雨の日の珍客・第2話

「あの日も雨が降っていたな。私は大きな杉の木の下で雨宿りをしていた。そこに、ひとりの少女がやってきた。セーラー服というのか?学校の制服を着た、おさげ髪の可愛らしい少女だった。少女は最初私の前を行きすぎて、戻ってきた。恥ずかしそうに傘を差し出して、私がどうしたものかと思っていると、傘をおいて走って行ってしまった」

「可愛らしい女の子ですね」

言葉を切った男性に春樹が微笑む。男性はうなずくとまた話し始めた。

「私はその傘をさして帰った。だが、傘を返そうにもあの少女の名前も家も知らない。だから私はまたあの杉の木の下にいれば会えるだろうかと、それから毎日傘を持って杉の木の下に立っていた。だが、ついぞ少女が現れることはなかった」

「制服だったんですよね?毎日学校に通っていたんじゃないんですか?というか、どれくらい前のお話ですか?」

違和感を覚えた霧斗が尋ねると、男性は「80年ほど前か?」と首を傾げた。

「それって、戦時中かしら?」

「ふむ。どうやらそうようだ。そのすぐ後から飛行機が飛んできては爆弾を落とすようになった。当時は子どもでも戦争に駆り出されていたようだし、あの少女も学校に行っていられなくなったのだろう。戦争が終わって、私がまた山をおりたとき、その景色は様変わりしていた。全てが焼け野原になっていた。もしかしたらあの少女を見つけられるかもしれないと思っていたが、その惨状を少女が生き抜けられるとは思えなかった」

男性は目を伏せると静かに息を吐いた。人間にとっての80年は長い。だが、神である男性にとって、80年とはほんの一瞬だろう。きっとまだその時の光景を昨日のことのように思い出せるのだろうと思った。

「きっとあの少女とはもう会えない。そう思いながらももしかしたらと諦めきれず、私は時々山をおりては人里に行った。焼け野原だったところに家が建ち、人が増え、町になった。数年、いや数十年は経っていたか。ついに私は少女を見つけた。少女も私のことを覚えていたようでな。だが、少女はすっかり大人になって、孫もいる年齢になっていた」

「それでもお会いできたんですね。孫もいる年齢なら外見は変わっていたでしょうに、その少女だとわかったんですか?」

春樹の問いに男性は静かにうなずいた。

「魂の色はそう変わるものではないからな。少女は私の外見が変わっていないことにひどく驚いていたが、きっと神様なのねと言って笑っていた。私が傘を返すととても嬉しそうに笑って受け取ってくれた」

「その人とは、今も会っているんですか?」

霧斗の問いに男性は首を振った。

「それきり会っていない。私も山をおりるのをやめた。本来なら、私はあまり人と関わらぬほうがいいのだ。だが、今日、あの少女が天寿を全うしたのだ。だから、弔いも込めて久しぶりに山をおりた。まさかあのときのように雨に降られ、このような出会いがあるとは思わなかったがな」

そう言って苦笑する男性に春樹は小さく微笑んだ。

「その方、この辺にお住まいだったんですか?」

「ああ、この近くに住んでいたな」

「今日亡くなったってことは、もしかしたら会えるかもしれませんね」

霧斗の言葉に春樹もうなずく。男性だけは不思議そうな顔をしていた。

「ここ、黄泉への通り道らしくて、この近くで亡くなった方はだいたいここに一度立ち寄られるんですよ」

「ほう?確かに不思議な気配のする場所だとは思ったが、霊道だったか」

「だから、その少女だった人もここにくるかもしれません。今日はまだそれらしき人はきてないから」

霧斗がそう言ったとき、音もなくひとりの少女が店内に入ってきた。セーラー服におさげ髪の可愛らしい少女は、店内に入ってきたときは無表情だったが、男性を見ると途端に目に光が宿った。

「その姿…」

「あの人ですか?」

ハッとして固まる男性に霧斗が声をかける。春樹はにこりと笑うと少女のために男性の向かいの椅子をひいた。

「不思議なことに、死んだときの姿でやってくる人もいれば、もっと若い頃の姿でやってくる人もいるんですよ?あたしは勝手にその人が一番幸せだった頃の姿になるんだろうって思ってますけど」

春樹に手招きされて少女が男性の前にやってくる。少女は男性の前に座ると深く頭を下げた。そして、顔をあげた少女は幸せそうに微笑んだ。

「またその姿で会うとは思わなんだ。人の一生とは儚いものよ」

男性が寂しげに微笑んで少女に手を伸ばす。少女は嬉しそうに微笑んだまま男性に頭を撫でられた。

「来世でもお前を見つけられるよう、私の印をつけよう。なに、生きるのに支障はないさ。しばしの別れだ」

男性がそっと手を離すと少女はそのまま消えてしまった。

「思いがけず良い時をすごせた。雨もあがったことだし、私はもう行くとしよう」

「そうですか?よろしければまたいらしてくださいね」

春樹がにこりと笑って言うと、男性は少し驚いた顔をしながらもにこりと笑った。

「奥にいる妖にも礼を言っておいてくれ。ではな」

男性はそう言うと店を出ていった。


「ふう。すっごい緊張したわあ」

扉が閉まると春樹が盛大に息を吐き出す。霧斗は苦笑しながらうなずいた。

「仮にも神ですからね。それにしてもあの少女、とんでもない方に気に入られたもんだな」

「やっぱりそうなの?」

霧斗の言葉に春樹が尋ねる。霧斗はうなずくとテーブルのコーヒーカップを片付けた。

「魂に印をつけられたから、来世でもきっとあの方に見つけられる。ただ見守るだけならいいけど、下手をしたら神隠しされるでしょうね。まあ、あの様子じゃ、あの少女もまんざらでもなさそうでしたけど」

男性を見て嬉しそうに微笑んでいた少女。印をつけられるときも抵抗しなかったことを考えれば、少なからず男性を慕っているのだろうと思われた。

「まあ、あの少女がすぐに転生するわけじゃないし、俺たちには何もできませんよ」

「そうね」

春樹がうなずくとちょうど事務室のドアが開いて楓が出てきた。

「お帰りになったか」

「ええ。楓ちゃんにお礼を言ってほしいって言われたわ」

「礼など畏れ多い。私はただ雨に濡れて難儀されているだろうと思っただけだ」

楓はそう言うとカウンターから布巾を持ってきてテーブルを拭いていた。

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