第50話 OtherSide-2-

「脚本を変更する」 


河井が本番間近になって急にそう言い出した意味が私には分からなかった。


皆が猛反発した。


それでも河井は意志を曲げなかった。


でもそれは去年みたいな自分のことしか考えないひどく身勝手なものには、私は見えなかった。


何か自分のためじゃない意図がある。


それにだ。


この追加された長台詞。

覚えるのも一苦労だが、この役の気持ちがよく分からない。


一体どんな感情からこの発言が飛び出すのか、私には理解できない。


けど、きっとこの言葉は河井自身の言葉だ。


彼女を理解しなければ私は彼女の生み出した役になれない。


今は陸上のことで彼女との関係を気にしている場合ではない。



休憩時間になると私はすぐさま河井に詰め寄った。

私が話しかけると少し怯えたような視線を向けられる。


私はヒロインの気持ちを訊ねた。

河井は恥ずかしそうにして何も言わない。


しばらくの間沈黙が続く。


この時、私は教室の喧噪も、忙しなく人が行き交う視界も気にならなくなった。

私は彼女の言葉だけを待っている。


しばらくして河井は口を開く。

一言目に、岩屋さんのことをずっと前からかっこいいと思っていた、と話した。


それから私がずっと陸上部に顔出さなくてごめんね、と申し訳なさそうな顔をする。


私は彼女に何があったのか詳しくは分からないが、誘った地区大会を見に来なかったことを知っている。


私が出せる最高の走りを、彼女は見るのを拒んだ。

そう思うと、今は陸上の話をするべきではないと分かっているのに、陸上の話を聞くといつのまにか私は彼女に対して怒りが湧いてくる。


私が聞きたかったのはそんな言葉じゃない。


劇の話だ。


これからの話だ。


今はそれが聞きたかったはずなのだ。


そんなうわべだけの話を申し訳なさそうにするのなら、河井の言葉は私にはきっと届かない。


彼女は私の内情を察することなく話を続けようとする。

ああ、やっぱり河井は他人の気持ちなんて分かろうともしない。

一人で勝手に自己完結する。

あの頃のままだ。

変わっていない。


河井は再び口を開くと、私、県大会見に行ったの。と言った。


私は驚いて声が出ない。


聞いてないし、誘ってもいない。


河井のトラウマの場所だから、私は怖くて誘えなかった。


なのになぜ平然そうにさらりと言える? 


私の怒りは綺麗さっぱり消え、代わりに疑問だけが残る。


驚いて固まっている私に気づいていないのか河井は下を向きながら話を続ける。


観客席から見たグラウンドが去年実際に走ったときに見たものとは違っていたこと。

そこで走る私がどんなに格好良く見え、そして羨ましく思ったこと。

美しいフォームで風を切り、他の選手たちを抜かしていく。

気持ちよさそうで負けたくないと思ったこと。


河井は恥ずかしそうに、一つ一つ言葉を選びながら私に向かって話す。


私は今までなぜ河井と仲良く出来なかったのだろうと疑問に思い始めた。

河井も私と一緒で走るのが好きだった。

それは今も変わっていなかった。


私は河井の話を聞き終わって一つだけ、聞いておきたいことがあった。


「今度陸上部に戻ってきてくれる?」 


私の質問に河井は力強く頷く。


私は頑張って一年の遅れを取り戻して、早く岩屋さんに追いつきたい、と言って笑った。


私は今、自分がどんな顔をしているのか分からない。

私が今までしたことがないような顔は少し不細工かもしれない。


私はこの堪らなく嬉しい気持ちを表現できているのか分からないが、河井の反応を見るに私の気持ちはちゃんと彼女に伝わっているようだった。


河井の涙を見ると、私の目にも涙が堪ってくる。


私たちはお互いを確かめるように抱き合った。


陸上部でお互いにいい記録が出るとこうやって褒め称えあったものだった。

その久しぶりに感じる温もりに私は心を揺さぶられる。


こういう時の私は感情表現が苦手だ。


何とか言葉を紡いで、今までごめん、と言うと河井は、私こそずっとごめんね、とすぐ隣から返ってくる。


それからは河井の変更したがっていた劇の詳細について聞いた。

河井がここまで変更にこだわる理由が少しだけ分かった気がした。


やっぱり河井自身の伝えたい言葉なのだ。

私は、いつも一歩下がって余裕そうに私を見透かしたような態度をとる古久根のことがちょっぴり気に入らないが、それでも河井の話を聞いた後はあいつが本番で一体どんな行動をするのか楽しみだった。

河井がこの脚本を完成させるのにどれだけ大変だったか私には想像も付かない。

ただ私に出来ることは役の気持ちを理解して、彼女としての行動を取ること。


私は河井の物語を成功させたいと強く思った。

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