幸せな花嫁

寄賀あける

1

 二つ返事で受けてくれると、あたしゃ思っていたんだがね ―― 旦那だんな様は少し気分を害されたようだ。確かによいお話し、お断りするなどとんでもない。


「そりゃあ、ほかに好いたおなごがいると言うなら無理強いするつもりはないよ。でもおまえ、そんな相手はいないと、今、言ったじゃないか」


 どこかでうぐいすが鳴いている、そんなうららかな日のことだった。


「いえ、急なお話しで。しかも、あたしなんぞには勿体ないお話しで。どうお答えしたら良いものかと」

「いやか、いやでないか、答えてくれりゃあ、いいんだよ」

いらついた様子を隠しもしない旦那様を

「ちょっと、おまえさん」

なだめてくれたのは女将おかみさんだった。

「この子だって、いや、と言ったわけじゃないんだ、ちょっと待ってくれ、って言っているだけだよ」

確かに急な話、面食らうのも無理はない。少しくらい待っておやりよ ――


 女将さんの取成しで、何とかその場から退出を許されたが、旦那様のご不興を買ったのは間違いない。


 このおたなで働き始めて何年経つだろう。丁稚奉公から手代となり、辛い思いも沢山したが恵まれていたほうだ。米問屋の奉公人が、いつも腹をすかしていては笑い話にもならないと、贅沢はなかったが、飯は腹いっぱい食べさせてくれた。番頭さんに叱られることはあっても、折檻せっかんされるようなことはついぞなかった。


 表では厳しい旦那様も、奥では折に触れ気遣い見せ、寒くはないか、暑くはないか、何か困っていることはないか、とお声を掛けてくださった。女将さんに至っては、あたしが丁稚のころには「内緒だよ」と、菓子をくれることさえあった。


「さっさと口に入れておしまい。食べちまえばこっちの勝ちさ」

胃ののものを誰も取り上げはしないからね。ニコニコと冗談をおっしゃっては楽しそうに笑顔をお見せになる。表には出ることはないけれど、奥はこの女将さんがしっかり束ね、旦那様も女将さんには逆らえなかった。


 旦那様と女将さんにはお嬢さんが一人いるが、そのお嬢さんが生まれる数年前に授かった男の子は、生まれて間もなく流行病が連れて行っちまった、と女将さんが言った。


「生きてりゃおまえと同じ年頃だねぇ」

菓子を頬張るあたしを、遠い目をして眺めなさることも多かった。

「おまえは丁稚だけれど、あたしは我が子のように思えてならないんだよ」

奉公が辛かった日は、あたしのところに忍んでおいで。そん時は、お前のおっ母の代わりになるよ。ほんのちょっとの間だけ。それくらいなら、おまえのおっ母もきっと許してくれるだろうよ。そうは言われても、はい、それじゃあ、と甘えられるわけもなかった。


 表に通じる広縁を行くと、お庭で梅の花を眺めているお嬢さんに出くわした。小間使いの娘と一緒に、お部屋に活ける枝を選んでいなさるのだろう。こちらに気づいてあたしを見ている。お綺麗になられた。十五だったか、そろそろ十六か。いずれ見合ったお店の次男坊か三男坊かを婿に取られてお店をお継ぎになる。縁談が舞い込んできていると奉公人の間でも噂になっている。


 頭を下げてその場を通り過ぎた。今は話しかけられたくない。きっとあたしは気まずさを隠し切れはしないだろう。


 旦那様はこんなことをおっしゃった。

「おまえ、好いたおなごはいるのかい?」

お部屋に呼ばれるなんぞ滅多にない。何事かと慌てていくと、開口一番、旦那様はそうおっしゃった。


「滅相もない。手代の身でおなごなど・・・」

「なに、手代とて人の子、おまえの年ごろならそんなおなごがいても可笑しくない」

とがめようって言うんじゃないんだ、だから隠さず言ってごらん――


 思い浮かぶ顔がないわけじゃあなかった、けれども、おります、とは答えられない。なんといっても修行中の手代の身、第一あたしの片恋に相手が気づいている由もない。『思う相手』は思い合う相手とも取れる。


「滅相もないことでございます」

重ねてあたしはそう答えた。否と言っても応と言っても嘘になりそうで、こう答えるのがやっとと言うもの、しかし旦那様は納得したようだ。


「そうだろう、そうだろう、おまえに限ってそんなふしだら、あるはずないと思っていたよ」

 おまえの一番の取り柄は真面目なところ、真面目に、真っ直ぐに働くおまえを、わたしゃ見込んでいたんだよ。で、おまえ、それならうちの婿にならないかい?


「え、えっ?」

 旦那様のお言葉に、口から心の臓が飛び出るかと思い、それを一旦飲み込んで、それから慌てて、こう叫んだ。


「ちょっと、ちょっとお待ちください」

婿とは、それはその、お嬢さんとあたしをめあわせる、と、そんなお話しでございましょうか? うん、そんな話だ、不足はあるまい? 旦那様はえらく上機嫌だ。


「どんな縁談も泣いてばかりの娘に手を焼いていたのだ。どうしてそんなに泣くのだ、と問い詰めたところ、好いた相手がいると、泣きじゃくりながら言う」

 だけど、相手は気付いてくれる気配もない、むしろ自分を避けている、嫌われていると思えてならない、と更に泣く。

「そんなことはあるまい、と女将がなだめても泣いてばかり」


 いったい相手はどこの誰だい? 尋ねても首を振ってまた泣きじゃくる。お父っちゃんが許すはずがない、と泣きじゃくる。そしたら女将が決めつけたのだよ。


「相手は手代のおまえ、だと。そしたら娘はぴたりと泣き止んだ――いったんは怒りがこみあげて、おまえをただじゃ置かないと、そう思ったもんだ」


 いったいいつの間に、そう思ったよ。だけど娘は『嫌われている』と思いこんでいる。ってことはおまえが言い寄ったわけじゃなく、娘が一方的に思っているだけだ。しかもデキてるわけでもない。おまえを仕置きするのは筋違い。


「すると、こいつ」

と女将さんを見やり、

「憤りで動けないあたしの横で、けらけら笑っていやがるじゃないか」


 あんたもただのてておやだねぇ。娘の恋路を妬いてるよ。


 こいつが言うにはだ、考えてもみな、おまえさん。あの手代のことならば、おまえさんだって良く良く承知の事じゃないか。婿に納まろうが、ちゃんと手前のわきまえて、今と変わらず忠義に励み、お店を盛り上げ、女房を大事にし、あたしたちに孝行してくれる。あの手代はそんな男だと、あたしは見込んでいるんだがね。


「あたしゃ、ふん、と鼻で笑ったけれど、こいつの言うことも一理あると思い直した」

 なるほど、婿がお前なら裏切ることはまずない。他所から貰った婿になら、しなきゃならない遠慮も我慢も、おまえには無用だ。もちろん、おまえに我慢や遠慮をしろと言うんじゃないよ。ないがしろになんかするものかい。義理とはいえ親子になるんだ、おまえのこと、せいぜい大事にさせて貰うよ。


 それにもともとおまえには、将来、暖簾のれん分けしてもいいと思っていた。それならいっその事……


「お前にとっても悪い話じゃないはずだ。むしろこんないい話、そうそうあるもんじゃない。そう思うのはあたしのおごりかい?」


 旦那様と女将さんのお心に、このあたしは果たして応えられるのだろうか――

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