第55話(完)
世の中には価値のある人、特別をもつ人になりたいと望む人は数えきれない。
かつての僕がそうであったように、価値のある人間にはどうしても憧れてしまうものだ。
高校生。大学生。社会人。
次の候補になりうる人は沢山いる。
だからと言って継いだ後の多大なる苦労を思えば、“歴史渡り”なんて正直言っておすすめはしない。
「価値のある人間はどこか孤独で、一緒にいてくれるだれかを探すのはすごく難しいかもしれない。それでもやっぱり人は全くの一人では生きていけないと思う。だから一人ではどうにもできない時は周りを頼ればいい。誰かはきっと君を支えてくれるから」
見た目が高校生のやつからいきなり意味わからんこと言われても困るよな。
分かるよ、その気持ち。
だって僕も初めはそう思って一人で生きればいいやって思っていたから。
今僕の目の前にいる大学生の彼は、恋愛は不必要なもので、この世界はなぜこんなに醜いものばかりなのか、と眼を逸らしたがっている。
なぜ皆が何とも思っていないのか、平気なのかが不思議でたまらない。
守るべき彼なりの信念が一般的な正しさと違うだけで、正しくないわけじゃない。彼は酷く純粋だ。それゆえに優しい。だから次に選んだ。
今度は僕が、かつてアクツが僕にしたようにここで彼を導く番だ。
現実にぶつかって心が折れないように。
彼がこの世界の美しさを知るには少なく見積もってもまだまだ時間はかかりそう。
それまであの心象世界のいつもの大きな木陰で、気長に黒猫と戯れていよう。
歴史は受け継がれている。
人にはそれぞれに物語があるから、受け継がれる歴史だって星の数より多いかもしれない。
その一役を担って僕は世界というものがより好きになった。
彼もいつかはそうなるだろう。
日常に目を向ける。
日々の変化に敏感になる。
新たな発見はそこかしこにあって、その一つ一つを大事にしようとすれば時間なんていくらあっても足りない。
だからタイミングだけは見逃さないでほしい。
幸せになる方法なんてそこら中に見えないように転がっているから。
でもどうやら特別な存在であったとしても。
絶えることなく、そして空白を作って怠けることの許されない歴史を綴る使命も。
長年――それこそ百五十年を越える期間を一人でひっそりと綴る責務も。
人の強い想いや激情の前ではその拘束は力を及ばないらしい。
制約に諦めは必要ない。
“歴史渡り”よりも大事なものができたから。
僕にはもう達観という“歴史渡り”としての適性はない。
僕は役目以上に大切なモノを見つけた。
世界を俯瞰し、静かに見守ることはできなくなった。
それだけは失ってはいけなかった。
失格なのだ。
その瞬間から僕は自由だった。
“歴史渡り”の歴史を綴りたいという想いがあって初めて、歴史というモノは綴られていく。
河井さんはあの花火大会の日、僕の実態を知ってなお、これからも僕のそばにいたいと言った。
僕の幸せを見届けていきたいと言った。
そのために彼女は“管理人”として、いつまでも僕をそばで支えていくと宣言した。
例え彼女が先に年取るとしても。
先に老いて死んでしまうとしても。
彼女は僕のそばにずっといたいと願ってくれた。
僕は“歴史渡り”としての最後の仕事を終えて、宮内庁舎に戻る途中だった。
今年で僕にとっては何年目か分からない桜の季節を迎え、皇居に桜が咲き乱れている。
今年は開花が早かった。
まるで僕を祝してくれているようで、やっぱり開花は早ければ早いほうがいいなと思った。
そこら中で宴会も花を咲かせている。
僕はいくつもの満開な隣りを通り過ぎた。
その賑やかな雰囲気につられて僕の足取りが軽くなる。
これから僕はただの一宮内庁職員だ。
『いままで本当にお疲れ様です』と、先日久しぶりに会った、僕にとっての元“管理人”のこの上なく感情のこもった労いの言葉がやけに身に滲みた。
これで終わりなのだ。
僕にとってとても思い出深い二度目の高校二年生を終えてから三年、世間としては九年が経っていた。
すでにヤマモトは定年退職をしていて今は別の者がその仕事を引き継いでいる。
だから僕が“歴史渡り”をしていた初期のころをその者は知らない。
昔の思い出話をしたくなったときは、電話でもしてヤマモトをここに呼び出そう。
どうせお金には余裕がありそうだし、どこかでゆっくりと余生を持て余しているだろう。
河井は高校を卒業した後、有名国立大学に入学した。
そして今はこうして特別歴史記憶伝承保安官、通称“管理人”をしている。
この職業に就くためには法学や歴史学、それに身体能力を問われる試験が数多く存在するが、彼女はストレートで合格してきた。
ヤマモトに変わって僕を支援してきた彼女とは今や年齢の差が一年もない。
今や26歳なった彼女はさらに美しくなったと僕は思っている。
僕がゆっくり年を取るものだから徐々に彼女に追いつかれつつあるが、今日この日から決して追い抜かされることはなくなった。
僕は今日“歴史渡り”を次の人に引き渡した。
寿命的にはもっと長い間“歴史渡り”を全うするべきなのだが、27歳の誕生日を迎える今日というこの日に辞めることにした。
僕に“歴史渡り”の資格がなくなり始めたのは最近になって知った。
”歴史書”に日々を綴らなければならないという焦燥感が薄れ始め、夜中までには必ず襲ってきた睡魔の威力が弱まり、夜も少しずつ起きれるようになっていた。
だから僕も、それこそ河井も凄く驚いた。
なぜならこの先もずっと“歴史渡り”をやっていくつもりだったし、河井も僕を支えてくれるつもりだったのだろう。
歴代の中ではぶっちぎりの最短記録だ。
でも僕は僕のやりたいようにやると決めたのだから、別に悔いはない。
アクツが選ばなかった道だ。
彼も“歴史渡り”をやめることが出来たかもしれない。
でも恋に盲目だった樅山が他の方法を探すことなく死にひた走ってしまってから、彼にとって“歴史渡り”をやめることは何の意味も持たなくなった。
むしろ彼は樅山との繋がりを守るために“歴史渡り”を最後まで全うした。
普通の人間に戻った僕はこれから、多忙な河井の“管理人”としての仕事を引き継ぐ予定だ。
なぜなら今の彼女は書くべき舞台の脚本や小説で忙しい。
今や売れっ子作家でもあるのだ。
それに僕が元“歴史渡り”として後継者の彼を、現実世界の一番近くで見守っていける。
時々僕たちは脚本や小説の展開について議論したりする。
今となっては、僕はほとんど感想を言うだけだが、彼女は実際に執筆する前の二人で話し合う時間がこの上なく楽しくて、むしろその楽しみのために物語を考えているとまで言っている。
彼女は一度筆を動かし始めたら完成までが早い。
でも途中で道に迷ったり、詰まったりするとすぐに僕に話して助言を求める。
高2から続いてきた二人だけのこの時間が僕もこの上なく好きだった。
しゃち。
オフィスの中、隣の方から僕の名前が呼ばれたので、どうしたの? と声を掛ける。
「今日は特別な日なんだし、……そうだ。今からニュージーランドにでも行こうよ」
「いや、急だなあ。でもなんでニュージーランドなんだよ?」
「しゃちを縛っていたものがもうなくなって、色々軽くなったでしょ。外国にも行けるようになったんだし。私ずっと前からニュージーランド行ってみたかったの。きっと綺麗だよ。それに…………、しゃちなら分かるでしょ?」
ニュージーランドといえば、星空保護区と呼ばれている星が綺麗に見える世界に数少ないスポットがあると聞いたことがある。
南半球だから、日本では見ることが出来ない南十字星やマゼラン雲なんかを見ることが出来るってことだ。
それなら今すぐにでも行くしかない。
やるべき仕事がもう全て終わったのか、河井はオフィスの扉のすぐ前に立って僕の支度を待っている。
僕は河井に、今行くよ、と合図を送って、急いでデスクの上の書類を片付ける。
高校生だった頃の二人が映った写真は特に大切に鞄にしまった。
「あっ。ねえ、いいお話思いついたから、そろそろ書いて公に発表してもいいでしょ?」
はて、なんのことやら。
「いつもダメって言うけど、次は絶対にしゃちを主人公にしたお話書くからね‼」
とぼける僕に河井はとても楽しそうに宣言する。
大人になってより綺麗になった彼女に僕は高校生だった頃の無邪気で果敢な彼女を重ねる。
今の彼女もとても幸せそうだ。
しかしもうすでにあの時、しかも僕たちにとって思い出深いあの初めの脚本で、断りも入れず僕をモデルにした主人公のお話を書いているじゃないか‼‼ と、心の中で軽くつっこみを入れておく。
さて、なんて返事をしようかな。
今度こそ自分の本当の気持ちがバレないように、少し緩んでいた口元をかき消すために頬を軽くたたいて、後継者に受け渡すために綺麗になった机にもう僕の痕跡が残っていないかを一度だけ確認する。
真っ新であることを確信した僕は表情を読み取られないよう待ってくれる彼女を追い越し、一足先にオフィスから外の眩しい世界へ足を踏み出した。
(完)
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これにて完結です。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。毎日投稿を続けてきましたが、モチベーションを保てたのは読んで下さった方や温かい感想のおかげであると、心の底から感じております。
しゃちの一年間だけの二度目の高校生活でしたが、思い返してみると色々なことが起こったのだなあなんて感想を抱きます。
次のページで少しだけ、この物語を書くに当たっての設定や伏線のようなポイントを書いておきますので、興味がありましたら眺めてみて下さい。
ここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございました。
よろしければ感想や評価、レビューを下さいますととても嬉しいです。
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