BL 潤司と葵

婭麟

其のひと時

 恋と愛は、どう違うのだろう……。

 そんな事を、最近考える様になった……。



「ねぇ、今何時?」


 あおいが、仰向けになりながら聞いた。


「4時……」


「4時かぁ……じゃ、もうちょっと……」


 布団に、潜る様にして横を向く。

 葵は海老の様に、躰を丸めて寝るのが癖だ。

 そしては、いつも反対側を向いてするから、共寝している潤司が向かい合って抱きたいのに、そうはさせてはもらえない。

 だからいつも潤司の方から、後ろから抱きついていく形となる。


「ねぇ……」


 潤司は後ろから、葵の首筋に唇を当てた。


「ふっ……駄目……」


 葵が、甘い声で言う。


「ねぇ……」


 葵を後ろから引き寄せて、思う存分下半身を押し付けた。


「ねぇ……」


 耳朶に、息を吹きかける。


「駄目だってばぁ……」


 葵はやっと、こっちを向いて言った。そしてそのまま、躰も向きを変えた。


「雨が降ってるから……もう一回しよう?」


 潤司が真顔で言うと、葵は黒目がちな瞳を見開いて笑みを浮かべる。


「なにそれ?」


「言葉通り……」


 潤司は、手慣れた様子で唇を合わせる。

 葵は、慣れた様子でそれを返す。

 柔らかいキスから、激しさを増すのは何時もの事だ。

 年下の潤司が、一目惚れで見初めて、熱迄出す程の典型的な恋煩いをしたのは……いつの事だっただろう?

 子供の頃から捉え処の無い、かなり変わった性格だ。

 気に入れば兎に角ひたすら見ていられるし、触っていられるし、同じことをしていられる。

 このちょっと風変わりな次男の、その不思議なに逸早く気がついたのは、さすがに育てていた母であった。

 母乳を嫌いミルクで育った潤司は、哺乳瓶を兎にも角にも気に入っていた。

 下手をすれば一日中だって、母乳瓶を咥えていられる勢いであったという。

 さすがそれは、許されなかったが……。

 は、成長の過程でもしっかりと現れた。

 蝸牛を気に入って、ひたすら傘をさして広い庭で観続けた事があり、室内で蝸牛を飼ってみたが、庭の雨の中傘をさして観る事に拘りを持つ様な子供だった。

 つまり温室とか室内での、蝸牛鑑賞では納得しないのだ。傘をさして雨の中でなくてはならないのだ。当然のように風邪をひいて寝込む事が、毎年の行事の様になった。

 そして母は天才とは……の定義について気がつく事となる。

 1%のひらめきと99%の努力。

 というが、きっと天才と言われる子にとって、は努力とは言わないのだ。ならばなんと言うのか?

 ただ飽きないのだ。気に入った物に対して、飽きる事をしない性分を、きっと天才と呼ぶのだ。

 ……と思う程に、潤司はお気に入りに対する執着は物凄いものがある。

 例えば数学という数字が気に入れば、日がな一日寝ていても数字を頭に描いて、に方程式やらを躍らせて楽しんでいる。楽しんでいるからどんどん頭に入っている。

 ある日吃驚する様な事を聞かれて、母は分からずに父に話すと、父は翌日から大学生を家庭教師として、兄と潤司に当てがった。

 そしてその大学生がコロコロと変わったが、潤司の興味は大学生の事ではなくて、数字以外の物に移行して行った。

 興味が蝸牛からその周りの草花に広がり、その草花から庭園へと変わり、庭園から植物森林へと広がる様に、数字や文字から書籍インターネットそして先見の明へと……。



 潤司は、葵の細くて白いうなじに唇を付けた。

 葵の、細い躰に魅せられている。

 ふっくらとした膨らみの無いその躰が、堪らなく潤司を捕らえて離してはくれない。ギスギスと骨ばった、決して必要以上に蓄えられていないその躰と、兎に角惹きつけてやまない綺麗に整った、形の良いものばかりで形成されている顔容に、一眼で惹きつけられて、数字だの文書だのしか刻み込む事がなかった脳に、それは激しい痛みと共に刻み込まれてしまったから、熱が出ても忘れる事はできなかった。


「あっ……」


 と葵が声を洩らす。

 綺麗に響く高めの声音。耳触りの良い鈴の様な声音……。

 その声音は学生の頃に、〝友〟と言う名のついた同級生と同じ声音だ。

 それもその筈、葵はその友人の親戚にあたる。

 だが潤司はその友人に、恋煩いなどしなかった。

 彼が頭から、離れない事など無かった……ただただ、葵だけが潤司を魅了する。

 もしも葵が現在いま、潤司を受け入れてくれる事がなければ、潤司は直ぐに熱を出して寝込むだろう。

 葵の一挙手一投足が、潤司の喜怒哀楽に繋がっている。下手をすれば命にまで繋がっている。

 それ程潤司は葵に溺れ過ぎていて、生きていく綱となってしまっているから、葵を失う事は潤司を失う事になってしまう。

 潤司はもはや、葵無しでは生きてはいけない。

 たぶんそれは、潤司に限ってはたとえ話とはならないだろう。

 葵が息をする事をやめてしまった時点で、彼は己の心臓を止めてしまうだろう。


 葵の白肌が波打つ。

 微かな声を洩らして……。


 この必要なもの以外、躰として蓄えられない体質は、持って生まれたものだろうか?細くてギスギスとしているのに、抱くとそれは心地良い感触。

 透き通る程の白肌は、畑仕事で大して気にも止めない性質たちだから、隠されている部分よりも微かに陽に焼けた腕や顔からは、想像ができない程の眩しさで目が眩む程だ。

 例えば暗闇の中で、衣服を剥がすと現れるは、まるで浮かび上がる程に輝いて見える。そして狂う程に潤司を誘うのだ。甘い艶を放って……。


「ねぇ……」


 突き上げられる何かに抗う様にしながら、葵は潤司を見つめて言った。


 ……ねぇ……


「欲しい?」


 潤司は頷く姿を待たずに、昨夜も幾度と無く誘われて沈んだ、葵の内に沈んでいく……。

 深く深く沈めば、溺れる事を知っている。

 それでも潤司は沈めていく……。息もできない程の深い底に……溺れて浮かび上がれない程に……。

 葵が腕を潤司の首に回して力を入れて、その鈴の様な声をあげた。

 微かに歪む顔容が美しい。苦しげに歪むのに美しいから、潤司は一瞬見惚れて我を忘れて葵を組み敷いた。狂う程に、葵を手折ってしまう程に……。

 そして二人は互いの欲望の果てを、貪る様に吐き出した。


「後で畑行く?」


「雨が止んだら行く」


「雨が降ってても行こう?」


「葵さんが行きたいなら行く」


「……じゃぁ、行きたい」


 葵は気怠げに顔を崩す。その笑顔が可愛くて頬をなぞる。

 毎日同じ様に指を這わす。だから慣れた様子で葵はなぞらせる。


「もうちょっと……」


 潤司が腰を抱いて引き寄せると、葵は潤司の方を向いて抱かれてくれた。


「もうちょっと、こうしていたい……」


「ふっ……」


 今度は目を閉じる潤司の頰を、葵がなぞった。


「睫毛長いねぇ……」


 睫毛をなぞる。


「眉毛……」


 葵がなぞろうとしたから、潤司はキスをする。


「それ以上触るとキスするよ?」


 すると葵は、指を宙に留めて動きを止めた。


「キスされるの厭?」


 潤司は、不安になって問いかける。

 葵の気持ちが、不安で堪らない。

 こんななのに、不安で堪らない。

 同性同士だからではなくて、恋人同士として何時も不安だ。

 潤司が見初めて惚れ抜いて、恋煩いをして押しかける様に入り婿となったから、葵の真実ほんとうの気持ちが分からない。

 嫌いでは無いから、受け入れてくれたのではないか?

 熱を出す程に恋煩いをしたから、受け入れてくれたのではないのか?

 何時もそんな不安が頭を過る。


「……じゃないよぉ〜」


「……じゃ、この指は?」


「うーん?もう無理だなぁ、と思ったんよぉ……」


「キス?」


 潤司の顔が歪む。

 すると葵は、宙に止まったままだった指を、潤司の額に押し当てた。


「昨夜も一回じゃなかったろぅ?そして今じゃろう?いくら潤司君の事愛しとっても、躰はキツかろう?」


「えっ?今何て言った?」


「……そうじゃけぇ、躰キツイんよぉ〜。潤司君より年取っとるから……」


「……じゃぁなくて。愛しとる言うたじゃろう?」


「えっ?潤司君?今何て?」


「愛しとる言うたじゃろう?言うたよな?」


「ふっ……潤司君訛っとるよぉ〜」


「葵さん!言ったよね?……愛してる……って……?」


「ああ……言ったよぉ〜愛しとるもん……潤司君訛り可愛いし……」


「はぐらかさないでよ!葵さん!」


 潤司が真顔で葵を見つめるから、葵は微かに浮かべた笑みを真顔に変える。


「俺、マジで葵さん愛してる……」


「知っとるよぉ」


「そりゃ、葵さんは知ってるよ。恋煩いで熱出して寝込んで、何にも食えなかったんだから……だけど、葵さんの気持ち分からなくて……愛してるのは俺だけかもしれない……」


「なんで?一緒に住んで一緒に畑してるのに?」


「それでも不安になる……葵さん好き過ぎて……俺ばかり……葵さん欲しがってばかりで……」


「なんで?僕だって欲しいよぉ?潤司君……」


 葵は潤司の額に押し当てた指を、顔に沿って滑らせながら、緩やかに削られて行く顎迄の曲線を、喰い入るように見つめながらなぞっている。

 その真剣な眼差しが、黒く潤んだ瞳が小さく動いて美しい。


「潤司君の此処が一番好き……こんなに綺麗なは、無いよぉ………」


 そう言いながらスッと葵は、意識を切り換える様に視線を潤司の視線に合わせて笑った。


「………僕のなんじゃなぁ?………そうじゃろう?」


「そうだよ……全部葵さんの。だから……だから、葵さんも俺のになってよ」


「なっとるじゃろう?」


「そうだけど………そうだけど………」


「何を不安にさせるんかいのぉ?何でさせてしまうんかいのぉ?」


 葵は細い腕を、潤司の後頭部に回して、嘆く様に呟いた。


「………ほうじゃのう……?愛犬のしばちゃんを可愛いがるんを、もっと妬いてみようかいのぉ?」


「フッ……葵さん妬いてんの?」


「当たり前じゃ……僕を置いて行く癖に、しばちゃんは連れて行くじゃろう?」


「だって葵さんは、畑に忙しいって………」


 すると葵は真顔を作って、潤司を覗き込んだ。


「………だったら一緒に、済ませてから行ったらいいじゃろう?二人でやれば、早く終わるじゃろう?」


 潤司は満足の笑顔を作って、葵を抱きしめた。


「……今度からそうする……」


「………そうじゃなぁ……言わんといけんなぁ……解ってもらえんとか、グジグジしとらんと、口にせんといけんなぁ……」


「うん……葵さん、愛してるよ。だから俺を愛して……」


「うん……愛しとるよぉ、潤司君。だからしばちゃんだけ連れて行かんと、僕も連れて行って……」


 葵はグッと力を込める潤司を、再び覗き込む様にした。


「……なら、二人でシャワーを浴びて、畑に二人で行こう?」


「しばちゃんは、置いて行こうか?」


「潤司君。僕はしばちゃんに、狭量な人間と見せとうないんよ」


「……じゃ、連れて行かんと……」


 潤司がベットを降りて言うと、葵は嬉しそうに笑った。


「……潤司君の訛り、可愛いなぁ……」


 愛する人の細い指を手にして、気怠げにベットから立たせた時、愛と恋の違いが、ほんの一瞬だけ理解できた様に思えた。

 きっとその思いは、幾度となく消えたり現れたりしながら、真実ほんとうのものになって行く……そういうものなのだろう………。




…………潤司と葵…………終………

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