通いつめる客・第2話

 翌日も開店と同時に都筑は音もなくやってきた。そして窓際のテーブル席に座る。晴樹がいれた紅茶をケーキを霧斗が持って行くと、都筑は紅茶の香りに目を細めていた。

 少しして桂木が来店する。桂木は霧斗に都筑がきていることを聞くといつものカウンター席ではなく、テーブル席の、都筑の向かいに座った。

 一見、桂木がひとりでテーブル席にいるように見える。だが、その向かいには誰もいないのにおかれている紅茶とケーキ。常連ならばそこに誰かがいるのはわかっていた。

「ねえきりちゃん。あの方、大丈夫かしら?」

都筑と違って桂木は昼前には帰る。桂木が帰ったあと、晴樹が霧斗に心配そうに声をかけた。

「まだ大丈夫だと思いますよ」

晴樹の心配事を理解して霧斗が言う。実体を持たない都筑の体は、晴樹と霧斗の目にも透けて見えるようになっていたのだ。日に日に透けていく都筑にこのまま消えてしまうのではないかと言う晴樹に霧斗は苦笑して首を振った。

「消えるってことは黄泉に行くってことです。悪いことではないですよ。ただ、あの人が待っている人が間に合うかはわからないけど」

「桂木さんは奥さまももう危ないようだっておっしゃってたけど、やっぱり一緒にあの世に行くつもりなのかしら」

「それがふたりの望みなら、俺たちが口を挟むことじゃないですよ」

霧斗の言葉に晴樹は「それはそうだけど」と釈然としない顔でうなずいた。

「残される家族には悲しみが増すだけでしょうけど、夫婦にしてみたら死して後、一緒に黄泉に行けるのは幸せなんでしょうね」

そこまで想い会える相手に出会えることは奇跡に近いことだと霧斗は微笑んだ。それには晴樹も同意なようで、「そうねえ」と苦笑していた。


 それから数日、都筑は日に日に存在が希薄になりながらも毎日やってきた。そして桂木も毎日やってきては都筑の向かいに座っていた。そんなことが続いたある雨の日、都筑が向かいではなく、隣に座った。

「都筑、きみ、奥さんを待っているんだろう?奥さん、今日の昼まではもたないようだ。きみに会いにここにくるかもしれないから、向かいの席は空けておくよ」

桂木の言葉に都筑の表情が明るくなる。そうしていつものようにふたりで静かな時間をすごしているのを時々見守っていた霧斗は、ふわりと風が吹いたように感じてテーブル席に目を向けた。

「晴樹さん、紅茶とケーキをください」

「え?お客さまがきたの?」

厨房にいた晴樹が驚いて顔を出す。晴樹は霧斗の視線の先のテーブル席に視線を向けると、目を見張って静かに微笑んだ。

「すぐに用意するわ」

晴樹にうなずいて霧斗はケーキを用意した。晴樹がいれた紅茶と一緒にテーブル席に持っていくと、桂木は不思議そうに霧斗を見た。

「きりちゃん?おかわりは頼んでないよ?」

「いえ、これはこちらのご婦人に」

霧斗がそう言って都筑の向かいの席に紅茶とケーキをおく。桂木は目を見張るとすぐに微笑んでうなずいた。

「そうか。奥さん、きたんだね。よかったなあ」

桂木が目を細めて言うと、ふわりと空気が揺らいだ。そして、幽霊など見たことがない桂木の目に、都筑とその奥さんが嬉しそうな表情で手を握りあい、立っているのが見えた。

『ありがとう…』

消え入りそうなかすかな声。都筑は礼を言うと待ち望んだ奥さんと共に消えていった。

チリン。

風もないのに店内に鈴の音が響く。晴樹はその音に「ありがとうございました」と小さく告げた。

「きりちゃん。最後、私が見たのは幻かな?」

桂木がポロポロと涙を流しながら尋ねると、霧斗は首を振って微笑んだ。

「いいえ。俺の目にも同じ光景が見えました」

「幸せそうな顔をしていた。あんなふうに消えていけるのは幸せなのだろうね」

「そうですね。きっと、後悔のない人生を歩まれたんでしょう」

笑いながら死ねる人間は多くない。きっと都筑は幸せだった。霧斗の言葉に桂木は微笑みながら涙を拭った。

 桂木が帰るとき、霧斗は都筑と奥さんに出したケーキを箱に入れて桂木に渡した。

「これ、よかったら持って帰って食べてください。供養になりますから」

「ありがとう。いただくよ」

どこか寂しそうにしながらも微笑んで、桂木は帰っていった。


「桂木さん、気落ちしないといいけど」

その夜、アパートで夕食を摂りながら晴樹がポツリと呟いた。都筑が亡くなったあと、数日カフェにやってこなかった桂木が、また塞ぎ込んでしまうのではないかと心配したのだ。

「大丈夫だと思いますよ。寂しかったり悲しかったりするのは当然でしょうけど、桂木さんは都筑さんが奥さんと幸せそうに消えていくのを見たから。あんなふうに黄泉に行けるのは素敵だなって俺も思いました」

「運命のパートナーってやつね。きりちゃんも探してみたら?」

晴樹の言葉に霧斗は目を丸くしながらも首を振った。

「俺は長生きできる保証もないし、独りでいいですよ。晴樹さんこそいい人見つけたらどうですか?」

「あたしは自分から探したりしないのよ。運命の出会いを待ってるの」

そう言って笑いながら、ふたりは死して後も愛し合う老夫婦を弔うための酒を飲んだ。


 晴樹の心配をよそに、桂木は翌日いつものようにやってきてカウンター席に座った。そしていつものようにコーヒーを飲む。まだ悲しみや寂しさを乗り越えたわけではないだろうが、都筑が最期に見せた笑顔が決して死が悲しいだけのものではないと思わせた。

「私も死ぬときは笑って死ねるように、今を十分に楽しむことにするよ」

そう言って笑う桂木に晴樹は「長生きしてください」と言って微笑んだ。

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