便所から死霊軍団

矮凹七五

第1話 便所から動物軍団

 ――出た。

 ついに出た。

 何が出たかって?

 うんこがだよ!

 ここんとこ溜め込んでいたから、きっとでかいのが出ただろう。

 手ごたえ、いや尻ごたえからして、間違いない。

 だが、俺の尻の真下は肥溜め。

 なので、今しがた出てきたうんこは、他のうんこと同化して、どれだかわからなくなっているだろう。

 そう、俺んの便所は汲み取り式。いわゆるぼっとん便所だ。

 肥溜めに溜めこんだ糞尿は、いずれ畑で育てている野菜の肥料となる。

 そう、俺が食べたものは、野菜の一部として生きていくのだ。

 そんなことを考えながら、俺はトイレットペーパーに手を伸ばす。

 だが、その時――


「ぎゃわうあえあいえああーーー!!!」

 尻から脳天に向かって、稲妻のような衝撃が走り、突き抜けた。同時に俺は、わけのわからない叫び声を発していた。

 ――痛い! 滅茶苦茶痛い!

 尻を何かで刺されたようだ。

 あまりの激痛に、俺は飛び退いた。

 顔を下に向け、和式便器の中を見る。

 白い便器の中には、肥溜めに通じる穴があり、そこには闇が広がっている。

 闇の中で何かがきらりと光った。

 しかも二つ。

 しばらく眺めていると、そこから何かが現れた。


「う、牛!?」

 便器の中から、牛が顔を覗かせた。

 ――頭に生えている二本の角。そいつで俺の尻を刺したのか?

 ――つぶらな瞳をしているくせに、悪い奴だ!

 ――それにしても、なぜこんなところに牛が!?

 俺が住んでいる所は、農村だが、近所で牛を飼っている家はない。

 仮にどこかから逃げ出したとしても、これはないだろう。

 床と肥溜めの間に牛が入っていけるスペースなんてない!

 どうやって入ってきたんだ!?

 そんなことを考えているうちに、便器の中から足も出てきた。

 体の中に骨なんて存在しないかのようなスムーズさだった。まるで蛸だ。

「ひっ!」

 思わず俺は扉を開け、便所の外に出てしまった。


 便所から牛が出てきた。

 黒い毛並みをした大きな牛だ。

「――な!?」

 出てきたのは牛だけではなかった。

 牛の隣には、豚がいた。

 牛と豚だけじゃない!

 にわとりもいた。

「……う、嘘だろ!」

 さけが床の中からいきなり飛び上がってきた。

 宙を舞った鮭は、そのまま床を目掛けて落下した。

 普通なら、床に落ちた後は、のたうち回るところだが、そうはならなかった。

 なんと、床を泳いでいるのだ。

 まるで、そこが川だと言わんばかりに!

 鮭のそばでは何匹もの海老が元気よくジャンプしている。

 俺には何が起きているのか、さっぱりわからなかった。


 動物達の背後から、一人の女が姿を現した。

 二十代くらいの若い女。長い髪の毛をだらりと前に垂らしているので、顔が良く見えない。

 着衣が乱れていて、所々から肌が覗いている。

 肌には紫色のあざがいくつもある。さらに、傷もあって、そこからは血が流れている。

 ――この女、見覚えがある。確か、あの時の……

 ――でも、こいつは死んだ! 今、ここにいるはずがない!

「う、うわ、うわあああ……」

 俺は後ずさりしている。


 動物達の動きがピタリと止まった。

 時が止まったように動物達が固まっている中、女だけがてくてくと歩いて行く。

 女は牛のそばで歩みを止めると、牛に飛び乗った。

 女の口が開く。

 何かをしゃべっているようだが、声が小さいのか、良く聞こえない。

 女は口を閉じると同時に、俺の方をにらみ付けた。

 いや、女だけではない、動物達も。

「ひぃ……!」

 極寒の中、素っ裸で放り出されたような寒気がする……

 ――こ、怖い!

 俺が後ずさりすると、女と動物達は俺に向かって動き出した。



 俺は今、夜道を走っている。

 女と動物達から逃げるためだ。

 周りを見ると、個人経営の商店が並んでいる。

 家から一キロメートル程離れた所にある昔馴染みの商店街。

 どの店を見ても、店内から明々とした光が漏れている。こんな時間になっても、買い物する客がいるからだろうな。

 後ろを向くと、相変わらず女と動物達が、追いかけてくる。

「しつこい! いつまで追いかけてくるんだ、こいつら……」

 前の方を見ると、手提げ袋を手にした女性が歩いている。年齢は三十代くらい。見た目からして、きっと主婦だろう。

 俺が、そばを走り抜けようとした時、その女性の表情が、何かに怯えるようなものに変わった。

「きゃーーーっ!!!」

 女性特有の甲高い悲鳴が、耳の中に入ってきた。

 当たり前だ。異様な連中が、俺の後ろから走ってきているのだからな。


「そこのキミ、待ちなさーい!」

 後ろから男性の声が聞こえてきた。

 振り向くと、警官が女と動物達に混じって追いかけてきている。

「なんで、おまわりまで追いかけてきているんだよ! 畜生! わけがわかんねえ……はっ!」

 なぜ警官おまわりまで……と思ったが、俺は今、どんな格好をしているかを思い出した。

 下半身に何も身に着けていないのだ。

 ズボンは穿いていないし、パンツも穿いていない。靴下も靴も履いていない。

 そう、フルチンで裸足なのだ。

 ――これから尻を拭くという時に、便所から飛び出したからな……

 ついでに、うんこも少しばかり付いているだろう。

 ――警官が追いかけてくるのは、さっきの主婦っぽい人が通報したからかもしれないな。

 そう思いながら、俺はひたすら走り続ける。


 俺の目に二つの光が飛び込んできた。

「まぶしいっ!」

 まぶしすぎて前方が良く見えないと思うやいなや、クラクションの音が耳に入って来た。

「車は急に止まれない」とは良く聞く言葉だが、俺も急には止まれない。


 ドンッ!!!


 まぶしかった視界は、一転して真っ暗になった。

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