夢まぼろし愛と背中合わせ

@cloth-pigeon

第一話 真斗と高野山

 東京高輪 美容院sherryはいつも活気に溢れている。

 高輪店のオーナーはさとし55歳、横浜と京都に美容院を経営するやり手の美容師。

 この店の№1が本田真斗まさと 38歳 常に500人以上の顧客を抱える売れっ子スタイリストだ。

 高身長で甘いマスク、話し方も仕草もソフトだが、攻撃的な部分も時折見せる真斗には、男女の顧客問わず、同列系のスタッフにもファンが多い。

 わざわざ真斗にカットを依頼するために休みを利用して来店するほどだ。

 カットに限らずメイクも得意で、真斗が顔を近づけて口紅を塗っただけで失神者が出たと噂になったこともある。

 ただ、真斗は特定の女性と付き合うことがなく、プライベートも全く不明で、オーナーの智も知らないことが多い。


 その中でリサは真斗が気を許す唯一の女性従業員で、お互い言いたいことを言い合っている。


「明日からの休暇、どこへいくの?」

「高野山へ写真を撮りに三泊で行ってくるよ」

「真斗、信仰心あったっけ?」

「日本人一度は高野山参拝だろ」


「あら!高野山へ行くの?誰と?わたしも行こうかしら」

 オーナーの同居人ジュンが割って入ってくる。

 ジュンは真斗とリサが二人で話すことを嫌う、まあヤキモチの一種だ。


「ひとりですよ。九度山から町石道を登るので7時間強の登山ですけど、一緒に登りますか?」

「え~!わたし無理よ。車から降りてここまで来るのが精一杯」

「たった200歩なのに?」

「うるさいわね!リサ、わたし真斗と話しているの!」

 顔を合わせるといつもこんな感じだ。


「真斗、電話が入っているわよ」

「はい、今行きます」

「じゃあ、またね。お二人さん」


 翌日、高野山の麓九度山に真斗の姿はあった。ガイドブックを見て実際のルートを確認する。

 丹生都比売神社から歩いて町石道180町(一町109m)を高野山大門まで登るルートだ。

 真斗が訪ねた季節は六月だが、ちょうど梅雨の晴れ間で天候に恵まれた。

 ハイキングルートとはいえ約21キロ、7時間ほどかかる行程だ。

 慈尊院や展望台など登りはかなりキツイが見どころも沢山ある。


 ようやく高野山入り口の大門までやって来た。


「運動不足だなぁ、はあ、結構きつかったな」

 汗を拭きながらまた歩き出した。


「今日泊る宿坊は根本大塔の近くだったから、荷物を置かせてもらおうか」

 宿坊に荷物を置かせてもらい、奥の院入り口までさらに歩くことにした。

 弘法大師御廟まで参道が続く。左右に戦国武将供養塔を見ながら、御廟橋にようやく到着した。この橋の先は聖域の中で最も神聖なところだ。

 一礼をして橋を渡りだした。先に燈籠堂が見えてきた。


 燈籠堂の中に入り手を合わせ、それから右横の階段を下りていく。

 奉納されている燈籠や弘法大師様の無数の小さな像に囲まれながら、少し暗い通路を進んでいくとほんのりとお大師様の姿を見ることができる場所についた。


「この向こうにお大師様が瞑想されているのか」


 目の前に大きな数珠が置いてある。その数珠に手を置いて目を閉じると、ふっと周りの音が消えた感じがした。

 そのまましばらく数珠に触れていると、だんだん音が聞こえ始めた。

 後ろからツアー客らしき人たちがやってくるのが見えたので、外に出るためその場を離れた。

 一の橋まで戻り、珈琲店に立ち寄った。海外の人からも人気があるカフェで、奥さんがフランス人。とても笑顔の素敵な人だ。

 それから、高野山霊宝館で仏像などを見た後宿坊に戻った。

 宿坊で精進料理の夕食をいただいた後、

(夜の壇上伽藍はどんな感じなのかな)

 とカメラをもって外に出てみた。

 明日も晴れるかなと思いながら、空を見上げてみると今にも零れ落ちそうなくらいの星空が見えた。

 ライトアップされた塔を被写体にしながら、星空を入れられる場所を探して再建されたという中門まで歩こうとした途端、いつもの腹痛に襲われた。


 真斗は過敏性腸症候群(IBS)に時々襲われる。薬を飲んでいるが、この病気はなかなかよくならない。

 時々気分転換をしないと、押しつぶされそうなくらい落ち込んでしまう。

 だから、一人の時間はなるべくストレスをためないように過ごしている。

「このところ痛みが出なかったのにな。今日は無理をしずぎたのかも」

 と、その場にしゃがみこんでしまった。

 すると、そばにいた女性が

「大丈夫?辛そうだね。ここの石段で少し休んだらどうですか?」

 声をかけてくれた。

 女性の手を借りながら、石段にすわりお腹を抱えるようにうずくまっていた。

 その間、その女性はずっと背中をさすってくれていた。

 とても温かく優しいさすり方だった。

 ようやく痛みも引き、落ち着いてきたので顔を上げ女性を見た。

 自分より少し年上ぐらいか?彼女はにっこり微笑んで

「もう大丈夫?」

 と、聞いてくれた。

「大丈夫です」

 そう伝えると

「この場所で症状が出るということはかなり悪いのかしら?」

 と心配そうに呟いた。

(この場所?)

 10分ほどその場で休んでいたが、落ち着いてきたので宿坊へ戻ろうと立ち上がった。

「宿泊先はすぐそこです。ありがとうございました」

 お礼を言って真斗は宿坊に戻った。

 途中、女性の名前を聞くのを忘れたと振り返ったが、すでに女性の姿はなかった。


 翌朝、読経体験に少し寝坊してしまい、入り口あたりにそっと座り周囲を見回していると、奥に昨晩声をかけてくれた女性を見つけた。

 説法を聞いた後、朝食の場所で女性を探してみたが現れなかった。

「そういえば、夕食の時にも気が付かなかった」

 ツアーの中には早めに出発するらしいので、帰ってしまったのだろうとその時は気にしなかった。

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