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 工場内にて、製糸の工程が説明される。この辺りは社会科見学のような趣があり、廃工場見学ツアーでもそれぞれの機械の説明をするために必要なのだろうと暮春は考える。


「こちらの部屋は、森で採れた繭を乾燥する部屋になっております」

「繭って、乾燥させるんですか?」


 桃井がカメラで室内を収めながら質問すると、ほのかは頷く。


「はい、元々蚕はの一種ですからね、その繭が羽化してしまったらもうその繭は品質が損なわれてしまって生糸きいとを採ることができません。ですから、先に乾燥させてしまって完全に中身を殺してから、作業に取り掛かるんです」

「はあ……絹って虫の死骸からつくられんのなあ」


 正確に言ってしまえば虫のサナギからつくられるのだが、その区別は桜にはつかないらしい。ほのかは顔を引きつらせながらも、小首を傾げて説明を続ける。


「そして乾燥された繭は、隣の部屋に入れ物ごと移されます」


 そのまま次の部屋に辿り着くが、そこは大きなテーブルが何個も並んでいるだけで、機械らしいものが存在しない。


「ここで繭は選別をされます」

「ここでは機械を使わないんですか?」

「機械で選別する方法もありますし、現在も存在している製糸場では採用されている場所も存在します。ですが、蚕月村の桑の木の森で生育した蚕は、機械で選別するには他の地区で育った蚕よりも大きく、当然繭も大ぶりなものが多かったために、機械を通したら詰まってしまったので、人力で行われていました。繭は不適切なものは取り除かれ、更に糸の品質や強弱によりランクが決められ、ようやく次の工程に向かいます」


 なるほどと思いながら、ほのかの説明を聞く暮春だったが、隣で花月は変な顔で顎を撫で、辺りを伺っている。


「今度はどうされたんですか、花月先生……」

「いやなあ……この辺りは普通に生糸のつくり方で問題ねえんだけどさあ。さっきの子、いったいここになにしに来てたんだ?」

「そういえばそうですね」


 雛はなにかを持って製糸場を後にしたが、いったいなにを持っていたのか。変といえば、先程落ちていた蚕の繭もだ。


「……あのう、花月先生。先程生きていた蚕がいましたけど、蚕ってこんなところで育つんでしょうか……」

「別に。蚕月村の蚕が活発なだけで、通常の養蚕だったら、室内で育つんだよ。養蚕の歴史っつうのはそれこそ古事記とか日本書紀までに話が遡るし、米づくりが日本に入った頃には入ってた技術だしなあ。その頃から蚕はひたすらいい絹が取れるよう、人間が扱いやすいようにって、どんどん品種改良させられるようになった。今の蚕は本来だったら人間が面倒を見なかったら育たないんだよ」

「ああ……そういえばそうでしたよねえ」

「でもまあ……予想はしてたけど、ここ相当やばいもんなあ。暮春、お前今は寒気どうなんだよ?」


 その言葉に、暮春は辺りを伺う。

 粘りを帯びた寒気……と言えばいいんだろうか。もう寒さに飲まれてしまい、暑いのが普通なのか、寒いのが普通なのか、暮春の感覚も麻痺していた。

 暮春は花月に首を振る。


「……ずっとここでは寒気は止まりませんよ。まるでなにかの腹の中みたいです」

「だよなあ……ここのオーナー、相当な罰当たりだぞ。いや、無宗教というか、リアリストというか、我が強過ぎて人の話を聞かない奴だったら、こんなもんか」


 ほのかの説明を聞きながら、また次の部屋へと向かう。

 大きな釜が何個も並んでいるのは、煮繭にまゆ部屋。繭を釜茹でにして、糸をほぐしやすくするのだ。ここからようやく機械の活躍がはじまる。

 繭をほどくために自動繰糸機に入れられ、次々と糸をほどかれていくのだ。もっとも、ここではその工程を見ることはできないが。

 巻き取られた糸は集められて、織機しょっき作業に回され布にされるのだが、ここにある製糸の工程は以上だ。


「以上が、蚕月製糸場で行われていた製糸工程の一部始終です。なにか質問はございますか?」


 ほのかの質問に、暮春はちらりと花月を見ると、彼女はさっさと手を挙げる。


「ここで捨てられたサナギや繭の中身はどうしてたんだ?」


 その質問の意図がわからず、暮春は瞬きをしていたら、ほのかは「ああ!」と手を合わせる。


「全て森に撒かれていました。こちらで繰糸作業の工程で切れた糸の切れ端や、蚕の死骸など、全て集められて桑の木の森に肥料として使われていたのですよ。無駄なものはひとつも出さないという、自然との融和を考えていたんですね」

「……ふうん」


 普段ふてぶてしい花月が、少しだけヒクリと口元を引きつらせているのを、暮春は見逃さなかった。

 ただ、森に蚕を撒かれた。それは自然と融和を考えている企業であったら、産業廃棄物をできる限り出さないようにと務めるし、虫の死骸であったらどんなに多くの量が出てもいずれ土に還るだろうから、そこに問題はないように思える。

 だが。皆と共に製糸場を出て「これから食堂まで向かいます! バスですぐですよ!」というほのかの言葉を聞きながら、暮春はちらりと桑の木の森を見上げる。

 風が吹くと、体温を奪われるような程の冷たい怖気が走ってくる。

 ……なにかがおかしい。さっきの製糸場内は、まるで妖怪の腹の中のような冷たさがあったし、この森もまるで来るものを拒絶するような威嚇するような雰囲気を放っている。


『……せめて、邪魔をしないで。宿に着いたら、誰も外に出ないで』


 雛はなにかを知っているようだったが、彼女はもういなくなったあとだ。


****


 バスに乗って揺られること十分。今度は荷物全てを運ぶことになったが、着いた先はずいぶんと萎びた村だった。


「既に蚕月村は廃村になっていますが、ここは今は私有地として買い取られ、観光地になっています。お土産などもここで買えますよ」


 ほのかがそう説明しているが。なにかの名産地がある場所だったらいざ知らず、既に村も製糸場も閉鎖されている状態では安い絹製品が買える訳でもなく、どこの観光地でも売っているどこかの工場から送られてきたような商品に「蚕月製糸場跡名物」という名前が印刷されているだけで、特に変わりばえがしない。

 到着した宿も、廊下はお世辞にも綺麗とは言い難かったし、それぞれあてがわれた部屋は、狭いし、窓を開けても萎びた特に綺麗でもない村の様子しか見えない。おまけに畳は毛羽立って少し歩いただけで靴下もデニムもちくちくと井草だらけになってしまった。

 暮春はすごく嫌な気分になりながら、ひとまず鞄の中を漁る。雛の言葉を信じるならば、昼間でこれだけまずいんだったら、夜にはどうなっているのかわかったもんじゃないと、取り出したのは、塩だった。

 スーパーやコンビニで売っている食塩ではない、神社にお供えをした際にもらえるお裾分けの塩である。

 一緒に小皿も取り出すと、塩をひとつまみ分ずつ部屋の四つ角全てに配置した。

 暮春は霊感が人よりも強いだけで、祓う力なんてない。オカルト編集部で勤めていて、霊感が強くて自分ほど見える人間には何人か遭遇したことがあったが、祓うほど強い力を持った人間には一度も遭遇したことがなかった。

 だからこそ、ないよりはマシという程度だが、四方の結界としての盛り塩だけは、いわくつきの場所に向かうときは欠かさずに行っていた。

 ドアがコンコンと鳴らされて、暮春は「はい!」と声を上げると「俺おれー、花月」と暢気な声が返ってきた。

 暮春がのそりと部屋から出ると、花月は「よっ」と手を挙げた。


「やべえ村だけど、これをあの姉ちゃんにどうこう言ってもしょうがねえし、食事が終わったらぐるっと村を探索してこようと思うけど、お前はどうする? どうせまた盛り塩してるんだろうから、食事だけ食べたら部屋に篭もってたほうがまだマシだとは思うけど」

「……行きますよ。一応俺も、取材に来てますので、さすがに『怖いからずっと宿に篭もっていました』じゃ話になりませんし」

「そりゃそうか。で、お前はなに掴んでんだよ」


 花月にサラリと聞かれて、暮春は「うっ……」と詰まる。オカルト編集部の編集者がわざわざ足を運ぶのだから、前提情報があることくらいは、花月にだって察しが付くだろう。


「……ものすごく、因習としてはよくある話ですよ。バスガイドさんの話との食い違いも大きかったんで、どっちが本当のことなのか混乱しています」

「ふうん。まあ、なんにせよ飯だ飯。あ、そうだ多分ないとは思うけどさあ」

「なんですか」


 暮春は廊下をちらりと見回す。桜も桃井も既に食堂に出ていったのか、廊下では見当たらない。


「ここの特産品とか言われてる奴に口付けるのやめとけよ。ここのはさすがに俺もヤバイわ」

「……花月先生にもですか?」


 花月は零感だし、はっきり言ってしまえば霊的なものは見えないし聞こえないしなんにも感じない。少なくとも、人より霊感が強いせいで過敏反応を示す暮春よりは大分自由だと思っていたが。

 この村、本当になにかがおかしい。

 暮春は塩がまだ残っているのを確認してから、ウェストポーチに何個かに分けて入れ、出ていった。

 食堂で出されたのは、簡素なプラスチックのケースに盛られた料理だ。御膳というものではなさそうだが和食のようだ。ひと口食べてみて、暮春は顔をしかめた。

 明らかにそれは発注されてつくられた弁当で、ひと口噛むごとに油が回り、えぐみが増し……はっきり言って、おいしくない。

 花月は平気で食べているものの、桜は「まっず!」と悲鳴を上げているし、桃井は顔を青ざめさせながら食べている。

 そこまで高くはないツアー代であったとはいえど、宿のボロボロ具合といい、食事といい、いくらなんでもあこぎな商売過ぎる。よくネットに悪口をばら撒かれなかったなと思いながら、どうにか食事を終えた。工場から送られてきた弁当であったら、たとえどんなにまずくても、特産品であることはありえないからだ。

 食事を摂ったんじゃない、カロリーを摂ったんだと思いながら、どうにか苦痛な食事を終えると、さっさと食事を済ませた花月と共に宿を出る。


「ここの村、あの姉ちゃんは吸収合併で消失って言ってたけど、実際のところどうなんだ?」

「それが……」


 花月に尋ねられて、暮春はきょろきょろと辺りを見回す。

 村には宿以外だったらお土産屋の並びがあり、繰糸体験コーナーがあり、村の雰囲気づくりのためなのか水車がカッコンカッコンと音を立てて回っているのが見える。

 しかし村には畑はない、田んぼはない、民家はないと、人気のない遊園地のような違和感が拭えず、どことなくちぐはぐな印象だ。

 人気がないのを確認してから、暮春は口を開いた。


「ここの村に蚕月製糸場が設立するのには、ずいぶん反対運動があったようです」

「まあ、そりゃそうか。古い村に、いきなり新しいもんおっ建てようとしたら、そうなるわな」

「いえ、それが建てようとした場所には、元々神社があったらしいんですが、そこの跡継ぎがいないとかで、形だけ残されていた場所だったんだそうです。氏子たちが保護維持していた形だったみたいで」

「あー……おかしいと思ったんだ。養蚕をやっている場所には、大概祠や神社があるはずなのに、この辺り一帯にそんなもんひとつもなかったしなあ。さすがにまずくねえかと思ってたら、姉ちゃんの話を聞いてたら俺が思ってる以上にまずかったから、びっくりしてたんだわ」

「花月先生がないって言ってたのはそれでしたか……話を戻しますね。村の反対運動で一度は撤回したらしいんですが。設立者が納得いかなかったらしく、今度は大きな市町村に蚕月村の合併をするよう話をもちかけたらしいんです。早い話が、あの村を潰してくれたら、金は出すと。設立者が諦めてくれたらよかったんですが、自然の中で育つ蚕が大量に採れ、しかも蚕の繭の質もいいという蚕月村を見逃すのが惜しかったみたいなんです。かくして、村はほとんど吸収という形で合併し、消失。市長命令により、村民も蚕月村から追い出されてしまいました」

「ふうーん……まあ、この辺りは予想はしてたが」

「それよりも、なにがそこまでまずいって言っているんですか、花月先生も。この村の空気が澱んでいるのは、、まさか村を追い出された村民たちの怨念……とかそう思ってらっしゃるんですか?」

「まだ人間だったらいいけどなあ……」


 花月はガリガリと頭を引っ掻きながら、ポツンと言う。


「……さっきも言っただろ。養蚕は遡ると古事記や日本書紀まで辿り着くんだよ。そんな歴史のあるもんを祀らなくなったら、そりゃ祟るだろ。特に蚕はまずいんだよなあ……」

「……はあ?」


 暮春は間抜けな声以外、出すことができなかった。

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