13刀目 夢話 白い悪魔とお茶会

 今が幸せ過ぎて、夢を見ることがとても恐ろしく感じているのはおかしいことだろうか。


 目の前で白い悪魔に食べられている自分の姿を見た蒼太は、黙って目を閉じた。



『いつまでそうやって、目を背け続けるつもりなんです?』


「お前が消えてくれるまで」


『それは無理な話でしょう。消えて欲しいと願うあなたが1番、私を必要としているのですからねぇ』



 目を開けて座りなさい。そう言われると何故か逆らえなくて、渋々目を開いて椅子に座る。


 向かい合うように座ると、青い目を光らせた悪魔がひひひと不気味な笑い声をあげた。



『大っ嫌いなのに、素直なんですねぇ』


「……悪い?」


『いぃえぇ。良いことでしょうとも』



 悪魔は近くにあったティーセットから紅茶のカップを取り出し、血のような赤い液体を並々と注ぐ。


 それを蒼太に差し出して、どうぞと言ってくるのだ。



『きっと、あなたの好きな味がしますよぉ』



 また、不気味な笑い。


 恐る恐る赤黒い液体に口をつけると、何故かそれは最近よく飲んでいる、リラが入れてくれる緑茶の味がした。



「なにこれ」


『ひひひひひ、夢ですからねぇ。なんでもできますとも』



 飲めば吐き出しそうな色をしているのに、どうしてこんなにも落ち着く味なのだろうか。


 怖くなって口につけるのをやめると、その行動も面白いのか、目の前の悪魔は変な笑い声を出す。



『あなたはいつも、切れないことは全部諦めて、逃げてしまいますよねぇ』



 わざとらしく悪魔が周囲を見渡すので、蒼太もついていくように首をぐるりと回す。


 周りは真っ黒な鎖とトリカブトの花で囲まれていた。


 その鎖の外には悪意の塊である、黒い靄の人型が蠢いている。


 マーブル色の空。青色に染まった校舎。鉄球で壊された道場。


 ぐにゃりと歪んだ赤い家に、黒い百合と薔薇が咲いた花畑の上にぽつんとある木製の棺。


 殆ど見覚えのあるものばかり並んでいた。



『どうですか?』


「大体、見覚えのあるものばかりだね」


『それはそうでしょう。全部、あなたが逃げて、そして今でも縛られているものなのですから』



 悪魔は実に楽しそうだ。


 嫌いなものに囲まれて顔色が悪くなっている蒼太の姿が面白いとでも思っているのかもしれない。



『ひひひっ、私は元はあなたの中の■■わたしですからねぇ。目の前にも、周りにも逃げてきたものばかりだと落ち着かないでしょうねぇ』


「それを楽しんでるのだから、いい性格してるよね」


『あなた曰く、私は悪魔らしいですからねぇ』



 下半身まで消えた食べられている自分の姿から目を逸らしても、周りは嫌なものばかり。


 仕方なく、視線を目の前で愉快そうに笑う悪魔に向ける。



「話はそれだけ? なら、早く起きたいんだけど」


『いぃえぇ、私はあなたに聞きたいのですよぉ』


「お前が僕に聞きたいこと?」



 挑発したいの間違いではないだろうか、という言葉はグッと飲み込む。



『いつまでこんなところにいるつもりで?』



 ニタニタと笑っていた悪魔はいなかった。


 表情だけ抜け落ち、ぎょろりとした目がじっと蒼太を見つめて逃がさない。



『今の環境から変わるのを恐れて、ずっと続けばいいのにと願って、逃げ続けるのはやめませんか?』


「それは……」


『どんな理由であれ、虐げても良いというのはおかしいですよねぇ。人間が人間に見えない……そんな心を育ててしまったのは、大人なのに』



 そんなのは言い訳だ、と言ったのは誰だったか。


 殴ることはいけません。切るのも禁止です。暴力はもっとダメです。


 物を取られても大人しくしなさい。殴られても謝って許してもらいなさい。


 嫌だと何回言っても聞いてくれない状況でも、暴力に訴えるのは絶対にいけないことです。


 髪の毛が違うから、目の色が違うから、他の子より優秀だと気持ち悪いから、行方不明になった母にそっくりだから。


 だめ、ダメ、駄目。



『あぁこら、落ち着きなさい。ほらほら、目の前のお茶を飲んで』



 この悪魔は現実の奴よりも優しいらしい。


 悪魔の勧められるがままに血液のようなものが入ったそれを飲むと、先程と同じ落ち着く味がした。


 悪魔の思い通りに転がっている気がするが、奴のお陰で落ち着いたのも事実なので、目を細めることしかできない。



『何か言いたげですねぇ。でも、現実の私はあなたの味方ではないのです。その言葉はお茶ごと飲み込んでおきなさい』


「……そうするよ」


『ひっひっひっ、それに、味方ならいるでしょう? リラさんでしたっけ。随分、懐くのが早かったですねぇ』


「そうかな」


『またまた、自覚はありますよねぇ。目を褒められてから警戒するのをやめたこと、知ってますよぉ』



 ── 青い目、綺麗ですね。深海を覗き込んでるみたいで私は好きですよ。


 思い返すと確かに、悪魔の言う通りかもしれない。


 だが、それを素直に認めるのも嫌で、「そうかもしれないね」と出来るだけ感情を込めないように返す。


 悪魔は蒼太の気持ちを理解しているのだろう。けけけ、と愉快そうに笑うだけだった。



『彼女達を味方だと思うなら、大切になさい。できないのなら目の前の食べられている自分あなたになってしまうだけなのですから』



 いつの間にか食べられていた自分自身の姿はない。


 悪魔は御馳走でも食べ終わったかのように、白いハンカチで口元を拭うとまた不気味な笑みを浮かべた。



『そろそろ時が来る。それは、あなたも感じているのでしょう? ならば、勇気を持って前に進まなければいけません』



 現実世界で白い悪魔が来るタイミングは、目の前の奴の言う通り、そろそろだろう。


 何もかも奪おうとしてくるアイツは、蒼太の変化にも気がついている。


 苦しめようとしてくる奴の次の行動なんて、蒼太にとって良いもののはずがない。



『失うことばかりに目を向けず、どうすれば望みを手に入れることができるのか。望む道を切り開けるのか。それを考えるようになさい』



 思い込みは影を作り、人を暗闇へと引き込む切符。


 だから、光を入れることができるように手入れを忘れないこと。



「悪魔って、そんなに優しかったっけ?」


『ひひひ。私は夢の中なら、いつでも優しかったでしょう?』



 何か、大切なことを忘れているような。それを思い出すきっかけになるような言葉だ。


 蒼太が口を開こうとすると、真っ白なハンカチが顔へと投げられる。



『それ以上の発言はいけませんねぇ』



 口を拭いていない新しいハンカチらしいが、投げられたのは不意打ちだった。


 投げられたハンカチを折り畳みながら、蒼太はため息を零す。



「ハンカチ投げなくてもよかったんじゃない?」


『あなたがおかしなことを言おうとするからですよぉ』



 抗議をしても糠に釘だろう。蒼太はハンカチを返して、それ以上口に出すのを諦めた。



『現実の私はあなたの味方ではないのですから、振り払いなさい』


「僕はお前もアレも、味方だと思ったことは一度もないけど」


『それはどうでしょうかねぇ。表面はそうでも、奥底では違う。人間とは矛盾を孕んでます故に』



 目を閉じてゆっくりと深呼吸。


 暫くの間、風で揺れる鎖の音だけが響いて、また目を開いた悪魔が断言した。



『動かぬ者に望む未来は手に入らない。いつだって、夢を叶えた者は動いて、挑んだ者だけです』



 机に膝を置いて、祈るように手を組んだ。


 悪魔の細められた目は全く動かず、蒼太の姿を映して離さない。



『あなたは選ばなければならない。内にある衝動に抗うか抗わないか、逃げずに、選ばなくてはね』



 きっと、目の前の悪魔はこう言いたいのだろう。


 現実の白い悪魔に虐げられるのを是とし、生きるように死ぬか、もしくは本当に餓死で死んでしまうか。


 この先も己の価値を証明し続けて、リラ達に捨てられないように戦うか。



『不安ですか?』


「今まで逃げてきたからね」


『でしたら私がお手伝いしてあげましょう。さぁ、コレを持ってください』



 悪魔がいつも使っている木刀を取り出し、手渡して来た。


 刃もついていない、いつもの木刀。



「これじゃあ切れないんじゃ?」


『何を言っていますか、あなたはいつもこれで化け物も壁も鋼も岩も、全て切って来たではありませんか』


「でも、それは訓練で切れるようになっているからで」


『ならばこれも切れますとも。全てを切り開く。それが貴方の本質ですからねぇ……どこまでも切れると信じて切り開いてください』



 蒼太は言われるがままに木刀を片手に立ち上がり、鎖の前に立つ。


 太くて黒い鉄の塊が何重にも巻かれて、この空間を閉じ込めている。


 ダンジョンの中でやったように、木刀を振り下ろした。



 パリン、と鉄とは思えない甲高い音が響く。


 振り下ろした木刀は鎖ごと周辺の嫌なものを切り開いてしまって、目の前に現れた扉以外、何もない真っ白な空間に変わってしまった。


 蒼太は惹かれるように前へと手を伸ばし、扉を開く。



『願わくば、今の《幻想》が不要になることを祈っております』



 声が聞こえて振り返ると、悪魔が今まで見たことのない優しい笑みを浮かべていた。


 どうして笑っているのだろう。そう問いかけたくて戻ろうとしたが、体はすでに扉の中。



 結局、何も聞けぬまま蒼太は扉の中へと吸い込まれていった。









☆★☆









 悪魔以外に誰もいない空間に、声が聞こえる。



『選ぶやら何やらカッコつけて言うけどさ、『今の蒼太じゃあ、切る欲求を満たさないともう保たない』ってわかりやすく言ってあげてよ』


『そんなもの、直接言わなくても自覚してるでしょう。なら、励ました方がいいかと思いましてね』



 悪魔しかいなかった空間に白い少女が現れ、呆れるような目で口を開く。



『……もう《幻想》じゃなくて《虚飾》って名乗れば?』


『ひひひ、褒め言葉として受け取っておきましょうかねぇ』


『褒めてないし、僕は虚飾大嘘つきなお前は大嫌いだよ』


『えぇ、えぇ。嘘つきで構いませんよ。それに……私は所詮、保険ですから。どうぞ、存分に嫌ってください』



 悪魔は笑いながら姿を消してしまう。


 少女が消えた虚空を見つめて、ため息を吐き出した。







『そういう、似なくていいところばっかり似るんだから……ばか』





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