②裏アカ犯と僕と神崎さんと

 結局僕は昼休みが終わってから今まで、一度も神崎さんとは会話することがなかった。


 午後の授業の神崎さんはまるで僕を拒絶するよう背を向けて頬杖をつき、ずっと窓の外を眺めていて――完全に嫌われたかもしれない。

 それもそのはず、だって僕は神崎さんと交わした大切な約束を綺麗さっぱり忘れてしまっているのだから。


 完全な自業自得だ。


 けど、それでも……。


 僕があの人を守りたいって気持ちは絶対に揺るがない。


 神崎さんとオーバーヒートの僕がどんな約束を交わしたかなんて、今でも全くもってわからない。

 ただ何となくだけど、神崎さんを守るとか味方でいるとか、そんな感じのことを言ったんじゃないかってそう思う。

 だって記憶は消えても、思いの炎までは消せはしないから。


 そして、全てが終わった後、僕は……。


 放課後になった今、神崎さんは木村さんを呼び出し、裏アカについてそりゃもう鬼気迫る勢いで問い詰めていることだろう。最悪なことに、虚偽の疑惑で。


 だったら、僕が今とる行動は一つ。


 真犯人である新田さんを追及してあらを探し、言い逃れ出来ない証拠を手に入れるまでだ。

 そう、直接コンタクトを取っているゴローさんが二度も失敗した以上、新田さんは早急に次の策を講じてくるはず。

 だって、あの軽薄なゴローさんが我が身可愛さに新田さんの情報を喋るリスクを、今まであの手この手で神崎さんを手玉に取ってきたこの人が考慮していないはずがないだろうから。


 だからきっと自分が追い詰められる前に先手必勝で仕掛けてくるに違いないと睨んでいる。

 そういえば何で神崎さんはあそこまで頑なに犯人は木村さんだと決めつけて譲らなかったのだろう。


 意地を張るにしてはちょっと度がすぎていたというか、神崎さんなりに何か確信があってのことだと思うけど……

 ま、まさかひょっとして、この状況が既に、新田さんが何かしらの罠を仕込んだ後だとするなら……。

 だとしたらまずい。


 などと胸中で思案を張り巡らせつつ僕は今――


「あ、来てくれたんですね、新田さん。ありがとうございます」


 呼び出していた新田さんが来てくれるのをずっと待っていた。


 場所は昼休みぶりの例の非常階段の踊り場。


 ちゃんと来てくれたことに、ひとまず僕はぺこりとお辞儀する。


「んー山代君ってば、こんなところに呼び出して何のようなかな? あ、もしかして愛の告白とか? だったらごめんね。私、知ってると思うけど彼氏がいるから」


 おどけつつも、手を合わせ丁重に謝罪する新田さん。

 そんな彼女に対して僕は――


「もう、そういうのはなしにしませんか」


 自分でも驚くくらい、至極冷たい声音で応えていた。

 だって、虫唾が走ったから。

 少しは敵のスタイルに合わせて最初こそは友好的に話を進めていきたいななんて思ってたけど、身体が言うことを聞いてくれなかった。どうにも僕も神崎さんと同じで嫌いな人を前にニコニコすることは出来ないタイプみたい。


「へ? それは一体どういう……」

「貴女があの裏アカのアカウント主で神崎さんへの誹謗中傷を好き放題したあげく、裏アカ犯が根屋さんだと装ってグループの空中分解を狙ったり、ゴローさんをけしかけて神崎さんに乱暴しようとした、一連の事件の黒幕。そうですよね新田希未さん」

「あのーごめん山代君。何のことやら話が全然見えないんだけど……まず、裏アカって何のこと?」


 申し訳なげに小首を傾げ、なおも知らない体で通そうとする新田さん。流石にいきなり「はいそーです」なんて認めてくれるとは思ってもなかったけど、それでもここまで白々しいとイラッとくる。

 もういい、裏アカを知ってる前提でさっさと証拠を叩きつけてしまおう。


「ゴローさん達が根屋さんを連れ去ったあの日、犯人が神崎さんに根屋さんが裏アカの主じゃないことを気付かせるためにつぶやいた喫茶店での写真。あの写真に映っていた店内の風景と、神崎さん達が日曜日に行った喫茶店の写真が偶然にも一致してたんです。聞くところによると、この喫茶店を根屋さんに紹介したのは、新田さんだったらしいですね」


 平然としていた新田さんがほんのわずかにだが、ぴくりと眉を動かした。

 やっぱり思った通り、このタイミングで神崎さん達があの喫茶店に足を運んだのは、新田さんにとって予想外だったんだ。

 恐らく、本来の予定ならあの時点で新田さんの勝利というか、神崎さんはゴローさんに乱暴されて大変なことになっていだろうし、そりゃどうせ気持ちよくお茶するならお気に入りの店を選ぶってのは人間の心理なのかもしれない。


「なるほどねー。半分はまだよくわかってないけど、だいたいは飲み込めたかな。そんな状況で言わせてもらうとするけど、その裏アカの犯人というのがたまたま私が以前シホにオススメしたお店と同じ場所を使っていたからって私を疑うのは、ちょっと安直すぎるのではないかしら。ほら、例えばの話だけど、サユリがあえて私に疑いが向くよう仕向けてきたとも考えられると思わない?」

「残念ですが、それはありえないんです」


 新田さんの試すような問いに、僕はきっぱりと首を横に振った。


「えっ」

「あの日、新田さんが裏アカでつぶやいた時刻、その時間木村さんが一体何をしていたか知ってますか? 実は塾で小テストの真っ最中だったんですよね。他の塾生に囲まれながら」


 これは五限目が終わった後、僕が直接他クラスの木村さんに尋ねに行って聞いた情報だ。とてもじゃないが悠々とSNSをやっている状況ではなかった。

 それでも新田さんは悠然としたままで、


「あら、それこそいわゆる完璧なアリバイ作りってやつではなかろうかワトソン君。知ってると思うけど、ツブヤッターには予約投稿昨日があるのよ。予め設定した時刻に合わせて行動することで、万が一自分に疑いの目が掛かったとしても、このように犯行不能だったことを立証することが出来る。山代君にとっては残念な話だと思うけど、サユリにもこういった動きが可能な以上、たまたまお店を知っていたというだけで私を犯人と決めつけるのは厳しいのではないかしら?」

「確かに、おっしゃる通りだと思います。――ですが、今し方犯人が新田さんであるのを他ならない貴女自身が証明してくれました」

「へ? それはどういう……」

「新田さん。なんでさっきから貴女は、木村さんばかりを犯人だと疑うように仕向ける供述ばかり仕向けているのですか? 一緒に襲われかけた根屋さんはともかく、今この話を知ったばかりとおっしゃってた新田さんが、星野さんすら完全に犯人候補から外しているのは、何かおかしいんですよね。まるで、貴女が裏アカ問題から始まった神崎さんを取りまく一連の事情を知っていて、星野さんがグループ内で既に疑われようのない存在になってることを知らない限りは」

「あはは、なにそれ。それこそ山代君の完全な挙げ足取りじゃない。私が一例としてサユリの話から始めたってだけでしょ。ほら、ちゃんと私、例えば――って前置きをして話題を振ってたよね。というか少し気が動転してて考え方が極端になりすぎたというのはあると思う。だって先週シホとレイコが廃工場で襲われそうになった事件があったなんていきなり知らされて、何も思わないわけないじゃん。大切な友達なんだよ……」


 心配するよう悲哀に滲ませた顔を伏せる新田さん。

 が、


「ほら、やっぱり新田さん。貴女だったんじゃないですか」


 僕は見逃さなかった。新田さんの発言にボロがあったことに。


「は?」

「新田さん、貴女今言いましたよね。神崎さんと根屋さんが襲われそうになったのは廃工場だって。おかしいですよね、それ。だって僕、ここで新田さんと話始めてから一度も、廃工場なんて単語だしていませんから。なのにどうして、さっきこの話を知ったばかりの貴女が、犯行現場は廃工場だったという事実をどんぴしゃに的中させること出来るんですか」

「そ、それはそう――実は私、シホが他の友達と一緒にいた時『昨日は大変だったー』的な感じで愚痴ってたの偶然耳にしちゃってたの。そこで廃工場がどうとかって単語が飛びかかってたのだけ記憶してたから、どうもこの山代君の話とごっちゃ混ぜになったみたい」

「だ、そうですけど根屋さん」

「えっ」


『言ってない』


 僕が振ったのは自分のスマホに向けて、

 そう、ここに新田さんを呼び出してからずっと電話を繋げたままにしていた、根屋さんへと。


『私この話、レイコ達の前以外じゃ誰にも喋ってないから』


 新田さんに向けて印籠のようにつき出したスマホから、根屋さんが語る。


「な、なによこれ……」


 そしてこの電話の向こう側、根屋さんの傍には恐らく――


『ふーん。そういうことだったんだ』


 神崎さんもいて。


『あんただったんだね。ノゾミ』


 神崎さんの怒りの滲んだ声が訪れる。


 昼休みを経て、新田さんを直接問い詰めることに決めた僕は、根屋さんと星野さんにお願いして神崎さんと木村さんの後をつける形で、話し合う場所へと向かってもらっていたのだ。


 僕が新田さんの正体を暴くまでの間に、誤解やすれ違いで神崎さんと木村さんが衝突しないよう止めてもらおうと。

 それから神崎さんに新田さんが裏アカ犯だと直接知らせることで、神崎さんが間違っていたことに気付いて欲しいと。


『あらぁ、なんかよくわからんけど、ノゾミってばわたしの知らんところで大分おいたしてくれてたみたいやなぁ。それも、わたしに全犯行を押しつける形でとかおー怖い。まったく何食べて育ったらそんなおぞましいこと思いつくんやろか』


 木村さんのマイペースならがらもどこか軽蔑の混じった声。


『ノゾミ……レイコとの間に一体何があったかは知んないけど、でもこんなやり方は間違ってる。うちはもうあんたを絶対に許さないから』


 星野さんが叫んだ。

 そうして、


「さぁノゾミ、全部話てもらうからね」


 時間を稼いでる間にみんなを引き連れ僕達の下に到着した神崎さんが、糾弾するような強い視線を飛ばした。

 が、対する新田さんはというと、


「あーあ。失敗しちゃったかぁ」


 おくびれる様子はなく、ケロッとしていて、


「途中までは上手くいってたんだけどねぇ。山代君の存在がかなり誤算だったなぁ。結構用意周到に作戦を練った自信はあったのに、まさか完全にノーマークだった陰キャぼっちに足下救われるなんて。あれねゲームを始める時はSSRの能力だけじゃなく、一応Nの能力にも目を通しとけってことね。たまに運営の調整ミスであからさまに変なのが混じってるから」


 新田さんが冷たい目で僕を一瞥する。


「ノゾミ、あんたどうしてこんなことしたん? そんなにレイコのこと恨んでたってわけ」


 剣幕な表情の木村さんの声に、


「んーレイコ個人がどうこうっていうとそこまでかなぁ」

「へ?」


 さらりとした態度で新田さんはそう言った。


「というか寧ろ感謝してる方だと思うよ。第一志望に落ちてぼっちだったあたしを気に掛けてグループにいれてくれたこととか。うん、それなりに楽しい学校生活を送れてたし」

「え……ノゾミも、うちと同じみたいな感じだったってこと。だったら尚更なんで――」


 わけがわからないと星野さんが困惑する。


「んー端的に言うと暇つぶしかな。私の頭脳であの学年一のギャル集団:神崎麗子グループを崩壊させることが出来るかどうか――みたいな。ちょうど人生退屈してたところだったし」

「人生退屈って、幼馴染みの彼氏がいてどんだけ贅沢なのよあん――」

「別れたよ。ちょっと前に」

「え?」


 根屋さんの呆れと軽蔑の混じった糾弾が、割って入った新田さんの言葉で止まる。


「高校で出会った女の子を好きになったとかで別れて欲しいって。もともとその彼とは一緒の学校目指して頑張ってた仲だったんだけど、まー高校が別になって何かすれ違うようになってきたなと感じてた矢先、彼女役を解雇されちゃった」


 てへっとお茶目に笑う新田さんは、けれどその目は全然笑ってなくて、


「そりゃあこんなごく平凡な私立校と、県内有数の進学校じゃ溝が生まれちゃうのも仕方ないか。そんでさ、私思ったの。だったらここで、ちょっと自分の頭のよさを証明したいなって。そしたらさ、何か見えてくるものがあるかもしれないでしょ」


「で、実際にやってどうだったわけ? 何かいいものでも見えた?」


 神崎さんが凍てつく声音で淡々と問う。


「うーんどうだろまだ完全にやりきったわけじゃないし。ただ一つだけ、レイコって羨ましくなるくらい運がいいんだなーってのはわかったよ」

「は? あんたまだこの後に及んであたしのことおちょくろうと――」

「いやこれは真面目に褒めてるの。だって私、結構念入りに色々と準備してきたんだよ。レイコ達が裏アカ犯である私をおびき出そうと何か企んでるのをいち早く察知してそれを逆手に取ったりとか。ファッション勝負の後、逆にこっちが利用出来るようないい情報もらえないかとレイコのことつけたら、ゴローがレイコに手をだしたがってるの見て、これ使えるなって接触したりとかさ」


 なるほど。あの時のゴローさんの騒動を新田さんは隠れて見てたのか。


「けど、ぜーんぶそこの山代君にうまいこと台無しにされちゃったわけじゃん。それも恐らくレイコと山代君が仲良くなったきっかけって席が隣になったからでしょ。それは流石に運よすぎって愚痴りたくなるでしょ」

「ま、まぁそれはそうかも……」


 一瞬だけ僕を見た神崎さんは、僕が目を向ける前に慌ててそらした。


「あーもう降参。参った参った。流石にここまで完敗になるってわかってたら最初からやらなかったんだけどなぁ。反省してます」


 最早打つ手なしとばかり、新田さんが両手をあげて落胆する。


「ノゾミあんた……」

「……ねぇレイコ最後にさ、こんなこと今更どんな顔して言えるんだって百も承知で尋ねたいんだけど、レイコに一つどうしてもお願いあるんだけどいい?」

「は?」

「GGということで、最後に握手しようよ。ね、これが友達新田希未としての最後のお願い。終わったら、もう煮るなり焼くなり好きにしていいから」


 新田さんの最期を認めたような吹っ切れた笑顔

 それを前に神崎さんは、


「……ちっ。わかったわよ。確かに最後だもんね、あんたと友達でいられるのは」


 と、じれったそうに右手を指しだして、


「レイコ……ありがとう」


 感動したように瞳を潤ませた新田さんはゆっくりと神崎さんの傍に歩み寄って、


「レイコってほんと単純で読みやすいから、嬉しいよ!」

「へ?」

「知らなかったでしょ。実は私、昔さ合気道やってた時期あるんだよねぇ」


 と、神崎さんの右手ではなく、右手首を掴みあげた新田さんは意気揚々と神崎さんを空中へと放り投げた。


「え、嘘でしょ……なに、これ?」


 宙に投げ出され呆然となった神崎さんと目があったその瞬間


 ――ぷちん。


 と、何かが切れたような音が脳内に響き渡ったと思ったら、


「神崎さん!」


 神崎さんを追って僕は飛び出していた。

 非常階段の背もたれを蹴り上げ、一気に加速して神崎さんへと追いつく。


「へ? や、山代!?」


 そのまま僕は神崎さんを真正面からぎゅっと抱きしめると近くの大木に、少しでも衝撃で落下のパワーがやわらぐよう起動を修正し、またぶつかりそうになる瞬間、反転して、僕がクッションが代わりになるよう衝突する。


「あぁああああああ」「きゃああああああああ」


 重なる僕と神崎さんの悲鳴。

 打ち身でボロボロの肉体。

 それでも、何とか命に大事はないまま、地面へと落下することに成功した。 



 非常階段の上では、新田さんが愕然とした表情で身体を乗り出してこっちの状況を確認している。

 そんな初めてみるであろう彼女の酷く動揺した姿に、満足感を覚えた僕はつい得意げに言葉を放っていて、


「へへ、僕が見ている中で、神崎さんを思い通りになんかさせるかってんだバーカ」

「や、山代!?」


 勢いのまま叫んだら、神崎さんまで顔を赤くし、新田さんみたいな顔になって、ばっと僕から離れた。


「ば、ばか。なにやってんの。こんなこと、誰も頼んでないでしょう!」


 一足先に立ち上がった神崎さんが、怒ったような表情でそう叫んだ。


「当然じゃないですか」


「へ?」 


「僕は神崎さんを絶対に守るってそう誓ったんですから」

「……あっそ。なーんだ、ちゃんと覚えてたんじゃんかばか」


 一瞬呆然となった神崎さんが頬を赤くし嬉しそうにそう呟いた。


「けど、それとこれとは別だから。あたしは山代に身を犠牲にしてまでそうして欲しくはないつーか、あんたも逆にあたしに同じことされても嬉しいと思わないでしょ」

「あ、あはははー、それはなんとも――! いっつつつ」

「!? ねぇ怪我、大丈夫なの? たぶんサユリ達が救急車呼んでくれてると思うしもうすぐ駆け付けてくれると思うけど……」

「そうなんですか。だったそれまでの間、少し寝ちゃっててもいいですかね。なんか緊張の糸がほどけたのか急に眠気が襲って――」

「へ……? 山代!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る