バトルえんぴつを巡る学校との戦い

拓郎

第1話

 バトルえんぴつって今どうなってるんだろうか。

 僕が小学生の時に爆発的ブームとなったアイテムだ。文房具という勉強に使うツールと、おもちゃというホビーを掛け合わせた神業的商品だった。

「文房具です」 という免罪符が使えるので、学校に持っていくことができるのが決定的によかった。ホント考えた人を表彰したいぐらい天才的、圧倒的閃きを宿したアイテムだった。


 基本的には鉛筆を転がして、上を向いた面を乱数として戦うゲームだ。その面に書かれている文章を使って攻撃したりして遊ぶ。 凄いのが複数人でもできるということだ。

「●に30のダメージ」

「★に60のダメージ」などの文章が書かれていて鉛筆のお尻の場所に●や★などの属性が刻まれている。キャップを付けて、装備としても使えた。


 その面白さに僕たちは完全に発狂した。来る日も来る日も、休み時間にバトルえんぴつを転がした。それまで遊びの市場を支配していたドッジボールや、鬼ごっこは瞬く間にユーザーを失った。そしてグラウンドの人口密度は一気に寒々しいものとなった。 かわりに教室に人が溢れ返った。教室中、人人人だ。

 休み時間になると、色んなクラスをみんなが行き来するようになった。違うクラスのやつと対戦するためだ。日によっては教室内に五〇人以上溢れることもあった。少子高齢化が深刻化する前の古い話だ。大勢の子どもたちが鉛筆を転がした。あまりに人がいるので、グラウンドで転がす者もいた。完全に病気だ。

 令和の小学生が見たら「むかしのひとはえんぴつをころがす。これがごらくだったのだなぁ」と感想を述べるだろう。

 僕は市販の製品では飽き足らず、オリジナルのバトルえんぴつを作ったりしていた。彫刻刀で六面を薄く削り、そこにボールペンで文章を書いた。


「全員に5000のダメージ。全員もれなく死ぬ」などと無双した。しかし世の中のパワーバランスを脅かす存在として即刻クラスメイトから排除された。

 それも含めて、すべてが楽しかった。コロコロする鉛筆を中心にみんなが笑っていた。幸せだった。だけど世の中の平和、安息はいつまでも続かないものだ。その平穏を打ち砕くのはいつだって大人だった。


 職員室協議会による魔女狩りならぬ、「バトえん狩り」が行われたのだ。


「学校中を包む異様なカルト性をはらむバトエンを根こそぎ断絶する」

 そんな正義の条例が職員会議のもとに決まった(のだと思う)

 すぐさま「学業に関係のないものを学校に持ってこないこと」というプリントが学校中に配られた。そして次の週には「バトルえんぴつを学校に持ってこないこと」と書き換えられたものになり再度配られた。

 バトエンの締めつけ、規制はどんどん苛烈になっていった。

 風紀委員が作った「バトエン禁止!」のポスターが廊下中に貼られるようになった。右手に0点の答案を握りしめた、黒目が互い違いの男の子が、左手でバトエンを振っている醜悪な絵だった。

「バトルえんぴつで遊ぶ子はバカになる」とでも言いたげな、 見た人の気分を底まで沈める、嫌な表現だった。

 それでもバトエンを持ってくるやつはいた。彼らは容赦なく殴られ、取り上げられた。その上、保護者呼び出しという極刑措置がとられることになった。僕らはバトルえんぴつを振れなくなった。


 振りたい。バトエンが振りたい。 

  

 あの『かいしんのいちげき』を出したときのドーパミンがドバドバ出て、 目の前が光でまっしろになる、あの感覚を味わいたい。 ウシジマくんに出てくるパチスロ依存症の人みたくなっていた。

 次第に僕らはバトエンのことしか考えられなくなった。触れない時間に耐えられなかった。バトエンが振りたくて振りたくて、吐きそうだった。あの鉛筆がコロコロ転がる軽快なサウンドを聴かないと、どうにかなってしまいそうだった。


 振るしかない。このままではおかしくなる。そう思った。しかし振れば、それは死を意味した。先生たちや風紀委員たちが、常に目を光らせていたからだ。


「何か良い手はないか」と僕らレジスタンスは毎日考えていた。 

 もともとついていけていない授業に、さらについていけなくなるほど考えた。

 僕は監視をすり抜けることを諦めて、別の道を行くことにした。


 先生の目の前でバトルえんぴつを振っても、裁かれない方法だ。コソコソ振りたくなかったし、監視の目をすり抜けるのは不可能とも思えたからだ。

 もっと言えば「バトエン」という手段にフォーカスする必要はなかった。結局、目的はドーパミンをドバドバ出して、目の前を光でまっしろにすることだ。あの感覚が欲しかったのだ。 もう、まっしろにさえなれれば良かったのだ。


 ヒントになったのは僕の作ったチートバトエンだった。僕らは市販のバトエンと同じ文章と絵を、ただの鉛筆に書き込むことにした。カラフルさは無いが、絵のうまいメンバーが書いたスライムの絵は上出来だった。


 文章はまったく一緒。イラストは模写。そんなDIYバトルえんぴつが誕生した。 わりと良い出来だったと思う。「スライム一号」と名付けられたそれは迷える子羊たちの希望の光となった。

 アポロ11号は科学革命の先、月面に足跡を刻み、「人類にとって大きな一歩」のシンボルとなった。スライム一号は、「僕らにとっての偉大なる一歩」を導き出す革命のシンボルだった。

 手分けをして、さらにバトエンを作った。 スライム一号に続いて、ゴーレム一号、ドラキー一号が生まれた。僕たちの革命は幕を開けたのだ。絵のうまい女子にも手伝ってもらって、クラスは一丸となった。そしてその本数が五本ほどになった時、僕らは戦いを仕掛けることになる。


 決行は二時間目の授業の終わり、チャイムと同時。授業の終わりを告げる鐘でもあり、十分だか十五分だかの休み時間の始まりを告げる音が鳴る。この日のチャイムは、まったく別の意味を持っていた。聖戦ののろしだ。

 僕が口火を切った。僕はチートバトエンの開発者でもあり、このプロダクトの立案者だった。そして、バトエンに対する愛は誰にも負けなかったため、このプロジェクトではチーフを任されていた。


「さージブエンやろうぜ!」 


 先生にも聞こえるように大きな声で言った。自分たちで作ったバトルえんぴつ。略してジブエン。我がチームはこの「ジブエン」という名称に自己を投影し、誇らしく思っていた。世の中のルールは苦しくて、厳しい。不条理なこともある。だけど自分たちの情熱と創造性があれば不可能なことなんてない。


 ライト兄弟は空を飛んだし、キング牧師は差別と偏見の目を開かせた。エジソンは人々に光をもたらし、スティーブ・ジョブズは世界を変えた。そして僕たちは教室でバトルえんぴつを転がす。六角の回転、小さな遠心力で、この社会主義国家に風穴を空けるんだ。そう信じていた。

 だが世の中は厳しかった。

「なんや、ジブエンって?」

 先生が不愉快そうにぼやいた。

「バトエンじゃないっすよ。ジブエンっす」

 作ったジブエン五本をほれ、と先生に見せた。

「ふざけるのも大概にせえ! 勉強に関係ないもん持ってくんな!」

「勉強に関係あるものを、持ってきて、関係なくしただけです! 持ってくるという段階では勉強に関係ありました!」

 僕の主張に先生は激怒した。

 革命のシンボルである五本は、すべてへし折られ、「屁理屈こねんな!」という怒声の中、僕は殴られた。

 拳を顔に食らいながらも「先生のっ……! タバコはっ……! 仕事に関係あるんですか!?」とへらず口を叩いていた。

 一発、また一発と握りこんだナックルが飛んでくる。恐怖とアドレナリンで一応、目の前はまっしろになった。目的は望まない形で達成された。


 僕は保護者呼び出しの刑に加え非常に悪質であるということで、一番怖い学年主任のゴリラとの面談の極刑で起訴された。国家反逆罪のような扱いになってしまった。


「勝てば官軍」という言葉をそのときに調べた。敗者にあるのは屈辱だけだ。僕らはあのとき負けた。でもたしかに戦っていた。成人した後も僕は、勝ったり負けたりを繰り返してきた。自分のやり方で。









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