⑥帰宅途中にて

 ――ふぅ。今日は何だかどっと疲れたなぁ……。


 神崎さんと駅で別れて電車に乗った僕は、満員電車に揺られながら今日一日を振り返って小さくため息を漏らした。


 自分がまいた種ではあるんだけど、神崎さんのお姉さんにゴミ屑を見るような侮蔑の目で睨まれただけでもう灰になって消えたいくらい精神的に疲弊したというのに。木村さんを備考した先でまさかあんなド肝を抜かれる展開が待っているなんて……。

 喫茶店での神崎さん、明らかにいつもより口数が少なくて参ったと顔に書いてあるくらい凄い落ちこんでたけど、なのに僕ってば何て声をかけていいのかわからなかった。こういう時、人付き合いの経験値の少なさが如実に表れるのが、自分で選んで来た道とはいえもどかしい。


「はぁ……」


 自分自身の歯がゆさに自然と猫背になって再びため息が漏れ出る。


 ――いや、ここで参ってちゃ駄目だ僕。神崎さんはきっと今、僕以上にきつい心境でいるに違いないんだ。そんな時、僕まで同じような顔してちゃ神崎さんが頼れないだろ。彼女が困っている時助けられる存在でありたいって、新田さんとの事件を経て強く決心したのだから。


 うん、そうしたらきっと、こんな僕でもあの人の傍にいてもいい理由が生まれる筈だから……。

 よし、なにはともあれやるぞ僕!


 胸中で自分自身を奮い立たせ、顔を横にぶんぶんと振って負のオーラを振り払って姿勢を正す。

 と、その時だった。


 ……ん? あれ、あの人はもしかして――


 桜星高校の制服を着た見知った顔がちらっと遠目で視界をよぎりふと眼を懲らす。

 間違いない、柏木さんだよね。

 けど、何だろう……どことなく様子がおかしいような……。


 どことなくそう感じた僕は、より注意して彼女のことを観察してみる。

 少し離れたところで僕と同じよう満員電車に揺られる柏木さんは、つり革を持つ手を小刻みに震わせ、目を伏せて何かに耐えるような苦悶に満ちた表情をしている。そんな彼女の背後では片手でつり革を握った男性が、何やらニヤニヤと嫌悪感を覚えそうな笑みを浮かべていて――


 はっ! あれって、ひょっとして痴漢なんじゃ――!?


 男性のもう片方の手は完全に人の壁で隠れていて、今すぐ完全にそうだと断言出来る確証はない。

 けどもしそうだとしたら、このまま突っ立って傍観してるわけにはいかないよね!


 そう思うや否や僕の身体は自然と動き出していて、ぐいぐいと人混みをかき分けて彼女の下へと近寄ると、


「貴方、一体何しているんですか!」


 大声を上げると同時に、彼女の臀部をまさぐっていた手首を勢いよく鷲掴みにして宙にに上げた。やっぱり痴漢だったんだ。


「いてっ、おい何をするんだ!」


 そう苦々しい顔で叫んだのは、奇しくも木村さんと会っていた男と似たような背格好のサラリーマン。

 男はチビでフィジカルの勝る僕になら安易に振りほどけるとでも思ったのか、身体を必死に捩って抵抗を試みた。が、僕は握力を強くし鋼の意思でそれを阻止する。

 こう見えても僕、以外と腕っ節には自信があるんですよ。誰が放すかって言うんだばーか。

 

「山代、君……?」


 車内が騒然となる中、柏木さんが目尻に水滴を貯めたまま、思考が現実に追いつかないとばかり唖然とした様子で僕を見つめた。


 そんな彼女を安堵させようと、僕は精一杯の笑顔を作ってみせる。


「安心して下さい。もう、大丈夫ですからね」

「あ、ありがとう」


 柏木さんがまだ怯えの抜けきってない表情で声を震わせる。そりゃ怖かったことだろう。見知らぬ男にお尻を触られるなんて、男の僕でも恐怖以外の何ものでもないのだから。


「さ、次の駅で一緒に降りておりてもらいますからね」


 絶対に犯した罪の報いは受けさせてやると厳しい口調で男にそう言い放つと、僕は電車が停車するのを待って降車し、ホームで駅員さんに男をつき出したのだった。



 その後、駅員さんに連行されて事務室につれていかれる男と共に、僕と神崎さんも事情聴取の参考人にと同行をお願いされ事務室に入った。

 が、これで一件落着かと思いきや、ここからまた一癖ある展開が待っていて――


「だからー俺はやっていないって。冤罪だよ冤罪。全部そいつの勘違いだから」


 気の弱そうな僕と、大人しい印象の柏木さんなら押し切れるとでも思ったのか、取り調べみたく駅員の対面に座らされた男が、僕を指さして悠然と無罪を主張した。


「大方そこの彼女に気があって、格好いいところみせようとしたんでしょ。ほんと、巻き込まれた方はとんだいい迷惑だよ」


 厚顔無恥という言葉はこの男のためにあるとばかりの不遜な態度で、手を頭の後ろで組んでふんぞり返る。

 くっ、いくら認めたら人生が終わるとはいえ、こんな開き直りの仕方をするなんて。こい正真正銘の人間のクズじゃないか!


 苛立ちのあまりぎりっと歯ぎしりを噛む。けど、物的証拠でもあげない限り、このまま平行線なのもまた確かで……。


「……あの」


 僕の隣にいた柏木さんが、小さく声を上げた。

 その声に反応して、駅員さんと痴漢犯が一斉に柏木さんを見やる。

 一気に注目を浴びたことで、びくついた柏木さんだったが、気合いを入れるようにぎゅっと握り拳を作ると、恐る恐る口を開いて、


「わ、私、確かにその人に、お、お尻を触られました! 最初はその、揺れで偶然当たっただけかなと思ったんですけど、でもちがくて、何度も何度もこう、私のお尻を執拗にまさぐってきて……ほんと、私、怖くて怖くてどうすればいいかわからなくて……」


 目尻に水滴を貯め、頬をこわばらせ声を震わせながらも、柏木さんは男を睨んで訴えた。


 彼女の勇気ある告白に、口をぽかんと半開きに唖然となった痴漢犯だったが、


「お、お前の方だって、そんなスカート短くしてるのがいけないんだろ!」


 もうどうにでもなれとばかりに強くそう叫んだ。


「なぁ、本当は触って欲しかったんだよな。清楚な見た目して本当はとんだ淫乱女なんだろ。正直に言ってくれよ。出ないとおじさんこのままじゃ本当に捕まっちゃうじゃないか。そっちから誘ってきたってのにさぁ」


 下卑た笑いを浮かべて逆ギレした男が柏木さんににじり寄ろうとする。


 そんな心にもない言葉を受けた柏木さんの今にも泣き出しそうな顔を見た途端、


 ――ぷちん。


 と、僕の中で何かが弾けた音がして。


「ふざけるなぁ!」


 気付いた時には、僕は男性の顔面を怒りのままに殴っていた。


「勝手なことばかり抜かしやがって。柏木さんがどれだけ怖い思いをしたのかわかってるんですか。この、人間の風上にも置けないクズが!」


 浮かび上がる言葉を憤りのままにぶつけた僕は、それでも収まらない怒りを放出するようにはぁはぁと肩で息をして調子を整える。

 そういていると、周りとの空気に妙に温度差があることに気付いて僕は辺りを一瞥した。


 呆然とした表情で僕達のことを眺めている駅員さんと柏木さん。

 その前方には、僕が殴ったせいで意識を失い白目をむいてぶっ倒れている痴漢犯がいて……。


「あ、しまった」

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