第28話 逃亡
特事課に直通の外線が鳴り響いたのは、翌日の午後である。
昼休憩から戻った龍生が受話器を取ると、相手はなんと紗良の母親であった。
『紗良が……紗良が逃げました!』
取り乱した母親の声に頭を殴られたような衝撃を受けて、龍生は受話器を握り直した。
「落ち着いてください。どういう状況ですか」
聞けば、買い物から帰ってくると紗良の部屋が開いていて、中はもぬけのからだったと言う。
『私、ちゃんと鍵がかかっているのを確認して家を出たんです。なのにドアが開いていて……! どうしよう、嘘花を逃してしまった』
「娘さんに電話はしてみましたか? 案外散歩に出ているだけかも」
非現実的な楽観視で母親の自責を食い止めながら、龍生は外出の準備を始めた。
異変に気づいた伊織がパソコンの共有ページに外出先を書き込み、磯波に許可を取って公用車の鍵を借り受ける。
自分の携帯から紗良の携帯に発信してみたらしい母親が、しばしの沈黙の後泣き出しそうな声で言った。
『出ません。私……私、どうしたら……。あの子が近所で発見でもされたら、紫乃が……。そうだわ、警察に』
「待ってください」
思わず放った鋭い制止に、向かいの席の葛野がびくりと体を震わせる。
声色を改めて、龍生は回線の向こうの人物に言い聞かせた。
「それをしてしまったら取り返しがつかなくなってしまいます。その前にできることを検証しましょう。今からそちらに向かいますから」
なんとか宥めて通話を切ると、小宮山が先輩面で忠告してくる。
「姿の見えなくなった嘘花が逃亡したかのか散歩に出たのかなんて、俺たちには関係ないぞ。管理者が逃亡だと判断して報告してきたなら、速やかに葬儀屋と連携して捜索に当たるべきだ」
「分かってますよ」
分かっている。
だけど紗良はまだ【中期】段階で、周囲との関係を結び直せる可能性が残っているのだ。──自分とは違って。
深呼吸を挟んで、龍生は小宮山と、その向こうにいる磯波に対峙した。
「向井紗良さんの場合、管理者がパニックになっているだけで実態が掴めないのが実情です。現場で状況を確認後、必要だと感じたらすぐに葬儀屋を手配しますので」
だから一時見逃してくれ、と浅く頭を下げる。
小宮山の視線が磯波に逃げ、決断できない課長は困ったように首を傾げた。
「終業時間までには報告をくださいね」
苦悩の末磯波が口にしたのは、判断を先送りにする提案であった。
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