第三十六話 歓楽都市の騒乱
歓楽都市フォーチュンに来たのは、そこが『始まりの街』と呼ばれていたからだった。
王女として生まれて、花嫁修業をして、いつかこの国を支える力を持つ誰かに嫁ぐ。ベオルドの後宮で暮らす間、私はいつもそう言い聞かされていた。
生まれながら私の職業は定められていて、それがこの世界では決まっていることで。
職業通りの生き方を選ぶことが自然で、それ以外を選ぶのは不自然なこと。
子供の頃から私の護衛として育てられたプラチナ――本当の名前はプリムローズという――は、私が護身のために武術を習いたいと頼むと、少し困りながらも相手をしてくれた。
――ノイエリース殿下、見事な剣さばきでございます。
――私にも、戦ったりする素養はあると思う?
――殿下を守ることが私の仕事でございますが、そうですね……。
予め決まっていることだけをして生きる。それを国王陛下も望まれている。
わかっていても、いつか決められた結婚をするまでの時間に、追い詰められていくような思いがあった。
物語の中に出てくるような、王都の外の世界を見てみたい。
世界の果てにいるという恐ろしい魔竜。それを討伐するために冒険者が募集されているという話さえ、私にとっては憧れの対象だった。
冒険者とは冒険を
それなら、私も冒険者になれるかもしれない。職業は定められていても、冒険者になれば、王女として以外の自分を見つけられる。
夢物語だと分かっていた。
王都を出ることは許されない。冒険者になるなんて、口にすることもできない。
それでも、時間が欲しかった。
誰かが王都近くの塔を根城にしている魔族を討伐したら、その人が男性だったら。私は、その人と結婚しなければならなくなる。
残っている時間は少なくて、それでも待っているだけで終わりたくなかった。
プリムローズに剣の稽古をしてもらっているときに、私は話を切り出した。
王都を抜け出したい。私は一人でも大丈夫だから、不在のうちの時間を作ってほしい。
そんな無茶なお願いをした私に、プリムローズは――呆れるわけでもなくて、むしろ目を輝かせてこう言った。
――私はノイエリース殿下を守る、
――殿下がどこに赴かれようとも、お傍で仕え続けます。
彼女も子供の頃から『
私たちが身分を隠すことができたのは、母から譲り受けた指輪のおかげだった。『隠者の指輪』と呼ばれるそれは、王族がお忍びで外に出る時に使っていたもの――それがなければ、私は歓楽都市のギルドに登録することさえできなかった。
ナナセと出会ってパーティを組んで、冒険者として簡単な依頼を受けて、それさえ上手くできなかったり、時には成功したり――そうやって日々は過ぎて。
このまま時間が過ぎてしまってはいけない、そんな葛藤の中にいた私は。
――俺の名前はマイトって言うんだけど、君は?
レベル1なのに不思議なくらい落ち着いている、彼に出会った。
◆◇◆
「――スティ。リスティ?」
「あ……ごめんなさい、プラチナ」
「考え事をしながら歩くと危ないですよ、私も人のことは言えませんが」
朝からマイトが出かけて、私はプラチナと、そしてナナセと一緒にギルドに足を向けていた。
条件の合う依頼があったら、希望を出しておかないといけない。マイトがパーティに入ってくれて当面暮らしていけるくらいにはなったけれど、冒険者としての経験を少しでも積みたい。
「マイトはどこに行ったのだろうな。この街に知り合いでもいるのだろうか」
「……もしかして、お付き合いしている女性がいるとか?」
「えっ……彼を見てて、そんなふうに思うところはあった?」
プラチナもナナセも顔を見合わせて、照れたように顔を赤くする。私もマイトが確実に誰ともお付き合いをしてないとか、そんなふうに決めつけられるほど彼のことを知らない。
「マイトはいつも落ち着いている……というか、時に陰があると感じるところもあるが、人当たりは良いな。男女どちらに対しても」
「だから、特に女の人に慣れてるみたいとか、そういうこともないと思うんですけど……あっ、でもウルちゃんも懐いてましたし、アリーさんたちもそうでしたね」
「それに……私たちも。マイトがいなくても、こうやって気にしちゃってる」
私たちは笑い合う。こうやって外に出てきたのも、家にいるよりは、マイトと同じように外に出たかったからかもしれない。
「むっ……リスティ、何かギルドの方が騒がしいようだ」
ギルドハウスの入り口に集まっている冒険者たち――彼らが、中から出てくる誰かのために道を開ける。
「おい、あいつら本当に……」
「このあたりのレベル帯で、魔族退治なんてできるのか?」
喧騒にまぎれて聞こえてきたその言葉を、聞き逃すことはできなかった。
「魔族……まさか、王都近くの塔の魔族が……っ」
プラチナの声は震えていた。
塔の魔族は王都を牽制していて、このフォーチュンの脅威になることはない――王都では、そんな話が流れていたのに。
「まだ……その魔族と限ったわけじゃない。でも……」
ギルドハウスから出てきたのは、金髪の若い男性――ブランドという人だった。
シュヴァイク家のことを、私は良く知らない。貴族家のひとつで、このフォーチュンの一帯の領主であっても、直接面会するような機会はなかった。
「やあ、リスティ……今ギルドに来たばかりなら、まだ話は聞いていないのかな?」
「話というのは、魔族のことか? 一体何が起きている……?」
プラチナが私の代わりに尋ねると、ブランドが従えている二人のうち、大きな身体のお爺さんが答えてくれた。
「都市西部の関所で
――魔族の侵攻。いつ起きてもおかしくなかった、そう分かっていても身体が震える。
「敵は下位魔族ながら、レベル5の守備兵で構成された部隊が撤収を余儀なくされました。そのため守備兵と同等か、それ以上の冒険者に招集がかかっています」
「おいあんたら、守備兵が勝てない相手とやり合うなんてやめとけよ! 魔族退治は冒険者の仕事じゃねえ、死んじまうぞ!」
ギルドで何度か見かけた、実力者だという冒険者の男性が声を荒げている。ブランドは構いはせず、ずっと薄く笑みを浮かべたままでいた。
「僕のパーティは守備隊以上の力を持っている。依頼として出された魔族退治の仕事を受けただけなのだから、ご心配には及ばない」
「お前らがそんなに出来るだなんて話は聞いちゃ……」
「い、いや、若造はさておきあの二人は……」
メルヴィンというお爺さんと、ドロテアという女の人。二人の腕がどれくらい立つのかを、知っている人もいるようだった。
「それにこれは、僕にとっても貴重な機会だ。
ブランドの言葉は私たちにも向けられていた。私の横を通り過ぎる前に、彼は立ち止まり、そして声を落として言う。
「魔族を討伐することは、今のこの国では何よりも価値がある。僕は全てを手に入れるだろう」
「……どういう意味?」
尋ねても、ブランドは悠然と笑みを浮かべるだけ。勿体つけるようにして、彼は言う。
「シュヴァイク家の人間……貴族である僕が、国王陛下の希望を委ねられる存在となる。リスティ、君のことも側室くらいにはしてあげられるよ」
「……っ」
ブランドは、私がノイエリースであることは知らない。
けれど彼がフォーチュンに侵攻した魔族を倒し、塔の魔族を討伐までしてしまったのなら――私は、彼と結婚しなければならなくなる。
「貴……様ぁ……っ!」
プラチナが動こうとする――私のために怒ってくれている、それでも私は、彼女を止めなければならなかった。
「プラチナ、君は冒険者にはあまり向かないようだが、見目はなかなかだ。そんな稼業を続けていないで、もっと別の仕事を考えてみないか?」
私のことは何を言われてもいい。
けれど、大切な友達を侮辱することだけは許せない。
「ブランド……ッ!」
――その時、何が起きたのか、すぐに理解はできなかった。
私より先に、ブランドがプラチナに差し出した手を、ナナセがその手で払っていた。
「プラチナさんは私たちの大切な仲間です。彼女がどれだけ勇敢に戦うか、あなたは知っているんですか?」
「……君の名前は?」
「ナナセです。覚えなくてもいいですが」
「いや、覚えておこう。僕は強気な娘も嫌いじゃないんでね」
ブランドがナナセに払われた手を嬉しそうに撫でる――ナナセは悪寒がしたみたいに、ぶるっと身体を震わせる。
「……誠に、申し訳ない」
ブランドの後に続いて立ち去る前に、メルヴィンさんは小さな声でそう呟く。ドロテアさんの表情は見えなかったけれど、かすかにこちらに頭を下げたように見えた。
集まっている人たちは、私が一瞥すると、慌てたように散らばっていく。
「……リスティ、ナナセ、ありがとう。私の誇りを守ろうとしてくれて」
「何なんですかあの人、リスティさんたちを勧誘する目的って、やっぱりああいうことだったんじゃないですか。他のお二方は心配ですけど、あの人は危ない目に遭っても自業自得じゃないですかっ」
「だが、ブランドもブルーカードのパーティの一員として仕事をしたなら腕に覚えはあるのだろう。メルヴィンとドロテアといったか、あの二人はより腕が立つのだろうが」
あの三人が魔族を倒せるのなら、歓楽都市に魔族の手が及ぶことは防げる。
――守備隊をものともしなかった魔族。まだブルーカードになったばかりの私達で、勝てるかどうかは分からない。
自信があるというブランドたちに任せればいい。プラチナとナナセ、二人がいるのに危険を冒せない。
「魔族が近くにいる……そう聞いただけでも、震えている」
「……プラチナ」
プラチナの右手が震えている。けれど彼女は、その上に左手を重ねて、ぎゅっと握る。
「彼らが討伐依頼を受けられるのなら、それはブルーカードの私たちも同じだ」
プラチナに、はっきりと伝えたことはなかった。
私が剣の稽古をしたかったのは、冒険者になりたかったのは――強くなりたかったのは、どうしてなのか。
「この街を守るために戦いたい。あれだけのことを言われて、大人しくしてなどいられるものか」
「……私も。もっと時間が欲しかったなんて、もう言っていられないわ」
「私を置いていっちゃ嫌ですよ。レベルは一つ低いですけど、とっておきの切り札だってあるんですから」
魔族のことが怖くないわけじゃない。けれど挑発されて、冷静でいられなくなっていたりもしてない。
「あの男に目にものを見せてやろう。私たちの――」
プラチナが途中で言葉を止める。彼女の視線が、私の後ろに向けられている。
振り返ると、そこには。何でもないような顔をして、マイトが立っていた。
「……マイト」
名前を呼んで、その後に言葉が続かなかった。
彼には悲壮さも何もなくて、その姿を見ているだけで、気持ちが安らぐ――頼りすぎてはいけないと自分を戒めても、どうすることもできない。
「どうした、そんな顔して。三人とも、死にに行くみたいな顔してるぞ?」
「っ……そ、そんなつもりはないのだが」
「マイトさんならもう知っていそうですが、フォーチュンの危機です。西の砦が魔族に占領されちゃったんです……っ」
「そうか」
「……えっ」
すごくあっさりした答えだった。思わず声を出してしまった私を見て、彼は笑う。
「ギルドに討伐依頼が入ったんだな。それなら、一仕事してくるか……危険はあるけど、皆のことは俺が守るよ」
すごく難しいことを、簡単なことのように彼は言う。
けれど、いつもそうだった。
マイトは困難なこと、不可能に見えることでも、全部可能にしてしまう。
彼の隣に並べるような、そんな資格はまだ私にはない――それでも。
いつか追いつけるように、歩き続けたいから。
「どうする? ……一緒に行くか?」
「「「はいっ!」」」
プラチナも、ナナセも、気持ちは同じだった。その返事を聞いて、マイトは歩き出す。
――やっぱり
どこからか聞こえた声に、マイトは気づいていないみたいで――けれど私には分かっていた。
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