第107話 スラムへ

 スラムの入口から前方に視線を向けると人々の服装は穴が空いている物や破れて縫った物を身につけている人が多く、建物は薄汚れてボロボロで屋根がないものが大半でここだけ違う街ではないかと勘違いしてしまう程別世界だった。


「ユクトの兄貴はスラムは初めてですか?」

「いや、以前に何度か来たことがある」


 というかおやっさんにどんな状況でも生き残る術を身に付けろと言われ無理矢理ここに放り込まれたことがあるからな。

 1ヶ月の期間とはいえスラムにいた時は周りにいる者が全て敵に見え、休まる暇がなかった。実際に何度も金を強奪されそうになったし、男に言い寄られ襲われることもあると初めて知った。まあなんとか貞操を守ることはできたが。


「俺を知っている奴らなら連れの兄貴に手を出すことはないと思いますが、何が起きるかわからないから注意してくれ⋯⋯てこんなこと俺が言わなくても兄貴は油断しないよな」

「忠告ありがとう。ここに来たのは久しぶりだからなるべく注意するよ」


 強面のデニーロがいるからスラムの者達が直接的に何かをしてくることはないと思う。もし何かを仕掛けてくるとしたらスリだ。

 俺はスリに対する対策をするため異空間収納の魔法を使用し袋を取り出す細工をする。


「なるほど⋯⋯さすが兄貴。良いと思うぜ」


 デニーロは俺の案に対してニヤリと笑いスラムへと足を進める。

 俺は硬貨を入れていた袋を懐にしまい、デニーロの後に続いてスラムへと向かう。


 スラムに入りまず気になるのが匂いだ。

 嗚咽をさそう酸っぱいような異臭の元はスラムに住む人間から発生しており、初めてここに来た者はとてもじゃないが我慢ができる臭いではないだろう。


「スラムが初めてじゃないというのは本当のようですね」


 デニーロは俺がこの異臭に耐えられるかどうか心配したのかチラリと視線を向けてくるが、平然としている様子を見て感嘆の声を上げている。

 しかしそんなに褒められることではない。なぜなら初めてスラムに来た時は臭いで気が狂いそうになり、おやっさんに鼻を殴られ、鼻血と痛みで何とか異臭を耐えることができたからだ。


「ユクトの兄貴こっちです」


 デニーロはスラムの中心へと足を進めて行き俺は後に続いていくが、周囲の者達の異様な光景にどうしても目がいってしまう。

 人の多さは混雑する程ではないが会話がなく、何より目が死んだ魚のように濁っていて生きる希望のようなものが全く感じられず、同じ人間なのかと疑ってしまうレベルだ。

 だがそれも仕方のないことなのかもしれない。おやっさんから聞いた話だがスラムにいる者の大半は現世で裏切られ、騙され、妬まれた者や、親に捨てられ生きていくためここに流れ着いた子供達で、光輝く未来より、闇に蠢く負の感情を持っている者達の集落だからだ。


 帝都の安全を考えるのであればスラムなどないほうが良い。だがこの場所の人達を救うとなれば一個人でなんとかできるレベルではなく皇族や力のある貴族の協力が不可欠だろう。

 しかし貴族は自分達以外を人と思っていないのでそのようなことに力を貸す者などほぼいない。それにサーヤちゃんの両親暗殺のように口に出して言えないような仕事を依頼するにはこのスラムはとても都合の良い場所だ。おそらくこの場所を残した方が良いと考える貴族も中にはいると思う⋯⋯。


 ドンッ


 俺は考え事をしながら歩いていると突然少年がぶつかってきてそのまま立ち去ろうしていた。

 多少は混雑しているが、よそ見をしていない限り人と当たる程ではない。そうなるとこの少年の狙いは1つだ。

 俺は過ぎ去ろうとする少年の右腕を掴む。すると少年は驚いたのか右手に持っていた物を地面に落とした。

 これは先程俺が懐にしまった袋だ。


「人の物を持っていくのは頂けないな。それにこれは君が求めている物じゃないぞ」

「なっ! これは⋯⋯」


 少年は地面に落ちた拍子に中身がぶちまけられ袋に視線を向ける。


「お前騙したな!」

「どういう理屈で俺が騙したと言うことになるだ? 俺は君に何も言ってないが」


 そう⋯⋯地面に落ちた袋の中身は小石で先程硬貨とすり替えておいたのだ。それにしてもこの少年のスリの技術は中々のものだった。もしここがスラムではなく警戒心を解いた場所でなら本当に硬貨の入った袋を盗まれていたのかもしれない。

 だが裏を返せばこの少年はそれだけスリの経験があり、そうしないと生きていくことが出来なかったとも考えられる。


 少年の見た目はサーヤちゃんより少し年上くらいに見えるが過酷な人生を送ってきたのは間違いなさそうだ。


「ユクトの兄貴⋯⋯こいつをどうしますか?」


 本来なら憲兵に突き出す所だが⋯⋯さっきからこちらに視線を送ってくる子供達の集団がいることに俺は気づいていた。

 ボロを纏い、痩せこけた小さな子供達がこちらを見て何か言いたそうにしている。


「お兄ちゃんに何するの?」

「ソイド兄を離せ!」


 子供達は少年の腕を掴んでいる俺を睨みながら批難の声を浴びせてきた。

 どうやらこの子供達は少年の仲間のようだ。もしかしたらソイドという少年はこの子供達のためにスリをしているのかもしれない。

 俺はそう考えてしまうと自然と少年を掴んでいた手が緩んでいた。


「くそがっ!」

「待て!」


 少年は悪態をつきながら子供達と共にこの場を去ろうとしていたため俺は呼び止める。


「な、なんだよ。別に何も取ってねえから良いじゃねえか」

「お兄ちゃんにひどいことするなら私が許さないよ」

「こうなったら俺達全員でやっちまうか!」


 どうやらソイド少年に何かすると思ったのか、子供達は呼び止めた俺に警戒心を抱き殺意をぶつけてくる。


「そうじゃない。干し肉があるんだが食べるか?」


 俺は異空間から保存用に収納していた干し肉を取り出し、ソイド少年や子供達の前に差し出す。すると子供達の殺意は薄れ、口元にヨダレを滴し始めた。


「に、肉!」

「私⋯⋯肉なんて食べたことないよ」

「ほ、本当にそれをくれるのか?」


 肉を食べたことがないという発言が聞こえてきたことから子供達が如何に辛い状況で生きてきたかがわかる。


「ああ⋯⋯たくさんあるから好きなだけ食べてくれ」


 俺が改めて許可を出すと少年や子供達は我先にと干し肉に飛びついてきた。

 余程お腹が空いていたのかすごい勢いで干し肉が失くなっていく。


「ユクトの兄貴の好意は嬉しいけど⋯⋯」

「わかってる」


 デニーロの言いたいことはわかる。ここで子供達に食糧を与えた所で根本的な解決にはならないということを。今食べることができたとしても明日にはまた空腹が訪れる。もしかしたら今日俺から干し肉をもらったことでまた貰えるという期待感が芽生え、自分達で食糧を調達するという意欲を失わせる行為だったかもしれない。

 。それに⋯⋯。


「だが俺は目の前に困っている子供達がいるのに何もせず見捨てることなど出来ない」

「ユクトの兄貴⋯⋯俺、嬉しいよ」


 俺はデニーロに目を向けるとデニーロの瞳は濡らし、溢れ落ちるものが見えた。


「俺達のことをちゃんと人として見てくれるんだな。貴族じゃなくてもスラム出身ということで俺達のことをゴミ扱いする奴はたくさんいる。だからユクトの兄貴の言葉が無性に嬉しい。さすが俺が兄貴と認めた人物だぜ」


 おそらくデニーロもスラム出身だから今まで相当苦労してきたからこその涙なのだろう。


「おいなんだ? あのガキども肉を食ってるぞ」

「俺も食べてえ」

「私にも恵んで下さい」


 少年や子供達の様子を見て、周囲にいる者達が空腹のためかこちらに狂気の目を向けている。


「兄貴、これはやばいですぜ。このままだと暴動が起きるかもしれねえ」


 空腹というのは理性を崩壊させるものの1つである。デニーロに言うとおり下手をすると俺を殴り飛ばして干し肉を奪う者や少年達が食べているものを強奪する奴らが出てくるかもしれない。

 俺はそうならないように先に手を打つことにする。


「肉はまだまだある。あなた達も好きなだけ食べてくれ」


 そう声をかけるとこの場にいる者達は一斉に俺の元へ駆け寄ってくるのであった。





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