第22話 深まる闇
怪物の巨大で鋭利な爪がサニーへと迫る。
目の前で黒いクマのような手が大写しになったと思った瞬間、サニーの視界をシェイドの背中が覆った。
「シェイドさんっっ!?」
自分を庇ったのだと理解する間も与えられず、怪物の爪がシェイドへ迫る。
ズグン――ッ!!
肉を抉るような音。吹き飛ぶシェイドのシルクハット。
サニーの目の前に、およそ予想しうる最悪の展開が広がる――――筈だった。
「ぐうううッッ!!」
シェイドが、両手でステッキを突き上げながら呻き声にも似た気合いを発する。
ブルー・ダイヤモンドの効力を発揮した青光のステッキが、怪物の腕を下から刺し貫いてその突進を押し留めていた。
勢い余った爪の一振りが、シェイドの頭部を掠めてシルクハットを弾き飛ばしたものの、シェイド本人は辛うじて直撃を免れていたようだ。
――ガァァァウゥゥゥ……!
腕を貫かれた怪物が、痛みを訴えるかのように身悶えする。身体の動きに合わせて貫かれた腕が激しく振られ、ステッキを通してそれを支えるシェイドの体勢が崩れかける。
「くっ! こ、の……! 斃れる、ものですか……っ!?」
シェイドは力の限り足を踏ん張り、ステッキを水平に傾けて壁に向かって突き出した。
ガツンッ!という音と共に、怪物の腕が壁に縫い付けられる形となる。
「ハァァァッッ!!」
そこから更に、シェイドはステッキを握り直し、怪物の腕を縦一文字に斬り裂いてゆく。
黒い異形の腕を上下に割りながら、シェイドはそのまま怪物へ肉薄する。
――!!?
シェイドの接近に気付いた怪物が、悶え苦しみつつもワニのような口を開けて迎え撃とうとする。
が、立ち並ぶ黒い牙が獲物を噛み砕くより速く、青い光の斬撃が開かれた口腔内に飛び込んだ。
怪物の下顎部分が斬られ、枝分かれした木の根のような足元の間を跳ねて床に落ちた。
「これで、どうですか!?」
シェイドが、素早く怪物から間合いをとって残心を示す。
肩で息をしているが、ステッキを構える姿に乱れは無い。
窮地に陥ったと思ったが、流石にそこは《影喰い》の異名を持つ男。
怪物の奇襲を物ともせず、即座に反撃に転じる技量と胆力は見上げたものである。
しかし…………
「……!? ま、また怪我が!?」
サニーの言葉通り、怪物の下顎があった部分から再び無数の赤い糸が生えてきて、床に転がった下顎の切断面へと伸びる。
そして、先程の腕と同様やはり元通りにくっついて、復元してしまう。
「……ッ! サニーさん、今です! 行って下さい!!」
僅かに声を詰まらせた後、シェイドは振り切るようにサニーとアングリッドを促した。
「は、はいッ!」
シェイドの声に背中を押され、アングリッドを背負ったサニーが走り出す。
――ギイイイイ!!
背後で、再生を終えた怪物が怒りの雄叫びを上げる。バキバキバキ!と床を踏み砕く音を響かせながら、黒い巨体が後を追おうとする。
だがそれを許すシェイドでは無い。黒い腕が再びサニーに振るわれる前に、素早く間合いを詰めて怪物の脚を斬り付ける。
――ヒュッ!? ギッ!?
二度、三度。怪物は奇声を上げながら身体を斬り刻まれてゆく。
狭い屋内である為、シェイドは縦横無尽にステッキを振るう事は出来ないが、それでも小刻みに繰り出される技は尽く怪物の身体を捉え、その進行を阻んでいた。
鮮血のように影の飛沫が上がり、細切れにされた部位が辺りに散らばる。
「(……やはり、おかしい。この『
怪物を圧倒しながらもそれとは裏腹に、シェイドは心の中では不気味な予感が膨れ上がっていった。
通常なら、ステッキで斬った箇所はブルー・ダイヤモンドの力で吸収され、消滅する。アングリッドの『
ところが、彼の母親が変異したこの『
ブルー・ダイヤモンドの力が、半端な形でしか効いていないのだ。
傷口の赤い糸といい全身に浮かんだ赤い斑模様といい、シェイドが初めて対峙するタイプの『
アンダーイーヴズの呪いがより一層力を増したのか、それとも何か“からくり”があるのか。
ステッキを振るう傍らでそんな想念を巡らせていたシェイドだが、不意にそれは中断される。
「……!? これは……!?」
破壊と再生を繰り返していた怪物の身体が、それまでとは違った様相を見せ始めた。
赤い斑点が妖しい光を帯び、脈動するように点滅を繰り返している。
回収されてゆく身体の破片が元の場所に収まらず、怪物の中に沈み込む。
『
そして――――
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
サニーは振り返らない。此処から逃げる事だけを考えて、一目散に家の扉目掛けて走り続ける。
玄関のドアを突き飛ばすように押し開けた時、こちらの姿を認めたケルティーが興奮して嘶きを上げる。
「ケルティー! アングリッドをお願い!」
サニーの背中で気を失っているアングリッドに気付いたケルティーが、『早く乗せろ!』と言わんばかりに鼻息を荒くし、脚を折り曲げて身を屈める。
サニーは急いでケルティーの背中にアングリッドの身体を移した。
ちらりと見た彼の顔色は一層酷くなっており、死の色が濃くなっている事を感じさせた。
「早く解毒しないと……! お医者さん……病院ってどっち……!? シェイドさん、早く……!」
動転しながらもケルティーの綱を解くサニーだが、シェイドを置いたままでは行けない。第一、病院の場所が分からないのだ。
焦れる気持ちを抑えて今か今かとシェイドの帰着を待っていると……
大きな衝撃音と共に、シェイドの身体が玄関のドアから外に放り出された。
「キャアアアッッ!? シェイドさんッ!!」
道路の上を転がるシェイドを見て、サニーが悲鳴を上げる。
それを掻き消すように、一際強い破壊音と共にアングリッドの家の玄関が崩壊した。
「――!?」
積み重なる瓦礫と土埃の中から現れたのは、一層歪な形に変化を遂げた『
元からあったクマのような腕に加え、新たに二本の腕が肩口から生成されている。先端には爪の代わりに吸盤のようなものが取り付けられており、それが不気味に開閉して中から黒い液体を滴らせる。
足元の木の根には茨のような棘が追加され、腰元と思しき箇所からフラフープのような輪状の何かが飛び出ている。
ワニのような口は四つに分かれ、大きく口腔を押し広げたその有り様は宛ら巨大な黒いクローバーといったところだ。
そして、全身を彩る赤い斑点は更に数を増し、それぞれが自己主張するかのごとく明滅を繰り返し、悪趣味なイルミネーションを完成させている。
「なんなの……これ……!?」
元から形容し難い『
どうすればこんな風になってしまうのか?これもアンダーイーヴズの呪いの為せる業だと言うのだろうか?
――グルルルルルッ!
怪物がサニーの方を見る。
いや、正確にはサニーではなく、ケルティーの背中に乗せられたアングリッドを。
「……っ!」
サニーが、地面に倒れているシェイドを見る。
シェイドの身体は動かない。気絶してしまったのか、あるいは、もう…………。
――ギョアアアアアア!!!
耳をつんざく絶叫を上げ、怪物がサニー達の方へ迫ってくる。
吸盤の着いた腕が伸ばされ、真っ直ぐアングリッドをケルティーごと喰らわんとする。
「――ッ!? ダメェェェ!!!」
サニーは全てを忘れた。
自分の行動の意味も、それによってもたらされる結果も、一切考えなかった。
アングリッドとケルティーを守らなければならない。
その瞬間に彼女を支配した想いは、それだけだった。
サニーは、シェイドが自分を守ってくれたように、アングリッドとケルティーを庇って二人の前へと躍り出た。
開かれた吸盤の口がサニーの眼前に広がる。驚いたようなケルティーの嘶きが背中に掛かる。
そして――――
サニーの意識は、闇へと呑み込まれた――――。
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