第16話
六月に入って初めての日曜日。
ヤマモトさんから上野動物園で近々パンダが生まれ、パンダの一大ブームが来るはずだからとの一報を受け、急遽東京に向かう。
普段は家で日本の起こった出来事をより詳しく調べたり、ヤマモトさんから入った政治内部の情報などを“歴史書”に記しているが、今回は実際に飼育員さんだったり、街の様子を調査しようということだった。
東京駅で待ち合わせ上野に向かう。会うやすぐさま、少し遅いじゃないですか? とにやついた笑みに向けられる。
傍から見たら年の離れた男性と男子高校生の二人で休日デートしているみたいで嫌だった。
上野動物園は家族連れが多く、休日らしいのどかな雰囲気だった。
行き交う人々の話題は生まれてくる赤ちゃんパンダの名前を何にするかで持ちきりだった。
「子供っていいですよね。見ていてすごく癒やされます」
「ヤマモトさんが言うと滅茶苦茶過保護な感じがして少し怖い」
さらりとひどいこと言いますね、と言ってヤマモトさんは僕に渋い顔を向ける。
飼育員さんの話を聞き終えると上野の街に繰り出す。
アメ横の様子はいつもと変わらず、色んな物が売っている。
観光客が大勢訪れ、商店街は華やかなほど賑わいを見せている。
大体の一日の予定が終わると、二人で国立博物館に行った。
博物館は荘厳な雰囲気があるが、僕たちにとってはもう馴染み深い。
昔は良く二人でここに来て、お互いの博識を披露しあった。
保管された過去を掘り起こした。
久しぶりにやってみると時間を忘れるほどお互い譲らないほど会話は白熱した。
動物園以上に展示物の間を歩き回った気がする。
別れ際、東京駅でヤマモトさんは君が元気に高校生やってそうで安心しました、と言う。
折角の機会ですし、博識な君が悩める高校生の手助けをしてみたらどうですか。
そうすれば普段の私の苦労だって分かるかも知れません、と言って笑う。
気が向いたらな、と放いて別れた。
「やっと見つけた。ずっと探してたんだ。今から少し話が出来ないか?」
梅雨がもうすぐそこだと告げる天気予報が的中するかどうかと少し雲が多い青空を見上げる、いつもと特に変りのない学校の帰り道。
僕はついでに地元のスーパーで買い物をしようとしていた時だった。
僕はあのアクツを見つけてそう言った……、のではなく僕が見知らぬ人に話しかけられる側だった。
見た目は三十代後半か四十代の男ですらっと背が高く、顎には無精ひげが似合う。
男性らしい格好良さがあった。
丈の合っている黒いスーツに赤いネクタイ。
仕事帰りのようだったが二十代のものとは違った厳格な雰囲気を醸し出していた。
左手の薬指には指輪がはめられている。
「お前、古久根だろ。本当に姿変わっていないんだな。これはびっくりした。懐かしいなあ」
端から見れば高身長のおじさんが現役男子高校生に親しげに話しかけているように見えていると思う。
しかし未だに相手が誰なのか見当がつかず、頭に疑問符を浮かべてる僕に男は、「俺だよ。朝倉だ、二年の時同じクラスの。朝倉荘太」 とまくし立てるように言う。
それでも朝倉という名前にピンとこないので、少しばかり古い記憶を呼び戻す。
「あ、分かった。名簿番号一番の朝倉だな」
確かに彼とは高校二年で同じクラスだったが、これといって何かを話した記憶は無い。
「そう。古久根は少し前に応仁神社に行っただろ。その時に偶然見かけて。いやでも、本当にすごく驚いた。変わっていないんだな。それで、……今は時間あるか? 話がしたい」
時間はあるのだが僕としては行きたくなかった。
なぜこいつは僕が“歴史渡り”であるということを知っているのだろうか。
僕は過去のこととはけりをつけたつもりだった。
しかし僕の素性を知っているとなると朝倉の話を聞いておくしかなかった。
大の大人に誘拐されている気分だった。
朝倉に言われるがままきちんと掃除の行き届いた大きなファミリーカーに乗った。
朝倉の心地よいくらい安全運転で近場のカフェに入る。
「ここは俺のおごりで良いから、好きなの頼んでくれ。どう見ても高校生のやつに割勘とか絶対、何をどう考えても無理だからな」
そう言って朝倉はあからさまに嬉しそうな笑みを浮かべる。
お言葉に甘えて1000円を超えるケーキセットを頼ませてもらうとした。
「朝倉は凄くスーツが似合うな。今は仕事帰りなのか?」
スーツ姿の大人にはいい思い出がない。
突然僕も前に現れて、僕が知らないことを知っていて、ひどく一方的で急で、僕の日常を悉く変えていく。
スーツ姿の大人なんて信用ならない。
「俺、今研究所入って学者をしているんだ。分野としては気象と地質。今日はその講演会の帰りで、ちょうど買い物しようと思ってスーパー寄ってみたら偶然だった。今日はこのスーツしか持ってないからそこは勘弁してくれ」
ウェイターが三種類のケーキとグレープフルーツジュースを僕に、コーヒーを朝倉に持ってきた。
ガトーショコラとレアチーズと、あとはこの店のおすすめらしいラズベリーやらブルーベリーやら様々な果物がたくさんのったものだった。
甘い香りだけでなく、その色とりどりな見た目からすでに美味しそう。
朝倉はミルクと砂糖を迷うことなくコーヒーに入れていく。
「で、僕に何の用なんだ?」
僕はレアチーズケーキを頬張りながら訊ねた。
「用というか、珍しい経験をしている古久根の話がずっと聞きたかったんだよ。俺もそろそろ刺激がほしくてな。古久根の話はぴったりだろ? 俺も一応研究のために自分の時間を費やして世俗離れした生活をしている自覚はあるけれど、本場の人間はどうかなと思って」
朝倉は手ぐしで一度髪をかき上げてから疲れたようにため息を吐く。
四十前後のはずだが、そのふさふさの頭髪にはところどころ、目立つ程の白髪が混ざっている。
言葉の節々は少し失礼だなと思ったが、それ以上に朝倉から滲み出ている疲労のような重苦しく、鼻につくような鼻腔に嫌気を覚えるようなものが気にかかった。
「そんなに面白い話なんて無いぞ」
「別に面白いかどうかは俺が決めるし、そんなこと気にしなくて良いから」
この“歴史渡り”自体秘密主義なもので詳しくは話せないし特筆すべきことも思い当たらないので、僕は歴史の話ではなく最近の二度目の高校生活について喋った。
この間朝倉は時折頷き、時折疑問を発した。
それに僕が応えていく。
「最近同期の誰かとは会ったか?」
「いや」
「となると同窓会も参加してないのか?」
朝倉はコーヒーを一口だけ口に含む。
「そんな会があったこと自体初耳だな。そりゃあるよな、同窓会くらい。招待されても行くつもりはないけど」
「俺も初めの数回は参加していたがそれっきりだ」
その後は僕にとって一度目の、つまりは二人の高校時代の話をした。
僕はあまり高校に行ってなかったし、思い出だってそこまでなかったのですぐに朝倉の話に移り変わる。
具体的には思い出せないくらいたくさんの昔のことを聞いたのだが、僕の知らない出来事の方が多かった。
朝倉は高校時代のどんな思い出も美化し、時に笑い飛ばしていた。
「古久根が酒を飲めたらな。もっと語り合えそうなのに」
ケーキはいつしかなくなり、二人のグラスも氷だけがとけるのをただ待っているだけになる。
そろそろお開きかと思った。
僕は鞄をつかみかけていた。
「なあ古久根。その“歴史渡り”を譲ってくれないか」
朝倉は急に真剣な面持ちになって、そう言った。
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