午後六時:旧蚕月村跡宿場

 夕日の色は茜色だと思っていたが、蚕月村から見上げる夕焼けは血の色によく似ていた。


「ありゃ。あんな色の空は初めて見たわ。いよいよオカルトじみてきたなあ」


 花月はそんなことを暢気に言い、桃井はカメラを向けて空を撮っているが、暮春からしてみたら冗談じゃないとしか言いようがなかった。

 会社命令じゃなかったらこんなところに来たくはなかったのだし、下手に知識があるせいで、なんでもかんでもオカルト案件にあたりをつけてしまうのだから嫌になる。


「とりあえず、一旦宿に戻ろうか」

「……このまま蚕月製糸場に向かわないんですか?」


 桃井は怪訝な顔をして彼女を見るが、花月は「いやあ」とガリガリと頭を引っ掻く。


「さすがにウェストポーチひとつじゃ、なにかあったときの対策なんてたかが知れてるし、荷物はあったほうがいいしなあ」

「……前から思ってたんですけど、花月先生のホラー小説って、まさか実体験じゃないでしょうね?」


 桃井が困ったような顔で暮春のほうを向いて尋ねると、暮春はぶんぶんぶんと首を横に振る。


「いやいや、さすがに小説で書かれてることはフィクションですよ」

「よかった……」


 桃井がほっとしていたが、暮春からしてみれば読者に本当のことを知られるほうがよっぽど嫌だった。

 オカルト雑誌も本当のことを書いて、真似したり実験したりした読者がトラブルに巻き込まれることがないよう、オカルト専門家に考証を頼んだ上で、絶妙に嘘を混ぜて再現ができないようにしている。

 花月の巻き込まれた事件なんて、なんでこの小説家が生き残っているのかわかりゃしないものなんだから、読者が真似しないように面白半分な嘘を混ぜているに決まっている。

 彼女の実体験のほうが、よっぽど悲惨なのだから。巻き添えを食らうほうの身にもなってほしい。

 暮春が溜息をついたところで、腹の音が響いた。桃井が少しだけ顔を真っ赤にして呟く。


「すみません……昼間の弁当がまず過ぎて、全部食べ切れなかったんです……」

「ありゃあ、あれは相当まずいほうだしなあ。でもカロリー取っとかねえと、夜マジでつらいぞー? ああ、そうだ。これお前にもやるよ」


 そう言って花月は、昼間に大量に買い込んでおいたペットボトルのドリンクを差し出した。どれもこれも全国的に有名メーカーのドリンクで、蚕月村産ではなさそうだ。


「水分取らねえとまずいけど、この辺りの水は飲まねえほうがいいだろうしなあ。これやるから、今日一日はペットボトルで水分取っとけ。あと腹減ってるならこれも分けといてやるから。スースーするけど、腹減りをちょっとは誤魔化せんだろ」


 桃井に手を差し出すよう促すと、自分のミントタブレットを何個か彼の手に乗せた。それを桃井は「ありがとうございます……?」と言いながらガリガリと齧り出した。

 小説家に編集者にカメラマン。こんなポンコツ過ぎる集団でなにが起こるのかわからない夜をどうこうできるんだろうか。不安しかないと思いながら、一同は一旦宿へと買えることとなったのだ。


****


 日が傾いてから、暮春の寒気は治まるどころか、いよいよひどくなってきた。この辺り一帯の気候が夜になったら一転して冷え込むのだろうが、これは夜が来た寒気なのか、この辺り一帯の澱んだ空気が夜に近付くごとに温度を奪って言っているのかがわからなかった。暮春は自室の荷物から、ひとまずカラーシャツを一枚引っ張り出して、それを羽織った。袖があるのとないのとでは大違いで、ほんの少しだけましになったような気がする。

 荷物はどうしようかと思ったが、花月は「いざとなったら投げられるもの多いほうがいいし、全部持ってったほうがいい」と言い出したため、一泊二日の荷物だから軽いし、まあいいかと全部持っていくことにした。

 夕食に食べた弁当も、まあひどいものだった。ご飯をどう炊いたらこうもべったりとのりなのか餅なのか怪しいものにできるのかわからないし、おかずはどれもこれも油が回り過ぎている、味付けが全体的に雑と、買ったペットボトルのお茶で流し込む以外に、食べ方がわからなかった。

 まずいまずいと、食べている面子が我慢して弁当を空にしている中、「ああ、もう……!」と桜が立ち上がったのが目に入った。


「まずいし、本当に金返せよ……」


 そう毒づいて、半分ほどしか手を付けていない弁当を放置した。そのまま立ち上がって食堂を出ようとするが、ふたつある入口の内、ひとつは宿の出入り口であり、もうひとつは宿泊部屋だ。桜が出ようとしているのは宿の出入り口のほうだ。

 暮春は一応おずおずと尋ねる。


「桜くんはどちらへ?」

「デート」

「……バスガイドさん困らせたら駄目ですよ」

「あんなポンコツじゃねえよ。もっといいのがいた」


 そう言って下卑た笑みを浮かべるので、暮春はまさか……と思う。

 暮春が口にするより先に、桃井のほうが先に立ち上がって、桜の胸倉を掴んだ。


「ま、まさか……雛さん……!?」

「はあ……!? そりゃあれもいい太腿してたけど、もっといい女だし!?」

「ご、ごめんなさ……」


 桃井が慌てて赤面して桜の胸倉を離すと、桜は「フンッ」と鼻息を立てて、少し伸びた胸倉を整えた。

 それらを一部始終、まずい弁当を片付けつつペットボトルを傾けていた花月が、ようやく空になったペットボトルをテーブルに置いて口を開く。


「お前、そんな女をどこで引っ掛けたんだよ」

「土産屋だよ。人の話に首突っ込んでんじゃねえよ」

「いや、別に。お前がさかってんのにどうこう言う気はねえけどさあ……ただ今晩はマジで大人しくしてたほうがいいと思うぞー?」


 花月が桜にそう忠告を入れるのに、暮春は「ああ……」と頭痛を感じた。本人なりに大学生らしい彼を気の毒に思ったんだろうが、彼女の言い方では煽っているようにしか聞こえない。

 しかも桜には煽り耐性もなければ皮肉も通じないため、案の定逆上した。整った顔つきをひん曲げて毒を吐く姿は、おそらく好みの女性には見せない顔だろう。花月は彼の中では女判定されていないという訳だ。


「はあ!? そっちだって大荷物でどっか行く癖に、なんで俺だけどうこう言われないといけねえ訳?」

「まあ、こっちは肝試しに行くわけだけど、お前はやばい村で火遊びして不能になったら可哀想だから、一応釘刺してんの。なんも言わずに逆恨みされても損だしなあ」

「勝手にくたばってろよ。知るかよ」

「本当に若いなあ……マジその下半身でしか物考えねえ癖、矯正しとかねえと知らねえぞ」

「なんだよ、いい年こいて男口調で自分は性欲なんてありませんアピールして、キモいんだよ。年中枯れてるのに説教かよ」


 こいつ、いくら花月が女に見えなくても、言っていいことと悪いことがあるだろう。暮春が口を開いて注意をしようとする前に、興味なさげに花月は「ふうん」とだけ言って、ひらひらと手を振った。


「まあ、これ以上は俺もお前に嫌われる義理もねえから言わねえ。じゃあな若人。せいぜい下半身に気をつけろよ」


 もうこれ以上は不愉快だと思ったのか、桜はなにも答えることなく、そのままドシドシと足音を立てて出て行ってしまった。

 暮春は鼻息を立てる。


「さすがに若いからって、失礼過ぎですよ! 花月先生だからって、言っていいことと悪いこととあるでしょう!」

「お前も俺のことどう思ってるのかね。ところどころ俺に暴言吐いてもいいっていうのが透けて見えるぞー。しかし桜もあいつ、どこで若い女を見つけたのかね」


 三人ともお土産屋の並びを歩いていたし、村をそれなりに歩き回ったとは思うが、若い女のいた店だったら覚えがあるだろう。お土産屋にいた店主は、どれもこれも年老いていたように思う。

 桃井がぽつんと言う。


「……ここのお土産屋をやっているのは、全員蚕月村出身の人たちだとは、雛さんもおっしゃってましたけど、雛さんみたいに、ここの村の出身者のお孫さんだったんでしょうか?」

「可能性と言えばそこなんだけど。どーうも引っかかるなあ」

「あと……桜くん、さっき甘い匂いがしたんですよね。あとアルコールの匂いがしたので、酒入ってたように思います」

「酒って……酒飲んで酔っぱらって自分に都合のいいように話をでっち上げたんですかね」


 桜の気付きに、暮春が思ったことを口にしてみると、花月が「待て」と少しだけ厳しい顔をする。


「甘い匂いって? 蜂蜜とか花とか、いろいろあるだろ」

「えっと……ジャムとかですかね。ベリー系の……」

「……マジかよ」


 花月はようやくまずい弁当を片付けて、ペットボトルを一本空にする。

 暮春が「あの?」と怪訝な顔で、花月を見た。


「あの、花月先生?」

「多分だけど桜。あいつ桑の実の酒なりジャムなりを口にしてる。あいつがどう作用するのか、俺にもわからん。そもそも、ここの森の桑は全て、ここの蚕の死骸を肥料として与えられている……ちゃんと祀ってるのならともかく、祀りもしてねえ蚕の死骸なんて与えてたら、どのみちなにかしらの副作用はある。蚕の神は、呪われないために祀り上げてるのに、祀ってないんだから、そんなもの呪いの産物だろ」


 花月の指摘に暮春は言葉が出なかったし、桃井の顔が真っ青になっている。暮春と花月は桑の実を振る舞われなかったが、桃井は振る舞われている。雛が制止しなかったら間違いなく口にしていたのだ。それを呪いの産物だと断定されれば、誰だってそんな顔になる。

 桃井は、震えながら口を開く。


「どうして……そんな呪いの産物を、観光客に振る舞うんですか」

「知らねえけど、案外村出身の奴らは、俺たちを観光客だと思ってねえのかもしれねえ……俺が作者で、この物語を書くんだとしたら、『餌』としておしら様にでも差し出すね」


 花月はそう吐き出したあと「でもま」と続ける。


「わかんねえから、雛って子を探しに行くんだろ。どっちみち夜になにがあるのかわかんねえんだから……ん」


 不自然に言葉を止めた花月に、暮春は首を捻るが、彼女がどうして黙ったのかにはすぐ気付いた。

 パチパチと音がするのだ。最初は静電気だろうかと思ったが、違う。だんだん焦げ臭いにおいが広がってきたのだ。

 宿が……それも宿泊部屋のほうが、燃えている。だんだんと食堂のほうにも黒い煙と一緒に赤々と燃える炎が見えてきた。

 花月はすぐに口元にタオルを巻きつけてから、「そっち側の扉を閉めろ!」と叫んだ。慌てて暮春は食堂の宿泊部屋側の扉を閉めると、皆で荷物を抱えて宿の外へと走り出した。

 幸いすぐに扉を閉めたので、煙を吸うこともなく、すぐに逃げ切ることができたが、こんな宿を燃やしてなんの利があるというのか。

 ぜいぜいと息を切らしながら、宿の出入り口を飛び出したところで、皆は唖然としたまま、燃える宿を見上げていた。

 つい先程までまずいまずいと連呼しながら弁当を食べていた宿が、音を立てて崩れ落ちつつあった。


「皆さーん、ご無事ですかあー!?」


 燃えている宿を唖然として眺めていたところで、さっきまで寝ていたのか、少しだけ髪に癖を付けたほのかが走ってやって来た。


「ええっと……俺らいきなり宿が燃えたんだけど」

「皆さんには、すぐに新しい宿にご案内します……ただ、ここよりもランクが落ちるというか、私の泊まっている職員用の宿泊施設になるんですが……あれ、桜さんは?」


 ほのかがキョロキョロと辺りを見回している。三人は顔を見合わせたあと、暮春が代表して口を開く。


「あの、桜くんは地元の人と遊びに行ってしまったんですけど」

「もーう! 本当に下半身でしか物事考えないガキはほうれんそうも知らないだから! ……ごほん、皆さんには、明日のプランを変更しますから、本社から届いた予定を通達しますね」


 最初に聞いていたツアープランでは、午前十時に宿を出て、そのままバスに乗って帰るはずだったのだが、宿の火事のおかげで弁当は全焼。急遽職員用宿泊施設に移動になったがために、朝食の準備が間に合わないからと、午前九時に変更になって、お詫びに東京に戻り次第弁当を配布ということになったらしい。よくも悪くもペットボトルを大量に買い込んでいたので、水で腹を満たす以外なさそうだ。

 現場に続々到着する消防団を目に、宿の店主が顔を青褪めさせて応答しているのを横目に、一旦職員用の宿泊施設に移動する羽目になってしまった。

 しかし。と暮春は燃えて崩れていく宿に一瞬だけ視線を向けつつ、辺りを見回す。

 この辺りにいる人々は、蚕月村出身の人間と、ここを買い取って観光地に変えたオーナーのところの人間と、どちらなのだろうか。

 この宿の火事は、本当にただの事故だったんだろうか。

 まるでこれは、観光客を宿から放り出して、夜に否が応でも出歩くように仕向けたように思えるのは、思い込みが過ぎるだろうか。

 これだけ赤々と宿が焼かれて炎が揺らめているのに、こんなに寒いのは、嘘じゃない。

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