第14話
4月21日(土)
朝起きてラインを開いてみると通知がたくさん来ている。
バーベキューの買い出しやついでにゲーセンで遊んだり、カフェでパフェを頬張っている写真がグループトークのアルバムに載せてあった。
楽しそうだった。
その中に河井さんが小さく手を振っている写真を一枚見つける。
その笑顔がどこかぎこちなく映って見えたのだが、写真撮られるのが苦手なだけかもしれない。
なんだかその時の場面が目に見えるようで思わず顔がほころぶ。
楽しそうな彼らを見ても、別にうらやましいなあという感情はなかった。
それよりも楽しそうで良かったという安堵の方が大きい。
4月24日(火)
天気予報通りの快晴で、遠足にはもってこいの日だった。
小さな貸し切りのバスでは、約2時間の道のりをクラス委員長である藤城がクラスレクと称して、クイズやらゲームやらアカペラのカラオケで盛り上げている。
僕の班員は奇数であり、席をくじで決めた結果、女子二人組、男子二人組、片山と河井さん、そして誰とも組になれず、余った僕はなぜか樅山先生の隣に座ることになった。
年齢はともかく、生まれた年なら生徒たちより樅山先生の方が近い。
「生活の方は問題ない?」
生徒の点呼を終え一息ついた先生は、目的地である山の地図を取り出して、予定を確認しながら、僕に問いかけた。
「まあ、大丈夫です」
僕は毅然と応えると先生は、古久根君の家事スキルがどのくらいなのか気になるなあ。高校生で一人暮らしなんだもの。
と隣ですごくにこにこしながら言う。
「軽くは出来る程度ですよ。それより先生その鞄の中に何が入ってるんですか?」
僕は異様に膨れ上がった先生の鞄が気になって指さす。
「ん、お酒かな。あ、いや、もちろんノンアルだし。やっぱりジュースだよ、ジュース」
先生は軽く口から出た言葉を必死になかったことにしようとしていた。
「先生の方こそ一人暮らしで大丈夫なんですか? 先生くらいの外見なら結婚だってすぐ出来そうなのに……。ずっと独身なのが不思議で気になりますけど」
「古久根君、意外と直球だね。もう少しオブラートに包まないとこれからの人生、大変だよ」
そう言って先生は少し自嘲を混ぜたように笑って僕の肩を冗談交じりに軽く叩く。
「まあ、確かに四十越えると厳しいって声よく聞くかも。出会いなんかも少ないし」
「僕が聞いた話だと現状に満足しているままだと、色恋沙汰は永遠に来ないらしいですよ?」
ぎくっ。そんな音が出たような苦々しい顔を先生はした。
「それはまあいいの。一人でいるのも嫌いじゃないから。教師はなりたくてなったから。まだ時間ならあるし、教師になった理由でも話そうかなあ。たまには誰かに聞いてほしいし」
今度は小悪魔っぽい笑みを浮かべ、それでもって大人らしい余裕のある表情をした。
「まあ、じゃあ」
僕は少し背筋を伸ばして話を聞くための気概を示す。
「…………。先生も引きこもりしてたんだ」
先生はその言葉とは対照的に堂々と言った。
「えっっっ」
僕は手に持っていたしおりを落としてしまった。
先生があまりにも明るい声で言うものだから。
しおりをゆっくり拾い上げると先生は満足そうに続きを話し始める。
「別に先生がいじめられていたとか、何か意地悪されたとかじゃないんだけどね。当時、先生の高校生のクラス全体がある子に対して冷たかったの。その子がある女の子に悪いことをして、それをクラスみんながいけないだって責め立てた。先生はその子が本当に悪いことをするような子だと思えなかった。けど、クラスのその雰囲気がなんか怖くなっちゃって、先生はその子を見て見ぬふりをしてた。クラスの正しさを貫くような雰囲気の一部を先生も作っているんだって思うと怖くて、一時期学校に通えなくなったの」
先生はその苦々しい思い出を美化しないように、慎重に言葉を選んで僕に話してくれた。
「それで今教師をやられてるのって凄いですね。どうやって怖かったことを乗り越えたんですか? 何かそこに先生をよく知るための秘訣がありそうですね」
僕の向けた意味ありげな視線に先生は少し嬉しそうに遠慮がちに頷く。
「ありがと。秘訣は大げさだけど、先生もちょうどそこを話したかったかも。先生は一回逃げちゃってるから、もう逃げたくないんだ。先生が何も出来ない、ただの傍観者だったから。あのとき誰か一人でもその子に声をかけて、気持ちを分かり合える存在になっていれば。なんて今でもたまに思ったりする。だから先生は変わりたかった。変わったって証明したかった」
「先生、酒入ってますか?」
僕は先生の膨れ上がった鞄を指さして冗談交じりに訊く。
「まだ入ってないから。というかアルコール入ってないから。古久根君は面白いなあ。もし古久根君が二十歳を超えていたら、一緒に一杯やりたかったね」
先生は少し変わっているなと思った。
そんな思い捨ててしまえばすぐ楽になるだろうし、なにより先生は傍観者という大勢の内の一人に過ぎなかった。
そのことでそこまで気に病む必要はないだろう。
僕もそういう場面を知っている。
人は他人が悪人だと言える理由を。沸き起こる熱い感情を。守るべき人や信念があると言って、自分でも知らないうちに正義の理由や理論をこじつけ、こしらえ、自己を正当化して容赦なく他者を攻撃する。
先生がどういう理由で教師をしようが、もうその人には届かないわけで全てが後の祭りだ。
優しすぎる優しさは自身の行動を制限し、視野を狭くする。
ならば人はほどよく物事を割り切った方が良いと僕は思う。
その後先生とは野球やサッカーの話をした。
昔のこんな凄い選手がいたんだよ、と先生が名前を挙げる選手を僕がことごとく知っているため、今度は逆に先生が驚く番だった。
山の空気はひんやりとしていて、空気が自らの存在を主張する。
日常からの解放感があった。
自宅の空気をまるっきり入れ換えたら朝の陰鬱な目覚めがしばらくは消えそうだ。
渓流の水は澄んでいて、この流れに沿って上流へと歩けばバーベキュー場に着くそうだ。
「なんか先生と楽しそうだったね」
河井さんが僕の所に来て笑って訊ねる。
「人数あまったからな。むしろハブられた」
僕の冷ややかな視線を笑いながら、ごめんて、と言って躱す。
今日は私服が許可されており、かくいう河井さんはグレーのショートパンツ、白にTシャツに爽やかな薄い青のパーカーを着ていて、とても動きやすそうな格好をしていた。
「片山はどんなやつだった?」
「んーー。なんか変わった人だった」
それを本人が聞いたら喜びそうだな回答だった。
僕たちは穏やかな流れの川辺を歩く。
班でもってきた食料を主に男子中心で持って行くことになった。
何も持ってこないのは悪いと思い、家からペットボトルを数本持ってきた僕が一番重量のあることが発覚した。
年上だから持って行っていくよ。と心の中でひそかに決意する。
途中靴を脱いで軽く川遊びをした。
まだ川の水は冷たく透明で、目をこらすと小さな魚が群れで泳いでいる。
僕は足をつけるのを躊躇していたのだが、皆の楽しそうな雰囲気、何より河井さんのおいでよ、という声と可愛らしい表情を見たら行かざるを得なかった。
河井さんは班の皆と上手くやっているがその振る舞いの中にどこかまだ遠慮があるように見えた。
それは僕も同じかもしれないが、彼女はもっと自然に振る舞えばいいのにと思う。
川を遡ると森が現れる。
そこは例の神社のような鬱蒼とした森ではなく、木漏れ日が溢れ出るハイキングにはぴったりの心地よい森だった。
空気はよりひんやりしていて、上がった体温を程よく下げてくれる。
時々川のせせらぎも聞こえる。
緩やかな上りを進むにつれて幹に苔を生やした大木が多くなる。
湿り気のある黒い土を踏みしめると雨上がりのような香りすらある。
流石に高校生の元気のよさについて行けず、気づけば班の最後尾を歩いている僕だが、ここにいると班の全員を見渡せる。
彼らの思い思いに脚を動かす様子を見ていると、彼らが今どんな気分なのか見て取れるようで悪くなかった。なんだか負けていられないなとも思う。
突然、女子同士で楽しそうに喋っていた河井さんがくるりっと振り向き、そのまま話の輪を抜けて、僕のいる班の最後尾まで逆走してくる。僕の歩くのが遅かったのだろうか。
「重そうだね、持とうか?」
河井さんの伸ばした手を、今回は大丈夫と言って断る。
「班決めの時ありがとね」
「別に。実際に行動したのは河井の方だろ」
「それもそうだけど……。しゃち君がいてくれたから。だからちゃんとお礼言っておく」
もし僕が二度目の高校生をやっていなかったら河井さんは……。
そんなのは簡単だ。
僕じゃない誰かが河井さんと仲良くなって、僕の代わりをするだけだ。
河井さんは親友が少ないのだろうか。
僕が見ている限り親友らしき人は分からない。
しかし河井さんは可愛げがある。
普通に会話も出来るし、別に人付き合いが悪そうなタイプには見えなかった。
何か理由があるのだろうか。
気にはなるが僕の口から直接野暮なことは聞けない。
「私ね、いつかは本を書いてみたいんだ。本って凄いんだよ。現実とは別の世界の出来事なのに同じように心を動かされるし、その先どうなるんだろうって夢中になったりもする。身近で何か嫌なことがあっても創作世界に逃げ込めば忘れられる。いつの間にかその世界で楽しかったり面白かったり、悲しかったりしているとこっちでの嫌なことがどうでも良くなったりする」
「本をあんまり読まない僕に熱弁されてもなあ。でも河井の物語が出来たら、読んでみたい」
僕が見て分かるくらい分かりやすく彼女は頬を染めて気恥ずかしそうに照れていた。
「いつ出来るかは分かんないよ。それに作家ってどこかのネジが飛んでないとなれないと思う。私は自分がどこか捻くれているだろうなってことは分かっているんだけど、何かの拍子に普通の人間に戻りそうで怖いんだ。やっぱり普通が楽しいんだって気づきそうで」
「自分が捻くれている、なんて思っている内は大丈夫だと思うよ。普通の人ならそんなことを思わないから」
「ふふっ。なるほどね」
河井さんは気が抜けて安心したように頬を緩めて笑う。
このとき、河井さんは僕とどこか似ているかもしれないな、と思った。
「しゃち君は何かやってみたいことあるの?」
「今のところないかな」
「無欲で目標なく過ごしてると普通の人になっちゃうよ」
河井さんは茶化すように言うので僕は、それは危ねえ。今気づけてよかった、と心の底から安堵するような感慨深い声で応えた。
僕が普通の人になることはもう出来ないのだが、河井さんとこんな風に喋っているとなんだか僕も河井さんと同じような、普通(仮)のような存在に思えてくる。
気づけば前方集団とはいくらかの距離が出来ていた。
なぜ同じ班なのに僕たちを置いていくのか。
多分置いていったのでは無く、ガンガン進むのが楽しくて僕たちのことを忘れているだけだろう。
「しゃち君、そのリュックどのくらい重いの? ちょっと持たせてよ」
そう言われて僕は、何気なくリュックを下ろして河井さんに手渡した。
「なかなか重いね。じゃあこのリュック、バーベキュー場に着くまで渡さないから」
河井さんは担いだリュックの革紐をぎゅっと握って、にかっと笑う。
軽快な足取りで僕の隣を並んで歩く。
何でそんなに元気なんだよ、と僕は若さの違いを思い知らされる。
山道を歩くこと約1時間。なかなか険しい道や細い丸太や朽ちた木がゴロゴロ転がるところもあった。
泥濘む道もあった。
結構登ったと思うし、僕はだんだん疲れを感じ始める。
「私、体動かすの好きだし、得意だから。あれだったら走って皆のとこまで追いつく?」
河井さんは前方集団を見て、楽しそうに僕に提案する。
恐らく僕が疲れているのを分かっていて言っていると思う。
「やめてくれ。僕は無理だ」
「しょうがないなあ」
それでも少しだけ小走りをして先に行ってしまった河井さんは、笑って僕の隣まで戻る。
このあと本のタイトルは教えてもらえなかったけど、河井さんが面白いと思った小説の話をしてくれた。
私だったら、ここでこうするのになあ、というのも教えてくれた。
普段のおとなしめな様子とは打って変わって、河井さんはめちゃくちゃ喋った。
途中自分で言ったことに対して、あれっ今私なんて言ってた? この後どうなるんだっけ? と天然に考え込む仕草が可愛いなと思ったのは内緒だ。
いつの間にか僕は疲れを忘れていた。
バーベキュー場に全ての班が着くと、先生の説明、委員長の音頭とともにバーベキューが始まった。
こんなに大勢でご飯を食べるのも。
炭火でバーベキューをするのも。
新聞紙とマッチで炭に火をつけるのがこんなに大変だったことも。
煙が目に入って痛くて不意に涙が出るのも。
何年ぶり、いやほんとに何年ぶりなんだろうなあと思った。
肉は言うまでも無く美味しかったが、女子たちの作った焼きそばはさらに美味しかった。
片山は焼きトウモロコシにマヨネーズとチーズと唐辛子を少々のせたキャンプ料理を作ってくれた。
これが手軽な上に凄く美味しくて皆で驚いていた。
僕の飲料品だって凄く喜ばれた。
食事の間、こうして班員七人で会話をするのは僕にとってとても久しぶりのような気がした。
片山の皆を会話に参加させる能力は真似できないな、と片山のすごさを改めて痛感して視線を向けていると、「俺の顔もしかして炭で汚れてる?」 と訊かれたので事実と異なるが、そうだ、と言っておいた。
ほら、河井さんの笑顔って普段と全然違って可愛いだろ、とバーベキューの途中で片山がこっそり耳打ちしてきたので大いに同意しておいた。
帰りのバスでは、先生も遠足ではしゃぎすぎてしまったのか、学校に着いたら起こしてねと言うやいなや隣ですぐさま寝ていた。
無防備で逆に凄いな、と感服するほどだった。
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