第2話 赤色の誇り



「藤木から聞いた。ひどいんだって?大丈夫か?」

「慣れてる。」

「また、そんな事を言って、無理すんなよ。もっと、辛い事は辛いと素直に。」

「あれぐらい平気。」

そうやって無表情につぶやくニコが、言葉通りに平気の訳がない事を慎一は知っている。

せめて、自分の前だけは、素直に辛い顔を表してくれたら、もっと対処のしようがあるのにと思う。

「俺が、彼女にやめるように言うよ」

「彼女は、嘘を言ってない。」

「でも・・・」

「かまうな。」と背を向けて校舎へと向かう。

慎一たちは2年生に進級した。ニコとはクラスが離れて、今度は藤木がニコと同じクラス。だから慎一は安心していた。

だけど、また特待生を指摘する悪口が始まったと聞いて、しかも今度は1年時の鈴木と谷口より、厄介なクラスメートがいる。藤木もなかなか助け舟を出す事が出来ないでいて、慎一自身も、ちょっとした曰くありの人物。

彼女にやめるように言うよ、なんて言ったものの、本当に言える相手ではないのもわかっていた。ニコもおそらく慎一の強がりをわかっていただろう。彼女に何かを指摘できるのは、この学園にはいない。同級生はもちろん先輩ですらも。もしかしたら教師も躊躇する者がいるかもしれない。

「はぁ~」

ニコの後ろ姿を目で追いながら慎一は溜息をついた。そしてポケットに手を入れ、しまったとポケットの中の物を出す。

返そうと思っていた虹玉。は太陽の光を受けて手のひらに虹彩を作る。

2月のバレンタイン後の学園で行われたサッカーの練習試合で、慎一はコーナーポストに激突して鎖骨を骨折した。ニコの母親、さつきの勤める大学病院に救急車で運ばれるというちょっとした参事になってしまった。ちょうど勤務日だったさつきおばさんに処置看護され、幸いに手術しなくても良い骨折だったけど、派手にギブスで固定されしまった。

そんな慎一の体を見たニコは、慎一に虹玉を渡した。「結局、あの夜の事はバレなかった。だからこれは、きっと願いが叶うはずだから、その怪我も次の試合に間に合うはず」と言って。

これが本物だったら、自分の骨折よりも、まずもってニコに対するいじめを無くしてくださいと頼むんだけどなぁと、慎一は虹玉を太陽にかざした。

「ま、今日の夜でもいいか、えりの家庭教師として家に来るんだし。」

慎一はやっと違和感のなくなった肩をまわして、新緑が学園を包む木洩れ日の中、校舎へと戻る。


























「何なのよ!一体。」

持っていた携帯をベッドに投げつけた。つけてあるチャームが携帯本体にぶつかり、チャランと音を奏でて枕元のテディベアのそばに転がった。

最近、イラつく事ばかり。何もかもうんざり、その内の一つが、この無言電話と変なメール。

着信拒否しても、違う番号でかけてくる。メールも同じだった。

携帯の番後を変えようと思ったが、それは負けを認めるようで嫌だった。こんな事で負ける私じゃないのよ。





『今年の麗香さんは、誰に渡すの?バレンタインデー』

『さぁ、誰にしようかしら。』

『まだ決めてないの?』

『そんなことないでしょう。私たちには内緒なのよ、いつも。』

『そう、そして突然渡すから、私達にもサプライズってやつよ』

『麗香さんからチョコレートを貰う男子って光栄よね。』

『去年は、誰だったかしら』

『えーと誰だったかなぁ。』

『あっ、小百合、5組の木田君来たわよ。頑張って。』

小学部からの同級生、3人は、毎年繰り返される私の義理チョコに、今年は興味なし。本気の告白の方が断然、楽しい。麗香は自分が中心になれなくて、数週間前からイライラしていた。今年のバレンタインは、ずっと肩想いだった木田に告白すると宣言した小百合に注目を持っていかれてしまった。

流行りに乗り遅れずにイベントに参加したいだけの麗香のプライドから始まった、麗香の義理チョコサプライズバレンタイン。麗香が用意するチョコは義理でも、都内の有名店で値を張るもの。小学部から毎年続けている為、この高価なチョコが食べたくて、今年は俺に頂戴なんて言ってくる男子もいる。

学園には、学業以外の物を持って来てはいけないという校則がある。だけど毎年、何をどう指導しても持ってくる女子はいて、

麗香自身もその生徒の一人なのだから正義感ぶる事はできないけれど、注意する先生にも義理チョコが配られるもんだから、この日だけは暗黙の了解になっていた。

【聖女よ大志を抱け!】という大手菓子メーカーが今年のバレンタイン商戦のキャッチコピーとして打ち出した。それが大いに当たって今年は告白する女子が増えていると、ニュースで取り上げられていた。そんな世間の風潮は、県内有数の進学校で良い意味でも、悪い意味でも「ブランド学園」と揶揄されているこの常翔学園内にも当たり前に流行って、今年のバレンタインデーは例年よりも、盛り上がっていた。朝から、女子がチョコの箱を持ってウロウロしている姿を、あちこちで見ては、面白くないと、麗香はうんざりして見ていた。そして、今も、

食堂のある建物の横、体育館裏に来た5組の木田は、後頭部に手をやり、小百合からチョコレートを受け取った。木田のにやけた顔

が気持ち悪い。麗香は小百合たちから背を向けた。

常翔学園自慢の図書館がそびえたつ。2階建ての赤レンガ様式の建物は、元は横浜にある常翔学園幼稚舎と小学部の敷地にあった講堂を移築し図書館にしたもの。

学園敷地内の駅に一番近い南東の一角にあり、入学案内パンレットの表紙を飾る。学園がある香里市、隣の彩都市の市立図書館より

多い蔵書数を誇り、地域の人たちにも開放されている。図書館内は建物の古さとは対照的に最新のセキュリティが施されている。

本の管理システムはもちろん、それよりも最新なのは生徒の図書館利用管理システムの導入である。図書館は地域の人が出入りする南側の出入り口と学園側の2か所に入り口がある。要は生徒が図書館を通り抜けして学園外に出ないようする為と、地域の人が学園内に侵入しないようにの防犯目的のもの。

その図書館から蛇行したガーデンの小道の両脇はベンチとテーブルが設置されていて、体育館下の食堂からも近い事から、天気の良い日は給食のトレーを持ち出して、外で昼食をとる生徒もいる。今は寒い時期なので、そんな生徒もいないし、花壇も植え替えたばかりで葉ばかりに色合いが寒そうだった。いい加減に校舎に戻りたかった。麗香は寒い冬が大嫌いだ。

勝手に教室に戻ってしまおうかと本気で考えていた。それをしないのは、最低限の協調性は学校生活において必要だと知っているから。常翔学園に居る限り何不自由なく、思い通りの生活が保証されている麗香は、本当は協調性すらも面倒だと思っている。だけどそれがなければ、裸の王様的にみっともない。今一つ仲良くなれない、うんざりな彼女らが、麗香の周りを取り巻いてこそ、学園での麗香の立場は永続的に輝くのだと知っていたから。

 「よかったわね、小百合」と三人のはしゃぐ声。どうやら告白タイムは終わったよう。

 人の幸せなんてつまらない。麗香は、少女漫画みたいなシチュエーションをリアルに体験して喜んでいる彼女らの、単純さを

小馬鹿にしているくせに、それが羨ましくもあった。

【私もあんな風に、普通で居られたら】

それを望んで出来たとしても、麗香は彼女たちのように、素直に喜べない域に居る事は自分でもわかっていた。

何不自由ない思い通りの生活ができる高い地位にいる麗香は、与えられる何もかもに、満足できない。

「満足」とは苦労をして手に入れてこそ得られる感情だと麗香は知らない。それを生まれて14年と8か月、した経験がないから。

麗香の「満足」は生まれた時から常に与えられていた。

気まぐれに、麗香はその「満足」を自分で得ようと試みる。彼女たちと同じように、チョコレートを用意して渡したい男子を作って渡す。学園生活において最低限の、それもまた協調性。暇つぶしのお遊びだった。

 

『お前さーせっかく真辺さんが選んでくれたんだから、ちゃんと勉強しろよ。』

『わかってるよ。』

『そのテキストで駄目なら、終わりだ。』

『終わりっていうな、』

『ははは、世紀末的成績だもんな、お前の英語』

図書館からの小道を、こちらに向かって歩いてくる生徒。その3人の生徒の中に、今年のチョコレートを渡す相手に選んだ男子を、麗香は見つけた。

新田 慎一。

常翔学園中等部1年1組サッカー部所属、12.6倍のサッカー推薦で中等部より入学してきたフォワードのエース。

その実力は1年でレギュラー入りするドリブルの天才と言われて、昨年12月初頭に行われた全国中学生サッカー大会でも1年で

レギュラー入りする実力。顔も悪くない。背も同級生の男子では高い方。彼なら麗香がチョコレートを渡すにふさわしい。

麗香の義理チョコサプライズバレンタイン、皆を驚かすために、今年は外部入試組から選んだ。

麗香は、食堂に来る時には必ず持ってきている花柄の手提げバック、(中には歯磨きセット、ハンカチ、ティッシュ、リップと

ブラシが入っている)からチョコレートを出した。隣町彩都市の東静電鉄の伏線、深見山線沿いにある人気のフランス料理店が

ご実家という新田慎一の舌を満足させるために、例年よりもワンランク上のチョコレートを購入した。おいしくないなんて言わせない。義理であっても、そんな汚点が付く事は絶対に許されない。小ぶりでも気品ある茶色い包装にゴールドのリボンをあしらったチョコレート、小百合が木田にあげた本命のチョコレートよりも、麗香の義理チョコの方が値段も気品もずっと上。

これを貰える男子よ、光栄に思いなさい。

『新田慎一!』

間近にまで歩いてきた3人の行く手を塞ぐように、麗香は新田慎一の正面に立つ。

『は、はい。』新田慎一は、私の突然の声掛けに、目を大きくしてびっくりしている。後ろの小百合たちも、はしゃいだ声を止めた。

『バレンタインデーのチョコレート。受け取りなさい』

新田慎一の左にいる寮生の藤木亮が、ぷっと吹き出した。笑いをこらえて後ろを向く。

『ちょっと、あなた失礼よ』

『ごめん。失礼な俺たちは退散するから。真辺さん行こうか』

そう言って、新田慎一の右隣にいるショートカットの真辺りのを促し、麗香の塞いだ小道をすり抜けていく。

『ちょっ、ちょっと待って藤木』

置いて行かれた新田慎一が止めるも二人は、手を振り校舎へと向かった。

【真辺りの】

麗香がこの学園の中で一番気にくわない人間。この学園創設以来初の女性特待生。真辺りのは5歳からフィンランドとフランスに住んでいて、2年ほど前に日本に戻ってきた帰国子女。

その経歴だけでも気にくわないのに、その顔と態度が、より一層に気にくわない。何を考えているのか、麗香が話しかけても 真辺りのは、無言で無反応だった。逃げるようにすぐにトイレに駆け込むその姿は小動物、まるで麗香が動物虐待をしているよう。何故あんな子が常翔の特待生になったのかと、麗香は何度も父、柴崎信夫に問い詰めた。父は真辺りのを「あれほど優秀な生徒は稀にそうそう居ないよ。」と言って絶賛する。

そう、麗香はこの常翔学園の経営者一族の一人娘だった。

『えーと。』

ついさっき、チョコレート付きで告白された木田と同じように、新田慎一も後頭部を掻く。気持ち悪い木田と違うのは、にやけ顔ではなくて、困った風である事。

『すみません。チョコレートは受け取れません。』よそよそしく敬語で話す新田慎一、確かに同じクラスになった事もないし、まともに話したこともない。だけど同級生で敬語を使われるって、流石の麗香でもあまりなかった。これが新田の礼節なのかしらと感心した。

『どうして?』

『皆、断っています』

『これは、他の皆のと違うのよ。』

『?』新田慎一は首をひねる。

『私は新田慎一あなたの才能が素敵だと思ったから、今年のバレンタインにあなたを選んだの。』

『そ、そうですか・・・ありがとうございます』

『じゃ、これ、受け取りなさい』

それでも麗香が差し出した小さなチョコレートの箱を、新田慎一は受け取ろうとしない。

『どうしたの?遠慮なんてしなくていいわ。ホワイトデーのお返しも要らないから。』

『は、はい。それでも、すみません。一人だけ特別っての作りたくないから』

『私を誰だと思って?』

『えーと・・・誰ですか?』

『は!?』麗香は声が裏返った。

『すみません。上級生はちょっと、わからなくて』

『同級生よっ』

『えっ』

『4組の柴崎麗香!この学園の理事長の娘よ』

何不自由なく、思い通りの生活が保証されていた麗香にとって、学園内で自分の事を知らないと言われるのは初めての事だった。




衝撃のバレンタインから2か月。新田慎一は翌日からぎこちなく挨拶してくるようになった。一か月後には律儀にクッキーを返してくれたのは、新田慎一のご実家のフランス料理店の包装紙に包まれた物だった。この私を知らないと言った新田慎一、怒りを通り越して何故なのかと不思議に思った。それから新田慎一を監視するようにその動向を目で追い始めた。

普通なら、気になり始めた男子の行動を追い、自分の恋心を認め、告白するという手順が一般的であるものが、新田慎一に対しては逆になった事も、不思議だった。麗香がチョコをあげるにふさわしい男子を選んで、チョコをあげて、気になりだして、行動を目で追う、逆なら最後は、どうなるのだろう。

「はぁー」麗香は大きくため息をついた。

投げ捨てた携帯を拾う。ストラップのチャームがシャララと耳心地のいい音を奏でる。チャームの網目から淡い虹色が覗く。

「自分の物にしちゃったな。これ。」

この間、学園の玄関ロビーの隅で拾ったビー玉、何故こんなもの落ちているんだろうと、麗香は首を傾げた。昨年の文化際の時に、近所の小さい子供たちや幼稚舎の子供も来ていたから、その子たちが落としていったのだろうかと思ったけれど、あれから半年近くも、清掃員が気づかないなんてことは、おかしい。学園内の廊下やトイレは契約業者に委託している。掃除が行き届いていなければ、それは大問題で、契約業者を変えなくてはならない。毎日掃除されているはずの玄関ロビーでビー玉が落ちている事に不思議に思いながら、落とし物箱に入れようとして、すっかり忘れた。帰宅後にスカートのポケットから出てきて、「もう、いいか、こんな物」とごみ箱に捨てようとして、捨てなかった。昔、こんな虹色の玉が出て来る絵本があったなぁと、頭にその絵本の表紙が浮かんだから。

虹が架け行く先に、生まれる虹玉。虹玉からまた新たな虹が生まれて、空を駆け抜けていく。その虹玉には奇跡の力があり、どんな願いも願えば叶う。と言うお話。とてもきれいな虹の絵か描かれていて、麗香の好きな絵本の一つだった。

麗香の願いは物心ついた頃からない。願いはいつも言葉にすれば、即時に与えてもらえる。

「あの絵本、どこに仕舞ったかしら?」

久しぶりに読みたいなぁと思った瞬間、突然の着信音で、携帯を落としそうになった。

メール。

      

     消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ 

     消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ  

     消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ 


ずっと続く同じ単語。

携帯を、今度は床に投げつけた。フローリングに敷いてある毛足の長いラグに音もなくバウンドして転がる。

誰かに後をつけられるとか、身に危険を覚えるような感じは全くなかった。だから、よくテレビで見聞きする、ストーカーなんてものに、私が被害に遭うわけがないと、自信たっぷりに思っていた。

そう私は柴崎麗香、常翔学園経営者の娘、私の肩書は最強で最高。

だからこんなメールも、そのうちすぐになくなると、麗香は思っていた。







  

 2



「では、これから、5月の末にある語学研修旅行の班及び、部屋割りを決める。班の人数構成やホテルの部屋割りは、今配った資料に書いてある通りだ、決め方はお前たちに任せるから、あとは学級委員に取り仕切ってもらう。じゃ柴崎さん、中島、あと、よろしく。」

そういって、担任の先生は教室から出て行った。もう一人の学級委員、中島は、くじ引きで決まった全くやる気がない男子の学級委員。だから、いつも私がすべてを取り仕切る。麗香は、小学の頃からずっと学級委員をやってきたから、クラスを仕切ったり、人前で話をするのは慣れっこだった。

教壇に立ち、どういう方法で決めたら良いか、意見を聞く。クラス全体を見渡して、真ん中の後ろから2番目に座る真辺りのと目が合った。透き通るような白い肌、切れ長の整った眼と鼻、かわいいと美人のカテゴリーに分けるなら、美人。入学当初はロングのストレートヘアーで、何を言っても顔色一つ変えない無表情が、人形のようだと。周囲でロボットじゃないかとも言われていた。

髪をショートにした事で、少しあか抜けた感はあるけれど、それでも暗い。

麗香は真辺りのが新田慎一と幼馴染である事を、最近知った。

あんな暗い子が幼馴染でかわいそうと思った。いくら美人でも、友達もいない、ただ勉強ができるだけの女。帰国子女で英語フランス語が堪能だとしても、日本にいる限り、大して役に立たない。英語教育に力を入れている常翔学園の経営者の娘が言うのも難ありだが、学園の打ち出す「国際社会に対応できる優秀な人材育成を目指して」なんてものは、受験生を増やす為の宣伝文句だと思っていた。海外で言語に困れば通訳を雇えばいいだけの事、フランス語や英語ができる事を自慢されても(真辺りの自慢は全くしてないけれど)なんにも羨ましくもない。その羨ましくもない経歴で、特待生として平然と学園に来れる神経が、不思議でならない。

【学園のお金をむさぼる特待生】

一番仲の良い幼馴染の白鳥美月と麗香は、そう言って貶していた。

特待生は入学金、授業料、学校生活に必要な教科書、制服や体操服などの備品はすべて免除で支給される。この語学研修旅行も学園もちだ。他の生徒、もちろん私も支払っている費用を、払うことなくして学園に来られる神経がわからない。麗香はケチで言っているのではなかった。小さいころから、母から「自分に見合うお金の使い方を考えなさい。」と教育されていた。対して祖母は、「出し渋りはみっともない」とよく言っていて、一人孫の麗香を溺愛して、何でも買い与えていた。

麗香の金銭感覚はその二つが合わさって、「出し渋るのは自身に見合わず、みっともない」となった。だから、下級の人間が常翔学園に通う事、そしてその費用を出し渋り、学園に出してもらっている特待生、真辺りのは、学園に見合わず、みっともなく見えた。

 麗香の強い視線に、真辺りのは俯いた。

(そうよ、あなたは、学園のお金をむさぼる特待生、誰よりもみっともない立場、そうやって肩身を小さくして過ごすのが当たり前なのよ。)

海外語学研修旅行は、5月末から3泊5日の日程でハワイへ行く。幼稚舎から英語教育に力を入れてきた常翔学園ならではのカリキュラム。公立の学校で不可能な二年生最大のイベント。一年時に常翔祭を最大のイベントと言っていた自分たちがかわいらしい。

3年生になれば修学旅行で、また海外に行く、そのプレ旅行の感覚もある。だけど、修学旅行と違って二年生のこれは、あくまでも「語学研修」であり、水着は持ち物リストに書かれていない。ハワイはその景色どおりにリゾート気分満載だから勘違いするのも無理はなく、毎年、生徒のほぼ全員が水着を持って行っては、使うことない日程に、がっくり肩を落として帰ってくる。美しい海が目の前にありながら、泳げない研修旅行は、お預けを食らう犬のように耐えがたい地獄であることを、麗香たちはまだ知らない。

ハワイでは、2クラス単位で常翔学園と提携している現地のジュニアハイスクールとの交流授業をするコース、野生保護区の博物館と講義を受けるコース、戦争記念館と講義を受けるコースに分かれて、日替わりで周る。部屋割りのメンバーは行動班でもあり、現地ハイスクールの交流授業において、研究スライド発表の班でもあるから、誰と一緒の班になるかはとても重要。二年時のクラス替え直後から、女子はそれを見越したクラス内での友人作りが戦々恐々と行われていた。もちろん、麗香はそんな友人作りは必要ない。学年の半数120名が小学部からの持ち上がりで、そのうちの80名が幼稚舎からの、言ってみれば幼馴染と言えた。必ずクラスに10名近い女子生徒が小学部から変わらず麗香を取り巻いてくれる。そして進級するごとにその取り巻きは増えていくのが当たり前だと麗香は思っていた。

班構成は男女合わせて6名一班、ホテルの部屋が一部屋3人と決まっているので、男子の部屋割りと女子の部屋割りを合わせて、一つの行動班となる。とりあえず、男子と女子で別れて3人組を作り、くじ引きで男子と女子の3人組をくっつけようという案にまとまった。ただクラスは男女均等に20人ずつ、一つだけが二人組の部屋となる。

麗香の掛け声で、教室内が一気に騒がしくなる。皆がそれぞれ自分の友達のいる席に移動し、口々に話し始めていた。

「おう、島田、俺たちと一緒に組まねー?」

「私達、6人だから、2つに分かれるの、どうする。グーパで決める?」

「楽しみねー。」

「えー私、英語いまいちだから、ちょっと不安」

 ほぼ3人組が出来上がっているクラスだったから、今日は難なく早く終われそうだと、麗香は安心して教壇から降りた。

真辺りのは、さっき俯いたきり一度も顔を上げない。友人が一人もいないって、お金の出し渋りよりみっともないわ。と麗香は心の中で真辺りのをののしって、小学部からの取り巻き9人の所に歩みよった。

幼少からの取り巻き10人の中でなら、誰と3人組になっても構わなくはない。いくら小さい頃から知っている仲であったとしても、やっぱり性格の合う、合わないがある。麗香はこの9人の中で、二人ほど合わないと感じている友がいた。小学部3年の時に中途入学してきた三浦佳純さんと、なぜか頻繁に同じクラスになってしまう腐れ縁的な幼稚舎からの松原芽衣。

公立の学校と違って私立の常翔学園は、受け入れる生徒の数が決まっている為、入学時以外の受け入れをほとんど行わない。三浦さんが小学部3年の夏に中途入学してきたのは、麗香の父とのコネがあったから。三浦さんの父親は現在常翔学園中等部の理事長である麗香の父の高等部時代の一年後輩にあたる。三浦さんの父親が税理士をしていて、以前委託していた幼稚舎と小学部の会計業務の税理士が病気で出来なくなった代わりとして、三浦さんの父親に依頼したコネが、三浦さんの稀な途中入学に繋がった。

そんな稀な立場だったからなのか、元々そんな性格だったのかは知らないけれど、三浦さんはことごとくクールだった。友達がいても、いなくても行動できる淡泊さが、無害の人として重宝がられる存在だった。

攻めの鉾的存在が麗香であるのに対し、三浦さんは守りの盾的存在。麗香のいる三組の女子は先陣切る麗香という武器を持ち、三浦さんという安心を盾に持てる攻守最強のクラス。それから外れた真辺りのは、一体、何が楽しくて学園に来ているのだろうと麗香は不思議に思う。

(お金がないなら、公立に行けばいいのに)

特待になってまで、毎日、毎日、みっともなく俯いた生活を好む理由は何だろうと思う。

幼馴染がサッカー推薦で常翔学園に合格したから?

新田慎一を追って来たってこと?うわー!最悪、新田慎一がかわいそう。

「うへー、高いな費用、30万だってよ。」

「あぁー、うちのお母さん泣いてたぜ。」

男子もほぼ三人組が決まりつつある、男子は人に対してのこだわりは薄い。麗香は時々、男子っていいなと思う。

「おまえ、社長の息子だろうが、これぐらい平気だろ」、

「社長っても、町工場の家族経営だ。中国に仕事を持ってかれて、今不景気なんだよ!」

この学園に通おうと思ったら、普通のサラリーマン世帯年収じゃ厳しいと言われている。こういう、特別行事を含めた質の高い授業や、施設、環境を考えたら当たり前で、それこそが常翔のブランド。通う生徒も、医師や弁護士の子供、名の知れた企業の社長などなど、それなりの階級の子供が通ってきている。

「おう、柴崎はいいよなぁ。タダだろう、」小学部からのやんちゃ者、田島が麗香の背中を叩いて言う。

「ばっか、そんなわけないでしょう。いくら経営者だからって、タダなわけないわ。特待でもあるまいし、そこは、切り離してちゃんと払ってるわよ!」

いいなぁとか言う田島だって普通の階級じゃない。地元の自動車販売業を経営している家の息子だ。

「ねぇ真辺さん、費用は出るわよね。」

麗香はここぞとばかりに、真辺りのに声をかけた。クラスのそこだけが暗く重いのが気にいらない。

麗香が声をかけたのにも関わらず、真辺りのは、一センチほど頭を動かしただけで、閉じている口を更にギュッと閉じた。それが絶対にしゃべらないと、宣戦布告の合図をされたように思えた。

「あら、皆、ハワイ旅行を楽しみにして班決めしているのに、あなただけ、楽しそうじゃないわね。」

「そんなことないよね、真辺さん。楽しみにしてるよねぇ」

新田慎一と同じに常翔学園サッカー推薦に合格して福岡から上京してきている田舎者、藤木亮が、真辺りのを擁護する。この藤木亮は、一年のころから真辺りのを取り巻くお調子者。きっと田舎には、きれいな子が居なかったのだろうと思う。福岡で見た事がないレベルの美人だったから、浮かれて、鼻の下伸ばして、興味を引こうと必死なんだわと、麗香はあきれる。

そんな藤木の必死な擁護にも、真辺りのは無反応。

「当たり前かぁ、今更、語学勉強なんて馬鹿馬鹿しいわよね、ペラペラですものね。」

英語の授業では、模範として教師から教科書の英文朗読や発音のお手本にされていた。帰国子女の発音は流石で、教師の朗読よりも流暢だったりする。もちろんの事、テストは毎回満点。

「フィンランド、フランスと住んだ事がある人からしたら、ハワイなんて田舎の離島よね」

言いたい事が思う存分言えるって、楽しい。すっきりする。それができるのも私が特別で真辺りのが、みっともない下級の身分だから。

「柴崎さん、早く決めましょ。三人組に分かれていないの、ここだけだから。」

三浦さんにそう言われて、クラスを見渡すと、男子もすでに決まって、それぞれに三人で固まっている。

「あら、ごめんなさい。出遅れちゃったわ。」

麗香は、最上の外交スマイルを教室中に振りまいた。

「柴崎さん、わ、私達三人、同じ部屋になっても良いかしら。」

「私達、クラブも一緒だから・・・」

高井、磯部、早川の三人が麗香の顔色を伺うように、おどおどしながら言う。

「そんなのずるいわよ。抜け駆けして。」

そう声高に異を唱えたのが、麗香とそりの合わない松原芽衣。芽衣がいつも場をかき混ぜる。芽衣は麗香の太鼓持ち、率先してご機嫌を取ってくる。麗香のご機嫌を取る事に常に必死で、時に手のひらを反すなんて当たり前。麗香は松原芽衣の事を、浅ましいと思っていた。松原芽衣がただの一般人だったら、速攻で蹴散らして、麗香の側に居れなくしているところなのに、厄介なことに松原芽衣は称号持ちだった。

おじいさまから、「華準であっても称号のある者は、神より賜った同じ一族」だから、大切にしなさいと言われていた。

「クラブが一緒とか関係ないでしょ。逆にいつもと同じメンバーじゃない事の方が、この旅行の主旨ってもんでしょう。」

松原芽衣がもっともらしい事を言う。そして最後に、「ねぇ麗香さん。」と、【麗香さんの心情を一番良く理解しているのは私】をアピールする。

「ねぇ、麗香さん。」ほら来た。麗香は時々、それを意地わるく蹴散らす。

「いいわよ。スライド発表の調べ物も、クラブが同じだと集まりやすいものね」

現地のジュニアハイスクールとの交流授業で、行動班は日本を紹介するテーマを決めて、スライド発表をする。そのスライド作りを、あと一か月半で仕上げなくてはいけない。そのスライド作りは授業時間にあてられないので、必然的に休憩時間や放課後に作る事になる。クラブがまちまちだと放課後に集まりにくくなる。だから高井、磯部、早川の三人の主張はごもっとも。

麗香の許可を取れた三人が「やった!」と手を取り合って喜ぶ。反対に渋い顔をする松原芽衣。は、すぐさま顔をあげて、言う。

「じゃ、麗香さん、私達も同じクラブだから一緒に、あと一人、三浦さん一緒になりましょう。」

松原芽衣と麗香は同じテニス部、何においても、麗香と美月の二人に必死について取り巻いてくることが、本当に嫌だった。松原芽衣は小高円佳をターゲットにして自身の保持を獲得する戦略をとったのが見え見え。松原芽衣に腕を取られた三浦さんは、無言で残ってしまった小高円佳の方へと顔を向けた。小高円佳は、手を胸の前で結び、今にも泣きそうな顔をしている。

「私・・・真辺さんと?」

小高円佳がか細い声でつぶやく。麗香は心が痛んだ。小高円佳はこの中で一番おとなしい。いつもみんなの後からついてきて自己主張をしない子、急成長したジュエリー貴金属チェーン店経営の娘の小高円佳を、松原芽衣は、成金だといつも馬鹿にする。松原芽衣に馬鹿にされた小高円佳は、「そうだね。皆のお家はすごいね」と苦笑する。麗香にとって無害の人物は、小高円佳だった。気持ち的には松原芽衣を外して、小高円佳と三浦さんの三人の構成がいいのにと思う。

「小高さん、柴崎さんと松原さんと一緒になるといいわ。私はいいから」

「ちょっと、そんなの・・・」

小高円佳の事が嫌いな松原芽衣は慌てる。だけど、ここで下手なことは言えないでフェードアウトする、そして、麗香を苛立たせる同意語を発する。

「ねぇ、麗香さん」松原芽衣にうんざり。

クラスの視線もうんざり。

誰が真辺りのと組むことになるのか、さっさと3人組になった他のクラスメートは私たちの動向に、固唾をのんで見守る。ではなくて、興味深々に。

三浦さんが黙って私に顔を向ける。「じゃ、どうするの?」と。この三浦さんのクールさが苦手だった。平等かつ正論の思考があるのに、それを決して強く押し通さない。自身の考えを否定されたら、私は別にどっちでもいいわよ。とすぐに引っ込める。 

決して最終決定を自分からしない三浦さんは、常に最終決定をする立場の麗香からしてみれば、無責任の害ある人物だった。

「わかったわ。私が真辺さんと二人組になるわ。」

「えっ!」

大げさに松原芽衣が驚き、クラス全員が私に視線を向ける。

「それはダメよ、柴崎さんが、真辺さんとなんて・・・円佳がなれば」

うっとうしい松原芽衣の言葉を遮った。

「女子の班はこれで決定。良いでしょう。真辺さん。」

教室内が、シーンと静まり、真辺りのへと注目する。

真辺りのは、無表情に頭を縦に振った。

なぜ、こうなったのか、わからなかった。自分で真辺りのと二人組になると言っておきながら、この組み合わせの決定を下した自分が悔しい。私が何故ハズレに当たらなければならないのかと。

「遅くなって、ごめんなさい。さぁ男子と女子を合わせるくじ引きをしましょう」

そう言って平然を装いながら、与えられて当たり前の「満足」が与えられなかった結果に、心の中で怒っていた。


終わりの会は先に済ませてあったので、班決めが終わったら、帰っていい事になっていた。と言っても常翔学園はクラブ入部が絶対の決まりで、この後、帰宅するのは全生徒の一割はいる幽霊部員だけ。

今日の海外研修旅行の行動班のメンバー表を作成し、ホームルームの報告と部屋の鍵を担任に持って行く。麗香は職員室を出た先の階段の曲がり角で、誰かとぶつかった。その相手を見て、麗香はあからさまに不愉快の顔と言葉を出す。

「ちょっと!危ないじゃないのっ!どこ見て歩いてんのよっ」

社会科担当の吉崎勉。

麗香は、教師に対して、いつもこんな言葉を使っているわけではない。この吉崎勉社会科教師だから。この教師は、生徒から嫌われている。授業でも何を言っているかわからない。何か質問をしても、はっきりした答えが返ってくるわけでもなく、いつもおどおどして、こうして、廊下を歩くときも猫背の背中をさらに丸めて廊下の隅を歩く。その様子が気持ち悪いと、女子達が「キモヨシ」と言い始めて、今では全校生徒が使う呼び名になってしまった。何故、こんな奴が、うちの教師に採用されたんだろうと、怒りの気持ちの上にイライラが募る。

「あっぁっ、す、すみません。」

と猫背で後ずさりする姿に、気持ち悪さがプラス。さっきの班決めといい。今日はロクな事がない。そう言えば毎朝チェックするテレビの星占いで最下位だった。

「もう、キモイからあっち行ってよ!」

とても教師に言う言葉じゃない。でも私には言う権利がある。この学園の経営者の娘で、質の高い授業を求める権利のある生徒でもあるのだから。麗香は、キモヨシが十分に自身から離れたのをまってから、理事長室に足を向ける。ノックの返答を待たずに扉を開けた。

「お父様!どうして、美月達と同じクラスにしてくれなかったのよ。どうして、特待の試験をもっと厳しくしてくれなかったのよ。

どうして、世界史の吉崎を採用したのよ。」

一気にまくし立てた。お父様はデスクから顔をあげて大きなため息をつく。

「こらっ。麗香、ここに来てはダメだと言っただろう。」

そんな当たり前の注意が私に効くなんて、父、信夫も思っていない。一人娘を溺愛するお父様は、娘が事あるごとに理事長室に来ることを、本当はうれしいのだと、麗香は判断していた。その判断が間違いじゃない理由として、厳格に麗香を理事長室に来られないようにするなら、「柴崎さん」と呼ぶべきだし、門前払いで追い返すべき、そして母に言って厳重注意をさせるのが一番のお灸なのを、それをしない。

「クラス編成は、私に権限はない、特待試験を厳しくって言っても、入学試験は既に中3レベルの域にある。これ以上は無理だよ」

「じゃ、吉崎、あいつを首にして」

「何を言っているんだ。麗香に、そんな権限はないだろう。吉崎先生は、ああ見えて優秀だ。採用試験も高得点で、おまけに英会話力もばっちりだ。」

ここの教師に採用されるには、教員免許はもちろん、質の高い講師力を見極めるための採用テストに加えて、海外旅行に対応する為、英会話力も身に着けていなければいけない。常翔学園は公立よりも、周辺私立学校よりも高給であり、ここで働くことは教師の間でもブランドだった。なのに、あんなキモイ教師がいるなんて、麗香は我慢がならない。ブランドが汚れると麗香は思う。

「麗香、そんなことを言いに、ここに来たのかい?」

そう、そんなことを言いに来たのだ。怒り、イライラを吐き出すために。そして、もしかしたら得られなかった「満足」が、父から与えられるかもしれないと僅かな期待を含めて。

「そうだ、さっき、業者から茶菓子を貰ってね。食べていくかな?」

麗香が不貞腐れているのを見て、苦笑しながら目じりを下げるお父様。

「要らないわ。」

私が欲しいのは、お菓子じゃない。麗香は、八つ当たり気味に理事長室のドアを強く閉めて、階段を降りた。

最近ろくなことがない。イライラする!。



消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消

 消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ 

     消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ 

     

 ずっと続く同じ単語と無言電話。

真辺りのと同室を宣言したその日は、無言電話とメールが執拗にかかってくる。

麗香は、携帯の電源を落とし、ベッドに伏せた。













3 


真辺りのとの同室の宣言をしてから、麗香は真辺りのを今まで以上に敵視した。

自分のイライラをぶつけていたと言ってもいい。それをすれば、すっきりしたし、麗香の地位は保たれると思った。

スライド発表の作成にあたり、班での行動が多くなり、いつも取り巻いていた松原芽衣ら自身も忙しく、麗香を取り巻く時間がない。麗香は必然的に真辺りのと行動する事が多くなる。って言っても、相変わらず暗く話さない態度であるから、独りぼっち的な感覚になる。取り巻きのいない麗香は、本来の自分じゃない。パーティドレスにネックレスをつけ忘れたような感じだ。

真辺りのが側に居ると暗さが移ってきそうだった。だから感染源を絶たなければならない。取り巻きが居ないのなら、麗香自身がそれを作ればいい。最強の武器、常翔学園経営者の娘という鉾をもって。

 麗香たち二人と一緒の行動班になった男子は、福岡出身の藤木亮と、藤木と同じサッカー部の沢田拓也、そしてくじ引きで学級員を引き当てる不運の塊、中島幸助。名前に「幸」の字が使われているのがまた悲しい。中島は幽霊美術部員、何故このサッカー部の精鋭二人に中島が加わったのかわからない。今も麗香たちの班が担当する学園のある香里市の代表する名所、最明寺のどこに焦点を当ててスライド発表するかを話し合っているのに、中島はこともあろうか、麗香の正面でテーブルの下で隠すようにタブレットを触っている。

「ちょっと、中島、いい加減にしなさよ。先生に言うわよ。」

中島はむっとした顔を麗香に向ける。

「調べてるんだよ。」

「うそばっかり。大体ね、学校にタブレット持ってくるのは校則違反でしょう。」

「タブレットは校則違反じゃないよ。」

「何言ってるの、完全に校則違反よ。携帯すらも持ってきてはダメとなっているのに。」

「これ、携帯じゃないもん。」

理屈っぽい。麗香のイライラは真辺りのだけじゃなく、中島の存在も上乗せされる。

「あのね、ちゃんと見なさいよ。ここ、携帯電話などの高価な器機類の持ち込みは禁止って、書いてあるでしょう。ほら。」

麗香は自身の生徒手帳を開いて中島に突き出す。だけど中島はそれを見ようともしないで、タブレットを見続けている。

「知ってるよ。」

「高価な機械類は禁止なの、わかる?」

「これ、高価な機械じゃないもん」

「はぁ?」

そこで、やっと中島は顔を上げる。

「これ、光ファイバー契約した時にもらった0円タブレット。全然、高価じゃないもんね。」

沢田と藤木が噴き出して笑う。頭に来た。

「そういう問題じゃないでしょう!」

「じゃどういう問題?」

「人が羨ましがるような機械を持ってきたらダメって意味で。」

「えーこんな0円タブレット誰が羨ましがるっていうの、こんなの皆、持ってるでしょう。柴崎さん欲しいの?」

「欲しくないわよっ。そうじゃなくて、生徒の持ち物が高額になっていくのを防ぐ意味を含めて、団体生活においての規律を」

「柴崎さんが使っている定期入れ、ルイ・ヴィトンだよね。」

麗香は唖然として言葉を詰まらせた。

「えーと、確かこれだったよね。」

中島がタブレットを全員に見えるようにテーブルの中央に置く。画面には麗香が使っているカードケースの写真と金額が表示されている。

「うわ高っ、45800円!」沢田が大きな声で叫ぶ。

「ちょっと、やめてよ。」

「僕のこれは0円だもんねぇ。ぜ・ろ・え・ん」と強調する中島。

「私だけじゃないわ、皆、持ってるわよ。あっ、ほら、あんたの定期入れだって、ルイ・ヴィトンの最新物だったじゃない。」

麗香は真辺りのの隣に座る藤木に、その矛先を向けた。

「俺のは偽物だよ。ル・ヴァトンって書いてある。」

沢田がおなかを抱えて笑う。

絶対嘘だ。偽物を買う持つこと自体が違法なんだから、それが本当なら校則違反じゃなくて法律違反。

「うそよ。見せなさいよ」

「嫌だよ、なんで見せなくちゃならないんだよ」

「ずるいわ、そんなの。」

「あのさ、ずるいとかの問題じゃないだろう。そもそも、最明寺のどこを重視して発表するかって話なのに、カードケースは関係ないでしょう。」と藤木

「だって中島が」

「僕は、ちゃんと調べてたんだよ。最明寺のホームページを」

そう言って手を伸ばしてタブレットの画面をスライドさせ、麗香のカードケースの写真を消し、最明寺のホームページを表示させる。

「ホームページにどんな記事が載っているか。ほら外国人向けに英文でも紹介してるからさ。」

曲者、中島め~。そんなやりとも、真辺りのは微塵にも反応せず、図書館で借りて来た最明寺が記載されている本をめくっている。

このままじゃ麗香の腹が収まらない。まるで、自分が話し合いの場を乱したみたい。

「ホームページを見たいのなら、パソコンルームに移動したらいいわ。」

「えー、移動するの、面倒じゃん」

沢田がうんうんと中島に賛同する。

「気を利かせたらどうなの。この班には真辺さんがいるのよ」

ページをめくる真辺りのの手が、中途半端な位置で止まった。それでも顔を上げない。

「いくら0円でも、持ってない物をひけらかされるのって、嫌よね。」

「柴崎さん」藤木が、眉間に皺を寄せて私を非難するような目で見る。

真辺りのが、家にタブレットを持っているかどうかなんて、麗香は知らない。「真辺りのは、母子家庭である。」ただそれだけで貧困家庭と決定づけられるほどに、麗香は世間の事を何も知らないでいた。

「実際に高価じゃなくても、高価そうな物は羨ましくなるわ。そうでしょう真辺さん。」

やっと真辺りのか顔を上げた。ゆっくりと。

「わ、私・・・」

何時間ぶりの声、その声は英語授業で朗読していた声とは違って吃音がひどい。

「やめよう。パソコンルームへ移動しよう。」そう言って立ち上がった藤木が真辺りのを擁護する。それをされても、どこまでも無反応の真辺りのが腹立たしい。いつも、いつも「真辺さん、真辺さん」と取り巻く藤木を、やめさせたかった。取り巻きは麗香の特権。今、期間限定で無くなった取り巻きを、真辺りのがされているのが悔しい。

「それって、やっぱり真辺さんがタブレットを羨ましいと感じると、藤木も肯定したって事よね。」

「違う。俺はっ」

藤木は反論する口を、睨んでやめた。

「・・・う、羨ましい」真辺りのが小さくつぶやく。

「えっ?」麗香達は真辺りのが、その先を話すのを辛抱強く待つ。

「ル・ヴァトンのカードケース」

そっち!?

麗香と仲間たちは、真辺りの言葉に唖然と固まった。





叩いても、叩いても、真辺りのは、手ごたえがない。

もっと悔しい顔をするとか、泣きそうになるとかすれば、麗香はもっとすっきりするのに。

何故なんだろうか、なぜ真辺りのは、麗香の攻撃を受けないのだろうか?私の攻撃が甘い?

そんなことはない、結構、ひどい事を言っているはずだ。麗香は自覚があった。許されない事だと思う。だけど、許されるのが私、柴崎麗香、私自身がブランドなのだから。そんな麗香が、真辺りのより格下であってはならない。ふと、気づいた。成績が真辺りのより格下だと。だから、真辺りのは私の攻撃を受けても平然と、無反応だったのだ。真辺りのは、心の中で私を、馬鹿にしている。「頭の悪い人たちが何を騒いでいるのだ」と。麗香は勝手な妄想で、怒った。

一学期、中間テストの結果発表。

学園は成績に関しては、ノープライバシー。各教科200満点の総合得点で順位を決め、順位表を廊下に張り出す。

学年で自分がどれぐらいの実力があるのか、何の教科が不得意なのか、他人と比べてどこが劣っているのか?

しっかり見つめて、さらに上を目指せと言う方針。結果発表の日の朝は、掲示板の前に人が群がる。

早く見たくて、いつもより早めに登校してくる生徒もいるほど。

麗香も今日は、少し早目に家を出た。今回はいつもより頑張ったから、自信がある。

真辺りのの点数を、私が超えたら彼女はどんな顔をするだろうと思った。慌てるだろう。もし1位になれなかったら、特待の査定に響く。そうなると特待を外される可能性が出てくる。真辺りのは母子家庭。母親は、彩都市にある大学病院の看護師。タブレットも買えないカードケースもノーブランドしか持てない家庭で、特待を外されたら、ここの高い学費は払えないだろう。そうなったら、学園には居られない。

【学園のお金をむさぼる特待生】は、成績が落ちて、公立高校に転校していきました。となる。

なんて、いいアイデア。誰もできない事をやれるのが私。そうして頑張ったのに、麗香は真辺りのに、勝てなかった。

真辺りの、学年総合順位1位

柴崎麗香、学年総合順位13位

「すごい麗香さん、15位内に入ってるわ。」

「ほんと、すごいわー流石ね。」

駆け寄ってくる松原、高井、磯部、早川が久々に私を取り巻く。やっぱり、私はこうでなくっちゃ。高揚に浸るも、まったく心地よくない。真辺りのに、負けている。松原たちが言うように、麗香は今回初めて、学年20位内に入った。中等部に入ってから(小学部は成績啓示がない)の最高は35位、だから14位は、ものすごい快挙、なのに全然うれしくない。麗香は順位表を憎々しげに見つめた。

真辺りのは、英語、数学、理科で満点、社会が、180点、現国が186の総合976点。2位と42点の差をつけてトップだった。

麗香は現国が満点だったものの、他が180点前後で総合922点と足元にも及ばない。あんなに頑張ったのに。

「やっぱり、真辺さんが一位ね、」

「当たり前じゃない、特待生なんだもの。」

「すごいわ、英語、数学、理科で満点よ」

「数学、ものすごく難しかったのにね」

「それも当たり前じゃない、学力世界ランキング一位の、フィンランドに住んでいたのだから」

「じゃ、私達もフィンランドに住んだら頭が良くなるかしら?」

「それはどうかなぁ。住むだけで頭が良くなるなら私、今すぐ行くわ」

「あははは、そうね。」

高井、磯部、早川の言う通り、学力一位のフィンランドに住んだからと言って、全員が真辺りののように、特待クラスの頭脳になるわけじゃない。いくらフィンランドが国家戦略として教育に力を入れた国だったとしても、国内の中では優劣が絶対にあるだろう。それは幼稚舎から高等学校、そして大学まである常翔学園に置き換えても同じ、学力は県内トップ。関東内のトップ10にも名前が入る学園の質の高い教育を与えているにも関わらず、下位の成績から脱しない常連生徒がいるのだから。

という事は真辺りのは、本物の天才?

ううん、違う、違う。麗香は認めてしまいそうになる自分を否定した。真辺りのは小学に入る前の5歳で、父親の転勤でフィンランドに移住したと聞いた。英語でもピアノでも、なんでも早い方がいいと言う、5歳の幼き頃からフィンランドの英才教育を受ければ頭がよくなって当たり前・・・ん?父親の転勤?

【真辺りのは母子家庭】。って・・・あれは嘘?誰から聞いたのかしら?麗香は誰に聞いたのか思い出そうとしても、思い出せなかった。

登校してきた真辺りのが、階下の踊り場に姿を現す。直接本人に聞けば、最短で解決するのを、流石に聞けない常識を、麗香は持ち合わせていた。まあ、あとで誰かに聞けばいいか。と真辺りのが登りきってくるのを腕組して麗香は待つ。

相変わらず俯いている。あれじゃキモヨシと同じ、嫌になる。

「おはよう。」最後の段に両足が揃った瞬間に麗香から声をかけた。真辺りのは、ビクリと硬直し、おずおずと顔を上げた。

「お、おは、よ」

どうして、こんな挨拶一つ出来ない子が、特待生なのか理解できない。確かに勉強は出来るかもしれないけど、特待生はそれだけが資質要素じゃない。特待生規約に【全生徒の模範であるように】と明確に書かれてあるのに。真辺りのはその資質に合っていない。

真辺りのは、私がそれ以上何も言わないのを、少しだけ顔を傾げて通り過ぎて行く。そして、一度も成績表の貼ってある掲示板へと顔を向けることなく、教室へと向かった。

麗香は驚愕に、瞬きを忘れた。

「あんなに難しかった数学で満点だなんて、カンニングでもしたんじゃない?ねぇ麗香さん」

聞かずにはいられない。麗香は松原が話しかけてきているのを無視して、真辺りのを追いかけた。

「ちょっと!」教室に入ったところで追いついた。真辺りのが振り向く。

「どうして、見ないの?」

真辺りのは、麗香の顔を見ずに首をかしげる。

「気にならないの?点数。」

「べ、別に・・・」

「なっ!何よ、それ!。」思いのほか大きな声で叫んでいた。教室内に居た数人のクラスメートが、振り向いて麗香たちを注視する。

真辺りのが目を見開いて顔を上げた。初めて見たかもしれない、無じゃない表情を。

「あ、あっ」真辺りのが声にならない音を鳴らして、口をパクパクしている。でも麗香は怒りで、真辺りのが話せるまでを待てなかった。

「どんな自信よっ!どれだけ私、あんたに勝」

危ない。「あんたに勝とうと頑張った」なんて、恥ずかしくて、言うことじゃない。

「そりゃね、世界一位の学力を誇るフィンランドで生活してきたんなら、こんなテストなんて、簡単すぎて馬鹿馬鹿しいのかも知れないけど!少しは、点数を確認するぐらいの興味を見せないよ!」

真辺りのが下唇を噛んで俯いた。また、だんまり。これをやられたら、余計に攻めたくなる。

「あなた、全生徒の模範であると定められた特待生でしょう。テストの点数を確認して感情を表す事も、他の生徒達への見本になるんじゃないの!?、それとも、なに?順位の上下を一喜一憂するなんてみっともない。とでも?」

「そ、そう、じゃなく」

「ふんっ!じゃ何よ。」

「あ、あぁ、あの、みみみ、るあ、あと」

増々吃音がひどくなって、待つのがじれったい。

「わかっているわ!あんたが、私たちを見下している事を」

皆、思っているはずだ。それを私が代弁している。誰も面と向かって言えないから私が言う。

「気分いいでしょうね。タダで学園に通えて、馬鹿な私達を見下して。」

真辺りのの顔が、スーと蝋を流し込まれて瞬時に固まったようになった。目は瞬きをなくして麗香との空間を見ている。何なのよ、この子、人が話している最中に、物思いにふけるなんて!麗香は更に怒りを沸騰させる。

「あんたのその態度、その顔、気に入らない。」もう止まらない。

「あんたなんかっ」

「柴崎さん、もう、やめよう。」

麗香の肩を押し分けるように、藤木が割って入る。振り向けば新田慎一も3組に入ってきて、苦悶の表情で首を横に振る。

「それ以上は・・・。」

廊下には、教室の入り口を挟んで、遠巻きに人が集まっている。

「私は代弁者よ。皆が思っているの」

「だけど、それは、言っていい事じゃない。」

新田慎一の正論に麗香は何も言えなくなった。藤木が真辺りのの顔を覗き込んで、「大丈夫?」とささやく。

二人の男子に護られる真辺りの。

「何よ、これ。」麗香は周囲を見渡す。まるで私が悪者みたいじゃない。

「柴崎さん、真辺さんは」

「私だけが悪いって言うの?」

「悪いとかじゃなくて、あえて言わなくてもいいんじゃないかって」

「あえて言わないと、わからないじゃない!何言っても無反応、無表情。いつも、いつも、俯いて逃げて!それで言いわけ?模範であるべき特待生が。」

「だから、真辺さんは」

「査定に響くわよ。集団生活で孤立していると。」響かせるわよって、半分脅しを含めた。真辺りのに効いているのかどうかは、わからない。

「言っていい事じゃないセリフを、言わせた自分の態度にも問題があるって、見返るべきね。」

麗香は、捨て台詞的に言い放ち、教室を出た。人だかりの輪が割れて、花道ができる。

誰も、私の前に立ちふさがる事などできないはず。

それなのに

藤木亮。

新田慎一。

あの二人は立ちふさがった・・・・

「だから嫌なのよ!外部入試組はっ!」

麗香は、そのまま理事長室へと駆け込んだ。






「落ち着いたかね」

お父様が来客だと嘘をついて事務員に入れさせた日本茶を麗香の前に置く。

喉に詰まりそうになった栗きんつばを、お茶で流し込んで、息をついた。

麗香は理事長室に着くなり、真辺りのとの一連のいざこざを、父親にぶちまけ、一時間目の現国の授業をサボった。

「ええ、だけど腹が立つのは治まらない。」

「とても優秀な子なんだけどねぇ」

「勉強だけ出来ても、集団に馴染めないんじゃ、何の役にも立たないじゃない。」

「真辺りのさんは、ただ日本語が苦手って言うだけだからね。それさえ治れば」

「なんなのよ、日本語が苦手って、日本人でしょう、5歳まで日本に住んでいたんでしょう。」

「まぁ、まぁ。もう一個食べるかな?」子供をあやすように、麗香の父親は、自分の栗きんつば麗香の方へ押す。

「頂くわ」岐阜から視察に来た私立学校教育協会の人が土産に持って来たという栗きんつばは、外はカリッと中はしっとり濃厚でとてもおいしい。麗香が栗きんつばを食べる姿を、父親は微笑んで見守る。だから麗香はお父様が大好き。こうして授業サボっても怒らないし、現国の先生には体調が悪くて保健室で寝ていると、根回しまでしてくれた。麗香が理事長室に来ている事は、教師や事務員、生徒達には知られていない。理事長室に来る時は、まず隣の部屋、会議室へと入って、窓際左奥の理事長室へとつながる扉から入る。理事長室は会議室を挟んで向こう事務室まで、廊下に出なくても行き来できるようになっている。来客時は扉のプレートをスライドさせて来客中と示されるので、客が来ている最中に飛び込んでしまう事もない。そして会議室は、生徒も使う部屋なので、麗香が入って行く分に不審がられることはない。

甘くおいしい物を食べて、一通り言いたいことを言ったら、胸がすっきりした。

「あぁ。嫌だわ。ハワイに行くの。やめようかしら」

「そうなると、英語と社会のドリルをしなければならないよ。」

海外研修旅行は一学年240名の半分を分けて行く。もし何らかの理由で行けない場合は、学園で残った半分のクラスのどこかに入って通常授業をうけるのだけど、それとプラス、英語と社会の問題集を一冊ずつもやって提出しなければならない。絶対的にハワイに行った方が楽。

「私は、麗香と行けるのを楽しみにしてたんだがなぁ」

毎年、理事長が同行するわけではないけれど、麗香の父信夫は、自分の管轄である中等部に娘が進学してくる事を心待ちにし、そして海外研修旅行や修学旅行に同行できることを、ずっと楽しみにしていた。

麗香は、父親の分の栗きんつばを口に入れた。

「さぁ、そろそろ、アリバイ工作に保健室に行った方がいいんじゃないかい?」

保健室より理事長室の方が、心身の回復が早いのにと麗香は、ゆっくりとお茶を飲む。

「あっ、そうだ。お父様、真辺りのって母子家庭って聞いたんだけど本当?」

「そうだよ。」

「でも、フィンランドとフランスに住んでいたって、父親の転勤でって話じゃなかったかしら?」

「あぁ、そうだねぇ」

「帰国後に離婚したってこと?それとも離婚したから日本に戻って来た?」

「さぁ、そこまで私は知らないね」お父様は自分の茶器を初めて手に取る。

「絶対、嘘。知らないはずがないわ。ちゃんと、調べてるんでしょ。」日本茶を、ゆっくり啜るだけで答えない。

常翔学園の入学者は試験と面接だけで合格するのではない。表向き、その二つの公平な査定の下であるが、本当はもう一つある。それは家庭の素性調査。入学願書に記載されている両親の勤め先や年収に嘘はないか?借金はないか?そして一番重要なのが暴力団関係と繋がりの有無と、犯罪者が身内にいないかを内密に調べ、何か一つでも問題があれば、合格させない。はっきり言って、それは人種差別だ。だけど常翔学園は、そうした合格者を選んできているからこそ、高品位を誇れるブランドとなっている。

「麗香、流石にそれは、教えられないよ」

「そうよ、おかしかったのよ、いくら特待生だって言っても、うちが母子家庭の子を入学させるなんて」

「こらこら」

「ねぇ、どうして、母子家庭の子を入学させたのよ」

「母子家庭は、否、判定要素じゃないよ」

「うそよ。今まで、母子家庭の子なんて居なかったわ。」

「たまたまだよ」

「そんなことないわ。」

お父様は眉間に皺を寄せて困った顔をする。

「ねぇ、教えてよ、お父様ぁ、絶対に誰にも言わないから」麗香は猫なで声を出す。甘えれば絶対に麗香の言う事を聞いてくれる。

「仕方ないねぇ。追及はなしだよ。」

(やった!だからお父様、大好き。)麗香はうんうんとうなづいて体を乗り出す。

「真辺りのさんのお父様は、亡くなったんだよ。」

「亡くなった?」

一般的に麗香の親世代は30代後半から40代前半って所、亡くなるには早すぎる年齢。

「病気で?」

「追究はなしの約束だよ」

「もう!お父様嫌いっ」

麗香が不貞腐れて睨んだのを父は慌てて、宥める。

「じゃ、おまけ。事故で亡くなったそうだ・・・本当にここまで、さぁ、もう行きなさい。私も仕事がある」

そう言って、父は麗香の前のソファから立ち上がり、大きいデスクへ座り直した。

真辺りのの父親は、事故で亡くなった・・・・

いつも俯いて暗くて嫌だと思っていた事の理由が、父親の事故死にある?

麗香は自分の父親の姿を見つめた。

(大好きなお父様が、もし明日事故で死ぬようなことがあったら・・・)

うん、確かに顔を上げられない。毎日、毎日泣いて、泣いて、きっともう学校なんて来れなくなる。

真辺りの、辛い経験をしたんだ・・・。





一時限目の終わりの休み時間に、麗香は教室に戻った。相変わらず真辺りのは自分の席で俯いている

「柴崎さん、大丈夫?」

「心配したわ」

取り巻き達がこぞって私に駆け寄って、それらしい顔をする。うざい。

「誰かさんのせいで具合悪くなっちゃって、麗香さん、ほんと、かわいそうだわ」

麗香に送られた「可愛そう」という言葉が申し訳ないほどに、真辺りのの母子家庭の理由が辛辣だった。もう一度、視線を真辺りのに戻すと、彼女は席から立って麗香を見ては、俯く。

「ねぇ、麗香さん」

「ちょっと、どいて」麗香は、しつこくご機嫌とりをしてくる松原を押しのけて、真辺りのに向かった。

真辺りのの隣に腰かけていた藤木が立ち上がって、また麗香から真辺りのを守ろうとする。

「柴崎さん、真辺さんは悪気があったんじゃなく、」

「黙って。私は真辺さんと話しがしたいの。」私は強く藤木の言い訳を止めた。藤木は唇を噛んで私を睨む。

真辺りのは何か言いたげに口を開けてはいるけれど、声にならない。握りしめた手が小刻みに震えている。

日本語が苦手?・・・本当に苦手なだけだろうか?

「少し、言い過ぎたわ。ごめんなさい」

「し、柴崎、さん・・・」初めて、真辺りのから名前を呼ばれた気がする。

「だけどね、言った内容は撤回しないわ。私の思っている事のすべてだから。」

真辺りのは、わずかに頷きながら俯いた。

だから、その俯くのもダメなのよ、もっと胸張りなさいよ、自分は誰よりも優秀なの、だからその報酬として授業料が無料なんだと。麗香はため息を吐いて、踵を返した。

「わっ私・・・みみ、見えない」

「え?」搾りだすような声を発する真辺りのを、麗香は振り返る。

「たた、高すぎて・・・だ、だから・・」

何を言っているのか、麗香は理解できない。

「みみ、皆が、いいいいなくなって、見る」

真辺りのは、そこで一旦唾を飲み込み、大きく吸った息を吐き出すように言う。

「し、身長が・・・たた、足りない」

「・・・・・。」

麗香は、真辺りのの身長を隣に立つ藤木と見比べてから、噴き出した。

「あははは、」この子、面白い。

「柴崎さん、笑い過ぎだよ」藤木が言う

「そう、そうね、ごめんなさい。わかったわ。教務課に言ってもっと見やすい啓示にしてもらうわ。」

麗香は、日本語が苦手というクラスメイトが搾りだす言葉を、これからは、もう少し待ってあげようと思った。












英会話には自信があった。英語教育に力を入れてきた常翔学園で、幼稚舎から初等部と、ずっと英会話は学んできた。外国人講師によるネイティブ授業では、そこそこに聞き取れていたはずが、現地で、こんなにも聞き取れないなんて思いもよらなかった。飛行機を降りてから何度、『what? pleas slow』を繰り返したことか。麗香は一体、今まで何してきたのかと溜息が出るばかり。

意外なことに、麗香は他の生徒達に比べて、海外旅行の経験は少ない。14年の中で、海外に行ったのは、幼少の頃に、ハワイとサンフランシスコとイギリスのみで、それも、3回うち2回は学校経営をしている両親が、海外の学校を視察するのを兼ねた旅行であり、しかも麗香は幼過ぎて記憶に残せていない。海外旅行の記憶を留めて、尚且つ楽しめるような年齢になった頃には、麗香の祖父、総一郎が体を悪くし車いす生活になって、麗香の母、文香は介護と総一郎の仕事を引き継ぎ多忙になり、海外視察や旅行なんて行ける状態ではなくなった。残りの一つ、ハワイは麗香が9歳の時に、麗香の幼馴染、白鳥家の家族が麗香を誘って連れて行ってくれて、麗香の唯一記憶に残せている楽しかった海外旅行と言えば、そのハワイ一つのみ。だから、この海外研修旅行は、ずっと楽しみにしていた。それが、なぜか真辺りのと組むことになった部屋割りと行動班。取り巻きに囲まれて、何不自由なくハワイを満喫する情景が揺るがない絵として頭に、今でもあるのに、実際は、税関、入国審査で、容赦ない早口の英語に聞き取れず、麗香は言葉詰まらせ、みっともなく、おどおどとしてしまう。その姿は、学園での真辺りのの様子と同じ。言葉を話せないもどかしさを麗香は身をもって経験をする。

その反面、真辺りのは、もちろん税関、入国審査を平然と済ませて、藤木と英会話を続けている。立場が逆転したように、麗香は自信を消失して俯く。何故あの時、自ら「私が真辺さんと二人組になる」と言ったのか、自分の言ったことに後悔はしないけれど、過去の状況を反芻して、自分を納得させなければ気持ち悪い。

10人のうち誰かが絶対に真辺りのと組まなければならなかった。高井、磯部、早川の三人が一緒の部屋になりたいと言ったのは至極当たり前、三人は茶道と華道の兼部で普段から仲がいい。ただあの時、三人が「一緒になっていいか」と切り出したのは意外だった。おとなしい彼女らは、麗香の取り巻きにの中にいる事で学園内での身の保持を確保している為、麗香よりも先に発言するという事は皆無だった。おそらく彼女らは前々から計画していたのだろう。何かを提言される前に麗香に懇願しようと。それに関しては、麗香は特に何も思わない、自分がその立場なら、きっとそうしていただろうし、中の良い三人組をわざわざ引き裂くのは、あの時点で非効率、麗香が男子としゃべっていて、他のクラスメートよりも話し合いが遅れていた事も三人に幸いした。

じゃ、こうなったのは、やっぱり松原芽衣が原因かと、彼女を見れば、三浦さんの腕にしがみつくようにべったり。小高円佳はその側で一人ポツンとしている。これじゃ、小高円佳は真辺りのと二人組になっても一緒な状況だったんじゃないかと思う。でもまぁ、三浦さんは当たり障りなく小高を邪険にはしないだろうから、真辺りのと二人だけの班になるようりはマシだったと麗香は考える。

それにしても松原芽衣の取り巻き行動は、遠目からでもうざい。三浦さんがお気の毒と思う。松原芽衣と同じ班になるぐらいなら、真辺りのの方がいくらかマシかと、結局はなるべくしてこうなったと麗香は気分を落ち着かせた。

それに、【真辺りのは、役に立つ】

麗香たちの班は、この後すぐに行われる、現地のジュニアハイスクールとの交流授業において、日本を紹介するテーマ、麗香の班は学園のある香里市の名所最明寺の紹介をする。だけど、このテーマが一番難しいと嫌煙されていた。それを班長である沢田がくじ引きで引いてしまった。そのスライド作成において、まとめたり、英語に訳したりするのを、真辺りのに任せれば、最短で完璧だったし、発表の発音練習も、先生を捕まえなくても真辺りのが使えた。

英「柴崎さん、バス乗り場に行くよ。」藤木が英語で麗香を呼ぶ。麗香は大きくため息をついた。

英「大丈夫?元気ない」真辺りのが無表情に言う。何が大丈夫?よ。その能面のような顔で言われても、口先だけってわかるわよ。

「大丈夫よっ」麗香は苛立ち気味に放つ

英「日本語禁止だろう」藤木が指摘する。

この海外研修旅行では、ハワイ滞在中は日本語が禁止、日本人同士でも英語で話さなければならないルール。これまで培った英会話力を駆使し、空港の手続きやホテルのチェックインまで一切教師を頼らない。自分たちですべてこなさなければならない。一学年の半分の120人の学生団体旅行だと空港職員もわかっているから、本来ならあらゆる手続きは、簡潔に省略するはずが、そこも勉強と、学園はあえて交渉して、省略しないように頼んである。空港やホテルでは常翔学園の為だけにスタッフを増員して対応させていると、お父様から聞いていた。だから空港職員は、にこやかに、わざと色なことを聞いてきていた。その会話だけで麗香はぐったり、余計なことする学園の質の高い志を嘆いた。

「来年から無駄な交渉をしないように、変えてやるわ」

このままじゃ修学旅行も余計な事をしてそうだ。日本に帰ったら父親に訴えるんだと心に誓った。首をかしげている二人を押しのけて麗香はスーツケースを引っ張る。

英「行くわよ」

「柴崎がもたもたしてたんだろう」沢田が麗香に突っ込む。

英「黙って、日本語禁止よ!」

沢田の怒り握る拳を、藤木がまぁまぁと宥めるのを尻目に、麗香は率先してバス乗り場へと歩む。



現地の「マノアグラマースクール」に到着した。常翔学園と交流提携しているこの学校は同じく私立の学校で、高校も併設されている。受け入れ生徒数は常翔の半分だが、施設は同等クラスで、ハワイのという気候景観が広大さを印象付ける。学校全体で常翔学園の訪問を歓迎してくれていて、玄関ロビーには日本語で書かれた「ようこそハワイへ」の垂れ幕が下がっていた。

スクールの理事長、校長たちと一部の生徒によるグリーティングセレモニーが講堂で簡単に行われて、スクール施設内の視察を兼ねて校内を周り、そして割り当てられたクラスへと振り分けられる。スクール全体のクラスへ2つの班がお世話になる為に現地の生徒は、毎年、日本人との交流を体験していて、もう5回目という生徒のクラスもある。麗香たちがあたったクラスは幸いなことに今回が初めてという年下のクラスだった。

マノアの生徒がハワイの特色や気候、学校周辺の施設などを英語で紹介。それは麗香たちが自分たちの町を紹介するのと似たような物で、どっちが優劣かなんてない。しいて言うなら、母国語で紹介できるスクールの生徒たち方が当たり前に余裕があって、堂々としているのを、良いわね。と麗香は嫉妬する。逆に自分が常翔学園で受け入れる立場だったら、もっと、すごいのを作って歓迎するわと、変な負け惜しみをする。

そして麗香たちの発表の番、言い争いをしながらも作った、香里市の名所である最明寺の紹介は、ホームページに載っているありきたりな施設紹介の内容は簡潔に省き、おみくじや除夜の鐘など、日本ならではの季節行事をクローズアップした。日本の文化や習慣を、外国人に説明するのはとても難しい。日本という国民気質を含めた精神論をも説明しなければならない。それらを、すべて押し付けるように真辺りのに任せた。それが効して、麗香自身が言うのもなんだけど、とてもいい内容のものが出来たと自賛している。

麗香は、所々カタカナで発音のフリガナを書き込んだ資料を見ながら、英語を披露する。英語の発音は真辺りのに劣るけれど、持ち前の堂々さは劣らない、言語が違っても人の前に立ち発言することは、麗香の得意とするところ。自分の番を終えて使っていた指し棒とスライドの操作リモコンを真辺りのに渡し、ほっと一息。最後の日本の文化や習慣を説明する一番難しい所の発表の部分を真辺りのが担当する。真辺りのが、スライド画面の隣に立った。あちゃー届くかしら、スライド画面は高い天井の上から下がっている、麗香が指し棒を使わなければならなかった場所は下の方だったから、大丈夫だったけれど、真辺りのが説明して指す場所は上位にある。

英「この写真の・・・困ったことに届かないわ。流石はアメリカンサイズ。日本人には酷ね。」

マノアスクールの生徒達がどっと笑う。

英「この身長差も日本人の文化ともいえるわ。」

麗香は慌てて自分の資料内を探す。マノアスクールの生徒は何に笑っているのか。隣に立つ沢田に小声で「どこで笑っているの?」と聞いても、沢田も「俺が真辺さんの英語を聞き取れるわけがないだろう」という。

「アドリブ、届かなった自分の身長をジョークに変えて、日本の文化を紹介している」藤木がそうささやく。

英「説明に戻ります。あの鐘を鎚と言われる叩き棒で打ちます。回数は108回、この回数にも意味があります。」

届かない指し棒の代わりに身振り手振りを交えての発表、マノアスクールの生徒が、真辺りのの説明に、引き込まれて興味深々でいるのがわかる。そして、麗香は気づいて驚いた。

「あの子、資料持ってない」

「うわっほんとだ」沢田も驚く。

「真辺さんが、ほとんどを作成したんだぜ、覚えて当たり前だよ」藤木があきれたような顔をする。

アドリブも交えて、ジョークも入れて、現地スクールの生徒を引き込ませる。完全に完敗。勝負してないけど。

発表が終わっても気は抜けない、マノアの生徒からの質問を受けて答えなければならない。

一人に一人づつを順番にマノアの生徒を指して自分で答える。

運悪く難しい質問に当たったら最悪で、しどろもどろの英語力に教室は、しらけて嫌な空気になると先輩たちから聞いていた。

最初に班長の沢田から、沢田の質問は簡単な物だった。それなら、麗香も答えられると、いいなぁと羨ましく思いながらも、次は麗香の番。質問自体が聞き取れない、もしくは内容がわからないという事もあると聞いていたから、祈るような気持ちで、おとなしそうな眼鏡をかけた女生徒を選んだ。

英「服装が皆、同じ、男の子は白いシャツにチェックのズボン、女の子は海兵みたいなデザインシャツにチェックのスカート。とても素敵だけど、皆同じなのはどうして?」

何?なんて言った?「どうして」だけは聞き取れたけれど・・・どうしよう。麗香はひきつって、班のメンバーへとSOSをだす。沢田と中島は、大慌てで首をふり、☓を作る。

「どうして、皆、お、同じ服を、き、着ているのか?と。」真辺りのがこそっと教えてくれる。

「どうしてって、制服だから・・・・。えーなんて答えたらいいのよ。」

見かねた真辺りのが、小さく溜息をついて。私のマイクを取り上げて、そして流暢な英語で説明し始めた。その真辺りのの英語すら、

麗香は理解できない。

英「これは、制服です。日本の学生は学校から定められた服を着なければならなくて、学校ごとに違うデザインなの。誰がどの学校に通っているか一目瞭然。私達は、学校の誇りを持って毎日、この制服を着て登校しています。」

英「とても素敵だわ。私達グアムの学校には制服はないから。」

英「ええ、毎日、着る服に悩まなくて済むわ。」

真辺りのが何かを言うたびに、マノアの生徒は笑って、そして安堵の雰囲気が漂う。

その後の、中島が指した生徒の質問も真辺りのが答えて、藤木は自分で答えて、真辺りのが選んだ質問も当然に自身が答えて、その流れでスライド発表の締めくくりをして、終えた。

麗香は、真辺りのと同じ班になって心底、良かったと、小さな戦士の活躍に感謝した。

発表会を終えて、昼食でも、マノアの生徒と交じって食事をする。ここではやっぱり食べ物の話になって、それぐらいならよくある英会話で麗香も手振りを交えて交流ができた。真辺りのは生き生きとしている。麗香以外のクラスメートと4組の生徒たちまでもが、学園と違う彼女の姿に唖然としていた。

昼食を終えると今度は真の意味での交流会になる。マノアの生徒が主となって、様々なゲームをする。カードゲームだったり、しりとり的な物、中でもフルーツバスケットに似たゲームが盛り上がって、お調子者の藤木亮なんかは、現地の生徒と意気投合して、ハイタッチして仲良くなっていたりする。そして、真辺りのも。学園ではしゃいだ姿なんて皆無だったのを、マノアの生徒と笑って話している。帰りがけに現地の生徒とハグまでしているのを見たら、本物の帰国子女だったんだなぁと思い知らされた。



「まったく疲れてなさそうね。」

「そ、そう、でも、ない」

私に気遣ってか、日本語で答える真辺りの。

交流会を終えて、貸し切りのバスに乗り込む。当然にバスに座るのも班ごとだから真辺りのと隣同士。

「いいわね。ぺらっぺらっな人は。」

「・・・・。」

さっきまでのはしゃいだ姿はどこへやら、俯いて無表情になる真辺りの。その姿に喝を入れたくなったけれど、彼女にそれ以上の突っ込みをするのは流石にダメだろうと留まる。それよりも言わなくちゃならないのは。

「だけど、ありがとう。あんたのおかけで、スライド発表は成功したわ」

真辺りのが、少し驚いた表情で振り向き私を見る。

「あ、あ、わ、わ私」

「いいわよ。英語で。英語の方がスムーズに話せるんでしょう。」

英「それだけが、取り柄だから、マノアの生徒達は、日本の文化を知れてとても良かったと。日本を訪れたいと話していた。」

「やっぱり、やめて英語は。」麗香の身勝手が出る。

「あ、ああ、え、英語、トトと取りえ、マノアのせっ生徒、よよっかった。ににに日本に、いいいきたい。と」

日本語だと、思った事を存分に話せない真辺りのが不憫に思えた。

真辺りのは、「ごめん」と小さくつぶやくと私の視線から逃げるようにバスの外の景色を見る。

なんだかなぁ。同じ日本人でクラスメートなのに、マノアの生徒よりも交流できないって・・・麗香はため息をついた。

後で乗り込んできた藤木が通路を挟んだ隣の窓際の席にどかっと座る。

続いて沢田が、往路では藤木の隣に座っていたのを、元々誰も座らない中島の隣の席に座った。何やら中島の持ってきているタブレットの画像を見せてもらっているよう。私は藤木の空いた席に移り座った。

「ねぇ、結構、流暢に話していたじゃないの、留学でもしてたの?」

藤木は私が隣に移動してきた事を、嫌そうに顔をしかめながら、足元に置いたリュックからペットボトルの水を取りだす。

「いや、留学はしてない。2歳の頃から英語は、嫌だと言っても週3で教室に通わされた。」

水をがぶ飲みするのと、バスが発車するのが一緒になり、勢いついた水が口からこぼれて、藤木は制服の胸元を濡らす。

「やだ、もう。」

麗香はポケットからハンカチを取り出し、藤木に差し出す。

藤木は驚いて、私の顔をじっと見る。

「何よ。」

「いや・・・いいよ。自分のを使うから。ありがとう」

「そう言って、ポケットからハンカチを取り出す。男子がハンカチをちゃんとポケットに入れている事に感心した。そのハンカチを見れば、ちゃんとアイロンもかけていて、有名ブランドの刺繍があるのを見逃さない。

藤木は福岡県からの寮生、田舎者だと馬鹿にしていたけれど、よく考えてみれば、常翔の寮生になるには、高い授業料と同等の金額の費用が必要。サッカー推薦の合格特典として、入学金免除とユニホームやクラブに必要な準備品は学園からの支給になっているけれど、特待生ほど優遇されていない。カードケースも良い物を持っていたし、2歳の頃から英語を週3で通っていたという事も加えれば、中々のお家だと見た。

「教育熱心なお家なのね、家は福岡だったわよね、何をしてるの?ご両親。」

藤木は濡らした服を拭いていた手を止めて、目を細めて私を見る。目が悪いのか、藤木はよくこの仕草をする。

「違うよ」

「は?」

「教育熱心でもないし、福岡でもない」

「え、うそっ」あれ?記憶違い?「じゃ、どこよ」

「さぁ~?」

「はぁ?!」

麗香の素っ頓狂な叫びに、前の席に座るクラスメートが振り向く。

「あんたっ何とぼけてるのよ。自分の実家がわからないって。」声を落として、藤木に顔を寄せる。

「もぅ~、うるさいなぁ~、俺、疲れてんだよ。」

(私に対してうるさいなぁとはよく言ったわね。)と麗香のプライドが噴気する。

「疲れてなんかないでしょう、真辺さんと一緒になって、楽しんでいたんだから。」

「そんなことねぇよ。ついていくの必死だよ」

「嘘ばっかり。」

「なんだよ~」

藤木は窓に肘をついて外の景色へとそっぽ向く。

「どこなのよ。実家。」

「どこでもいいだろ」

何故に頑なに言わないのか理解できない。

「良くないわよ」

「お前なぁ、いい加減に、その暴君な接し方やめろよな。」

「暴君って誰よ」

藤木は一瞬固まって、そして顔を伏せ、声を殺して笑う。

「ちょっと・・・何よ」

「お前、意外に面白いっていうか、素直だな。」

「ちょっと、お前ってやめてくれる、そんな呼ばれ方、今までされたことないわ。」

「あぁ、ごめん。だけど柴崎さんも俺の事、あんたって言うだろう」

「あぁ、そうね、でも私は」良いのよって言うのを遮られた。

「私だけは良い、私だから良い、それが暴君。横暴な権威で苦しめる君主の事を指す」

麗香はムッと顔をしかめた。

「暴君はいつか崩壊するのがセオリー」

「何が言いたいの?」

「何も。言葉通りに。」肩をすくめて、片方の眉だけをあげる。

何こいつ・・・

「どう、捉えるのかは柴崎さんの自由」

藤木は、足元に置いたリュックから、今度は粒ガムを取り出して口に入れる。

「要る?」目じりに皺を寄せて、差し出されたガムを、「要らないわ」と突き放し、自分の席に戻った。

麗香を、横暴な権威で苦しめる君主と言った藤木亮。あまりにもさらりと痛い所を突いて来るので、麗香は反撃も激怒できなかった。

同級生にそういう指摘をされたことが初めてだった。釈然としない。藤木は腕を枕に窓に頭を寄せて目をつぶっている。

 外部入試組がクラスに半分を占める中等部の生活。思い通りにいかないのは当たり前と納得できるほど、麗香の心情は単純じゃない。プライドもある。それも学園では最高位のプライド。外部入試組の藤木が君主と言うほどに、麗香の君主たるものは周知されて認められていること。

『暴君はいつか崩壊するのがセオリー』

(崩壊する?私の学園生活が?どうやって?)

学園経営者の娘というのは崩壊しない事実だし、学園が倒産するとか?そんな馬鹿な。経営は順調に黒字会計。

他に崩壊するものと言えば・・・・

前の席の女子の笑い声が高鳴った。藤木の言葉に振り回されて考え込んでいる自分に、麗香は馬鹿馬鹿しくなった。

何故こんな話になっちゃったのよ。私、聞きたいことあったのに。




二日目は、ハワイに点在する戦争に関する記念館や歴史博物館を見学するツアー。

戦艦や、ゼロ戦、B29などの戦闘機を間近に見られて男子たちは歓喜にはしゃいでいるけれど、麗香は興味がない。

確かに大きさに迫られる威圧感みたいなのはあると思うけれど、興奮するほどじゃない。興味がないから、つまらない。もちろん解説は一部を除いてほぼ英語。ますますつまらない。

「戦争の歴史背景を学び、平和の大切さを心に刻もう」ってつけられたツアー指針も、私たちの未熟なヒアリングじゃ、理解したくても無理な話。麗香はお手上げ状態で、真剣に解説を聞くことをあきらめた。

真辺りのは、展示されている解説の英文の全部を読んで歩き、ガイドの説明にもうんうんとうなづいて、時に質問をして、まじめに満喫。お父様がとても優秀な子と絶賛するはずだわ。と麗香は素直に認める。

 周回順序をずらした4組と、駐車場までの小道ですれ違う。

「藤木~。もう俺、駄目。今すぐ日本に帰りたい。」がっくりうなだれる新田慎一が藤木の姿を見つけて泣きごとを言う。

「あははは、なんだよ、その顔。」

新田慎一は藤木と違って英語が苦手、この間のテストも補習を受けるというほどで、サッカー推薦とは言え、厳しいわが常翔学園の入試をどうやって突破してきたのかと不思議に思ったから、お父様に聞くと、確かに英語は落ちてもおかしくない点数だったという。それでも、あのサッカー技術は他校に取られるには惜しいとサッカー部監督とコーチから絶賛があり推薦枠に決定した。と教えられた。

「かなり弱ってるな。」

「もう無理、これ以上、英語は聞きたくない。」麗香も同じ、帰りたいとまでは思わないけれど、英語はもうおなかいっぱい。

新田慎一がぐったりと、耳を塞ぐ。それに真辺りのが近づき、ささやく。

英「君の好きな歴史博物館だよ、とても楽しかった。勉強になる。これが楽しめないなんて、あぁ、なんて不幸、英語ができないばかりに。」

「やめろ~。吐きそうだぁ。」

三人でふざけあう真辺りの、マノアの生徒と交流する時と同じぐらい自然だった。

英「おもしろい。じゃぁフランス語ならどうだろう」仏「吐くなら、博物館に入る前にどうぞ。トイレはゲートの前、左手にある。」

「ニコぉ~英語は、やめろって~」

「馬鹿、今のはフランス語。フランス語と英語の違いもわからないなんて情けない」

「うー、くそぉ~」

真辺りのが、新田の前では普通に喋れている。

日本語が苦手じゃなかったの?私の前での、あのおどおどした話し方は、演技?だとしたら、ものすごい演技力、アカデミー賞ものだ。麗香はうーんと唸った。演技する必要がどこにある?

「じゃな、新田、玉砕してこいよ~」

「あぁ、ほんと特攻兵の気分だぜ」

新田は情けなく肩を落として博物館の方へと歩いていく。麗香も幼稚舎からの友人達とすれ違いざまに言葉を交わしながら歩く、もう誰も生徒間では英語を使っていない。そんな風に前をちゃんと向かずに歩いていたから、麗香は誰かとぶつかって、相手の持っていた黒いバインダーを落としてしまった。すぐさま拾ってあげて、手渡す

「ごめんなさい・・・・げっ。キモヨシ。」

ぶつかった相手は、キモヨシ。世界史の吉崎先生は4組の同行教師、にも拘わらず遅れて、ハワイの小道でも端っこを歩いている。

「ちょっと、何しているのよ。4組、行っちゃっているでしょう。あんた何のための同行なのよ。」

前を向いてなかった麗香が悪いくせに、ぶつかった相手がキモヨシだったことに腹が立って、一気にまくしたてる。

「あぁ、あ、す、すみません。」キモヨシはおどおどしてバインダーを奪い取って後ずさる。その猫背がハワイの爽快な景色を台無しにしているようだった。

「まったく、教師失格よ。」

遠慮のない言葉が口から出る。でもこれぐらい平気、皆はもっとひどい事を陰で言っている。私は代弁者。

キモヨシは麗香を遠ざけて博物館へと小走る。その走り方も気持ち悪い。

あーもうもう最悪・・・麗香は少し先で待っていてくれていた真辺りのもとに小走りで駆け寄る

「ごめんね、行きましょう」

でも真辺りのは記念館の方に顔を向けたまま歩み進もうとしない。 

「どうしたの?」

「う、ううん。な、なんでも、ない。」

そのおどおどしさは、キモヨシと同じじゃない、と麗香は、もう呆れた。

先に乗り込んだバスに、真辺りのが後から来ない。麗香は自分の席に座って、前方に顔をのぞかせる。藤木が乗り込んできたので、「真辺さんは」と聞くと藤木は「あっち」とバスの前方を指さした。

真辺りのは、バスの一番前の一人席に座って、現地コーディネーターと運転手を交えておしゃべりしていた。もちろん英語で

麗香はため息をついた。

「なんなんだろう」つぶやいた言葉に、藤木が目を細めて私を見る。

「お悩みですか、天下無敵の柴崎麗香お嬢様が」

「なによ、昨日は暴君って言った癖に」

藤木は「気にした?」と挑戦気味に、にやつく。

「別に」麗香は応戦的に姿勢を正す。

「そうだろうね、それが柴崎さんの良い所。」

何なのよこいつは、どこから目線よ。

「悩むってことは、どうにかしたい気持ちが生まれたから」

「悩んでる、なんて言ってないでしょう」

「そうだね、その強がりも柴崎さんの良い所」

「あーもうっ!」

乗車してきたクラスメートの田島がちょうど麗香の脇を通って、「なにっ」ってたじろぐ。

「なんでもないわよ、早く行って」

「んだよぉ」と田島は不貞腐れて一番後ろの席へと進む

藤木は、ひじ掛けに手に顎を乗せて、前を向いたまま、くすりと笑う。

「真辺さんよ、」

何故、このどこから目線かわからない藤木に、しゃべり出したのか、自分でもわからない。いつもの麗香ならプライドがそれを許さないはずなのに、だから躊躇するも、言いかけた話をやめるのも、もう遅いと麗香は、息を軽く吐いてから続けた。

「日本語が苦手と聞いたわ。帰国子女だから、まぁそれはそうなんだって、納得した。何か月も一緒に生活してきた私達よりもマノアの生徒や、あのコーディネーターや運転手との方が楽しそうなのも、仕方ないなって思ってた。だけど、さっき、新田と普通に話していたわ。どうして?」

「新田は、真辺さんと幼馴染だからね」

「知ってるわ、だけど日本語が苦手というなら、新田だけ普通に話せるっておかしくない?」

「嫉妬?」

「違うわよっ」

「バレンタインのチョコレートあげてたじゃん。」

「あれは、義理チョコよ。それにあんな無礼されたら、わずかな好意もなくなるわよ」

「あははは、だよな。」

「やっぱり、知ってたのね。」

「あぁ、あの後すぐに聞いて、お腹抱えて笑った」

「前代未聞よ。私の事を知らないなんて」

「新田らしいっちゃ、新田らしい。周りを見てない。」

バスが走り始めても、真辺りのはコーディネーターと話をし続けていて、席に戻ってくる気配はない。

「で?真辺さんの事、どうして?」

「それ、聞いてどうするの?」

「どうって・・・」

「また、真辺さんをいじめるネタにするの?」

「そんなことっするわけ・・・」ないと言い切れなかった。麗香は感情任せに行ってしまう事があると自覚していた。それでも自身の言葉に責任を持って来たつもりだ。

「私は、ただ・・・」

「っても、俺は、理由なんて知らないけどね。」真辺りのへと顔を向けたまま、シレっと答える藤木。

「はぁ⁉」

知らないはずがない。藤木は情報通。寮生だから先輩たちから仕入れた情報が数多くあるはず。それだけじゃなく、スライド発表の作成に当たって、一緒に調べものをしていると、幅広い知識をもっているなぁって感心した。

「嘘ばっかり」

「そう、俺は嘘つきさ」そう言って、にっこりと私に笑顔を向ける。

この~曲者、くわせもの。スケコマシ。この笑顔で美玖を惑わしたのね~。去年のバレンタインデーに小学部からの友人、花巻美玖が藤木にチョコレートをあげた。美玖はただチョコをあげるだけにするか、ちゃんと告白をして付き合ってくださいと言うか、迷っていた。サッカー部員はやっぱりモテる。去年の全国大会で、一年で唯一ベンチ入りし、怪我をした2年の選手の代わりに出場した新田が一番多かったと聞いた。新田は私にしたのと同じく、全員に困ると言って断っていた。勝手に机の中に入れられていた物も返しに行くと言う徹底した公平ぶり。その反面、藤木は美玖のほかに3人ぐらいから貰って、すべて、にこやかに受け取っていた。美玖がそれを見て、告白するのはやめると落ち込んでいた。

「代わりに、俺の家のこと教えてあげるよ」そう言って、通路を超えて麗香を奥へと押し込むように座席に滑り込んでくる。

「なっ、何によ」麗香は体をのけぞらせた。

「知りたくないんならいいけど」

「・・・どこよ。」

「東京」

「東京⁉通えるじゃない。」また嘘だわ、東京なら別に寮生にならなくても通える、どんなに不便な東京郊外でも、東京から学園まで一時間半もあれば到着する。

「めんどくさいんだよ。電車に乗るの。寮なら徒歩3分」それが本当なら、めんどくさいって理由だけで、高い寮の費用を出せるのは中々の家。

「そりゃ、贅沢さま。でご両親は何をされてるの?」

「さぁ~、何してるんだろうねぇ」

「また、とぼけて。それは内緒とかは許さないわよ。自分から言い出したんだから。」

藤木は、眉をあげて、髪をいじる。

「柴崎家みたいに、誇れるお仕事ならいいんだけどね。」

「いかがわしいの?」麗香は頭と声を潜めた。

「ビルや土地をいくつか持ち、上場企業の株を保有。」

「資産家じゃない。」

「何してるかわからんだろう。」

「そんなことないじゃない。東京で資産持ちって中々よ」

「東京じゃないけどな。アッ真辺さん、お帰り。」

真辺りのが、黙って通路に立ち尽くしている

「ごめんね。柴崎さんが、話し相手が居なくて寂しいって言うからね、仕方なく相手していたんだぁ」

「っあんたねぇ」曲者ものの藤木は、割れんばかりのニコニコ顔で真辺りのに席をあけて、自分の席に戻る。

「真辺さん、運転手さんと、何を話してたの?」

「え、えーと、こ、この先、い岩がある。目の部分に風が。がガメラ、な、鳴き声。」

「ガメラ?」

真辺りのはコーディネーターから配られたハワイの地図が乗ったパンフレットを取り出し、海岸沿いの場所を指さす。

「もう、す、すぐ、と、とおる、ここ」

真辺りののたどたどしい説明によると、も少し先の海岸線に、亀の形に似た岩がせり出していて、ちょうど目のあたりが空洞になっている。そこに海風が吹き込むとガメラの鳴き声みたいな音がするらしい。それほど大きな岩でもないから、パンフレットに乗せるほどの観光地というわけでもなく、たまたま教えた日本人観光客にガメラみたいだ聞いて、それからは日本人の観光客にはガメラ岩だと、余談で紹介しているらしい。    

「が、ガメラって、何?」

「あっそうか、真辺さんは知らないんだぁ、昔の邦画。えーと、ゴジラってハリウッド映画は知っている?」

「し知ってる。」

「そのまぁ。仲間だよ。」

「仲間ぁ!?そんな簡単な括りしちゃうわけ?」麗香も話題に入る。

「じゃーなんて言うんだよ。」

「んー。そうね。同じ映画会社が作った亀形の・・・・キャラ。」

「キャラって!それだと、ゆるキャラ想像するだろう。」

「あ、あれじゃない」     

麗香側のオーシャンビューはハワイの青い空と青い海が広がる。白い雲とヤシの木がコントラストに彩る景色。

小さな岩礁が浅瀬に突き出ている。ガメラというより、ウミガメと言った方がハワイに合うんじゃないかと麗香は思った。麗香は窓を開ける。車内にぬるいが風が入り込んでくる。

「柴崎さん、やめてよ。熱いじゃないかぁ」と沢田。

「ガメラの鳴き声が聞こえるんですって」

ヒュオーオオオオという音がカーテンをはためかせた。それは想像していたガメラの鳴き声とは違う、高音域のどっちかというと鳥の鳴き声みたいだった。

「どこが、カメラの鳴き声だよ」

「だいたい、ガメラは鳴かないでしょう」と口々に私を責める男子。

「知らないわよ!コーディネーターが、そう言ってるらしいんだからっ」

麗香は窓をぴしゃりと閉めた。騒音がなくなった車内で、隣に座る真辺りのがつぶやく。

英「言ったのは、運転手」

藤木が、肩をすくめて笑う。




部屋が静か、そして汚い。真辺りのは、意外にもズボラだった。彼女が使っている窓際のベッド周囲には、ハンガーにかけられていない服や貰ったパンフレットなどが散乱し、閉じられたスーケースの間からも何かがはみ出している。

二日目の日程が終わって、食事もシャワーも早々に終えていた。後は寝るだけなのだけど、寝るには早すぎる時間、まだ8時すぎ。麗香はベッドの上で足を延ばし、暇つぶしに携帯を触ってメールをチェックしていた。

昨日は、この静けさに耐えられなくて、隣の部屋、高井、磯部、早川の三人組の部屋に遊びに行った。だけど、教室とは違って、三人だけの城になっている所に、入っていた麗香の存在は迷惑だったようで、口には出さないが微妙な空気になったのを麗香は感じ、早々に退散した。それから松原芽衣のいる部屋には行きたくなかったから、6組の幼馴染の美月がいる部屋へと遠征した。そこでは楽しくおしゃべりしたけれど、巡回に来た先生に見つかって、怒られはしなかったけど、一人でいる真辺さんはどうしているのかと聞かれ、渋々部屋に戻った。

真辺りのは、部屋にあるドレッサー兼デスクを占領し、今日行った戦争資料館や博物館のパンフをいっぱい広げて、ノートに何かを書き始めた。この旅行は語学研修が主目的なので、とりあえず英会話のみに力を入れていればよく、観光で回る戦争資料館などは、おまけに過ぎない、特にまとめてレポートにするような課題は出されていない。それなのに真辺りのは一心に何かを書き始めている。そう言えば、資料館のスタッフにも色々と質問して、誰も展示物の説明なんて読んでいないのに、全てを読んでいた。

麗香はそっとベッドから降りて、後ろからノートを覗き見る。驚いた。ノートは、すべて英筆記体。何が書かれているかわからないけど、地図や図も描いて矢印が伸びている。

真辺りのが、麗香の気配に気づいて驚き立ち上がる。も、テーブルに太ももをぶつける。

「あっ、うっ、こ、ここ使う?」とぶつけた太ももをさすりながら後ずさる。

「ううん使わない。何してるのかなって、ごめん脅かして。大丈夫?」真辺りのは首を横に振り、慌てて縦にも振る。麗香の(ごめん脅かして)の言葉に横振りで、(大丈夫?)の言葉に縦振りらしい。なんだが、小さい子を相手してるみたいだと、麗香は苦笑する。

「流石ね。全部英語。」真辺りのが困ったように俯いて、手にしているシャーペンをぐりぐりとまわす。

「いつもの嫌味じゃないわよ。正直な気持ち。」真辺りのは、上目遣いにおずおずと麗香を見る。

参ったなぁ。そこまで怯えられるなんて・・・私そんなにひどい事してきたかしら?と記憶を返す。

「だけど、これ何?」

「こ、これは・・・・・さ査定のレポートに」

「査定・・・・ああ特待の。」麗香は、査定をに響くわよって、脅し気味に言った自分を思い出した。ひどい事だ。

「査定のレポートって英語表記なの?」

また真辺りのは首をふり、「違う」という。

「え、英語の方が、は、早いから。」

「へぇーじゃ、これをまた日本語で訳して清書するわけ?」

「う、うん。」

「すごいわね」麗香は正直にそう思った。

あれだけ、気にくわない、みっともない、学園のお金をむさぼる特待生とののしった感情が、今はあまりなくなっている。

真辺りのが、父を事故で亡くしていたと聞いて、麗香の気持ちに、同情が芽生えた。役に立つと押し付けたスライド作成と、おぼつかない麗香の英会話を助けてくれた事に素直に感謝し、そし沢山の意外性を見つけた。

「座って、続けて」携帯を持ったままの手で、真辺りのに椅子を向けた。シャランと音が鳴る。

携帯は、この旅行に限り、持っている者は携帯してもかまわない事になっていた。半日のショッピングが旅程に入っていて、その時の時の緊急連絡用として、事前に教師に番号に知らせておくことになっていた。

真辺りのは椅子に座らず、じっと、私の携帯を見ている。

「なに?」羨ましいのかしら?真辺りのは携帯を持っていない。

「・・・・・そ、その、チャーム」

「あぁこれ?きれいでしょう。いとこの兄さんがイギリスに行った時のお土産、アンティークらしいわ。」

「うん、き綺麗、な、中」

「中ね、空洞になっているの。元は薬入れか何かかなぁ。ロケットみたいになっているの。」

逆しずく型のチャームは金と銀の唐草をモチーフに繊細な装飾が施してある。縦に開くようになっていて空洞になっている。麗香は、チャームをパチリとあけて見せてあげた。ちょうど一番広い場所に、この間、学園で拾った虹色のビー玉を入れていた。唐草模様が透かし装飾になっている隙間から、虹の玉の光が優しく漏れて、とてもしっくりきていた。それにビー玉がコロコロと動く振動も感触が良かった。またパチンと閉じて、麗香はチャームを揺らした。

真辺りのは、ずっとチャームを追って見つめている。

こっちのチャームが羨ましい?どうしよう。私、自慢しちゃった?

その時、メールの着信で、携帯電話が震える。旅程中はマナーモードにしておくことが、決められていた。

「ごめんね、メールだわ。」麗香は、ほっとして自分のベッドへ戻る


      消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ 

     消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ  

  消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ 

     消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ  


まさか、ハワイに居る時に、このメールを受け取るとは思わなかった。しかもこれは?

「えっ?うそっ!何よこれ。ありえない」

椅子に座りかけた真辺りのが、びっくりしたように振り返る。

「あ、なんでもない。えっと・・・ちょっと私、下の売店で、飲み物を買ってくるね。真辺さんもいる?」

「いい。」首を横振り。

「そう。じゃ、ちょっと行ってくる。」

麗香は急いで部屋を出で、エレベーターのボタンを押す。遅いエレベーターが来るまでの間、もう一度、携帯を広げて確認する。

さっきの迷惑メールには、写真が添付されていた。その写真は、このホテルの1階ロビー、ぼんやりとヤシの木の植木の向こうに映っているのは、間違いなく私の後ろ姿。ということはこのメールを送ってくる犯人は、私達と一緒にハワイに来ているという事。

一体誰?同級生?

怖さより、怒りの方が勝つ。

こんな、くだらない事をする奴は誰?

私を誰だと思っているの!常翔学園経営者の娘、柴崎麗香よ!

見つけてやる!見つけたらタダでは済まさないわ、退学処分にしてやるから!

やっと来たエレベーターに乗り込んで少し冷静に考える。

犯人は誰?私を消えろと疎ましく思っている人。

私を嫌っている人・・・・・。まさか、真辺りの?

査定に響くわよって脅した。面と向かって気にくわないとも言った。ずっと「特待は」とののしって来た。

恨まれる事をしてきた。さっきも、太ももをテーブルに打ち付けるぐらい怯えた後ずさりをして。

しかし、彼女は携帯を持っていない。今回も先生へ知らせていない。

いや、申請なんてしなくても持ってくるのは簡単。スーツケースに忍び込ませればいいだけの事、逆に知らせないのは、絶好のアリバイ工作になる。でも、このメールが送られてきた時、彼女は携帯なんて触っていなかった。いいえ、時間設定をしておいて自動で送信するって事も可能かもしれない。そんな機能あるかどうか、麗香はあまり良く知らないけど。頭のいい真辺りのなら、皆が知らない機能を駆使するのも簡単かもしれない。

一階のロビーにつく。この写真が撮られたであろう場所を探した。

ロビーは昼間の明るさとは違う、夜の落ち着いた照明に変えられていて、人もまばら。

もう一度、写真をよく見ると、向うにトイレの案内表示マークが見える、そちらに行こうとしている私に見える。

これは、博物館から帰ってきた時だ。皆が売店に行くと言うので、私はその前にトイレに行くからと、皆に先に行っててと一人別行動をとった。あの時、他には誰がいた?班の皆と、4組もホテルに帰ってきていて、ロビーは常翔学園の生徒であふれていた。

麗香は、自分が使ったトイレ方向へと向かう。通路の先は裏駐車場に通ずるガラス扉があって、今は黒く景色は見えない。その扉に近づくたび、鏡のように映った自分の姿が大きくはっきりとしてくる。

この辺り。写真と見比べて距離を測る。携帯をのぞいていたら、ガラス扉が開き、現地の人が入ってきた。

英「こんばんわ。」

軽快に声をかけられ、すれ違いざま携帯を覗かれた。慌てて私も挨拶をし携帯を閉じて短パンのポケットにしまった。









6 

  

「まっなべさーん。そんなところで何してるの?」

ロビーの方から、いつも変わらないハイテンションの藤木君が手を振って駆け寄ってくる。手にレジ袋を持っているから売店の帰りだろろう。ちょうど良かった藤木君に聞いて見よう。

「し、 柴崎さん、見なかった?」

「柴崎?うんにゃー、見てないけど・・・・・どうしたの?」

焦った。売店に行くと言って、部屋を出てから20分は過ぎている。飲み物を買うだけにしては帰りが遅いと妙な不安が胸をかすめ、

売店に来てみた。売店に柴崎さんの姿はなく、そのあとロビー内と玄関エントランスをうろつき、念のためにと、ロビー左手の駐車場に通じる廊下にあるトイレ内も覗いてみた。トイレはシーンとして誰もいなかった。すれ違ったかと部屋に戻ろうと廊下に出たところで、これを見つけた。

虹色に光るビー玉。

なぜここに?と考えている時に、藤木君から声をかけられた。

「も、戻らない、柴崎さん。ば、売店に行くと言って。」

「えっ?」

「もう、に20分経つ。」

「他の部屋に遊びに行っているんじゃないの?」

「そそ、う、かな?」

その可能性は大いにある。昨日も食事とシャワーの終えた後、柴崎さんは友達の部屋に行っていた。柴崎さんは幼稚舎からずっと常翔学園で、沢山の友達がいる。喋れない私とずっと一緒で、つまらないだろう。私の話をイライラして聞いているストレスも相当の物だろう。フリータイムぐらいは私と離れたいと思うのが当然だ。だけど昨日は、ちゃんと、他の部屋に行ってくると私に告げて部屋を出た。今日は、売店に行くと、私にも要る?と聞いてくれて。

どうして、これがここに落ちてる?

「そうだよ。ん、何それ?ビー玉?」私の手をかがむように覗く藤木君。

「こ、ここに、お落ちてた。し柴崎さんの携帯チャームに、は入っていたものと似てる」

「あっじゃあさ、俺、柴崎さんの携帯にかけてみるよ。」

そういって、藤木君はポケットから黒い携帯電話を取り出し、コールする。私は周りを見渡す。たとえば売店に行った後、部屋に戻らず友達の部屋へ行こうと気を変えたとしても、この場所は通らない。もし、売店での買い物途中でトイレに行きたくなったとしたら、売店の奥にもトイレがあって、柴崎さんはその場所を知っている。博物館からの戻った後、この売店近くのトイレを見つけて、こっちにもあったんだぁと、わざわざ遠い場所のトイレに行ってしまった事を悔しがっていた。

向う駐車場へ向かう扉は、硝子製の手開きドア。外の景色を見ようにも、暗い闇が鏡のように反射して見えない。私達二人の姿がぼんやりと映っている。生ぬるい不安。

「あれ、繋がらないなぁ、もう一度。」

藤木君が首をかしげて、もう一度、コールする。

柴崎さんの、部屋を出る前の慌てた様子、あれがとても気になる。

「駄目だ、電源を切っているか、電波の届かないってなる。おかしいな。このホテルはアンテナ感度もいいし、どこもちゃんと繋がっているけどなぁ」

電源を切っている事は考えにくい。柴崎さんは常にメールのチェックをしていた。

駐車場に車が入ってきたのだろう、ヘッドライトの光が、ガラス戸を一瞬明るく光らせた。

背中にざわっとした悪寒が襲う。同じ嫌な感じを昼にも感じた。戦争資料館から出てバス乗り場に行く道で。

ガラス戸の外へ走り出た。

「ちょっと、真辺さん、どこ行くの!」

辺りを見回す。ヤシの木とオレンジ色の外灯が順序良く並ぶ駐車場。ライトに照らされたアスファルトにヤシの葉の陰が、揺らめいている。広さの3分の1ほどしか車は停まっていない。人もいない。藤木君が私に追い付く。

「何?突然どうしたの?」

でも彼の質問に答える暇なく私は、建物沿いをこちらに向かってくる人を見つけて駆け寄った。黒人特有の大きな体をゆさゆさと揺らしながら、空になったごみのカートを押している女性は、ここの従業員の作業着を着ている。駆けつける私に、今晩はとにこやかな笑顔を向ける。このホテルの従業員は、全員すれ違う才に笑顔のあいさつをしてくる。そういう教育がされているのだろう、気持ちのいいホテルだった。私は英語で私ぐらいの日本人女性を見なかったかと聞く。頭を下げてお礼を言ったあと、黒人の従業員はガラス扉からホテルの建物へと入って行った。

「どうしたの、なんて言ったの?」

少し現地なまりのある英語だったから、藤木君には聞き取れなかったらしい。

「わ、若い女の子、お男と車に乗り込むのは、み見たと。お、女の子は、か髪が黒で長くショートパンツを履いていたと。」

「えーと柴崎の今日の私服は・・・」藤木君が天井見上げて、思い出す仕草。

「Tシャツにショートパンツ」一致する物が増えて、顔をしかめる藤木君

「ふ、ふらついていたから、よ、酔っぱらっていたと、お思ったって。」

「えーっお酒飲んだの?」

「の、飲んでない。た、たぶん」

当たり前だ、私達はまだ中学生、飲むはずもない。

部屋から出た後で売店でお酒を買って、飲んだ?考えられない。

「それ、本当に柴崎?」

「わ、わからない」

「く、車のナンバーは見てなくて、シ、シルバーの日本車だった。って」

「どういう事?誰かと一緒に外に出たって事?」

私は大きく首を振る。日本人なんてハワイにいっぱいいる。黒髪にショートパンツ姿だって居るだろう。

柴崎さんはお友達の部屋に行っているだけ。私の勘違い。そう頭で考えて冷静になろうとしているのに、手は震えて、背中を這った悪寒は消えずに益々増えた。

「け、携帯、も、もう一度、か、かけて。」

「あぁ、うん」

駄目だ、喉がつっかえる。苦しくなってきた。一年の頃から何かと話しかけてくれている藤木君と、幼馴染の慎一だけは、もう吃音も少なく話せるようになってきていたのに。焦りと変な悪寒のせいで、日本語がスムーズに出てこなくなった。もどかしい。

藤木君は何度も画面を操作しなおしては、耳に携帯をあてる。

「出ない・・・・、あいつ何してんだ」

私も何かしなければ・・・そうだ確認。これがあの虹玉である事を。ううん、虹玉でない事を。こんな物は、どこにでもあるビー玉。

ガラス扉から、もう一度ホテル内に戻り、ロビーの階段横にある、内線電話に飛びつく。電話も苦手だけど、今は、そんな事を言ってられない。慎一の部屋は、たしか0815・・・・・・プププと言う音がして、慎一以外の男子がでた。

「ご、5組の、ま、真辺。に、に新田、を。」

電話の向こうで、真辺さんから内線。呼び出しかぁヒューヒューと、ひやかしの声が聞こえた。その能天気なギャップにイラつく。

「はい。何?」ぶっきら棒に、怒った口調の慎一。

「に、虹玉はどうした?」

「はぁ?なんだよ、急に」

「い、急いでる、答えろ。も持っているのか、も持っていないのか。」

「そ。そんなもん、ハワイに持ってくるわけないだろう。」

「違う!い今、お前の手元に虹玉は、あ、あるのか、ないのかを聞いてる。」

叫びに近かった。玄関から入ってきた、外国人カップルが、不審げにこちらを見て通り過ぎる。人の目なんて気にしていられない。

「ごめん。この間、落としたみたいで。失くしたんだ。」

やっぱり。じゃぁ、これは柴崎さんの・・・・が、落としたものに間違いない。

「ごめん、言おうと思ってたんだけど、なかなか」

「いつの事?」

「えっ?」

「な失くしたのは、い、いつ。」

「えーと、4月の・・・・」

慎一が、もたもた答えている言葉が終えるのを待たずに、電話を切った。

時期はあっている。柴崎さんは学校に内緒で携帯を持ってきている。これは柴崎さんだけに限らず、ほぼ全員の生徒がしている事。鞄に忍ばせておいて校内では使用しない。たまに、校内で使用している所を見つかって、教師に没収されている生徒もいるけれど。

学園の門から出たとたんに携帯を取り出し操作した柴崎さんを追い抜いて、下校した事がある。きれいなストラップがキラキラと夕日に反射して輝いていた。それが4月の中ごろだった。それまではティディーべアのぬいぐるみで、携帯以上に大きいぬいぐるみだったから、使いにくそうだな、と見ていた。そして4月のクラス替えの発表の時、ロビー横の壁に貼り出された名簿を携帯カメラで撮影している時もまだ同じぬいぐるみで、その1週間後ぐらいにチャームに変えた事に気づいた。

そして、さっき、部屋でチャームをあけて見せてくれた。虹色に光るこれが入っていて驚いた。

「駄目だ、何回やっても、繋がらない。」

自分の部屋の番号に内線をかける。柴崎さんが戻っていれば出るはず。でもコールが続くだけで、出ない。

「せ、先生に・・・・も、もう、わ私達だけでは・・・・。」

念のために、柴崎さんが部屋に戻っていないかを確認してから、先生がいる部屋へと向かった。喋れない私の変わりに藤木君が説明してくれる。先生方は、一斉に、生徒の各部屋を訪れ、確認に回り始めた。他の生徒を動揺させないように、柴崎さんの名前は出さずに、消灯時間の確認と注意と言う形で、全室を確認するのに時間がかかっている。私と藤木君は、その間、一階ロビー周辺で、ホテルの従業員たちに、藤木君が携帯で撮っていた柴崎さんの写真を見せて、知らないかと聞いて回った。

「駄目だ。まったく繋がらない。」眉間にしわを寄せて言う慎一。

私が内線を切ったあと、変な場所からの変な内容の電話に、不審を抱いてロビーに降りてきて、慎一も捜査に加わった。藤木君の携帯電話は写真を見せる為に使っているから、慎一は自分の携帯から柴崎さんへとかけていた。

何度もコールしているけれど一向につながらない。

電源が切られているのか?電波の届かない所にいるのか?それとも、携帯が壊われているのか?

「ニコ、少し落ち着いて、座れ。」

「お、落ち着いてなんて、いいられない!」 

私の叫びに近い訴えにフロントの人が顔を上げる。

「し、柴崎さんに、な、何かあったら、わ私は・・・・・ど、ど、どうしたらいい」

「他のクラスに遊び行ってるって。今に先生が、いたぞって連れて来てくれるよ。」

そうであって欲しい。だけど売店に行くと言う前、着信のメールに、おかしなことを言っていた


『何よこれ?ありえない』 あれがすごく気になる。


「わ、私のせいだ。一人で、い、行かせてしまった。つ、ついて行くべきだった。」

「真辺さんのせいじゃないよ。」

「ホテル内だから、だ大丈夫だと・・・・わ私は、じ自分のしたい事を優先して。」

ハワイ研修の注意事項として、一人で行動をしないというのが書かれてあった。

昼に訪れた戦争資料館で見聞きした事を忘れない内にまとめたかったから、私は柴崎さんが売店に行くと言うのに、ついて行かなかった。

こんな私と一緒の部屋になってくれた柴崎さん。「すごいな」って言ってくれた。柴崎さんはまっすぐ正直な人。同じ嫌みでも、なぜか彼女の言葉が酷いと、辛いとも思わなかった。どっちかと言うと、憧れた。沢山の友達に囲まれて自信満々でいる彼女を羨ましく、気持ちいいぐらい、はっきり感情を言葉にできる彼女に。だから、この研修旅行で、一緒の部屋になると言ってくれた事が、うれしかった。それなのに私は、彼女を一人にしてしまった。

「わ、私のせいで・・・・・か、彼女に何かあったら・・・・・・わ、私は」

どうして・・・

ざわついた不安が恐怖に変わった。誰かを失う恐怖を、私は、また味わうのかと。怖い、嫌だ。もうあんな思いは。

絶対そんなことはさせない。必ず見つけて。でも、もう、これ以上、どうしたらいい?手に持っていた虹玉をグッと握りしめた。

「ニコっ!」

「真辺さんっ!」

二人の声で意識が戻る。私は、その場にしゃがみ込んでいた。息が出来ない。

口の中に鉄の味が広がる。無意識に、唇を噛んでいた。

「真辺さん!ゆっくり息を吐いて・・・・・ずっと最後まで。」

藤木君が背中をさすってくれて、言われた通り息を吐いて、吐ききった勢いで、ようやく息を吸い込む事が出来るようになった。

ロビーのソファに促されて座る。慎一が虹玉を握って白くなっている私の指を一つ一つ開くと、ようやく全身の力が抜けた。

お願い虹玉、柴崎さんを無事に戻して。

次々と、ロビーに先生たちが戻ってきた。校長先生を含む10人の先生と理事長を含む事務方のスタッフ5名が、戻ってきては、居なかったと報告する。理事長が青い顔をして、もう一度、どういう状況だったかを聞いてくる。私は、おぼつかない日本語で必死に話した、藤木君が時折、補足をして。その最中で慎一が叫ぶ。

「繋がった!呼び出し中」

今まで、かけても呼び出し音も鳴らず、電源が入っていませんという携帯電話会社の機械的な音声が流れてくるばかりだったのが、コール音がする。そして。

「柴崎さん?!もしもし?柴崎さん!」

「出たか ?どこにいる!」

「代われ!」

「ちょっと、すみません!静かに。」口々に言う先生たちの言葉を慎一は、一括で黙らせる。しばらく黙って聞いていた慎一は、顔を上げて、

「声はしません。ザーっという雑音のみで」

「やっぱり車で移動中か?」担任の、松村先生が、慎一から、携帯を奪うように取って、聞く。

「確かに」

「それ絶対に切るんじゃないぞ。」

「わかってます。」

黒人従業人が見たのは、やっぱり柴崎さんだった。柴崎さんを連れ出したのは誰だ。

ロビーに集まる先生方を見渡して、ふと気づく。

「よっ吉崎、せ先生は?」

私の声で、先生方がその場を見渡す。こんな時に、居ないっておかしい。校長先生の指示のもと、全教師は探すように部屋を飛び出していった。

「吉崎先生と相部屋なのは、武村先生、彼はどうした?」

「一時間ぐらい前に、売店に行くと言ってから戻って来ていません。」

戦争記念館からの帰り、バスに向かう小道を思い出す。

「し、柴崎さんは、よ、よ吉崎、せ先生に、いぃい・・・・」

あぁ、もう!自分でも、もどかしい。たくさんの教師陣の前で日本語が出ない!一刻を争うと言うのに!

先生も、もどかしいのだろう、日本語が無理なら英語で話しなさいと英語教師に怒られる。

英「柴崎さんは戦争記念館に行く道で、吉崎先生とぶつかって、先生に酷い口調で注意していました。そのあと、強い視線を感じて、私、振り返りました。吉崎先生が、こちらを睨んでいるように見えましたが、遠くだったから、勘違いかと思って。柴崎さんは学校でも吉崎先生の事を、教師失格とか言っていて、辞めさせるとかも平気で言ったりしています。」

先生たちの顔つきが変わる。

「吉崎先生の携帯に掛けろ。」

相部屋だという武村先生が、携帯のボタンを押して耳に充てる。すぐさま、駄目だ、こっちも繋がらない。と言って落胆する

「警察に連絡を」

「いいんですか?そんなことすれば、うちの学園の名が」

「かまわん。麗香の安否が優先だ」

理事長が叫び英語教師が、フロントへと駆け説明する

柴崎さんと繋がった慎一の携帯を、藤木君が耳にあてていた。

「この音・・・・・海が近い。」

「えっ?」

「タイヤの音に混じって波の音も聞こえる。」

そばに居た担任の松村先生が携帯を奪ってもう一度聞く。

「ああ、確かに、」

「でも海なんて、ハワイ周囲、全部が海だ。」慎一がつぶやく。

英「私にも、聞かせてください。」

ボタンを押さないように、慎重に持つ。もし切ってしまったら2度と繋がらないかもしれない。

唯一の手掛かり。慎一の携帯を耳に当てて聞く。ゴーという音に混じって確かに波が寄せる揺らぎの音。

そして、かすかに、高音の音色が聞こえてきた。

脳裏に、青い海と空、白い雲、海から首を出した岩のシルエットが脳裏に浮かぶ。

英「ガメラの鳴き声!先生!ガメラ岩です。」

ロビーフロントにいる先生たちに、聞こえるように私は、叫んだ。













「クラブ、行かないのか?」

「・・・・・行かない。」

「あんまり休むと、査定に響くんじゃないのか?」

「・・・・・どうでもいい」

慎一がため息をつく。

月曜日から金曜日の日程で行った研修旅行は土日を休息日として、月曜日から普通に授業の生活をしている。今は木曜日の放課後、明日、後半組でハワイに行っているクラスが帰ってきて、本当に通常の学園生活に戻る。

クラブに行かなければならない。でもグアムから帰宅後、とてもそんな気分になれなかった。気分の乗らないまま、弓道場に行っても、練習にはならない。かといって、家に帰る気にもなれなくて、図書館前の小道の脇にある木製のガーデンテーブルのベンチに腰掛けて時間をつぶしていた。そんな私を見つけた慎一と藤木君がそばに寄って座った。テーブルにうつ伏して、小道の花壇に顔を向ける。

 そういえば、柴崎さんは慎一に、ここでバレンタインのチョコをあげていた。

あの頃は、木々に葉がなく寒々としていた。今は、緑がちょうどいい日陰を作って、こうして顔を木製のテーブルに顔をつけると、陽に当たって暖かくなった場所と、日陰で冷たい場所が分かれていて、顔に心地よい。

「しんどいのか?」

「違う」

ハワイで無呼吸を起こしてしまってから、慎一はやたら体の心配をしてくる。

あれから身体に力が入らない。身体じゃない、心に力が入らないのだ。



携帯から聞こえてくるガメラのなき声が手掛かりとなり、現地警察に連絡して迅速に出動したパトカーに、柴崎さんはすぐに身柄を保護された。無傷で。

柴崎さんを連れ去った犯人は、やはり吉崎先生だった。保護された柴崎さんは、病院で検査を受け、翌朝一番の飛行機で理事長と帰国した。私達は、他の生徒に口外しないことを約束させられ、予定通りの研修旅行日程をこなして帰国した。事情を知らない同級生には、体調不良で先に帰国したのだと言っているから、柴崎さんの、ここ3日の休みを不審がる生徒はいない。

現地では、身内の揉め事と処理されて、ニュースにもならずに済んでいる。犯人の吉崎先生は、懲戒免職で学園を辞めさせられた。何故、吉崎先生が柴崎さんを連れ去ったのか?は、吉崎先生の身勝手な思い込みによるものだった。吉崎先生は、教師内でも、疎ましがられていた。そのイライラを、容赦ない口調でののしっていた柴崎さんに向けた。

吉崎先生に酷い悪口をいう生徒は柴崎さんの他にもいた。なのに柴崎さんを狙ったのは、理事長の娘だったから。

私と藤木君と慎一は、昨日、理事長室に呼ばれて、改めてありがとうと頭を下げられた。藤木くんが柴崎さんの体調を訪ね、いつ登校してくるのかを訪ねると、どこも何もなく元気だけれど、いつ登校するかは、本人の好きにさせると言っていた。

柴崎さんは、私の事を怒っているのかもしれない。一人で行かせてしまって、危険な目にあった。だから私と顔を合わせたくなくて学園に来ない。

藤木君が、「あっ」と何かを見つけた風につぶやく、でも、体がだるくて身体を起こすことが出来ない。ハワイのその出来事からずっと、眠れない日が続いている。眠たいのに頭の中がギスギスして、変に冴えてしまう。

心地よい風が顔をなでた。今なら少し眠れそう。そう目をつぶった瞬間、目の覚める声が聞こえた。

「だっらしないわね!真辺りの!それでも、あなた、この学園の特待生なの!」

柴崎さんの声!勢いよく顔を上げた。

駅から一番近い図書館の出入り口を利用する、やってはいけないショートカット登校で現れた柴崎さん。

軽くウェーブの掛かった長い髪、気品に満ちた顔、堂々とした立ち方。

「し、柴崎さんっ、だ、だ、だ大丈夫?」

柴崎さんは、私のおかしな日本語にクスリとと笑った

「大丈夫、平気よ、時差ボケがひどくて、月曜日を休んだら、そのあと、なんか休み癖がついちゃって。」

そう言って髪を払った。

「誰かさんから、元気ない奴がいるって、メール届いたから。活を入れに来たわよっ。まったく!こんな時間なのに。」

と、腰に手を当てて、私達三人を順番に見つめる。黒い潤んだ瞳の柴崎さん。

「学園公認の言い訳があるんだから、今週いっぱい休んでやろうと思っていたのに。」

「・・・・・し、柴崎さん。ご、ごめんなさい。」

「何で、あんたが謝んのよ。」

「ひ、一人で行かせた。だ、だから。」

「あんたが謝るのなら、私はもっと謝らなくてはいけないわ。」

「?」

「私は、あなたの仕業じゃないかと疑ったのよ。」

柴崎さんは売店に行くと言って、部屋を出てからの事を話してくれた。以前から続いていたいたずらメールが、私ではないかと疑ったと。

「でも、どうして、私が外に連れ去られたって、わかったの?」

「こ、これ・・・」

私は、制服のポケットに入れてあった虹玉を出して見せた。柴崎さんは、慌てて、鞄の中から携帯電話を取り出し、逆しずく型のチャームをパチッと開けて中を見る。  

「ない・・・・」

「ホテルの一階、駐車場に続く廊下のトイレの前に落ちていたのを、真辺さんが見つけたんだよ。」藤木君がフォローの説明をする。

「現地の人から駐車場で、車に乗り込む日本人を見たと聞きだし、推測して。ガメラ岩だと気づいたのも真辺さん。」

「でも、よくわかったわね。これがここに入っていた物だと。」

と言って、私の手から、虹玉をそっとつまんで、木々の木洩れ日の光にかざす。




木々の木洩れ日を浴びた虹色の玉は、あの絵本のようにやさしい光を反射している。麗香は生きていてよかったと心から思った。

麗香は、駐車場に続くトイレ前で、後ろから、急に口をふさがれた。抵抗したけれど、お腹を殴られ、気を失いそうになった。意識だけは、失っちゃいけないと頑張ったが、息苦しさもあって朦朧としながら、引きづられるように、駐車場へ連れていかれた。建物のそばをカートを押していく現地の黒人さんがいるのが見えたけれど、助けは求められなかった。足がもつれて、酔っぱらいのカップルとか思われていたのかもしれない。麗香はそのまま後部座席に押し込まれ、口にタオルを巻かれて、足と手に手錠をかけられて、転がされた。そこで初めて犯人の顔を見る。キモヨシ・・・・気持ち悪くて、恐ろしくて、パニックになった。暴れた麗香の顔を空手打ちしたキモヨシ、麗香は、そのあとのしばらくを覚えていない。気が付いたのは、短パンの後ろポケットに入っていた携帯の着信バイブレーションの振動。朝からマナーモードにしていたのが良かった。運転に気を取られているキモヨシは、この携帯電話の存在と着信に気づいていない。どうにか体を回して、縛られた手を無理やりポケットに手を入れ、ボタンを押して、通話状態にするのが精いっぱいだった。

ガメラ岩を鑑賞する駐車場で車は停止、麗香を車から降ろそうとするキモヨシに、蹴りで抵抗した。

そうしている時に、パトカーが到着して、私は保護された。帰国する飛行機の中で、お父様に事の経緯を聞いた。

売店からの戻りが遅い私を心配した真辺りのが、連れ去られた事にいち早く気づき、車がガメラ岩に向かっているとも気づいた。

麗香は、真辺りのに命を助けられた。

ずつと学校に行く気になれなくて家のベッドでゴロゴロしていた。真辺りのに、どんな顔をして会えばいいのか?

時計を見ると12時45分、学校に行っていれば、今は昼休みで、食堂で給食を食べている頃、そんな想像をしていた時、メールの着信音にドキリとする。

今までの無言電話も、いたずらメールも。犯人は、キモヨシだった。

ハワイでは身内の揉め事として、罪を問わない形にしたが、帰国後、キモヨシは懲戒免職、学園のお抱え弁護士を交えて、ストーカー法の適用を行使し、2度と無言電話とメールをしないよう釘をさし、神奈川県からの退去命令を出した。

新しい携帯に変えようと思っていたが、外に出るのも億劫で、まだ行けてない。

キモヨシではないわよねと警戒しながら携帯を開くと、それは藤木からのメール。

    《そろそろ学校に来いよ。お前の心配で、倒れそうなやつがいるぞ》

と書かれて、添付された写真は、私の席に手を置いてうなだれる、真辺りのを横から撮った写真だった。



「そ、それは・・・・」

何だか言いにくそうな真辺りのが、新田に顔を向ける。その先を新田が続けた。

「それは、俺がニコにあげたものなんだ。子供の頃に。ニコがずっと持っていたんだけど・・・・その・・たまたま俺が持っていた時に、落としちまって・・・」

「そうだったの。私、学園ロビーの隅で拾ったの、とてもきれいだったから持って帰っちゃって・・・じゃあ、これは返さないといけないのね?どっちに返せばいい?」

新田があちらへと黙って指刺す真辺りのの手に、麗香は虹玉を置いた。

   



柴崎さんが、手に置いてくれた虹玉は、暖かくて、やさしい光を放っている。

顔を上げると、いつもの元気ある笑顔の柴崎さんが、私をまっすぐ見つめてくる。

「私、まだ、ちゃんと謝っていなかった。ハワイの事もだけと、今までの酷い言葉も・・・・ごめんなさい」

柴崎さんが深々と頭を下げてくる。びっくりして立ち上がった。

「そして、ありがとう。助けてくれて。」

あぁ良かった、本当に、無事でいてくれて。もう一度、このまっすぐな目を見ることが出来て。

「よ、良かった。ぶ、無事で。」

ほっとすると、涙が出てきた。

「やだっ。なんであんたが泣くの。もう、真辺りのは、そんなに弱っちかったかしら?」

「・・・・・ご、ごめん。」

「俺たち、そろそろ行くな。」慎一と藤木君が部活へと戻って行く。

柴崎さんは、綺麗なレースのついたハンカチをポケットから取り出すと私に貸してくれた。

流石、学園最強のお嬢様のハンカチ、柔らかくて良い香りがして、涙は良く吸い取る。

柴崎さんに促されて、またベンチに座った。柴崎さんも横に座る。

「ねぇ。虹の記憶っていう絵本、知ってる?」

私と慎一が大好きだった絵本。願いが叶うという絵本の中の虹玉が、本当にあると幼き私達は信じて探しに行ったほどの。

「子供の頃、大好きだった絵本でね。そのビー玉、その絵本に出てくる虹の玉に似てる。」

「ね、願いが叶う。わ、私も、だ大好きだった。」

二人で、虹色に輝く偽物の虹玉を見つめた。

これは、偽物の虹玉だけど、

ちょっとだけ奇跡の力、あったりして?



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