古民家旅館からの依頼・第3話
「あれ、なんだかすっきりしているような」
廊下を歩いていると後藤が不思議そうな顔をする。霧斗は「気づきました?」と言って笑った。
「小物の妖がいなくなったんで、だいぶ風通しがよくなりましたよ。古いだけだとここまで集まってこないんで、たぶん荒ぶった神の影響でしょうね」
「神様…そうですか」
「後藤さんは神様を信じますか?」
後藤の様子を見て霧斗が尋ねる。祓い屋に依頼してきた時点である程度は信じているのだろうと思っているが、それでもほとんどの依頼主は半信半疑だ。だが、後藤は神様と言った途端に表情を変えた。せっかく移築したこの建物を、元の場所に近いところに土地を買ってでも戻していいとまで言ったのだ。普通そこまでは言えない。神を信じる何かがあるのだろうかと思って尋ねた霧斗に、後藤は小さく笑った。
「実は、子どもの頃は色々見えたりしたんですよ。神社に行けば神様もいたし、家には座敷童子みたいな着物を着た子どももいました。大人になったら見えなくなりましたけどね」
「なるほど。そうでしたか」
子どもの頃には見えたのに大人になると見えなくなるというのはよくある話だ。子どもは様々な境界を越えやすい。神隠しもその境界を越えて戻れなくなってしまった結果だ。
「ここにいる神様の姿が後藤さんに見えるかはわかりませんが、俺に何かあっても決して声を上げず、頭を下げていてくださいね」
「わかりました」
霧斗の言葉に後藤がうなずく。霧斗はにっこり笑うと神棚がある座敷の襖の前に座った。
神棚がある部屋はさすがに空気が他とは違った。まるで上から押さえつけられているような息苦しさがあった。
霧斗は襖の前に座ると手をついて一礼し、柏手を打ってからすっと襖を開けた。襖を開けた正面に神棚がある。そして、霧斗の目には妖を呼び寄せてしまうほどに怒り狂った神がいた。
「かしこみかしこみ申す。この建物を守っている神とお見受けいたしました。なんの先触れもなく突然この地に連れられたこと、お怒りになるのは当然のことと思います」
「お前は陰陽師か?その男が我をここまで連れてきたのだ。その男を供物にしにきたか?」
荒ぶる神が後藤を見て言う。元は美しかったろう顔は今は見る影もなく恐ろしいものになっていた。口からは鋭い牙が覗いている。怒りを向けられた後藤は神の姿も声を認識できないのにガタガタと震えていた。
「この者はあなた様をいきなりこの地にお連れしたことをとても悔いております。お望みであれば元の場所に近いところにお連れするとも」
「ほう?傲慢な人間にしては殊勝なことよ」
「しかし、まずは怒りを鎮め、お心を安らかにしていただきたいと存じます。このようなものをお持ちいたしました」
霧斗がそう言って一升瓶を2本前に置く。1本は元の場所の地酒。もう1本はこの土地の地酒だった。
「一献、いかがでございましょうか?」
「…ふむ。気が利くな。見ればそれは我がいた土地の酒」
酒を見て神の怒りがわずかに和らぐ。昔から神とは酒が好きなものと相場が決まっているが、この神も例に漏れず酒は好きなようだった。
まずは元の場所の地酒を盃についで神の前に差し出す。神は盃を受けとると一息に飲み干した。
「ああ、美味いな。そちらは?」
「これはこの土地の地酒でございます。お味見なさいますか?」
「もらおう」
うなずく神に一礼して盃にこの土地の地酒を注ぐ。それも一息に飲み干した神は、ほうっと息を吐くと「美味い」と呟いた。その様子からはすでに怒りはなく、神の姿も元の美しい姿に戻っていた。
「この酒でわかる。この土地が土も水も風もよいことが」
「いかがでございましょう。今しばらく、この地にお留まりになられては。人間の時はあなた様からすれば一瞬でございます。この者が死ぬ前に、元の場所にお戻しすると約させます故」
霧斗の言葉に神は小さくうなずいた。
「よかろう。美味い酒を持ってきたおぬしに免じて、今しばらくこの地に留まってやろう。だが、毎日酒と米を供えるようにそこの男に伝えよ」
「かしこまりました」
神の言葉に霧斗が手をついて頭を下げる。神はうなずくとそのまま姿を消してしまった。
霧斗は酒と塩をそのまま神棚の下に供えると柏手を打って一礼した。後藤もそれに倣って一礼する。そうして座敷を出ると、後藤はへなへなと床に座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
「はい。なんだか、何も見えないのに何かがいるのがわかって、とても疲れました」
「神様の気にあてられたんですよ。ゆっくり休めば治ります。それより、事務室に行きましょう。神様からのお言葉を伝えますね」
霧斗に促されて後藤はやっとの思いで事務室に戻った。事務室では後藤の娘が待っており、疲労困憊といった様子で戻ってきた父を見て驚いていた。
「それで、神様はなんと?」
「神様はあの酒を気に入ってくださって、今しばらくこの地に留まってくださるそうです。その代わり、毎日酒と米を供えるようにとのことです。そして、あなたが亡くなるまでにでいいので、この建物をできるだけ元の場所に移築できるように手配してください。もし移築するならきちんと神主を呼んでお祓いなりしてもらうこと。いいですか?」
霧斗の話を真剣な様子で聞いていた後藤はうなずいて頭を下げた。
「ありがとうございました。必ずそのようにします」
「よろしくお願いします。あとあの座敷は毎日掃除して障子とか襖も開けて光を入れてあげてください。暗いままだと神様といえど気が滅入りますから。これでもうお化け騒ぎはなくなると思いますよ。ただ、古い建物はどうしても妖が寄りやすいので、定期的にお祓いをしてもらうのがいいと思います」
「わかりました。本当にありがとうございました」
霧斗は後藤に今回の依頼料の振込先を教えて古民家旅館をあとにした。
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