ピアノのノッコさん
片田真太
第1話 音楽の奇跡との出会い
「皆様。ただいまJA702便は成田空港に到着いたしました。機体が完全に停止し、座席ベルト着用サインが消えるまでお席にお座りになってお待ちください。ただ今の現地時刻は、×月×日、午後1時36分でございます。」
機内アナウンスが流れながらも機体はゆっくりと動いていた。
「日本は10日ぶりか」
機内の窓から成田空港を眺めた。10日振りなのにやけに日本が懐かしく感じた。機体は徐々に動きがゆっくりとなりやがて止まった。
「皆様、本日はJANA航空をご利用くださいまして、誠にありがとうございました。お出口は前方と中央の2箇所でございます。皆様にまたお会いできる日を、客室乗務員一同心よりお待ち申し上げております。」
「よし出ようかな」
ステュワーデスは「ありがとうございました」とにこやかにお客様にお礼を述べながらお辞儀をしている。
飛行機から降りると、手続きゲートを抜け空港バスに女性は乗ろうとした。
「東京は暑いなー」
季節は春だったがすでに東京は暑かった。女性はさっそうとサングラスを取った。ウェスターンっぽい奇抜な七分丈のシャツにひざの位置に穴の空いたジーンズの恰好をしている。頭には派手なバンダナのようなものを巻いている。シャツの胸元ポケットにはIpodが入っていた。
彼女の名前は山本紀子と言う。あだ名はノッコ。シンガーソングライターをしている。アーティスト名も同じくNOKKOといった。Jazzを主に作曲していたが、ポップスの自作、プロデュースや映像音楽の作曲も手がけている。といっても歌はプロの割に上手い方ではなかったのでピアノソロだけでCDをリリースすることが多かった。久しぶりにニューヨークでライブがあったので、ライブが終わり10日振りに日本に帰ってきたのだった。アメリカはジャズが盛んなのでレコード会社の絡みでニューヨークではノッコは多少有名になっていたが、国内では一時期売れてはいたものの、現在はそれほど売れてはいなかった。
空港バスに乗ろうとするとノッコの携帯に電話がかかってきた。
「はい、何どうしたの?」
「あ、ノッコ久しぶり」
「久しぶりリナ」
「今頃成田着いている頃かなーと思って」
「よく覚えてたはね。一度メールしただけなのに」
「何よそれ。せっかく久しぶりのニューヨークライブの成功を祝っておごってあげようかと思ったのに」
「嘘、ありがとう。あーでも私時差ボケだから、今日は勘弁して・・・」
と言ってノッコはくすっと笑った。
「だーめ。私来月イベントがあってその準備で忙しいから今日しか無理」
「分かったわよ。何時にどこ?」
「6時に渋谷あたりで。駅ついたらメールしてね」
「分かった、アパートに一端帰ってからそれから行く」
「よろしくね」
リナと呼ばれる女性はそういうと携帯の通話を切った。
ノッコは一端自分のアパートに帰った。広いと言うほどではないが都心の外れにあるシックな作りの洒落たアパートだった。リビングにはグランドピアノとオーディオコンポとソファーとテーブルとマットレスが置いてあり、壁には可愛い壁掛け時計がかけてあった。部屋で少し休んだ後ノッコは渋谷へ向かった。
渋谷は相変わらず人が多かった。東京の中でも一二を争うほどに。ニューヨークのマンハッタンも人は多かったが、それでも渋谷に比べれば可愛いくらいだった。渋谷に向かう電車の途中でリナから「柏木屋」に先にいるからとメールがあったので、ノッコは直接店へ向かうことにした。
柏木屋に到着するとカウンター席にリナは一人でいた。
「久しぶり」
「久しぶり」
リナは先にビールを飲んでいたのでノッコも店員さんに
「ハイボールください」といってリナの隣の席に座った。
リナはノッコの音大時代からの友人である。本名は片瀬里奈と言うが音大の仲間からはリナと呼ばれている。リナは1学年下だったが年の差など気にせず同級生のように付き合っていた。彼女も音楽の仕事をしているが、オペラ歌手だった。アーティスト名はKatalina(カタリーナ)と名乗っていた。
「ニューヨークどうだった?」
「うんすごい活気だった。やっぱりJazzの本場の国は違うねー。なんか観客にブラボーとか叫ばれちゃったは。」
「へー感激だね」
「まあね、時間が空いたときに現代美術館とセントラルパークとかも見てきた。いい景色だったよ。」
「いいなー私も行きたい。さすがニューヨークだね。」
リナは感激したようだったが、続けて
「でもあなた居酒屋とか好きだよね。しかもハイボールだし。ニューヨークでライブしている人には見えない」といって笑った。
ノッコは
「うるさいねー、でも私はバーも好きだから」と言い返したが、
「つまり酒が好きだってことか」とリナは呆れて言った。
「何よこの店リナが選んだんじゃないの。まあ酒が好きなのは当たってるけどさ。」とノッコは少しむくれて言った。
「私はノッコとしかこういう店来ません。大酒飲みじゃないしー。お祝いだからノッコが喜ぶと思ってあえて居酒屋にしたの」
「あー私こんなんだから男寄ってこないのかな」とノッコはしょげてそう言った。
「そう、やっと気が付いたのね」とリナは半分おかしくて笑うように言った。
ノッコは30代後半だった。割と美人な方だっだが、言動が少々さばさばしすぎているのと、いつも奇抜なファッションをしているのと、大酒飲みだということで男が近づきがたい存在だった。そのおかげで恋愛経験があまりなく独身のまま婚期も逃してしまっていた。
「でもリナだって独身でしょ?人のこと言えないでしょ。」
「失礼ねー。でも私は少なくとも恋人くらいならいつもいますよ。それにあなたと違ってちゃんと家事や料理もできますし」
「グサッ」
とノッコは心の中で自分に言った。
つまみや刺身や串やサラダなどを注文して二人は食べ始めた。
「あ、そういえば社長から聞いた?イベントのこと?」とリナが突然話題を変えるように聞いてきた。
「イベント?そういえばさっき携帯でそんなこと言ってたね。何なのそれ?」
「本当に聞いてないの?社長ものんきだなー。あと1か月しかないのに」
「何のイベントなの?」
「チャリティーイベント。うちのレコード会社が大々的に主催してイベントコンサートの売り上げをアフリカの難民支援だかの団体に寄付するんだって。だからあなたも会社から出るようにそのうち要請されると思うよ。」
「へーチャリティーか、うちがそんなのやるの珍しいね」
ノッコはチャリティーという言葉に興味を持った。というのも学生時代にふとした成り行きで児童館の子供と遊ぶボランティアをやっていたことがあったためだった。
「まあ、でも一種の宣伝じゃない?レコード会社の売り上げがどんどん落ちてきてるから会社のイメージアップにも必死なんでしょう」とリナは言った。
「ふーん」とノッコはつまみの枝豆を食べながらうなずいた。
「とにかく社長か秘書からそのうちあなたに連絡あると思うよ。」
2、3日後にレコード会社の社長からノッコの携帯に電話があった。
「白川ですが」
社長の名前は白川学と言った。ノッコやリナが所属するORBIC RECORDの社長だ。ノッコが30歳になる前、まだ売れてなかった頃にノッコをスカウトしてくれたのがこの社長だ。当時白川はまだ40手前くらいで敏腕営業マンをしていた。ORBIC RECORDは大手ではなかったが小さな会社とも言えずそこそこの会社だった。レコードが売れず音楽不況と言われるこの時代に健全と生き残っている会社の経営をしているので、白川は間違いなくやり手の経営者だった。そんな敏腕社長が直接アーティストに連絡することなど実際はまずないのだが、ノッコとリナは白川が営業マン時代に自らスカウトした経緯もありいまだに直接連絡を取り合うことが多かった。
「ノッコ君、リナ君から聞いてるかもしれないけど、来月のイベントの件で電話したんだ」
「はい、その話はリナから聞いてます」ノッコは答えた。
「それなら話は早い。詳細はPCメールアドレス宛てに送るから見ておいてくださいね。では」といって白川は電話を切ってしまった。
ノッコはPCメールに来た詳細を確認してイベントに備えて猛練習をした。
約1か月後にチャリティーイベントは開催された。季節はすでに夏になりかけていて、日差しは暑く照っていた。公園の野外フェスのような会場をORBIC RECORDが貸切ってステージを使用しているようだった。出演アーティストはORBIC RECORDのアーティストが大半で、あとはこのイベントの後援会社などの関係アーティストもいくらか出演しているようだった。満席というほどではなかったがそれなりに客はたくさんいるようだった。
リナは出演が最初の方だったので、自分の出演を終えて楽屋でメイクもし終えて関係者席で客として観覧していた。リナはノッコの出番を待っているようだった。するとそこに白川が現れた。白川はリナの隣の空いた席に座った。
「こんにちは、リナ君」
「あ、お疲れ様でーす、社長」
「君の歌聞いたよ・・・素晴らしかった」
白川はさりげなくそう言った。
「ありがとうございます。どうしてここにいらっしゃるんですか?」
「いや、このイベントは僕が企画立案したものを企画制作部が実施したものなんだ。だから後援会社とかイベント会社関連の人たちに挨拶周りでちょっと立ち寄っただけ」
「このイベントってチャリティーなんですよね?面白い企画ですよね。」
「ああ・・・」白川は複雑そうな表情でそう言った。
「でもね、このイベント見せかけだけなんだ。」
「見せかけ?」
「ああ、昨今音楽業界は大変な不況だ。売り上げも毎年低迷している。僕は敏腕経営者なんて社内では言われてるけど、実は情けないことに経営も悪化しててね。だから会社のイメージアップで体面上チャリティーイベントを仕掛けることにした」
宣伝のため・・・。大体そんなところだろう、とリナは思っていたので別段驚かなかった。
「そうなんですか・・・でもこのイベントの寄付金はアフリカのボランティア団体に寄付されるとか。」
「ああ・・・それも嘘というか・・・ほとんどは見せかけなんだ。寄付するっていっても本当は一部だけ。実質、収益の大半はわが社とイベント会社関連のものになる予定。」
その話にはリナもさすがに驚いた。
「チャリティーなんて言ったら聞こえはいいが、今の我ORBIC RECORDにはそんなことやっている余裕はないんだ。残念だけど・・・」
「そうだったんですか。」
「こんなこと社外にばれたらまずいからくれぐれも社内の人間以外には内密にね。本当は話してはいけないことなんだが、君になら話してもいいと思って」
「もちろん言いませんよ!」
「さて、そろそろ行くか」といって白川は席を立とうとする。
「ノッコの出番もうすぐですよ、ついでに見て行かれないんですかー?」とリナはそう言うと、
「あ、いや本社に戻って仕事が残ってるんだ。では、また」
そう言って白川は去っていった。相変わらず多忙なようだった。
しばらく待つとノッコの出番が来た。ノッコはジャズとポップスを歌ってるようだった。普段のライブやコンサートではピアノソロばかり弾いていたが、チャリティーイベントということもあって自由に自分で選曲しているようだった。
ノッコは自分の出番を終えて楽屋にいた。すると楽屋にリナが入ってきた。
「お疲れー」
「あ、お疲れー」ノッコは振り向いてそう言った。
「何か楽しそうだね」
「うん、なんかチャリティーだなんて聞いたら楽しくなって私さ、学生時代ボランティアとかやってたから何か・・懐かしいなーって昔を思い出しちゃったんだよね。過酷なショービジネスの世界に入ってからさ、毎日自分のCDの売り上げだがどうだとか、人気だとかさ・・そんなことばっかり考えてたからかなー。なんか人のために音楽をやるってこと忘れてた。」
「あ、そのことなんだけどね・・・さっき社長から聞いちゃって。実はこのイベントほとんど寄付されないらしいよ。」
「え、何で?」ノッコはびっくりしてリナにそう聞いた。
「音楽業界が大不況なのはあなたも知ってるでしょ?会社の経営も悪化していて苦しいから、このイベントは会社のイメージアップのための一種の経営戦略らしいよ。」
「えーそんなのって・・・詐欺じゃない?ひどいは」
ノッコはがっかりしてそう言った。
「それはそうだけど・・・でもしょうがないじゃない。社長だって経営が悪化していて苦しいんだから。それにうちの会社の経営悪化したら、私たちのプロモーションやら宣伝費だってお金かけてもらえなくなるよ。」リナは社長の味方をするようにそう言った。
「まあ、そうなのかな・・・」
「そういうこと」
「ふーん」とノッコは内心では納得できなかったがあいまいにそう言いながらうなずいた。
「そんなことよりさ、これから打ち上げ行くでしょ?エミとマユも来るって。」
エミとマユと言うのはノッコたちのレコード会社所属アーティストの後輩たちだった。
「あ、もちろん!行くいく行きまーす」
「じゃあ上で待ってるね、早く着替えるんだよ。」
「OK」
リナは楽屋から出て行った。
チャリティーイベント以来ノッコは無気力になった。自宅で作曲やレコーディングをしているときも、会社で打ち合わせをしているときも、その他取材関係の仕事をしているときも何かがうわの空だった。この感情は、自分でもうまく説明できなかったけど何かがっぽかり心に穴をあけてしまったようだった。
そしてある日ノッコは何を思ったのか突然社長に連絡をして、アフリカのボランティア団体の名前を聞き出そうとした。
「どうしても知りたいんです。」
「別にかまわないけど何か気になることでも?」
「いえ、ただ何となく」
「何となくじゃ困るけど、ノッコ君になら別に教えるのは構わないよ。」
と白川はいってアフリカのボランティア団体の名前と連絡先を教えてくれた。
「教えるのは構わないけど、どこで情報が漏れるか分からないから団体名のことなどは社外にはくれぐれも内密に。特にチャリティーイベントの利害関係者には。その団体の人たちにもあまり根ほりはほり聞かないように」
白川は慎重な態度でいろいろと釘を刺してきた。
ノッコはお礼を言って電話を切った。
ノッコは突然1週間お休みをもらって、といっても会社員じゃないので有給を取るわけではなく許可をもらうだけだが、アフリカ行のチケットを取って現地に直行した。
そのノーモアブラッドというNGOはアフリカのザムナビアという貧困村にあった。現地のNGO団体の人が空港まで迎えに来てくれて車でNGO本部まで送ってくれた。
貧困村の一角に古びたコンクリートビルのような中にNGOの本部があった。本部に向かう途中に貧困村の中心地を通って行ったが、そこには道にぐったり倒れて野たれ死んだような人たちがたくさんいた。
「日本からわざわざお越しいただいてありがとうございます。」
NGOノーモアブラッドの代表のネムルさんという方が英語でノッコに挨拶した。ノッコはニューヨークに時々仕事で行くし、海外旅行も好きだったので英語は得意で簡単な英会話ならお手の物だった。
「Thank you for taking your time.(お時間とっていただいてありがとうございます)」
ノッコは英語でそう答えた。
「事情はお聞きしてます。さあこちらへどうぞ」
ネムルさんに奥室に案内されソファーに座った。
「職員の者から日本企業の支援者の方だと聞いております。こちらを視察されたいとのことですが、どこを見学されたいですか?」
「はい、こちらではどのような活動をされているのか状況を知りたいと思いまして。ノーモアブラッドさんの主な活動はどういうものなんですか?」
「なるほどそうですか・・・簡単には聞かれているかと思いますが、詳しくお話ししますね。」
ネムルさんはそう言うと、ノーモアブラッドについて説明し始めた。
「私たちはアフリカの貧困対策支援をしている団体です。空港からこちらに車で来られる間に見て分かったと思いますが、ここら一帯はアフリカの中でも最貧困地域です。紛争や反政府ゲリラなどが絶えず、親を失う子供、親を失ったことによって貧困生活を余儀なくされる子供たちが大勢います。そういった子供たちに生活や教育の面での支援をするために食糧物資支援や義務教育を受けさせる教育費補助支援をしています。また、最も重要なプロジェクトは地雷の撤去です。地雷は現在では使われなくなりましたが、今現在でも地雷を完全には撤去できなく地中には危険な地雷が埋まったままです。その地雷を不意に踏んでしまい尊い命が毎日失われています。」
ノッコには多少難しい英語だったが、親を失った貧しい家庭の子供の教育支援や食糧支援、地雷撤去の話をしているのは何となくで分かった。ノーモアブラッドというのはこれ以上貧困の血を流さないように、という願いを込めたネーミングなんだろう、とノッコは思った。
「概要は分かりましたが、説明が難しいのでもう少し簡単な英語で話してください。」とノッコはネムルさんに伝えた。
「これは申し訳ありません。英語で挨拶されたので英語はお得意だと思いまして」
「そんなことありません、片言です。」と言ってノッコは照れるように微笑んだ。
ネムルさんは
「なるほど、ではもっと簡単にご説明すればよかったですか?」
と聞いてきたが、ノッコは
「いえ、でも何となくでは分かりましたので。ありがとうございます。」
とお礼を兼ねて返事をしたのでネムルさんは安心したように
「分かりました。以上私たちの活動についてです。資料なども見られますか?」
といって棚から色々な資料や写真をネムルさんは持ってきてくれた。
「これが私たち組織の活動概要で、こちらが私たちを支援してくれる世界中の団体リストで、これが昨年度の財務状況です。」
色々な資料を見たがどれもノッコには難しそうだった。
「あと、これは写真です。学校の写真や地雷撤去の現場の写真です。」
色々な写真をノッコは見せてもらった。写真の最後には地雷によって足を失った子供の写真があった。ノッコはそれを見て衝撃を受けた。しかし、ふとその写真の中に足を失っているのにカメラに向かって微笑んでいる子供を見た。
「ありがとうございます」
ノッコはそういって資料や写真をネムルさんに返した。
「地雷撤去の現場を見られますか?2時間ほどはかかりますがどうされますか?」
そんなに長距離運転してもらうのは申し訳ないのでちょっと迷ったが、「お願いします」と答えた。
「では担当のものに車を出させます」
ノッコは車まで案内され、ザンガさんという運転手に現地まで車で案内してもらった。
「ここらへん一体も昔は地雷がたくさんあって大変でした。ですから、昔は遠回りをしていました。今は撤去済みで安心なのでこちらのルートを通っています」
ザンガさんはそう言いながら運転していた。ノッコは景色を眺めながら話を聞いていた。2時間ほどの距離だったのでかなり遠かったが、意外とあっという間に現地に到着した。
「向こうの方で地雷の撤去作業をしています」
ザンガさんはそう言って向こうの何百メートルか先の方を指した。
ノッコは言われた通りそっちの方を向いたら確かに大勢の人たちが何か作業をしているようだった。一人のものが立って作業指図をし、他の何人かが図面などを見たり、また、他のものは何か探知機のようなものを操縦しているようだった。
「地雷撤去は私たちだけではできないので多くの専門機関の方にあのように作業に参加していただいてます。私たちだけでは技術力がありませんので、航空写真のようなものを先進国の軍事機関から送っていただいて、その資料を基に地雷の場所をあらかじめ特定します。その資料をもとに彼らが地雷探知機を操縦して探知したら遠くからダイナマイトで地雷を粉砕します。それでも、何人かの作業員が事故で地雷を踏んで死亡しています。地雷撤去は命がけです。」
ザンガさんの英語もかなり複雑だったが、言おうとしていることはノッコにも分かった。地雷撤去は命がけ・・・
ノッコはしばらくその作業風景を眺めていた。そこで起きている風景は日本の日常とはまるで違い、同じ地球で起きている出来事とは到底思えなかった。
しばらくすると、ノッコの袖を子供がつかんできた。
「ねえ、ねえ」
子供は上目使いでノッコに話しかけてきた。
「ん、どうしたの?」
辺り近辺を眺めると家屋などがところどころ散見された。近くに村でもあるのだろう。村の子供か・・・
村の子供はノッコにこう言った。
「Give me money(お金ちょうだい)」
ノッコは言葉を失った。お金ってお金?なんで私に?
しばらく考えたが、貧困の村の子供はお金がないから金持ちそうな人にお金をたかってるのだと思った。ノッコは日本に住んでいるときは自分が金持ちだと思ったことは一度もなかったが、アフリカの貧困層からすればノッコは十分過ぎるくらい金持ちなのだろう。
村の子供はさらにノッコの袖をひっぱって
「お腹が好いた、食べ物ちょうだい」
ノッコはなんて返事したらいいか分からなくなり困惑してしまった。
「気にしないでください」
ザンガさんはノッコにそう言った。
気にしないでって言われても・・・とノッコは思ってしまった。
話には聞いていたが、アフリカの貧困地域はこんなにも悲惨な状況なのだと改めて実感した。多少の寄付金くらいではこの現状はいつまでたっても改善されないのでは、と思った。
そんなことを考えていたら、村の子供はノッコの胸ポケットに入っているIpodを見て
「ねえ何それ?」
と珍しがって見た。
「これ?Ipodよ。」
「食べれるのそれ?」
思わず笑いそうになってしまったが、ノッコは真面目に
「これはね音楽を聴く機械」と子供に教えた。
「音楽ってあの音楽?」
「そうよー」
そういってIpodのイヤフォンを子供の耳に当てて曲を聴かせてあげた。アフリカの子供が何の音楽を聴くかなんて分からなかったが、世界的に有名な曲をかけた。MoonRiverだ。
ノッコは売れてはいなかったが映像音楽も多少作曲するのでその分野の勉強もたくさしていて、あらゆる映像音楽の世界的名曲をIpodに入れていた。
子供は最初不思議そうに曲を聴いていたがやがて、
「Good」
と言ってにこっと微笑んだ。
世界的名曲はやはりどこでも人を感動させるのだろう、と思った。
子供は微笑みながら「Bye」と言って走って行ってしまった。
ノッコは、やはり音楽は人に力を与えるものだと確信した。
「どうされますか?もう帰りますか?」
ザンガさんがそういうと、それ以上時間を取らせるのも申し訳ないので
「そうですね。帰ります。ありがとうございます」
そう言ってまた2時間かけて再び本部に帰った。
その後NGO団体の人たちにぼろい古ぼけたコテージのようなところに案内されてそこで
用意してあたった軽い軽食のような夕飯を食べてノッコは寝た。
次の日ノッコは空港までまた車で案内された。来るときに迎えに来てくれた人の名前は聞き忘れたが、帰りの送り迎えはザンガさんだった。空港の搭乗ゲートで別れを告げた。
「いろいろとお世話になりました。ありがとうございました」
「いえ、こちらもいろいろとお世話になっておりますから」とザンガさんはそう言った。
ノッコは搭乗ゲートへ向かおうとするとザンガさんが話しかけてきた。
「あなたはこれから何かいいことをするつもりですね」
ノッコは不思議そうに
「いいこと?」と聞き返した。
「あなたがなぜわざわざこちらに来られたかわかりませんが、何かお役に立てたなら光栄です」と言った。
ノッコはザンガさんの英語の意味は分かったが言わんとしていることの意味は分からなかった。
「あなたに神のお導きがありますように」
そう言って別れた。
神のお導き・・・
ノッコは作曲家という職業柄、奇跡とか音楽の神様だとか、そんなようなことは信じていたが、突然神のお導きがどうとかと言われてもよく意味が分からなかった。アフリカの人たちは信心深いのだろうか・・・
成田空港に着くまで飛行機の中でノッコはずっとそのことを考えていた。
「どこ行ってたの?いきなりアフリカへ旅立ちます、とかメールが来てそれから音沙汰なしだからびっくりするじゃない」
「ごめん、ごめん」
二人は恵比寿の洒落たバーで飲んでいた。ノッコはきついマティーニを、リナは洒落たチャイナブルーを飲んでいた。
「実は私たちのチャリティーイベントで支援されるはずだったアフリカの現地のNGOを見学しに行ってた」
「何でまたそんなところに?」リナは驚いて口を大きくポカーンとあけた。
「何でって言われてもさ、私にも分かんないよ。何となく興味を持っただけ。」
「・・・・・何となく・・で?」
「うん、最初は思いつきで・・・何となく行きたくなっただけなんだ。でもね・・・向こうに行っていろいろなこと学べたは」
「いろいろな・・・こと?」
リナはただオウム返しのようにきょとんと聞き返した。
「アフリカってまだまだ貧しい地域がたくさんあるんだなって。豊かな日本に住んでいるとそんなことついつい忘れがちになっちゃうけど。そこで地雷撤去している人たち見てきた。紛争が原因で地雷が放置されたままになっちゃってて・・・その撤去作業というのが本当に命がけなの。何人も死んだって。村の様子も見て、貧しい村人たちの現状も見てきた」
「ふーん」リナは不思議そうにその話を聞いていた。
「それでね、思ったんだ。こんなに貧しい地域があるのに寄付金すら送ってあげられないショービジネスのシビアさについてとか。音楽って人に感動を与えられる素晴らしいものだけど、ショービジネスだけでは貧しい人たちすら救えないだって。だってアフリカの貧困地域では音楽なんて贅沢なもの聞ける人たちなんていないんだよ。貧困地域では音楽のショービジネスなんて無力に等しい。私、音楽の世界にずっといるけど、今までそんな風に考えたことなんて一度もなかった」
リナは「うん」と言って頷いたが、
「でも、それは仕方がないことじゃない。貧困地域を助けてあげたいのは分かるけど、ビジネスだけじゃどうにもならないよ。ビジネスってのは利益を出すことが第一なんだから。余裕がなければ寄付金出せないのだって当たり前。あなた一人がどうこう言っても解決できる問題じゃないでしょ」リナは反論するようにそう言った。
「私もそう思ってた。でも現地の人たちは私にヒントを与えてくれた。ビジネスで解決できないならあの人たちみたいな何か団体を作ればいいんだって」
「団体?」リナは目を丸くした。
「ビジネスだけではできないことをやろう、と思って。私ね、アフリカの子供に音楽を聴かせたらにこって笑うの見たの。ほんとに嬉しそうに。音楽に無限の可能性を確信した。だからね、私はショービジネス以外で音楽を通して人を救う仕事がしたいって思った。そういう人たちを救いたいと思った」
「貧困国を救うこと?」
リナはまだノッコが何をやりたいのかいまいち呑み込めなかった。
「ううん、最初はそう思った。でも、よくよく考えたらそんな大げさなことじゃなくてもいいんだよね。でも何かをやろうと思っても、彼らみたいな専門知識もないからNPOとかNGOとかグローバルなでかい話もさっぱり分からないしさ。困っちゃうよね。」
「それじゃ話にならないじゃない」
リナはあきれてそう言った後、チャイナブルーを少しだけ飲んだ。
しかしノッコは何を思ったのか
「でもね・・・さっき思いついたんだけどさ・・・日本のためになら自分も何かできるかとか思って。」
突然そんなことを言いだした。
「例えば?」リナはまだノッコの意図が分からずにいた。
「貧困国は貧困国で大変だけど、日本のような先進国でも問題はたくさんあると思う。日本は確かに経済的に豊かだけど、現代社会は過酷な競争社会の中で潰されて精神的に病んでいる人たちがたくさんいる。きっとみんな孤独なのに救いを差し伸べてくれるひとたちがいないんだと思う」
「それで?そういう問題をどうしたいわけ?」
やっと本題に入ったとばかりノッコは答えた。
「音楽でそういう精神的に病んだ人たちを助けたい」
「音楽で助ける?」リナは驚いた。
「そう、無限の力がある音楽でそういう病んだ人たちを励まして元気を与えたいと思って。そういうNPOを作りたいの」
「あのね、具体的に言ってくれなきゃ意味が分からない。病んだ人たちっていってもどういう人を指すのか、それに音楽で一体何をしたいのか全然分からないんだけど」
確かにリナの言うとおりノッコは具体的に何をしたいのか自分でもよく分かっていなかった。
「そりゃそうだけどさ・・・でも、とにかく何でもいいからやりたいのよ!」少し興奮気味にノッコは叫んだ。
「あなた、助けたい助けたいっていうけど、さ。仮に何か思いついたとしてもそんなこと本当に可能なの?」
「アフリカでは信じられないような貧困救済支援が行われていた。自らの命を張ってまで地雷を撤去するような人たちがいたんだ。人は人を助けたいって思えば何でもできるのかなって。無限の音楽の力があればそれも可能だと思う」
リナはノッコのやりたいことが全く分からない、というわけではなかったが、色々と言いたくなった。
「それは分かったけど。でもそんな非現実的なこと簡単にできると思う?あなたそういう専門的なこと何も知らないじゃない。それに自分の仕事は?生活は?そんなことしている余裕なんかある?CDだって最近売れ行き落ちてるじゃない。私はCDの売り上げ落ちてもオペラの仕事が定期的にあるから何とか稼げるけど、あなたは自分のCDが売れなくなったら仕事や収入とかなくなるんだよ?オペラの役も、それだって役の奪い合いの競争がものすごいんだから。それに社長はそのこと知ったら何て言うかな?あなたと私を拾って一生懸命営業や宣伝してくれて育ててくれた社長に対して感謝の気持ちは?売り上げを伸ばすことが今私たちが社長にできる恩返しなんじゃないの?そんな脇道それたことやっている場合なの?それにあなたショービジネスを少し甘く見すぎてる」
リナの言ってることも最もだった。
「そりゃリナと社長には感謝してるけどさ・・・」
ノッコがまだ売れない苦労時代に、先にリナは当時の白川にスカウトされてデビューした。リナはすぐに売れたが、なかなか売れないノッコのことを心配して、白川にノッコのことを話した。白川はノッコに興味を持ってノッコのライブハウスを見学しに行き、白川は演奏の素晴らしさに思わず聞き入り、ノッコのこともその場でスカウトすることになったのだった。リナと白川のおかげで今の自分があるといっても過言でなかった。
ノッコはしばらく黙った後、
「でももう・・・とにかくやるって決めたんだから!リナなら分かってくれると思ってたのにさ!」
ノッコは少し怒鳴り気味にそう言った。
リナはノッコのその態度に少し腹を立て、
「分かるも分からないもないよ。何よ、人がせっかく心配してあげてるのに!」
といって、怒り気味にリナは自分の飲み代の分だけカウンターに置いてその場を立ち去ってしまった。
しばらくカウンターの方を眺めた後、ノッコは軽くため息をついた。
そしてタバコをくわえて吸い始めた。ノッコはタバコを吸うが、ヘビースモーカーではなく普段はほとんど吸わなかった。いらいらするときだけ吸っていた。しばらく一人取り残されたバーで煙をふかした。煙はバーの天井の方までのぼって行ったが、天井まで行き着くとやがて左右に分かれてそのまま縮小しながら散って行った。それを見ているとタバコの煙は、はかない命のようにも思えた。
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