第8話 失望
公務員でも繁忙期には容赦ない残業がある。
財政運営等の監査を行う監査部に所属していた龍生は、その日も膨れ上がった業務を消化するため、遅くまで職場に詰めていた。
スマホに着信があったのは夜も更けた頃だ。
同僚とともに近くのコンビニへ夜食を買い出たタイミングで、振動するスマホをよく見もせずに取った。
回線の向こうから聞こえたのは耳慣れない声。
声は刑事を名乗り、なんと龍生の新居にいると言う。
『強盗が入りました。居合わせた奥さんの知人が取り押さえようとしましたが返り討ちに遭い、刺殺されました』
続け様にもたらされた情報が何を示唆するのか考える余裕もなく、龍生は一目散に自宅へと戻った。
幸福の象徴であるはずの真新しい新居の壁に、明滅する赤いパトランプが映し出されている。
同じポリスジャンパーを身につけた機動捜査隊が行き来していて、まるで知らない場所のようだった。
捜査員に案内されてバリケードテープを超えると、明日香が拘った庭を通って、明日香が選んだ両扉を開けて、明日香が特注した大理石の玄関に至る。
最初に目に飛び込んできたのは、真っ白なエントランスホールに広がる真っ赤な鮮血だった。
次いで血の海に伏して倒れる裸体の男、同じくほとんど何も身につけていない状態で階段の中程に座り込んでいる妻の姿が目に入る。
死んでいる男には見覚えがあった。
明日香と出会ったサークルに出入りしていた後輩、中条秀毅(なかじょうひでき)だ。
体育会系のパワフルさを持ち、人懐っこくてたまにしか顔を出さない龍生にもよく懐いていた──ように思う。
少なくとも龍生の方は可愛い後輩だと思っていたのだ。それが……。
何だこれは。何だこれは。
気を利かせた捜査員が肩にかけたらしいジャンパーを引っ掛けた明日香に目をやる。
真っ青な顔で震えている明日香は動かなくなった男を凝視していた。
誰も何も告げなかったが、二人が何をしていたのか気づけないほど龍生も鈍くはない。
見知った世界が足元からがらがらと崩れていくようで、龍生は吐き気を覚えた。
裏切ったのか。一体いつから。今までずっと?
ふと、明日香の大きな瞳が動いて龍生を捉えた。そこに夫の姿を認め、縋るような表情を浮かべる。
──気持ち悪い。
凄惨な現場で救いを求める妻に抱え切れないほどの嫌悪感を抱いて、龍生は明日香から目をそらした。
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