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 トンネルを抜け、辺りは木が生い茂る森と化していた。

 製糸場があるというには、切り開かれてはいないように見える。


「この辺り一帯は、旧蚕月村付近になります」


 ほのかがマイクを持って解説をする。


「この辺りの木、わかりますか? これらは全てくわになります。かいこは桑の葉を食べて成長するために、いいまゆを採るために、辺り一帯を桑の木の森にしていたんですよ」

「森ー? 桑の木畑じゃなくって?」

「はい。旧蚕月村は元々平安時代から絹織物の名産地でしたが、その頃から絹の採り方が他とは違ったんですよ。絹は元々、蚕の繭を解いて糸をつくり、それを織り上げてつくります。本来、蚕は鳥や昆虫などの餌になるために、養蚕場で繭になるまで育てますが、蚕月村の蚕は違います。普通に桑の木の森で育ち、繭になったところを採って糸を採るという方法を採用されていたのです」


 それに「なるほど」と思いながら、暮春はメモを取る。

 大昔は蚕も普通に繭を採ってくることからスタートだったが、蚕も成長しなければただの芋虫で、凶悪な害虫や鳥には敵わない。平安時代から同じ方法を取っているのだとしたら、鳥や虫よけのノウハウがあるのかもしれない。

 その話を聞いていた花月は、窓に視線を向け、座席にもたれかかりながら、ポツンと言う。


「……ねえな」

「はい? 花月先生」

「いや、既に廃工場だし、廃村だったらなくても問題ねえのか」

「あの、なにがですか?」

「養蚕業の場所にあるはずのもんがねえなと思っただけだよ」


 花月は窓から視線を逸らすことなく、そう答える。

 そう言われて、暮春は首を捻った。

 養蚕業は大昔から存在しているのは知っている。律令時代には税として絹が求められたこともあったのだから、日本には古く根付いているものだろう。

 だが、養蚕に必要なものと言われても、暮春も上手く思いつくことができない。せいぜい桑の木が枯れたりしたら、蚕が食べるものがなくなって育たないだろうなということくらいしか思いつかなかった。

 ほのかが一生懸命説明している中、穏やかに桃井が質問する。


「そういえば、蚕月製糸場が潰れたときに、蚕月村は廃村になったんですか?」

「ええっと……ちょっと待ってくださいね」


 ほのかはあわあわしながら、手帳を引っ張り出して、パラパラとめくりはじめた。彼女、本当にバスガイド向いていないんじゃないだろうか、それとも廃工場ツアーに向いていないんだろうか。そう暮春がぼんやりと考えている間に、ようやくほのかは目的のページを見つけたらしく、それを棒読みで読み上げる。


「『蚕月村は蚕月製糸場が完成する前に、市町村合併により消失しています』……ね」

「なるほど、廃村になったというより、合併で消失したんですね」


 桃井がそう納得している中、あのナンパ男はにやにやしながらほのかに声をかける。


「ほのかちゃん頑張ってー」

「が、頑張ってますから」


 さすがに今はセクハラもナンパもしていないから放っておけばいいんだろうか。そう思いながら、暮春はメモ書きを見つめる。

 一応蚕月村の廃村になった下りは、既に調べてはいた。だが表向きは市町村合併での消失だし、旧蚕月村の住民たちからの裏も取れていないために、記事にすることもできないでいる。

 そして先程から、花月は黙り込んで考え込んでいるのが気になった。


「あの……花月先生?」

「暮春、お前また貧乏くじ引いたんじゃねえの?」


 花月に言われて、暮春は引きつる。このホラー作家、行くところ行くところでなにかしらに巻き込まれているが、本人が零感なために無事に生還している。そもそも担当作家の住んでいた物件があからさまに黒過ぎる事故物件だったがために、彼女のアパートの契約と引っ越しの手伝いをしたことがある編集なんで、今時自分くらいだろうと暮春は自負している。

 彼女にはなにが起こっているのかわからずとも、見えてしまっている自分にはわかってしまうのだ。


「勘弁してくださいよ……まだバスの中じゃないですか。一泊二日生き残れればいいんですから……」

「お前なに死ぬこと前提で話を進めてんだ?」

「あんたほんっとうに暢気ですよね、こっちの気も知らないで!?」


 ふたりがギャーギャー言っている間に、桑の木の森は抜けた。そこに広がっているのは、先程まですっかりと自然に溶け込んでしまった桑の木しか見えなかったというのに、そこに広がっているのはレンガの石造りのクラシカルな建物であった。

 バスは緩やかに駐車場に入ると、ほのかが「皆さーん、これから見学ですから、貴重品を持って出発してくださいね。旅館はもうしばらく先ですからー」と声をかけて先導してバスを降りていく。

 皆はそれぞれカメラやメモ、ボイスレコーダーを持って降りていく。花月もまた、ミントタブレットをガジガジと齧りながらポツンと言う。


「煙草吸いてえけど、無理かな」

「……止めてくださいよ、花月先生。旅はかき捨てとか、ネット全盛期の今では無理なんですからね」

「ヘイヘイ、お前は俺の母ちゃんか」

「誰が母ちゃんですか」


 ふたりもバスを降りていく。暮春は一歩バスの外に足を踏み出した途端。

 肌という肌から、鳥肌が立った。今はどちらかというと気温はそこまで高くなくとも、湿気があるために自然と汗ばむ体感のはずだ。それでも、暮春の歯がカチカチと鳴りはじめた。


「暮春ー、マジで大丈夫か、お前?」

「……なんなんですか、ここは。なんか知らないけど、ここヤバイでしょ」


 暮春も不幸なことに、かなりな霊感体質なせいで、編集部から異動を認められないのである。本物が見えるのだから、インチキ臭い記事にリアリティーが生まれるし、あまりにも記事にするのはアウトな一件の試験石にもなるのだから。

 花月は顔をしかめて、辺りを見回す。


「やっぱりかあ……ここ、相当まずいことになってんじゃねえの」


 花月の反応は「こうなるのも当然」というものなのだから腹が立つ。零感だから、ここの空気がどんなに澱んでいたとしても、彼女には全くなんの影響もないのだ。


「……先程、花月先生はここには養蚕場にあるはずのものがないとか言ってましたよねえ……なんですか」

「ああ、それ? それはなあ……」


 彼女が口を開くより先に「ちょっと、あなたは誰ですか!」というほのかの声が響いた。

 先に製糸場出入口にまで移動していた面々の視線の先には、少女がいた。たしかバス内にはいなかった少女だ。

 真っ黒な髪に白い肌。純和風な顔立ちの少女は、高校生くらいの年頃だろうか。シャツにジーンズ姿で、後ろ手になにかを持っていた。


「ここは私有地ですよ! 地元の子が遊びに来てたら、私が怒られるんですけど!」


 このバスガイド、本当に自己中心的だなという暮春の感想はさておいて、彼女は目を釣り上げてほのかを睨んでいた。


「……ここは、あなたたちが来ていい場所じゃない。今だったらまだ間に合うから、早く帰りなさい」

「帰りなさいって……まだ見学も終わってないのに」

「まあまあまあまあ、ほのかちゃんも落ち着いてー。怒り過ぎると体に悪いよー」


 あのナンパ男が珍しくなだめていると思ったら、今度は少女のほうに鼻の下を伸ばして近付いていった……女の形をしていれば誰でもいいらしい。花月以外だったら。


「君どうしてこんなところにいるのー? 地元の子? あ、俺はさくら真琉須まるすって言うの。気安くマルスくんって呼んでくれてもいいよー」


 ……空気読めない上にDQNネームだったと暮春は腕を組んで寒気に耐えていた。距離を詰められて、少女は少しだけ喉を詰まらせたあと、ふいっとそっぽを向く。


「……よその人を巻き込むのは、気が引けるから」

「んー? 君結構優しいんだねえ、ねえ、巻き込むってなにがー?」


 彼女は年上の男性に距離を詰められて怖がっているのか、気持ち悪いと思ったのか、そのまま固まってしまった。

 見かねて、おずおずと桃井が声を上げる。


「あ、あの。桜さんその辺で。彼女怖がってますから」

「デブに話してねえだろうが。引っ込んでろや」

「ひっ……で、すけど……」


 桜に凄まれて、オタク気質の桃井は肩を跳ねさせてビクついている。暮春がカタカタ震えながらどうにか口を開こうとするが、それより先にふらりと花月が動いた。


「お前、名前は? 俺は一応こういうもんで」


 ひょいと彼女は名刺を押し付けると、硬い顔をしていた少女は怪訝な顔で受け取った。


「小説家、花月弥生さん……ですか……私は、佐久間さくまひな……本当に、よその人は危ないから、帰ったほうが……」


 毒気を抜かれたのか、先程までの凛とした雰囲気は少し薄らぎ、たじろぎながらも同じことを繰り返す。

 それに花月は「んー……」と首を捻る。


「それは向こうのバスガイドの姉ちゃんに言ってくれや。さすがに俺らもバス動かせねえからなあ」


 マイクロバスだったらいざ知らず、大型バスだったら大型免許でなければ動かせない。高速を使わなければ、東京に帰ることもまた何日かかるのかわからないのだから、ツアー会社の社員のほのかに任せなければ意味がない。

 ほのかはムキになって、歯を剥き出す。


「困りますよ! いくらなんでも小説家先生でも! 雇われの私にそんな権限あるわけないじゃないですか!」

「お前なあ……もうちょっと偉そうにしとけよ。そっちの兄ちゃんといい、小物臭ひどいぞ」

「こっ、小物……」


 桜と一緒にされて嫌だったのか、それとも小物呼ばわりされて嫌だったのか。

 雛と名乗った少女は、ツアー客を全員斜めに見たあと、「ふん」と鼻息をした。


「……せめて、邪魔をしないで。宿に着いたら、誰も外に出ないで」

「あっ、こら! せめてどうしてこの中から出てきたのか教えなさい! 私が怒られるんだから!」


 ほのかの相変わらずの小物臭漂う言葉を無視して、雛はそのまま逃げ出していった。

 暮春はガタガタ震えながら、雛が手に持っているものをぼんやりと眺めていた。掌に明らかになにかを入れていたが、中身までは見えなかった。


「全くもう……! それじゃあ、皆さん、気を取り直して参りましょう。ここが蚕月製糸場です!」


 気を取り直して、見学ツアーは再開された。

 カメラのシャッターを切り続けている桃井、興味なさそうにほのかの胸を見ている桜はさておき、ほのかは声を一オクターブ張り上げて説明をはじめる。


「蚕月村で行われていた養蚕技術を使い、蚕採集は申し分なかったのですが、人力頼りの製糸では限度がありました。税として支払う他、それらを売っていましたが、時は幕末。日本は絹を輸出特産品とみなして一気に需要が高まったのですが、日本各地からの注文に加えて輸出品ともなったら需要と供給が追い付かなかったのですね。そこで、ここは幕末から一気に工業化が進んだんです」

「え……? でもここの村が合併で消失したのは、大正に入ってからですよね……?」


 話を聞いていた暮春が、ガタガタ震えながらも尋ねると、ほのかは頷いた。


「はい、本格的な工業化も大正に入ってからです。ですが幕末から少しずつ進んで、大正時代には製糸場を受け入れる体制は整えられていたのです。ここで栄華を極めたのですが、昭和に入り、戦争がはじまりました。贅沢品とみなされて養蚕技術も製糸場も振るわなくなり、ここで閉鎖に追い込まれました。一時期は軍の制服をつくる工場として使用されていましたが、戦後になりその需要もなくなり、完全閉鎖となったんです」


 ほのかの説明を聞きながら、暮春は黙り込んだ。

 彼女の話は筋は通っているし、実際彼女もそういう風に教育されたのだろうと思う。だが、暮春の聞いている話とところどころ違うのだ。

 花月はそれに「なるほどなあ」と言いながら、ミントタブレットをガジリと齧った。


「辻褄が合わないから、無理矢理合わせたってところだなあ。歴史改変主義とはよく言ったもんだわ」


 彼女の独り言をなんとも言えずに聞いていたところで、暮春の首筋にネチャリとした感触が走った。


「ひい…………っ!!」

「おっ、どうしたー、暮春?」

「お、俺の首に、なんかネチャッとしたもんが……!」

「ネチャー? ああ」


 花月はひょいっと暮春の首筋に触れた。粘りを帯びた糸が伸びたと思ったら、太くうねうねとした芋虫が彼女の手の中にいた。


「な……なんですか、それ……!」

「蚕だけど……なんか俺の知ってんのよりもでかくねえか、こいつ?」

「そもそも、蚕って人間の手で餌をやらなかったら、死ぬんじゃ……なんで廃工場にいるんですか!」

「知らねえよ、んなもん」


 ネチャリとしているのは、既に繭化がはじまっていたせいだろう。花月はどうしたもんかと思いながら、ひとまず廊下の手すりの上に置いておいた。

 他のツアー客に踏まれないように。

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