アリス、アリス、アリスノフシギ
エキセントリクウ-カクレクマノミ舎
☆1
スーパームーン。やけに大きくて、非現実的。
恐ろしいくらいに明るい夜。
有澤アリスはスカートのフリルをふわりと広げ、自転車から降りた。
凡庸なママチャリとは不釣合いの格好。
3段フリルのジャンパースカート。水色のギンガムチェック柄。腰には大きなリボンつき。胸にもリボン。スカートにもいくつかのリボン。黒髪には水色のヘッドドレス。
テディベアのぬいぐるみポシェットを肩にかけ、大きめのボックス型リュックを背負っている。
アリスはスーパームーンを見上げ、
「大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫」自身に言い聞かせる。
周囲は竹林、野菜畑、墓地、明かりのもれる住宅がぽつりぽつりと。
車のヘッドライトが流れることもなく、あたりは静かだった。
自転車は倉庫ビルの門の脇に停めた。頑丈な門は、アリスの肩くらいの高さ。大型車の出入口をしっかり塞いでいる。
敷地内に荷物を落とす。《関係者以外立ち入り禁止》の赤文字を横目に、アリスは門の天辺をつかんだ。
ジャンプし、スカートを大胆に開いて、右足を門の上にかける。
「誰も見てないし」
細い、嫌な音。スカートのレースを、金具に引っ掛けたようだ。
けど、お構いなし。よじ登り、敷地内にすとんと飛び降りた。
大型トラックが二、三台駐車できそうなトラックヤードに立つ。
満月に照らされた倉庫ビル。四階建て。窓が少なく、ほとんど平らな外壁が占めている。青く塗られた壁には、大きく描かれた虹。
月光を受け、虹は投影された映像のように浮かび上がっている。
この不思議な橋は別世界へと通じているのだ。ここを渡れば、地球のどこにも見当たらない珍しい風景を拝めるに違いない。
アリスは見たい。切に見たい――別世界の風景を。
「さあ、行こう」
リボンつきパンプスでトラックヤードを突っ切り、建物の東側に向かう。
東側に非常階段。地面から稲妻形に上へと伸び、最上階に至る。
階段の入口には形ばかりの、とおせんぼう。たるんだチェーンが左右に掛かっている。小柄なアリスはかがむだけで難なく、くぐり抜けた。
パンプスの階段を踏む高い音が、夜の静けさに響き渡る。
非常階段のある側に面しているのは竹林。民家はその向こうだ。音に気づかれることはないだろう。
踊り場で方向転換を繰り返し、登っていく。四階建てとはいえ倉庫ビルなので、ワンフロアが通常のビルより高い。上まで階段で行くのは、そこそこきつかった。
最上階。アリスはふうと息をもらし、踊り場からスーパームーンに臨む。
しろがねに輝く月は明るく、完璧に円かった。
雲の切れ端すらない夜空の中心にあって、地上を悠然と見下ろしている。
「きれい……」
今夜の月はいつもの月ではない。いつもの月は隠れ、もう一つの特別な月が代わりに輝いている。
奇跡を起こす特別な月が。
「神様みたい」
厳かな空気に包まれる。教会の大聖堂に立っているような。
小さな両手を組み合わせ、スーパームーンに祈る。
(どうかアリスを別世界に連れていってください)
まぶたをきゅっと閉じ、念に力を込める。
風が吹く。竹の揺れる音。アリスのツインテールも揺れる。
「よし」
続いて両方の掌を上向け、月へうやうやしく差し出した。
「トッキャ、シャチェ、ルビ、ドザーリ、トッラビ、トイホワ、…………」
暗記した呪文。間違うことなく、三度繰り返す。
アリスの願いが光の速さで宇宙を飛んだ。
月が反応し、きらめく。明るい光がさらに明るさを増す。
スーパームーンが魔法の光を射る。しろがねの炎がアリスの全身を包み込む。
と、アリス自身が輝きだした。月光がアリスの身体に入り、内側から照らしている。
第一ステップ、クリア。さあ――
「いけ!」
両手で手摺りを強くつかむ。パンプスをカツンと乗せ、手摺りの上に立つ。そこから、少しも躊躇せず、アリスは飛んだ。
両手を広げたスカイダイビングのフォーム。あらかじめイメトレしておいたのだ。スカイダイビングの動画を見ながら。
イメージ通り。上手くできた。これならスカイダイバーと遜色ないはずだ(ただし、パラシュートは装備してないが)。
硬いアスファルトが高速で迫ってくる。
ブレーキが壊れて突っ込んで来るダンプカー。
ぶつかったら終わり。ぐちゃぐちゃになる。
しかしアリスは怯まず、至って冷静に叫んだ。
「フシギノクニへ――――!」
一瞬、ホワイトアウト。闇と影は吹き飛んだ。火球が爆発したみたいに。
一秒後。何もなかったかのように、あたりはさわさわと竹が揺れるばかりの、静かな夜に戻った。
スーパームーンはただ、煌々と輝いていた。
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