51話秘めたる決意

 初めてあの子と会ったのは、まだ5つか6つの頃だったと思う。

 そこはお隣の郡にある、お父様のお友達だと言う方のお屋敷。

 満開の薔薇園がとても綺麗で、一目でその場所が大好きになってしまった。


 そしてその子は、その薔薇園の中に居た。


 その子はとても可愛い笑顔で、「あなたを待っていた」「会えるのを楽しみにしていた」と言って、とても嬉しそうに笑いながら私を迎えてくれた。


 薔薇の香りに包まれて、明るく笑って飛び跳ねるその姿が、とても現実離れしていて、実はこの子は薔薇の精霊なのではないだろうか?と、その時思った事を今でも覚えている。

 当時から人見知りが激しかった私も、その子とは直ぐに仲良くなり、そして一番の友達になった。


 その子と一緒にいるだけで、わたしも自然に笑顔が溢れてくる。

 初めて見た時の、光が零れ落ちそうなあの子の瞳を、わたしはきっとこの先も忘れる事はないだろう。あの子と過ごしたあの時間は、どんな高価な宝石よりも煌めいて、決して宝石箱などには収まらない私の宝物となったのだ。





 お父様のご都合で、暫く会う事が出来ない時期があった。

 そしてその頃、あの子の家が大変な事になっていたと言う。


 お父様達はその事を大変に嘆き、悲しみ後悔されていた。

 友人の大事に、何も出来なかったと。


 だからせめて、あの子には手を差し伸べさせて欲しい、面倒を見させて欲しい、と申し入れたのだそうだ。

 でも、あの子はそれを拒んだのだと言う。


 どうして?

 私には、あの子の判断が理解出来なかった。


 お父様のお申し出を受けてくれれば、私ともっとずっと一緒にいられるのに!


 あの子は、その土地から離れる訳にはいかないからと、幼い弟達と、ご両親の残された家からは離れられないと、お父様のお誘いを断ったのだそうだ。


 きっとその時の私は、自分の事しか考えていなかったのだと今なら分かる。

 あの子の泣きそうな顔を初めて見た事も、私の心を大きく乱した理由の一つだ。


 お父様からは、あの子の説得を頼まれていた筈なのに、頑なに話に応じないあの子に対して、最後には口論になっていた。

 ……尤も、それは私が一方的に、一緒に行こうと言うばかりで、とても説得と呼べるものではなかっただけだ。


 最後には、「もう知らない!」「きっと後悔するから!」などと、捨て台詞じみた言葉を投げつけ、喧嘩別れをしてしまったのだ。


 でも、後悔したのは自分だった。

 あんな事を言うつもりなどなかった。

 あの子と喧嘩をしたいなんて思っていなかった。

 あの子にあんな顔をさせたいなんて思っていなかったのに。


 それから何年も、あの子とは会う事が無くなってしまった。




 でも、ミリアキャステルアイにあの子が来ると聞いて、心が揺さぶられた。

 只純粋に、あの子とまた会えると思うと、それだけで嬉しさが込み上げて来た。



 数年ぶりに見かけたあの子は、まるで別人の様だった。

 あの明るかった笑顔の、欠片すら残っていない。一体今迄に何があったというのだろうか。

 逢うのを楽しみにしていた筈なのに、どう声を掛ければ良いのかさえ、分からなくなった。


 伝え聞く話が耳に入ると、怒りで身体が震えて来た。

 あの子が、どうしてそんな目に遭わなければいけないと言うの?


 直ぐにでも傍に行って、これからは私が守って上げるから!と言いたかった。

 でも、むかし喧嘩別れをした時の事を思い出すと、伸ばそうとした手が、傍に行こうとした足が止まってしまう。

 また拒まれたらと思うと、怖くて声をかける事が出来なかった。


 見ている事しか出来ない自分が、情けなくて悔しくて歯がゆくて、いつしかあの子を真っ直ぐに見る事が出来なくなっていた。


 でも、あの子に酷い事をしていたという令嬢を見る度に、怒りが込み上げて来る。

 勿論、正面から喧嘩をする様な真似は、伯爵家の娘としてして出来る話ではない。

 しかしその顔を見る度に、自分の口が開く事を止める事は出来なかった。


 ある日の朝、件の令嬢と言い合いになって居た時、あろうことか、たまたま居合わせたあの子に向け、その令嬢は暴言を吐き始めたのだ。


 自分の頭の中が、真っ白になって行くのを感じていた。

 強い言葉を突き付けられて、顔色を無くし身体を強張らせるその姿。


 そんなのあの子じゃない。


 あの、薔薇の妖精のように軽やかで、陽の光の様に煌めいていたあの子の翼が、無残にも毟り取られているのがハッキリと分かった。




 自分があの子の前に立ち、庇って上げたかったのに、足が動かなかった。何も出来なかった。

 その事が悲しくて悔しくて……。

 だから、あの子を守ってくれた彼女には感謝しかなくて、お礼を言ったけれどちゃんと伝わったかどうかは分からない。寧ろ、怒らせてしまったのではないのかと不安になった。



 だけどその後、同じ教室で打ち解ける事が出来た時は、本当にホッとした。

 彼女が、思っていた以上に優しい人だった事にも安心した。


 同時に、あの子のそばに居て、あの子を守っている彼女に対して、小さな嫉妬心が頭をもたげた事にも気が付いた。

 その事がとても恥ずかしい。


 自分では何も出来ないくせに、一方的に嫉妬するなんて、なんて恥知らずな事だろう!

 こんな人間が、あの子を守りたいなどと烏滸がましいにも程がある!

 頼ってくれない、などと泣言を口にする自分が情け無い。



 今度こそ後悔するものか!

 今度こそ私は……。


 わたくしは、今度こそあの子の力になりたい。

 そんな想いが、強く胸の奥底から込み上げて来ていた。

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