第六話 カントをただ褒めるだけのお話
現代の世界を支配しているのは彼であると思う程に、自分はカントの哲学が世界に影響力を与え、そして現代にも与え続けている、そう考えています。(無知の身ですから甘いところは多いでしょうが)
イマヌエル・カント。三(つの)批判書、そして『永遠平和のために』この四つが彼の主著となります。そして、彼は高校倫理の中で最も重要な人物でありましょう。
彼は、フランシス・ベーコンの経験論、デカルトの合理論を引き継いで、そして発展させたドイツ観念論を立ち上げました。
その二つの考えは中々水と油のような相反するものでしたがね。まず一方の経験論とは、言ってしまえば、1+1は大体の場合で成立するので正しいという立場です。ワトソン少年を説得するときには、手を見せて、指を一本立てる、そしてもう一本の指を立てると2になると示せばいいのです。それで納得されないときは、手袋を一つ見せてもう一つ見せると2になる、また鉛筆も、消しゴムも、チョークも……とそう示すことができます。まあ、これはゴリ押しになりますがね。ちょっとこの手法はベーコン本人が言っているものとは異なってしまいます。
ベーコンの考え方は今言ったように、一般にある物質を取り上げてその中で共通する法則を見つけるという演繹法になります。しかし、演繹法はかなり弱い部分があります。すでにワトソン少年が見つけてしまったように、粘土では1+1は成立しません。また、この世界のカラスは大体黒いので、カラスは黒い、という一般法則を示せば、変異種のアルビノ(遺伝子が変異を起こし、体の色素がない個体、カラス)がいます。演繹法が使えるのは数学に限られそうなのです。みなさんがトラウマになったであろう数学的帰納法ですね。説明は、省かせて頂きます。ただ、高校の数ⅡBは命がけで勉強しましょうとだけ申し上げます。
また、そうであるならば、なぜこどもは目が見えるのかということに疑問があります。こどもは五感を失った状態で命を授かり、それを慣れで使うということをやってのけるということです。それはあまりにも子供には難しい事ではないでしょうか?
もう一方の合理論では、まず世界はかりそめの思考に囚われていると考えてそのかりそめの思考を打破しようとするために、目に見えるもの、宗教、自分そのものも、信頼できないものとしてまず考え、そして捨てます。こうしてしまえば、あなたは目も見えない、耳も聞こえない、鼻も利かない、味も感じない、物も触れない。そうなりますね。
でもここで、あなたには一つだけ存在が否定されないものを持っていました。それは第六感、知性です。あなたは世界の全てのものの存在を疑えば、自分のその疑念が存在する矛盾が突きつけられ、そして疑念を捨てれば世界の虚無そのものが否定されます。したがって、背理法として、あなたの知性は存在しています。これが、「われ思う、ゆえにわれあり。(Cogito,ergo sum)」です。
これを発展させて、すべてのものごとを自分の知性から発達させようとする姿勢、つまり、一般法則からひとつの物質の存在を認める演繹法になります。現代の自然科学では大きな役割を果たしていますね。化学では、全てのものごとをナノ単位の原子にまで(もっといえばその先もありますが)分解して考えることに成功しています。
また、物理ではニュートン力学がその基礎にあるように思われます。
しかしこれも大きな壁があるのです。では、正しい法則の中から導き出された答えは正しいとは言うが、その法則が正しい理由は何なのかという問に直面すると、我が思うという証明は本当に成立するのか、です。また、演繹的に育った子供には個性が無い事になります。遺伝子の並びが違うから、そう言った言葉も、全く遺伝子のデータとなる塩基配列が同じ、一卵性双生児でも人格が異なるために、子供は先天的、もしくは運命、もしくは逆らえない天の理によって支配されない、つまり一般法則に従わない存在です。
この二つの長短を組み合わせたのがカントでした。まず、生物は生まれる前から赤色は赤、青色は青、と知覚する機能を持っていたとして、合理論を踏襲し、しかしこの赤がレッドであるか、マゼンタであるか、緋色であるか、紅色であるかそういった意味を知るのは後天的なー特に親の教育によってーものであると考え、こちらに事象を見ることによって一般法則(ここではものの定義)を身につけるとする経験論を踏襲しました。
これによって、世界の正しい捉え方という考えから逸脱し、この二つの理論の根拠も捨て去った形にこそなりましたが、二つの理論の不自然な部分は解消されました。そして、また新たに、この理論が正しいとすれば、物質は一つの定まった価値を持っているのではなく、物質は、見る人それぞれによって解釈が異なることが明かされました。
例えば、今シティポップと話題になっている楽曲では当時のどうでもいいと思っていた人にとっては、サビもないし、繰り返しの構造もなく、日本の曲らしくなくて耳慣れしない、と言い、今発掘した海外勢は、言葉がなめらかで押韻とかがない特殊な日本語の発声と、古さのエモさと、また洋楽になりきれていないところから発生する個性に強くひかれています。
これが発想の転換です。今となっては、一つの出来事に賛否両論が起こることは当たり前だと思われていますが、昔は、これにはこういう一つの価値観しかないのだから、そう見えない奴は頭が、人として間違っていて、理性がまともに作用していないとして考えていたことになるでしょう。これを認識のコペルニクス的転換と言います。少し効果はあったことでしょう。
そして、またここで物の考え方、言い換えれば価値観、感受性はひとそれぞれ異なるとも証明されました。
これは、哲学の新しい発生となったと言う方もいました。つまり、哲学は世界という一つの存在がいかなるものであるかを定義する、物質的でない考えから、人間の中で、よい考えとは何かそれが集団の利益か、個人の利益か。また、人間は何をどのように考えているのか、という内面的なものへと学問の志向が変化したのです。
これ実は、カントは生命というものをこのように考えているよ、と言いたかったのですが、とんでもない長さの前振りへと変わってしまったので差し替えてこちらに置きました。
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