第38話

学校の最寄り駅でいつものように改札をくぐる。


学校へと向かう学生の波にのまれていると、目の前の柱にもたれかかって、こちらを真っすぐ向いている一人の女の子が目に入った。


誰かを待っているようだった。


“しゃち、どうしたの? 早く一緒に行こうよ”


僕がその女の子の目の前を通り過ぎようとするその瞬間に、女の子は僕の方に顔を向け、目配せをする。


僕は一瞬その女の子が誰なのか分からなかった。

僕は不意に突然、脚を止める。


…………。


…………河井? 


いや何でもない。


“しゃち、今日はどうしたの? なんかいつもと違う感じかも”


そう言って河井は笑う。

いや何でもないから。


そう言って僕は歩き始めると河井は笑いながら僕の隣に来て、同じ足取り、同じ速度で並ぶように歩く。

彼女の笑顔が眩しい。


“それにしても学校祭の劇上手く言って良かったね。お客さんの反応も良かったし、学校祭の劇の最優秀賞にも選ばれたんだよ。やっぱり私たち凄かったんだよ。なんか今になってやっと、あの時の嬉しさとか楽しさとかひっくるめた感動?みたいなものをひしひしと感じてる。もう一回学校祭――、いやしゃちと二人で脚本作りをするところからやってもいい感じかな”


河井は身振り手振りで昂ぶった感情を大げさに表わす。


そうだっけ? 


ああ、そうだった。


スマホを確認すると日付は9月24日。

学校祭が終わって一ヶ月が経とうとしていた。


こうして河井と並んで歩くのは何だか不思議と心地よい。


“ひとまず定期試験を乗り切らないとね。部活の方ももうすぐ一旦休みになるし、そしたらまた教室に残って勉強会でもしようよ”


そうだね。僕も教えられるように頑張るよ。


学校へ続く道は既に紅葉が始まっていて、今日はやけに周りが鮮明に見える。

そして今日はやけに河井が嬉しそうに笑っているような気がした。


教室まで一緒に行く。

僕たちはなぜかまた席が隣同士なのだ。


今日の授業って何か宿題出てたっけ? 


なんて他愛ない会話をホームルームが始まるまで果てしなく続ける。


今日もまたいつもの日常だった。


適当に授業を受けて、適当に片山や河井と喋って、いつの間にか授業が終わる。


少し楽しみにしていた昼食の時間も終わってみればあっという間だった。


朝と同じ道で家に帰り、明日もまたちゃんと生活できるように明日のための準備を適当にして寝る。


寝て再び目が覚めるまでの時間はとても短かった気がする。



いつの間にか季節は移り変わり、最寄り駅で僕を待つ河井は冬の装いに姿を変える。


制服の中にグレーのカーディガンが顔を覗かせている。


手には黒のもふもふしてとても温かそうな手袋。

赤と藍のチェックマフラーは首にゆったりと巻かれていて、とても可愛らしい。


時々風が吹くとぬくもりを逃がさぬようにとマフラーをくいっと軽く上げている。


僕のことを今か今かと、白い吐息でさえも大事にするかのように待ち望むその様子を先に見つけた僕の心は、河井以上に暖かくなっているかもしれない。


僕の心はこんなことで温まるのだ。


むしろ気持ちに支障を来す沸点を超えないか心配なくらい。


僕は河井を驚かせようと先ほど自販機で買った温かい缶コーヒーを二つ、しっかり持って河井に駆け寄る。


僕を見つけた彼女の顔の綻びはとても綺麗で愛くるしい。


見ているだけでとても暖かい。


そんな僕の心情を読み取ったのか僕の隣にいる彼女は手袋をはめた手で僕を軽く小突く。


柔らかな感触は僕の着重ねた服を貫通して伝わってくる。


とても心地の良いものだった。僕はその震源である可愛げな手を逃がさないように上から捕まえ、缶コーヒーを握らせると、彼女はとても暖かいねと言って笑った。


“もうすぐ冬休みだね、しゃちは予定、決まっていたりする?”


生憎、僕のスケジュールは凄くすごーく空いていて逆に困る感じだな。


“その前にクリスマスだよね。しゃちはどうやって過ごすつもり?”


彼女は僕の予定がどうなるのか分かっていて訊いているのかと思うくらい、未来のことをとても楽しそうに話す。


僕も彼女に合わせて未来のことを話した。


思えばこの一年はいつも以上に短く感じた。


確かにクリスマスも一緒にいたいけど今年最後の日、つまりは大晦日、年越しの瞬間は河井と神社で一緒に過ごしたいかな。


そう僕は言うと、“何当たり前のことを不安そうに言ってるの?” と少し僕を馬鹿にしたような顔で河井は笑った。


河井はいつの間にか彼女の頬へと寄せていた缶コーヒーを放し、代わりに僕の頬に押し当てる。


“ねっ、温かいでしょ。”


つられて僕も河井と同じように彼女の頬に缶コーヒーを押し当てる。


ほんとに凄くあったかいな。


“でしょ。”


僕を馬鹿にしたような笑みから一変、とても幸せそう顔で笑う。

こんなことで河井が喜んでくれるなら僕は缶コーヒーへと評価を改めなければならない。

 

名古屋は雪が降る日が少ないのだが、今年はどうやら近々降りそうなくらい冷たかった。


冬が近づけば近づくほど、風をしのぐかのように僕たちの間の距離は小さくなり、歩く速度も遅くなる。

それはどんな豪雪も暴風でさえも邪魔できない心地よい空間だった。


クリスマス、大晦日、正月。特筆すべき行事ごとの少ない一月、二月と過ぎていき、いつの間にか桜が蕾を付け始める季節も終わり、満開の花を咲かせている。


二人で定期テストの度に二人で教室に残って勉強会をしていた甲斐もあってか、僕たちは無事に三年生へと進級した。


片山や岩屋さんとは違うクラスになってしまったが、河井とは同じクラスだった。

それだけで十分だった。


徐々に受験というモノが視野に入ってきつつあるが、僕たちの日常は変わらず、その場では濃く、振り返ると淡々が見えたが、思い出はたくさんあった。


桜が満開の朱華で世間を魅了したのはほんの二週間ほどだった。


ちゃんと二人で花見にも行った。

すぐに涼しげな青葉をつけて来たるべき夏の到来に備えている。


今、河井は最後の夏の大会に向けて陸上部で練習に励んでいた。


僕の心配をよそに岩屋さんといつの間にか仲直りをしていた。


今やいい競争相手以上の関係で、休みの日に二人でお出かけに行ったりもしているらしい。


僕と河井が一緒に帰り道を歩いていると、よく岩屋さんのことを話してくれた。


河井はスランプに陥ることもなく、最近は身体の調子も記録の方も順調らしい。


まあ何も順調なのは河井だけじゃない。


僕だって志望校のレベルを二段階ほど上げられるくらい勉強が上手くいっている。


部活で忙しい河井に分からないところを教えられるようになりたいと思ったら自然と勉強もする気が起こるのだ。


二人の予定が合う休日は出掛けたりもした。

電車を使えば二人で少し遠くにも行ける。

二年生の頃よりも二人でいる時間はたくさんあって、色々なことをした。



三年生も順調に日々が過ぎていき、待ちに待った夏休みが来る。

去年ほどのうだるような暑さはなかった。

去年の劇のことを思い出す。


楽しい思い出だ。

脚本を二人で書いて、二人で遅くまで議論した。


劇の完成までに色々大変なことがあったけど、その都度、一緒に助け合って乗り越えてきた。

 

海水浴に夏祭り、と楽しい時間はあっという間に過ぎ、気づけば明日は河井の陸上部の県大会がある。


受験生の夏は学校側が生徒に予定を貸すこともなく、僕は予定のない夏休みを過ごしていた。


だからもちろん僕は河井の応援に行く。

一年生の辛かった県大会の頃から確実に河井は変わった。

強くなった。

周りをよく見れるようになった。


明日は河井自身が過去にけじめや区切りをつける大切な日になるだろう。

彼女ならきっと上手くいく。

これまでの彼女をずっと見てきた僕はそう自信を持って言える。


明日になるのは少し怖いが楽しみでもある。

僕は河井に電話をかけ、河井なら大丈夫、自信をもって頑張ってね、と伝えた。


彼女の声からは既に興奮しているのが伝わってくる。


僕は明日の出来事をしっかり目に焼き付けれるよう、そして気持ちよく朝を迎えられるよう、いつもより少し早く眠りについた。

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