

 時は夕暮れ。辺りには何一つない、どこかの倉庫の中。

 オレは何も言わずに、ただただ面倒なことになったなぁと、お姉さんを見上げていた。

 無駄に胸がでけぇんだよ、このお姉さん。下からの眺めが良いにも程がある。両手が塞がってさえなければ、オレだってうっかり手を伸ばして鷲掴みにしていたかもしれない。

 もちろん、エロ的な意味で。

「ねぇ、どう思う? 『殺鬼さつき』さん。いえ、今は『サキ』と名乗っているのだったかしら」

「……へぇ、今の名前も把握してんのか。もしかしてオレ、人違いとかそんなんじゃなく、マジで狙われてこんな目に合っちゃってるのか」

 やれやれ。

 思わず吐き出した溜息に、お姉さんは露骨にムカついたという表情をした。せっかくの美人が台無しだ。

 そういやお姉さんの名前、まだ聞いてなかったな。

「ってかさ、アンタ誰? オレ、どっかで会ったことあったっけ?」

「いいえ、会うのはこれが初めてじゃないかしら。声を聴くのも初めてだと思うわ」

 素気ない返事が返ってくる。

 いや、名前を教えてくれよお姉さん。なんて呼べばいいのかわかんないんだって。

「あぁー……えーと? それで結局のところ、アンタは何がしてぇの? そろそろ腕が痛いんだけど?」

 腹も減ってるしな。

 にしても、人が空腹でぶっ倒れているところをビニール紐で縛るとか、なかなか変な趣味をお持ちのお姉さんである。てか、何故に持っていたんだビニール紐。いや、いきなりロープを持ち出されたら、それはそれで恐怖なんだが。

 そんなこんなで、現時点のオレはこの無人の倉庫の片隅に、両手両足が使えない状態で転がされているわけで。最近暖かくなってきたとはいえ、まだ長袖が必須なこの時期に、血の巡りが悪くなった手がすっかり痺れて力が入らないんだが。これって結構ヤバいんだろうか。

 まぁ、ヤバいんだろうなぁ。うん。

「実は貴方にして欲しいことは何もないのよ。ただ、彼を呼び出すには、貴方が最適だと思っただけ。だから暫くじっとしていてくれないかしら」

「……え、あ? わりぃ、聞いてなかった。なんて?」

 咄嗟に答えると、お姉さんの眉間に皺が寄る瞬間を目撃してしまった。

 ヤバイ怒らせてしまった。これは本格的にヤバイ。

 そう思っていれば、案の定、腹を思いっきり蹴られてしまった。

「っ……ってぇ……」

 空きっ腹にはキツイ一撃だ。手で押さえることはできないから、体を丸めてなんとか痛みに耐える。

 まぁ、ハイヒールの踵で踏まれなかっただけマシだと考えておこう。ちなみにお姉さんのスカートの中身は黒でした。

「何よ、何なのよ貴方。今の状況がわかってないの? 自分は関係がないような顔をして……っ」

「こんな状況にしたのは、アンタだろうが。痛ぇなぁ。心配しなくても、ヤバイってことはわかってんだよ。腹が減って限界だし、腕も痛ぇし」

 だけど、だからと言って泣いて許しを請うほどの弱っちい精神は、残念ながら持ち合わせてないんだよなぁ。

「あぁーあ。愛用のダガーも取り上げられちまったし、足も痺れて仕方ねぇし。早いとこ煮るなり焼くなりして欲しいところなんだけどなぁ。このまま待機ってのは、流石に嫌なんだよなぁ」

 それに、とオレはお姉さんを見上げる。

 このお姉さんがしたいことは理解したけど、だからといって。

「アンタ、勘違いしてるみたいだけどさ。オレを囮にしたって、アンタは“兄貴”に会えないぜ」

「は?」

 意味がわからない、とお姉さんは不愉快そうにオレを見下ろす。

 いやまぁ、仕方ねぇじゃないか、そんな顔されたって。

  

「だってさ、兄貴ならずっとアンタの後ろにいるのにさぁ」

  

 お姉さんが目を見開くのを、オレは呆れながら見ていた。

 仕方なしに顎でその方向を指し示してやる。けど、背後を振り返ったお姉さんの目には見えていないらしい。視線が彷徨っている。

 兄貴――つまりオレにとっては兄弟子で、実の兄貴のような存在で、今や『この世界の一部』だとも『この世界の代行者』だとも言われているとんでもない奴。

 そんな兄貴なら、お姉さんの目の前で、いつもの笑顔で突っ立ってるんだけどなぁ。

「な? アンタの目に映らねぇんだ。仕方ねぇからさ、この紐解いて……」

「う、嘘。嘘よ、そんなの。ねぇ、そうなのでしょう?」

 オレの言葉を無視して、お姉さんは振り返る。その顔に張り付いた笑顔が、どうしようもなく引き攣っていた。だからせっかくの美人が台無しだって。

「嘘じゃねぇよ」

「いいえ、嘘よ。だって、私には彼が見えていたのだもの。嘘に決まっているわ。そうよ、嘘、嘘、嘘!!」

 再び腹を蹴り上げられる。思わず息が詰まってしまった。

 どうやら、兄貴がどんな存在なのか、よく理解している人らしい。兄貴は何かしらの条件が揃わないとその姿を認知できないっていう、よくわからない存在だ。お姉さんの言い分では昔は見えていたらしいが、だからって、今見えないからって、オレに当たらないで欲しい。

 お姉さんはそのままオレを蹴り続ける。

「嘘つき、嘘つき、嘘つき!! そんな嘘をつく貴方なんて嫌い! 嫌いよ! 死んじゃいなさい、今すぐに!」

 女のヒステリーって怖えぇ。いやオレもこんなでも一応女だけど。

 なんて冷静に考えている場合ではなく。お姉さんは散々オレを蹴ったかと思えば、その勢いのままに、床に転がっていた刃物を拾い上げる。

 刃物、つまり取り上げられて放置されていたオレ愛用のダガーを、である。

「これで貴方も自分の立場がわかったでしょう? さぁ、早くあの人を呼んで。そして私に会わせなさいよ」

 手にしたダガーを向けられる。

 まさか自分の得物で脅される日がくるとは思わなかったなぁ。なんて考えていたら、どうしようもなく笑いが込み上げてきた。

「ふは、ははは……っ、やべ、腹に響くっ……あははは……っ」

「な、何よ、何がおかしいのよ?!」

 確かに、こんな状況下で笑い出すオレは、だいぶイカれている。

「はは……いや、だってさ、構えがなってねぇし。手が震えてるし。そんなんでこのオレを脅すとか……ふふ、ははは……やべぇマジ腹痛ぇっ」

 事前にダメージ食らってたこともあって、腹筋が崩壊しそうだ。いやマジで。

 だったら、腹筋は崩壊する前になんとかしねぇとな。

「本当に……本当に貴方、何なの? 何様なのよ?」

「あーあ、笑った笑った。え、何様って? それはアンタも知ってるんじゃねぇの?」

 そう言ったオレは『足を使って』地面から飛び起き、お姉さんに向かって飛び跳ねた。

 お姉さんは面白い程に驚いた顔をしていた。きちんと縛っていたはずの、オレの足の拘束が解かれていたからだろう。当然、そんなお姉さんが唐突すぎるオレの動きに対応できるはずがない。オレの体当たりをモロに食らって、お姉さんはオレもろとも地面に背中を打ち付ける。

 ちなみにオレは倒れた際に膝を打ち付けたのが、まぁ痛かったかな。

「ふぅ。やぁーっと、形成逆転ってか?」

 お姉さんの腕を足で踏みつけ、オレはお姉さんの上に跨った状態で見下ろした。お姉さんはというと、驚いた表情のままオレを見上げている。

 ホント、美人なのにもったいない人だよなぁ。

「オレが何かって、今更にも程があるよなぁ。オレはこれでも『殺人鬼もどき』なんだぜ?」

 いや、正しくは『元・殺人鬼もどき』だけどな。

 と、ようやく口が利けるようになったらしい、お姉さんが震えた声で問いかけてきた。

「ど、どうして……拘束が解けるはずは……」

「あのなぁ。アンタの今後の為にアドバイスしておくけど、殺人鬼を相手にするならまずどれだけ凶器を持っているかを確認するようにしろよ? 第一、こんな紐、どうぞ切ってくださいと言ってるようなもんじゃねぇか」

 そう答えながら腕の拘束をも解いてしまう。服の袖が長いと、袖口にいろいろ仕込みたくなるんだよなぁ。しかし、できることならお姉さんに解いてほしかった。

 袖口に刃物があるってことは、無理に動けば怪我をするってことだしさ。

「いってぇー、あー、やっぱりやっちまったかぁ。うわっ、手首が赤黒いし! てか指先がマジで死んだみたいに感覚ねぇ! すげぇ!」

 はしゃぐオレを他所に、お姉さんはオレの下から脱出しようと動き出す。

 ふむ、腕の一本ぐらいは折って黙らせた方がいいだろうか。いや、想像したら痛そうだったからやめとこう。

「さてと……どうしたもんかなぁ。なぁ、アンタはどうされたい?」

「な、何を……」

「何って、わかってる癖にさぁ。まさか、オレを殺すつもりだったアンタが、自分は殺されないで済むとか、考えてたりはしねぇよな?」

 いやぁヤバイヤバイ。口元が歪んじゃうなぁ。優勢になった途端に笑い出すとか、これ死亡フラグじゃねぇか?

 対するお姉さんは打開策を探っているのか、引き攣った笑みを浮かべてくる。

「それは、どうかしら。貴方は手が使えないみたいじゃない。それで、どうやって私を……」

「アンタの今後のために、もう一つアドバイスしてやるよ。人間ってさ、その気になれば『食い殺す』こともできるんだよなぁ」

 腕はなんとか動くから、感覚のない指先をお姉さんの細い首に持っていく。オレの指先、今は氷みたいに冷てぇから、お姉さんは目を見開いて「ひっ」と声を上げた。

「とは言っても、オレ、やったことはないんだよなぁ。せっかくだから、アンタで試してみていいかなぁ?」

 オレ、今すげぇ悪人面してるんだろうなぁ。さっきまで自信満々だったお姉さんが怯えてるし。

 まぁ、何がともあれ、これで決着はついただろう。ここまでお膳立てが整っているのなら、もはや迷う余地もない。

  

 さて。

 殺しますか。

  

「それぐらいに、しておけよ。妹」

「いっ?!」

 お姉さんの首筋目掛けて食い殺そうとした瞬間、突然頭を捕まれ、髪を引っ張られた。何事だと視線を上にやれば、いつの間にか兄貴がオレを見下ろしていた。

「って、おいこら兄貴! オレはこれでも女の子なんだぞ、髪引っ張るんじゃねぇよ!」

「ん? ごめん」

 すぐに離してくれたが、全く詫びる様子がない。

 このバカ兄貴め、こちとら腕が動かせないんだぞ?

「まったくさぁ、なんだよ兄貴。せっかくいいところだったのに」

「あぁ。だから、邪魔した」

「ひでぇ」

 確信犯なのかよ、この野郎。

 と訴えてみれば兄貴はオレを、否、オレの下にいるお姉さんを指差した。

「決着なら、つけておいた。今殺しても、意味がないと、思うな」

「あぁ? ……て、あらら」

 見下ろせば、お姉さんは気を失っているようだ。ピクリとも動かない。兄貴の口振りからして兄貴の仕業なんだろうが、どうりで静かなはずである。

 楽しい気持ちが萎えてしまって、オレは口を尖らせる。

「あぁーあ、結局かよ。結局オレは誰一人殺せないのな」

「殺されたら、困るからな」

「えー? なんでだよぉー」

 不平を言うオレに、兄貴はいつもの嘘っぽい笑顔で答えてくれた。

「お前には、人間に戻って欲しい、からさ」

「……。……あぁー」

 そういうことか。

 兄貴は兄貴で、律儀にアイツとの約束を守ろうとしているわけなんだな。

 約束、つまり、スグルと兄貴が交わした『オレを人間に戻す』という約束を、だ。

「世界代理にすら否定されちまったぜ……オレの『殺人鬼』になりたいっていう夢」

 やれやれ、まったく。とんだ呪いだ。

 渋々お姉さんの上から身を引いて立ち上がる。やっと血が通い始めた手で何とかダガーを拾い上げ、腰にぶら下がったままの鞘に収めて。

 それを鞘ごと腰から外したオレは、兄貴に向かって放り投げた。

「? 何?」

 ちゃんと落とさずに受け取ってくれた兄貴は、無表情で首を傾げる。手首を振りながらオレは答えた。

「持ってたら、いつまでもズルズル引きずりそうだからなぁ。兄貴に預けとく。あぁ、けど大事にしてくれよ、お気に入りなんだからな!」

「袖の、中身は?」

「こっちは護身用だから勘弁しろ」

 差し出される手を突き返す。今回みたいのが今後起こったらどうしてくれるんだよ。兄貴のことだから助けてくれねぇだろ。

 さて、とりあえずはここを離れた方がいいのか。兄貴がこのお姉さんに何かをしたのはわかっていが、このまま留まっても良いことはなさそうだしな。

「……あ、そうだ兄貴。気になってたことがあるんだけどさぁ?」

「なんだ、妹?」

「もしオレが『人間』に昇格できた場合、そこのお姉さんみたいに、オレも兄貴のことが見えなくなるのか?」

 兄貴は、例の嘘っぽい笑顔を浮かべた。

「さぁ?」

「あっそ。じゃぁさ、ついでにスグルの奴が今何処にいるか知らねぇ? アイツの家の様子見に行ったんだけど、この数年の間に家を出てるみたいなんだよなぁ」

「それなら、知っている」

  

 まぁ、そんなこんなで、ようやく重い腰をあげたオレなのだった。

 あの通り魔事件から5年後。

 奇しくも、5月のゴールデンウィークに入った時のことだった。

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