番外編 はこいり純情淫魔さん奮戦記(上)
「何だ、ココは?」
気が付いたら俺は、見覚えのない──というか、あるはずのない場所に寝転がっていた。
「天蓋付きのキングサイズベッドとは、また面妖な」
20代男性の平均ないしそれをやや下回る程度の年収しか持たない、俺みたいな庶民とは、おそらく生涯無縁の代物だ。
服装は、普段部屋着にしているスウェットの上下だったが、念のため身体をパタパタと触ってみたところ、薄皮一枚隔てたような微妙な違和感がある。
試しに、思い切りギュッと頬をつねってみたが、触られているという“触感”はあっても、“痛み”は感じなかった。
「ふむ。明晰夢、というヤツかな」
一応、物書き──といっても「あまり売れてないラノベ作家」というヤツだが──のハシクレとして、その程度のムダ知識はある。
「まぁ、夢なら仕方ないが……アラサー独身男とロココ調の家具の取り合わせって誰得?」
ベッドにせよ、タンスにせよ、サイドテーブルにせよ──偏見かもしれんが、こういう姫様ちっくな雰囲気の調度が許されるのは、日本じゃローティーンからせいぜい20代半ばまでの女性限定だぞ?
加えて、ベッドカバーやクッションその他の色が、真っピンク! 今時、ラブホでも、こんなベタ色使いをしているトコは稀だろう。そのクセ、レースのヒラヒラがたっぷりとあっては、一体全体どういうコンセプトなのか疑いたくなる。
断言しよう。断じて俺のシュミじゃない!
「あ、あのぉ~、お気に召しませんでしたか?」
だからその時、背後から心底申し訳なさそうな女性の声がかけられても、俺はさほど驚かなかった。
振り返るとソコには──女神がいた!
面と向かって最初に目を引くのは、陽の光を蜂蜜に溶かし込んだような、見事な黄金色の髪だろう。
腰どころか太腿のあたりまでありそうな長さの艶やかなその金髪を束ねもくくりもせずに、無造作に流しているので、パッと見には後光が差しているようにさえ思える。
そして、その金色と見事なコントラストを為している、ミルク色の柔らかそうな肌と、深海を思わせる深い紺碧色の瞳。
それらみっつの色彩を持つにふさわしい、繊細で整った美貌の持ち主でもあるのだが、ほんの少しだけ垂れ気味な大きな瞳が、美人にありがちな近寄り難さを緩和している。
背は高からず低からず──いや、今時の日本人女性の平均と比べると、ちと低めかな? 150センチ台前半と言ったところか。年齢は推定18~20歳くらい。
ただし、プロポーションはグンバツ(死語)。特に、白いゆったりした
ちょっと困ったような表情でもぢもぢしながら、手にしたアンチョコらしきものを確認している様子も、すンごく萌えるし。
──率直に言おう。すごく好みだ! それも未だかつて見た事のある女性の中でもダントツに!!
「結婚しよう。ふたりで幸せな家庭を築くんだ!」
だから、思わず目の前のその女性の両手を握りしめ、そんな戯言を口走った俺を、男(とくに25歳超えてシングルな輩)なら、誰も責められないと思うんだ、うん。
「えっと…はい♪ ……じゃなくて! い、いえ、嫌というワケではないのですけど、あのですね」
いくら夢の中とは言え(いや、欲望が素直に出る夢だからか?)、直球というよりむしろビーンボールに近い発言をカマしてしまった俺に対して、けれど彼女も慌てつつ、満更でもなさそうな反応を返してくれた。
おかげで、“いきなりプロポーズ”というどこぞの万年煩悩少年みたいな真似をやらかしてしまった俺の方が、逆に落ち着くことができた。
「オーケー、お嬢さん、お互い、ちょーっとクールになろう。ホラ、深呼吸して」
「は、はい……」
──スーーーーーッ…………ハーーーーーーッ
いい歳した男女が、向かい合って真面目な顔で深呼吸している様子は、傍から見たら笑い事以外の何ものでもないだろうが、当事者同士は結構真剣なのだ。
「ふぅ。さて、落ち着いたところで、この状況を説明してもらえるか?」
「はい、わかりました。実は……」
「あ、ごめん、その前に自己紹介くらいは済ませておこう。俺は、神無月優伍(かんなづき・ゆうご)。「
「あ、はい、存じております。わたしは、ユリーシア。ユリーシア・イナンナ・フェレースと申します。一応、フェレース一族の末席に身を連ねているハイ=サッキュバスです」
そう名乗りながら、彼女は背中というか肩口からコウモリのような黒っぽい翼を出す。
ふむ。サッキュバス──いわゆる女淫魔、か。頭にハイの字がついてるってことは、それなりに高等ってことかな?
「あのぅ、お疑いにならないのですか?」
「? ユリーシアさん、俺を騙したの?」
「い、いえ、そんなことはありません。ただ、その、現代日本の、立派な社会人の方が、こんなに簡単に信じてくださるとは思わなかったものですから」
──それは暗に、「いい歳して夢見がち青年乙w」と言う意味だろうか?
「ち、違います、ちがいます!」
はは……冗談だって。
「うーん、敢えて言うと、学生時代の知人に、普通でないヒトが結構いたから、かなぁ」
人狼な先輩とか、蜘蛛女な先輩とか、龍神の生まれ変わりの後輩とか、魔法少女やってる後輩とか、絵に描いたようなマッドドクターな恩師とか……。
だから、今更「サッキュバスです☆」って言われても、「あ、やっぱり、いるんだ」くらいの感慨しか持たないのも、無理はないと思う。
「そ、そうですか(そう言えば、この方、姫様方と同じ学園の出身でしたっけ)」
面食らったような、納得したような、微妙な顔つきになるユリーシアさん。
「で、そのサッキュバスが、わざわざ男の夢の中のまで出張って来たってことは、ナニをしよう、ってことかな?」
「はぅ!? そのぅ……えーっと…………はい」
“淫魔”と言うからには、ソチラに関しては百戦錬磨だろうに、どうにも反応が初々しいな。
まさか、と思いつつも、一応、念のために聞いてみる。
「もしかして──こういうこと、初めて?」
ボボッ、と真っ赤になった彼女の顔が、何よりも雄弁にその答えを物語っていた。
* * *
「わたくし、一族の落ちこぼれなんです」
ベッドに並んで(ただし、人ひとりぶんくらいの間隔をあけて)腰を下ろしたところで、彼女がポツポツと自らの事情を話し始める。
フェレース家と言えば、魔界でサッキュバスを束ねる名門──伯爵家の家柄であること。
ユリーシアさん自身は分家の出ではあるが、現在の本家の当主とは「はとこ」にあたり、比較的血筋はよいこと。
にも関わらず、魔法も体術もてんでだめ、サッキュバスの本領とも言える魅了関係も、内気な性格が災いしてかイマイチ──いや、イマサンであること。
「
そもそも“精”──生命力にしても、別段、え…えっちなことをしないと吸い取れないワケでもありませんし。
けれど、一人前の成人と認められるためには、殿方の精を“女”として胎内に摂取することが条件となっているんです」
成程、ある意味、淫魔の通過儀礼ってことか。
「ふむ。一応聞いておきたいんだが、君とその──コトに及んで、精を吸い取られたとして、俺の側には、どんなデメリットがあるのかな?」
穏やかに俺がそう尋ねると、俯いていたユリーシアさんが、ハッと顔を上げた。
「え!? も、もしかして、協力していただけるんですか??」
「まぁ、よほどのデメリット──たとえば生死にかかわるとか、寿命が縮まるとかがない限り、そのつもりだけど、どう?」
「それは、大丈夫です! 確かに、生命力を失ったことで、一時的に身体が極度に疲労したような状態にはなると思いまけど、もし神無月さんが体調を崩されても、わたくしがお世話させていただきますから!!」
って言われてもなぁ。どうやらこのお嬢さん、かなりいいトコの箱入り娘っぽいし(しかも、魔界出身!)、家事はおろか雑用すら満足にできるかアヤしいトコロだが……。
だが、これだけ
しかも、ルックスと言い、雰囲気と言い、この娘は俺の好みにド真ん中ストライクコースなのだ。
幸い、締め切りは一昨日終わったばかりで、次の仕事までは多少余裕がある。最悪、一週間くらい寝込むことになっても、問題はないだろう──たぶん。
何より、飼い主が遊んでくれるのを待つ仔犬みたいな目付きをしたこのお嬢さんに「NO!」と言うのは、限りなく難しい。て言うか、俺には無理だ。
「そ、それじゃあ……」
「うん。ふつつかものだけど、ドゾヨロシク」
「に゛ゃっ!? 神無月さん、ソレ、わたくしの台詞ですよ~」
などという軽いじゃれあいをして、緊張感をほぐす。
「あ、そうだ。ところで、この部屋って、ユリーシアさんの趣味?」
「いえ、そのぅ……ちょっと違います。あのぅ、コレを参考にしました」
「?」
彼女が手にもっていたアンチョコらしきものの正体は、薄い文庫本だった──て言うか、コレ、俺が書いた『黒百合のストレンジャー』じゃねーか!?
真っ当なラノベ一本で食っていくのは、俺のレベルでは難しい。で、ときどきジュヴナイルポルノの雑誌の仕事とかも別名義で請け負うんだが、その連作短編が6本溜まったんで、こないだ単行本化されたのだ。
「え、えっと、神無月さんのご趣味は、こういうのではないか、と思いまして」
「う、う゛ーーむ゛」
いや、こりゃあくまでフィクションだから。
確かに、毎回エロいメに遭いつつバージンだけは守り通すヒロインの怪盗が、最終回で、ライバルにして密かに想いを通じあっていた若き警部に抱かれるシーンは、こういう感じの部屋の描写を入れたけどさぁ。
「その、お気に召さないようでしたら、変えましょうか? それくらいなら、わたくしの魔力でも十分可能ですし」
「むぅ──手間かけて申し訳ないけど、そうしてもらえると助かる」
「は、はい。では……」
一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと、次の瞬間、俺はどこか懐かしい雰囲気のする和室の畳に座っていた。
「いかがでしょうか? 神無月さんが抱いておられる“一番落ち着く場所”のイメージをお借りしたのですけど」
目の前の座卓の向かいにいるユリーシアさんは、いつの間にか藍色の浴衣に着替えていた。
金髪碧眼のいかにも外人(むしろ人外?)な彼女だけど、意外にもその格好は似合っていた。
慣れた手つきで急須からお茶を入れ、コトンと俺の目の前に置いてくれる。
「うん、コッチの方が十倍いいな」
予想以上に美味いお茶をすすりながら、ココが夢の中であることも忘れて、リラックスする俺。
「聞いてもよろしいですか? 此処は……」
「ああ、俺の母方の祖父母の家のイメージだな。もっとも、高校の頃にふたりとも亡くなって、家も売りに出されたから、正確とは言えないかもしれないけど」
でも、ここが俺にとって一番落ち着く場所だというのに異論はない。
じぃちゃんもばぁちゃんも凄くいい人で、俺の「作家になりたい」という夢を応援してくれていた。もし、ふたりの励ましがなければ、今みたく物書きのハシクレになってなかったかもしれない。
それだけに、夏休みとか長期休暇の度に遊びに行って“この家”が売り払われた時はショックだったしなぁ。
「とても、大切な場所なんですね。あの……そんな場所で、わたくしなんかと、その、イタすことになってもよろしいのまでしょうか?」
「ああ。て言うか、むしろだからこそ、ココがいい」
俺は、湯呑を座卓に置くと、まっすぐに彼女の目を見た。
「あらかじめ言っておくと、俺は一応“初めて”じゃない──と言っても、まぁ、いわゆる風俗に行ったことがあるだけで、残念ながら恋人の類いとシたことはないんだけどな」
高校時代に恋人らしき女の子はいたけどキス止まりで、卒業したら自然消滅しちまったからなぁ。
「は、はい」
「で、だ。さっきも言った通り、俺にとってキミはすごく好ましいタイプなんだよ。だから、今晩ひと晩だけでもいい。どうせなら、俺と──そのぅ恋人同士になったつもりで、エッチしてもらえないかな?」
言いながら、どんどん顔が熱く赤くなってくるのがわかる。くそぅ、これこそ、普通女の子側が言うべき台詞だろーが。くそっ、これだから素人童貞は……。
けれど、ユリーシアさんは、「キモ~い」とかそういう軽蔑した目ではなく、むしろ感動したような面持ちで俺を見つめている。
「い、いいんですか、わたくしなんかで……」
「あぁ、キミがいい。恋人をこの家に連れて来て、じいちゃん達に紹介するのが、俺の密かな夢だったから」
間髪を入れずにそう答えると、彼女はいっそう瞳を潤ませ、正座のまま見事な挙措でススッと下がり、そのまま三つ指ついて深々と頭を下げる。
「それでは、不束者ではありますが、宜しくお願い致します」
うん、やっぱり女の子が言うと映えるよな。
「ああ、こちらこそ、よろしく、ね」
かくして、一夜限りの恋人──その長い夜が始まったのだった。
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