僕は僕で僕が嫌うところの僕なのです

サンカラメリべ

僕は僕で僕が嫌うところの僕なのです

 僕は死にました。なぜ死んだのかと言いますと、僕は僕であることに耐えられなくなったからです。僕は僕であることが何よりの呪いと感じていました。僕は僕自身が幻であることを願いました。そして僕は僕から解放されようと僕を殺しに海崖へと赴いたのです。海は広く、空は青く、打ち寄せる波の飛沫はまるで僕を誘う白い手のようでした。なのに、僕はいざ飛び降りんとしたのはいいものの、崖の下を覗いて怖くなってしまったのです。僕の体を襲う痛みを想像し、足がすくんでしまったのです。僕は無様に震えながら、崖の先っぽに立ちすくんでいました。その時です。海風が僕の背中を押してくれました。不思議でした。海が、私に抱かれなさいと、手を引いてくれたようでした。落ちていく体と意識に揺蕩う僕の残滓は確かに幸福であったと思います。


 目が覚めると、見知らぬ場所にいました。学校の教室ほどの広さの部屋です。海に飛び込んだ時の恰好のままで、僕はそこにいるのです。それは僕が僕の解放に失敗したことを意味し、僕は絶望しましたが、恐ろしいことに安堵もしていたのです。自分の意志で飛び込めなかったことからもわかりますように、結局僕は僕を手放すことが怖かったのです。僕は僕を閉じ込める僕という器に愛着を持っていたのです。しかし、僕にとっての救いがこの見知らぬ場所にあるように思えました。なぜなら、ただひたすらに、部屋の四方八方、床に天井に至るまで、「君は死んだ」と書かれているのです。いえ、「君は死んだ」によって塗りつぶされているのです。僕にはこのように”文字で塗りつぶしていく”ことの快感に覚えがありました。ならばきっと、これは僕と似た存在が書き残したものであろう、そう思いました。


 天井には丸い円盤型の電灯が点いており、灯りのONとOFFを切り替えるボタンは見当たりません。窓も扉もなく、閉塞感で息が詰まりそうな部屋でしたが、この狭い世界の全てを把握できる状況は安心感もありました。外はいつ何が来るのかわからないのです。それよりは、この閉じられたエレベーターのような環境の方が僕の性に合っているのです。そんな僕が僕は堪らなく嫌でした。ここでの安心感とは、卵に籠る安心感と言えばわかりやすいでしょう。そうは言いましたが、この部屋は籠るにしては広すぎるように感じました。僕は試しに部屋の壁を叩きながら歩いてみるのです。


 壁を叩けば音がしますが、その音がどうも妙でした。例えるなら、そう、鶏卵を叩いているときの、くぐもった含みのある音です。同時に、これは割れると、直感しました。この壁の向こうはいったい何なのでしょう。この壁に文字を連ねた者は、どうやってここに侵入し、ここから出ていったのでしょう。それとも、これは僕を中心に外から固められた壁なのでしょうか。それとも、僕がこの壁を生み出したのでしょうか。僕は僕からの解放を常々願ってきました。もしこれが僕の生み出した壁であるならば、壊さぬ道理などないのです。僕という殻で外界の脅威から守っていた僕を僕は壊さなければならないのです。思いっきり力を込めて壁を殴れば、そこを起点に壁は崩れていきました。何が起こるかわからない外界に僕を晒す。それはいつ小鳥についばまれるかわからない地上のミミズのようで、いかにも危険に満ちた行為でしょうが、僕はその危険を冒すまいと殻にこもって腐っていったのです。だから、僕は殻を壊さなければならないのです。殻の中で死んだ僕は、再び殻の中で息を吹き返したのであれば、今度こそ殻という安心感によって殺される運命から脱却しなければならないのです。空いた穴から光が差し込み、風が吹き込んできました。これから生まれ変わるのだ。僕はそんな期待を胸に抱きながら、壁の穴をくぐりました。


 誰であったか、こう言った人がいるそうです。「この世界には精神病患者しかいない」と。その言葉は僕にとっては甘い蜜のようでした。まともな人間はまともであると信じているだけの精神病患者であり、たまたま数が多いから他の精神病患者を迫害できるのです。しかし、それは残酷な宣言でもありました。この世界には正気など存在せず、自身を正気と信じる力を持つ精神病患者ばかりがまともを名乗れるのです。到底僕には無理でした。僕は僕が僕であるために正気を名乗れないのです。


 しかし、正気というものは名乗るものではないと、僕は悟りました。僕が死んだ後に目覚めた部屋から出たら、余りにも僕の想定する正気な世界とはかけ離れた世界があったのです。ここで僕が正気を名乗れば、それは狂気であり、ここが狂気と認めれば、やはりそれも狂気なのです。きっと、元の世界もそうなのだと思います。


 外はどこまでも白が続いていました。僕が出た途端、僕のいた部屋はガラガラと完全に瓦解してしまいました。僕は驚いて振り返りましたが、あの部屋は音と振動だけを置いて霧のように消えてしまったのです。その先にも、白い世界ばかりがありました。


 ここが地獄なのだ。しみじみとそう思いました。見渡す限り白一色の世界で、僕のやることは何もないようでしたが、元の世界でも何をすればいいのかわからないまま死にました。そう考えると、この世界はすっきりしていて、何もしようがないという形の救いであるようでした。それでもなんとなく僕はフラフラ歩き出さずにはいられないのです。僕はこの体がある限り、実際には何もしようがないわけではなく、何の価値も見返りもなさそうな行動を延々と繰り返すようにできているのです。


 僕が僕であることから解放されるには、僕が僕であることから解放されるという願いからも解放されなければならず、僕が僕から解放されるという願いから解放されるには僕は僕を忘れて別人にならなければならず、しかしそれは僕なのでしょうか。しかし、「この世界には私しかいない」という言葉を信じるならば、きっと別人であろうと赤の他人であろうとそれは僕なのです。ならば、僕は僕によって産み落とされ僕によって育てられ僕によってあざ笑われ僕によって責められ僕によって殺され僕によって食べられ僕によって排泄され僕は僕に恋し僕を愛し僕は僕に裏切られ僕は僕のために死に僕は僕を殺すのです。


 僕は頭を抱えて歩いています。頭痛もないのに頭を抱えています。僕は歩いています。僕は死んだときの姿で白い世界にいます。こんなにも白いのに頭の中を白くはしてくれない世界に苛立ち、色のない言葉が僕の頭を支配しています。


 歌が聴こえました。遠くから、微かに歌とわかる抑揚のある呪文のようなものが聴こえるのです。その歌詞は全く意味のない言葉の連なりでした。音波を隔てる壁がないからかずいぶん遠くから聴こえるらしく、歌っているものの姿は見えません。僕は坂を転がるボールのように惰性でそこへ向かって行きました。


 歌声は機械音声に歌わせているのか、人間のものとしては違和感のある擦れたものです。僕には親しみのあるものでした。動画配信サイトで漁ってきた曲たちが思い出されました。僕が気に入っているのは、感情を知らない機械に感情のこもった歌詞を感情を込めて歌わせることです。そもそも人間の肉体はただの肉であるわけなので、感情なんかあるはずがないんです。この肉に意識が感情を込めて言葉を発するわけであって、機械による歌というのは機械が肉体に代わったに過ぎません。漫画であろうと小説であろうと同じです。それは僕であろうと同じです。


 歌声は近づいています。僕は近づいています。歌声の発生源。それは、一冊の本でした。床に落ちた、厚さ三センチもある文庫本でした。本が歌っていました。タイトルも著者名も出版社も何も書いていない本が取り留めもない言葉で歌ってました。拾ってみると歌声は止んでしまい、本を開くと、「言葉はゴミである」「言葉はゴミは」「ゴミは言葉である」の三つが始めから終わりまで途切れることなく繰り返されていました。しかし、先ほどまで僕は壁にびっしりと文字が書き込まれた部屋にいたわけで、あまり驚きませんでした。むしろつまらないものでした。目的を失った僕は、再び歩き始めなければならなかったのです。


 歌うのをやめた文庫本を左手に抱え、僕は歩きながら考えます。それは、そう誘導されているようでした。何もなければ人は考えるか体を動かすしかないので、仕方ありません。そこで、ボタンを押すと異空間でとんでもなく長い時を過ごさせられる話を思い出しました。今の僕に近いようで、遠い話です。僕は僕から解放されるために来たのです。決して、金や力などの俗っぽいものでなく、思想を深めて悟りを開くとか一世一代の大巨編小説の構想を練り上げるとかでもなく、僕は僕から抜け出すために来たのです。来たのです。僕は海に誘われてこの世界に来たのです。ここは海なのでしょうか。いや、ここは白い世界です。どうやら文庫本の重みに方向性があるようで、どこかに引かれる感じがします。僕は浮草、流れる身です。これまでも、これからも。そんなのは嫌だ。僕はもう僕の殻を破ると決めたんだ。僕が決めるんだ。僕が流れるかどうかを決めるんだ。


 そして僕は誘われることにしました。この世界に目的があるのなら、その目的は僕の望みではなく世界の望みです。僕がその目的を達成することで僕は世界に還元されます。僕は僕から解放され僕は世界の一部となるのです。嫌だ。それに従う僕は解放されるべき僕ではないか。この世界が僕なら僕はこの世界から解放されるべきではないか。なら死ぬのか。死んでここにいるんだ。本当にそうか。ここで死んでみなきゃわからないじゃないか。死んだ後で死ねるならそれは死んでいるのか。それなら眠っている方がよっぽど死んでいるじゃないか。なら意識は永遠に死ねないじゃないか。そうだ。きっとそうなんだ。捨て去って別人になるしかないんだ。忘れるしかないんだ。忘れて過去の僕をようやく解放できるんだ。でも僕以外の誰かが僕として僕を思い出したらまた僕は僕として僕を解放しようとするんじゃないか。僕は僕から逃れられないんだ。結局僕は僕を踏み台にして新しい僕として僕を解放した僕になるしかないんだ・・・。


 いやいや何でしょう。僕は混乱していたようでした。僕以外の誰かが僕として僕を思い出すなんてありえません。僕は僕です。だから解放されないんです。文庫本に導かれるままに、僕はどこかに向かいます。それにしても、この文庫本は誰が用意したのでしょう。誰が発想し誰が作成してあそこに置いたのでしょう。僕が望んだからそこにあったとでも言うのでしょうか。この白い世界はその裏に何を隠しているのでしょうか。背筋が冷たくなりました。なぜ冷たくなるのでしょう。一度死んだくせに、まだ死が怖いのでしょうか。いえ、死んだとは限りません。ここは幻覚か夢かで、僕は生き残ってベッドの上かもしれません。それを証明する方法はありません。僕が僕であることを証明する方法はありません。僕が僕がいると思うが故に僕がいるなら僕が僕を意識していない時は僕はいるのでしょうか。僕は常に僕を僕の内側から眺めていて、その背後から言葉が昇ってきます。僕が僕であるという観察結果は後発的なのです。しかし、人は夢の中を夢の中と認識できます。夢の中だと感覚でわかるのです。ならば、水槽の中の脳がこれは夢と気付かない道理などあるのでしょうか。気付かないかもしれないだけなのです。文庫本の目的地はまだまだ先のようです。


 目印となるものがありませんので、僕はいつから歩いているのかわかりませんでした。僕は文庫本を抱えていて、その疲労から時間が計れるように思いましたが、僕はいつから疲れているのかわかりませんでした。僕は望んで歩いているはずなのに、文庫本についている紐によって引っ張り寄せられているようでした。僕が誘われることを決めたのは、本当に僕の意志なのでしょうか。そう誘導されていたのでしょうか。いえ、これは僕の意志です。惑わされてはいけない。この世界には何もなく、何かがあればそこに惹かれるのは当然でした。やはりこれは人間心理を利用した罠ではないか、しかし罠なら誰が罠にかけるのか、考えてはいけない、誰かが僕を罠にかけると言うならそこに何らかの存在が認められ、ならそこに行くことこそ何もない世界に、考えるな、他人を出現させる方法ではないか、と考えがクルクル回っていきます。僕は迷うか迷うまいかで迷っているのです。言い換えれば、二元論の前で怯えているのです。僕はそんな僕が嫌でした。僕は二元論を受け入れることも二元論を拒むことも二元論を抱きしめることもできないのでした。ずっと自信の持てないままいるのでした。


 喉が渇きます。足が疲れます。今の僕は文庫本の先を目指す僕とは別の恐怖も抱えていました。すなわち、僕は空腹を感じているのです。この何もない世界で、飢えと渇きで苦しんでいるのです。なのに歩くしかできないのです。恐ろしいことであり、何よりの応援でした。生前の僕はこの状況に陥るまでもなかったのです。この生きるか死ぬかの恐怖は、僕を解放してくれそうでした。一度死んだはずの僕が、生きるか死ぬかの恐怖で僕を別人に生まれ変わらせてくれるのは皮肉ですが、そんなのは言葉の綾でしかありません。言葉は何より嫌なものです。音の組み合わせ、インクの跡、引っ掻き傷、そういったものが僕を雁字搦めにするのです。言葉が人の口から発せられるたび、僕を殴り、僕の首を絞め、僕を抉っていくのです。しかも、それは僕の心に住みついて、DVをするパートナーの如く執拗に離れないのです。言葉はゴミです。この文庫本の言う通りに、言葉はゴミです。僕はゴミで考えているのです。ゴミを脳に飼っているのです。ゴミの牢屋で僕を捕らえて更にゴミで埋めていくのです。だから歩くんだ。歩いて余計なことを考えないで済ませるんだ。余計なゴミを脳に生まないように。脳がゴミで膿まないように。僕は変わる。僕は解放される。僕は強くなる。僕を捕らえる者から僕を守りその者を殺してやるんだ。僕はやれる。僕はやれる。僕はやれる。僕はやれる。僕はやれる。喉が渇いているのに? もう死んだのに? 戻ったところで過去が僕を僕という枠にはめてまた僕という役を押し付けてくるのに? そこからの解放じゃないか。じゃあ過去を消すのか。忘れるんだ。違う。それは過去からの解放じゃない。過去を布で隠すだけだ。右腕があるのに、右腕がないものと決めつけて右腕を見ないようにするのと同じことだ。だめだ。そんなのだめだ。僕は解放されなくちゃならない。開放するためには受け入れるんだ。これ以上どう受け入れろと言うんだ。僕は喉が渇いている。僕は水が飲みたい。僕はこれ以上何をどう受け入れればいいんだ。それより水が欲しい。文庫本の先に人がいるなら、そこに水があるはずだ。早く行こう。早く行かねばならない。そうでしょうか。それこそ再びの死が僕を解放してくれるかもしれません。死を経験した者にとっての死こそ本当の死に成り得るものではないでしょうか。それは死の無意味化を意味するのです。つまり死からの解放です。僕は僕という存在の死に怯えています。それがこういう僕という殻に僕を押し込めて僕を腐らせたのです。僕は・・・。


 一度に考えすぎてしまったのか、少し頭が痛くなりました。しかし、随分歩くのが楽になりました。代わりに喉の渇きと空腹がありますが、我慢できないほどではありません。文庫本の引きも強くなっている気がして、あと少しで目的地に着くと思いました。


 文庫本が僕を引いて歩かせます。あと少しだ。そう文庫本が言っているようでした。目を凝らすと、遠くに人影があるように見えます。足の運びが速くなります。誰かがいます。僕は喜びを感じていました。死人のはずの僕は、実は寂しさを感じていたのです。それに、その誰かが水や食べ物のありかを知っているかもしれません。彼でしょうか。彼女でしょうか。それとも、区別のつかない何かでしょうか。僕と似ているのでしょうか。期待しています。僕は僕に期待していないのに、他人を期待するのです。なんて自分勝手なんでしょう! なんとしても僕は僕を解放して期待されるようにするのです。そのための一歩になってくれるでしょうか。いや、するのです。僕は僕でない僕を演じて僕を忘れさせて過去の僕を解放するのです。それは違うといったじゃないか。いや、今はいい。とりあえず会おう。それからです。それからなのです。


 だんだん影がはっきりしてきて、向こうの方も僕の姿に気付いたようでした。手を振ってくれたので、僕も手を振って返しました。見たところ、僕と年の近い青年のようです。彼もまた解放を望む者なのでしょうか。歩くほどに彼の姿は明確になっていきます。黒いシャツにジーンズのラフな格好で、ざんばらな髪型をしており、ファッションには全く気を払っていないようでした。しかし、目鼻立ちの整った幸の薄そうな顔をしています。きっと女性にもてていたはずです。くりっとした瞳は幼さを孕んでおり、白い肌のせいで頬と唇のほのかな赤みが目立ちます。特に、唇は遠目でもわかるほどに瑞々しく美しいものでした。僕は彼に触れようともしましたが、手が届くギリギリまで近づくと、足を止めてしまいました。

「き、きみは・・・?」

 精一杯の勇気を絞って挨拶をしようとした僕の口から出たのは、僕の思いとは裏腹に絞り切った雑巾からやっとやっと出したような弱弱しい言葉でした。僕は恥ずかしくなりましたが、それを心のうちに嚙み殺して彼の反応を待ちました。

「いつまで」

「え・・・?」

 僕には理解できませんでしたが、これは僕でない誰でも理解のできないことだと思います。それは日本語に親しむ僕にとっては、全く答えになっていない答えでした。しかし、彼は気にせず続けるのでした。

「いつまで存在しない人間に嫌悪を向ける。いつまで偶像を切り刻めば気が済む。あげく偶像からの解放を偶像に願うなど、お前はいつまでも変わらない。お前は精神に籠りすぎて、肉体の苦痛を糧にすることもできない。ここは幻なのだ。お前がそうであるように。ここがどこなのかお前にはわかっているのだ。意識は常に後から貼り付けられただけだ。お前の無意識の生み出した偶像だ。お前は偶像に支配されているのだ。お前がそれに気が付くまでお前は解放されることなどないのだ」

「な、じゃあどうし、しろと言うんだ!」

「それは・・・」

 何かを言いかけた瞬間、彼は血を吐いて倒れました。彼の吐いた血が僕の服に付き、染み込み、そして透明になって消えました。彼もまた、あの部屋のように消えてしまったのです。彼は消える瞬間、指をさしていました。それは確かに僕が抱える文庫本を指していました。何らかのヒントがこれに書いてあるというのでしょうか。これは決まった言葉が繰り返されるだけでヒントも何もないはずです。それとも、暗号になっていたりするのでしょうか。他の言葉が紛れているのでしょうか。もう一度、今度はしっかりと読んでみようと文庫本を開いてみました。


 僕は目を疑いました。内容が丸っきり変わっているのです。目次も序文も何もなく、いきなり作者らしき人物の「一度読んだ本は無意識に根を張る」という主張が始まり、そして第一章を読もうとページを開くと、その先には何も書いていないのです。それでも何かないかとページをめくっていくと、いきなり「終」の文字が飛び込んできて、それで終わるのです。いやがらせか質の悪い冗談でしかありませんでした。なぜ彼がこんなものを僕に読ませたのかわかりませんでした。いや、彼は本当にこの本を指さしたのでしょうか。僕の後ろを指さしたのではないでしょうか。僕の行き先を示しただけなのではないでしょうか。いや、そもそも彼は存在したのでしょうか。彼が存在したというのは、僕の記憶が言っているだけに過ぎないのです。しかも、それは本当に数分前のことなのか、ずっと前のことなのかさえ明らかでないのです。そうです。そういえば、僕は喉の渇きと空腹を感じていたはずでした。なのに、今は全くそのようなものを感じていないのです。ただ、記憶だけがある。僕の脳味噌がそう言っているだけなのです。酷く不気味でした。僕は僕の目を信じていいのでしょうか。僕の記憶を信じていいのでしょうか。僕は僕の意識にまで騙されているのではないでしょうか。


「意識は常に後から貼り付けられただけだ。お前の無意識の生み出した偶像だ」

彼の言葉を思い出します。いや、もうこれが彼の言葉なのか僕の妄想かさえ定かではありません。ここがどこなのかお前は知っていると、彼は言いました。きっとそのお前とは無意識の僕のことで、無意識の偶像たる意識の僕には言ってないのです。もし彼が妄想なら、これは僕の無意識から無意識に向けた言葉なのです。意識の僕から解放されるために。僕はどうすればいいのでしょうか。僕は僕という偶像を僕自ら壊さなければならないということは僕という意識を僕という無意識が刷新して今の意識という僕を殺さなければならないということなのです。僕は僕を解放するために僕の無意識を解放しなければならないのです。そしてまた、無意識は新しい意識を生むのです。空白、空白、新しい僕にとって今の僕は空白です。文字と文字の間の、見えない空白となるのです。おお、それこそが解放! 違う。何度言えばわかる。忘れることが解放ではない。清算しなければならないんだ。清算してこその空白。まっさらなレシート。違う。本にも書いてあったじゃないか。何をしようと、一度飲み込んだものは無意識に根をおろして一生僕の中に住みつくんだ。逃れられないんだ。消えないんだ。見ないようにするしかないんだ。違う。これ以上成長しないように見張るべきだ。それがあるとしっかり認めて、それがこれ以上悪化しないように管理するんだ。わからない。わからない。いや、わかっている。無意識の僕はわかっている。それを偶像に与えないだけだ。あるいは偶像に与えられるほどはっきりしていないんだ。僕はどうしよう。僕は無意識のマリオネットである意識としてどうすればいいのだろう。歩こう。歩こうよ。歩くんだ。歩くしかないと知っているじゃないか。そうだ。歩こう。考えてはだめだ。ゴミをため込んではだめだ。どんどんよくわからなくなっていく。歩くことだけを考えよう。そうだ。とりあえず彼が指した方向に歩こう。

 僕は顔を上げると、くるっと彼が指した方向に顔を向け、歩き始めました。


 右足が前に出ると体が右前に傾きます。左足が前に出ると体が左側に傾きます。足が出た方に体は傾きます。そうやって歩いて行きます。歩いて行きます。もはや僕はどこまでが現実でどこまでが妄想なのかわかりませんでした。文庫本もいつの間にか消えていました。僕が狂う時、それは無意識が狂う時なのでしょうか。無意識にも現実と妄想の区別がついていないのであれば、無意識の虚像である意識の僕は現実と妄想のハイブリッドとなるのです。現実と妄想の壁が崩れ二つが擦り合わされ意識と無意識が混濁し僕の目玉は中を向き思考はまとまり切らずに僕を覆う膜と化します。虚構を生み出す言葉の殻に逃げ込んだ僕の脳味噌は現実に虚構という要素を与えてどれが現実であったかを隠しました。僕はもはや何を壊せばいいのかわかりませんでした。僕は生きてます。死にました。でも生きてます。そういうことです。僕は何を壊して何を解放しようと僕は僕であるのです。僕は僕で僕が嫌うところの僕なのです。僕が僕を嫌っている間は僕は僕を嫌う僕で僕に嫌われた僕で無意識の僕は僕をそう仕向けて僕の無意識は無意識同士で狂気たちが正気を求めて争っています。僕は思います。この世界の正気はこの世界に適応した狂気なのだと。僕は歩いているのでしょうか。体が傾いている気がします。僕の足が僕を支えている気がします。僕は感覚を信じていいのでしょうか。感覚は無意識の操り人形ではないのでしょうか。それ自体で独立し、無意識に支配されていないものなのでしょうか。右前に傾くと右足が前に出ます。左前に傾くと左足が前に出ます。傾いた方向の足が出ます。そうやって進んでいきます。僕は無意識の思うままに進みます。無意識に引かれて歩くのです。無意識こそ僕なのです。僕は虚像なのです。僕は無意識の反復なのです。意識は反復なのです。そうです。彼の姿に心当たりがありました。彼は僕です。僕が思い描いた僕です。僕が僕の眼球でとらえて僕の脳味噌で加工して僕の無意識で処理して意識の僕に映した僕の影でした。僕の無意識は僕をあのように僕に見せたのです。僕は僕です。僕が僕を解放するとき僕の姿はいりません。僕の無意識に僕の姿は必要ありません。僕はお前だ。ここは白い世界でしょうか。色があるような気がします。カラフルな渦が巻いている気がします。僕はお前なのだ。その渦は僕の無意識上の渦です。偶像を視覚の筆で撫でるのです。彼の声が空洞の僕の頭蓋に響いています。いえ、これは僕の声です。僕が僕でない僕に僕が僕であると僕に僕らしくあるように僕として僕を諭すのです。僕は僕でしょうか。僕は無意識の一部でしかありません。意識の僕は足りない僕です。僕はジグソーパズルの一つのピースです。無意識は僕以外が組みあがったジグソーパズルであって、無意識の形に応じて最後に当てはめるピースである意識の僕の形は変容するのです。だから意識の僕は無意識とは別の僕でありながら無意識の僕の一部で無意識の追従者で無意識に支配されているのです。もともとが無意識から外れたものだから。無意識から零れ落ちたものだから。僕は僕を無意識の僕の元に還元するのです。すべてが無意識で、それは機械なんかとは違う意識ある無意識で、夢のようなもので、完成したジグソーパズルの絵画で、そうです。意識に現れるもの、意識に現れないもの、その全てが無意識下に存在し、あるいは存在する可能性を秘めており、存在するかもしれないつまりは存在できるかもしれないつまりは存在を想定できるのだろうから存在し、この世界は無意識の操り人形劇舞台でしかなく、僕はその完成された盤から溢し落とされた欠片で、誰でも欠片で、これこそが神で、全ては一人芝居で、僕は僕を解放するまでもなく僕は僕でなくて、無意識が僕として選んだのが僕であっただけで、たまらなく嫌なのは嫌であることを与えられたからで、僕はまさしくチェスの駒のように始めから決まった駒を持って生きていて、僕は全なる無意識の一部たる囚われた僕で、始めから解放は夢でしかなかったのです。自由意志こそが枷。自由意志こそが無意識の虚像たる意識が見せる幻。自由意志でも何でもなく、僕が解放を目指すのは無意識の導きで、僕の欲求は無意識からの啓示で、僕のあるべき姿なのだ。ああ、わかった。わかったんだ。僕は僕のままに。僕のままでしかない。僕が僕が考えていると考えていたのが間違いだったのです。ああ、生も死も、生きとし生けるもの息のしないものたちも、全ては無意識のままに。無意識のままに考えていたのです。ああ、全ては無意識のままに。これまでの全ては無意識のままに。これからの全ては無意識のままに。あらゆる全ては無意識のままに。全ては無意識のままに・・・。


 神は無意識です。無意識こそが神なのです。意識は無意識の子。無意識が意識を生んでいます。意識は無意識の虚像。無意識こそ精神世界の光。意識はその光を受けて世界を描きます。僕は大いなる無意識の光の前に縮こまり、畏まり、無意識を恐れていました。そしてより一層意識の中に籠っていったのでした。しかし今、僕は僕を押さえつけていた僕という意識から解放されたのです。無意識の要求に従って物事を深く考え、無意識の要求に従って無意識が僕に与えた僕という役にとっての最善の選択を模索するのです。無意識に支配されたこの世界を、僕は賛美します。意識が自由の夢を見るこの世界よ。無意識の光を反射して生まれる意識の反射光よ。この世界のなんと素晴らしきことでしょう。僕は無意識に従うのでした。全てから解放され、無意識という混沌の中に、僕は浸るのでした。全ては無意識のままに。僕も、誰も彼も、無意識の波の上に。ああ、無意識よ。偉大なる光明よ。愚昧にして哀れなる我が意識を照らし給え。明日への道を示し給え。ああ、無意識よ。精神世界の万物よ。僕を導き給え。この世の全ては無意識の機構により動かされています。原子であろうと、人間であろうと、無意識に従い、回っているのです。無意識の光を集積する装置を持つ存在が意識を持つのです。ああ、神よ。森羅万象の無意識よ。僕は無意識の光であり、光の集積装置が壊れる時、僕の意識は失われるのです。しかし、無意識の光こそが僕なのです。僕が死ぬとき、僕を構成していた寄せ集めの光が霧散し、僕は無意識に還元されるのです。僕は死ねども、無意識は死にません。この世は無意識のもの。目に見える景色、鼓膜が受け取る音、鼻腔をくすぐる臭い、舌の上を転がる味、皮膚の感じる刺激、その全ても、無意識のもの。言葉では決して描写できない、言葉では決して認識することのできない、無意識の世界。ああ! ああ! 世界が開いていきます。白い世界が瓦解していきます。いつの間にか僕は最後の場面まで来ていたのでした。この白い世界から放たれた時、真の意味で僕は無意識へと還るのです。割れていきます。崩れていきます。ああ! ああ! 世界が無意識に、無意識に還っていくのです。ああ、僕もついに無意識となるのです。僕は確かに幸せでした。

 あの時、海に抱かれた時のように。

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僕は僕で僕が嫌うところの僕なのです サンカラメリべ @nyankotamukiti

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