第10話 お前の、ことは、嫌いだったが……

「何度目かのクビで路頭に迷っていた俺を拾ったのは、とある小さな会社の若社長だった。俺に飯を食わせ、滞っていたボロアパートの家賃を立て替え、仕事をくれた。母以外の他人に親切にされたのは、それが初めてだったなァ」


 木肌の瞼を何度か瞬かせて、真木が昔を懐かしむ。


「社員はみんな俺と同じようにどこからか社長に拾われてきたような奴らだった。苦労した奴ばっかりだから仲間意識が強くて、歳若い俺はずいぶん可愛がられた。男の親兄弟がいたらあんな感じだったかもしれん。居心地がよかったから、俺にしては珍しく長く続いた仕事でもある。いつの間にか苛立ちに任せて人を殴ることもなくなった」


「どんな仕事を?」


 何気なく尋ねた龍生の言葉に、真木が意味深に両眼を細めた。


「コールセンターだ」


「コールセンター」


「実態は高齢者を狙う振り込め詐欺だな」


 直立していた刑務官がぴくりと眉を寄せて反応した。龍生も同じ反応を返す。

ここに来て初めて明かされる、真木の余罪であった。


「このご時世、金を溜め込んでいるのはジジイとババアだ。判断力も衰え、情に訴えれば動く世代は格好のカモだった」


 騙される方が悪い、と真木は当然のように言ってのける。


「振り込め詐欺ってのはなァ、プロジェクトの立案と出資をする『社長』、電話営業をする『掛け子』、金を取りに行く『受け子』、この三者を繋ぐ『仲介人』がそれぞれ独立して仕事をしてるんだ。専門集団の完全分業制。しかも集団の人員は流動的で都度変わるから末端の実働部隊をいくら捕まえても大元を叩けない。そこへいくと俺がいた集団は少し変わっていた。一応『掛け子』を担当していたが面子は固定だったし、場合によっては『受け子』や『仲介人』の仕事もやった。使い捨ての駒より信用できる仲間を、という社長の方針だったが、要するに経験を積ませて自社で全てを賄えるようにしたかったんだろう。各集団を集めて動くのは面倒だからな。分配金のこともある。実際に俺達だけで遂行したプロジェクトもあって、変わったところだと家庭に上がり込む介護士のなりすましなんかがあった。泥棒の手口はこの頃学んだ」


「あんたは」


 我慢できずに口を挟む。綺麗事だと一蹴されることを承知で、それでも龍生は問いを投げつけずにはいられなかった。


「胸が痛まなかったのか」


 ハッと短く息を吐いた真木が首を傾げて見せる。


「何に対して? 余っているから預金しているんだろう。持っている者から引き出すことの何が悪い」


「奪われるために貯めた金じゃない。老後のために、子ども達に残すためにと残してきたはずの金だ」


「俺たちには老後なんて想像もできなかった」


 分かるか、と真木が龍生を睨んだ。


「別に遊んで暮らそうってわけじゃねえ。上納金だって取られる。中抜きだってされる。言うほど手元には入らねえんだ。老後? そんなものは老いさらばえるまで生きていると信じられる金持ちの発想だ。恵まれてんだよ」


「ならどうしてその仕事にしがみついた」


「言っただろう。居心地が良かったって」


 間髪入れずに断言して、真木が更に畳みかけた。


「六つの時に母を奪われて以来、初めてできた居場所だ。正しいか正しくないかなんて基準はな、余裕のある奴が考えるエゴなんだよ、御堂。世間がどう思おうと、俺にとってはただ帰るべき場所だった」


 好きだった。幸福だった。帰るべき場所だった。

 歪で間違っていても、真木はそれを愛していたのだ。


「その居場所を踏み潰したのは刑事だ。ある日摘発されて俺たちの集団は離散した。みんな散り散りになって、今となっては生死も分からない。一人になった俺は仕方がないからケチな泥棒になった。それまでやっていたような用意周到な窃盗や詐欺とは違う。場当たり的な犯行だ。そうして捕まり、俺は【嘘花】となって今度はこいつらに腕を奪われたというわけだ」


 母を奪われ、居場所を奪われ、腕を奪われて、最後は命を奪われる。正義の名の下に奪われ続けた、それが真木の人生だ。

 真木の言い分が正しいなんて思わない。だけど間違っているからと切り捨てられるほど、世の中が綺麗ではないことを龍生はもう知っていた。


 ──信じるという行為は時に排他的。


 そう批判した真木の言葉が、時間差で龍生の心を深く抉った。


 押し黙った龍生を眺めてから、真木がにやりと笑う。


「さて御堂、お待ちかねのとっておきだ」


 一瞬、何のことか分からずに、龍生は真木を訝しげに見上げた。


「最後にとっておきを話してやると言っただろう。刑事にも、弁護士にも話さなかったことだ」


 今度ははっきりと刑務官が真木を見た。問い詰めるような眼差しを背中に受けながら、真木がそれを無視して続ける。


「あの夜、お前の家に入ったのは偶然じゃねえ。俺に情報を流した奴がいたんだよ。いや、俺は奪ったと思っていた。だけどあれは差し向けられたんだろうな。そうでなけりゃ、あんなに早く刑事が駆けつけられるわけがない」


 強盗を教唆した者がいる。

 もたらされた情報を処理しきれずに固まっていると、真木がいやらしく口角を上げた。


「せいぜい悩め。ざまあみろだ」


「真木」


「俺はもういい。最後にお前の無様な顔が見れて楽しかった」


 ああ、喋り疲れたなァ、と真木がため息をつく。

 酷く穏やかな表情に不吉な予感がして、龍生は探るように真木を見つめた。

 真木が笑う。

 嘲笑でも、皮肉でもなく、微笑むように。

 何故だ。何故そんな晴れやかな顔をする。


「さよならだ、御堂」


肌が泡立つような悪寒に龍生は知らず腰を上げた。

まさか。まさか。

ニヤリと笑って真木が天井を仰ぐ。失った両腕を広げるように胸を張ると真木が叫んだ。


「御堂! この世は美しい! 生まれ落ちた奇跡に感謝する!」


 その途端、悲鳴に似た軋み音が龍生の耳をつんざいた。

 むくむくと真木の胴体部分の幹が膨れ上がり、蕾は開き、花々は枯れ、実をつけ熟して肉片のような種子を辺りにばらまく。

 膨れ上がる幹に埋もれるようにして真木のくぐもった声が呻いた。


「お、おあえ、のことは、き、ぎらい、だった、が」


 涙に似た樹液が押しつぶされていく顔から流れ落ちる。


「おまえ、と、はなす、じか、んは、わる、わうく、ながった」


「伏せろ! 爆発するぞ!」


 理解するより早く、アクリル板の向こうにいる刑務官に向かって警告する。

 はっとした刑務官が動き出すと同時に、はちきれんばかりに膨らんだ幹がぼん、と破裂した。

 種子の堆肥となるため急速に腐敗した真木の体がビチビチと辺りに飛び散る。

 ぎゃああ、と刑務官が顔を抑えて蹲った。爆風で飛んだ種子の一つが当たったのだろう。

 立ち込める腐臭の中で、龍生は微かに真木の声を聞いた気がした。


 ……シュしヲ、まもっ、デ……。

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