第三十三話 二人の理由
「リスティさん、前よりちょっと大きくなりました?」
「そんなことないと思うけど……太ったのかな」
「冒険者を始めてよりメリハリがついたのだろう。私ももっと鍛えなくてはな……マイトはどう思う?」
浴室を出るという選択は許されなかった――プラチナはこの状況では一番手強く、俺が逃げないように何気ないふりをして見張ってくる。
「マイトさんはどうして隠れてるんですか?」
「いや、そろそろのぼせそうだから上がろうと」
「もうちょっと入ってればいいじゃない。それとも私たちと一緒は嫌なの?」
(嫌ということは全くない……が、言えるわけがない……!)
ムーランの実はリスティと一緒に買ったので、俺だけの責任ではない。しかし元レベル99の俺が迂闊にも妙な気分になる果物を買ってしまったというのは、三人に申し訳ないという思いがある。
「ふぅ……四人一緒に入るのはちょっと狭いけど、思ったより広くて良かったわね」
「うむ、こうやって座れば三人入っても大丈夫ではないか?」
「あー、じんわり温かいです。ちょっとお湯が溢れちゃってすみません」
(ちょっ……!)
歓楽都市の住宅は、水にあまり困らないことから浴槽が大きい。だからといって、二人以上が同時に入ることはそうそうないと高をくくっていたのがいけなかった。
三人が浴槽の縁に座って、足だけ浸かっている。足湯のみでも温熱効果は十分であり、ずっと浸かっていれば汗も流れる――だからといって、俺が一人で浸かっているところに攻め入ってくるとは。
「たまにはこういう浸かり方もいいわね」
「公衆浴場とはまた違った良さがあるものだな。知り合いだけだと落ち着くというか」
「俺が言うのもなんだけど、落ち着いてていいのか……?」
黙っているわけにもいかずに口を挟むと、三人は顔を見合わせるが、何を言うわけでもない。
そして、三人同時に俺を見て――睨むわけでもなく、微笑んでくる。
「……マイトはこういう経験はあるの? レベル1なのにすごく強いし、やっぱりいっぱい経験してるのよね」
「さっきレベルは2に上がった。新しく何をできるようになったかは分かってないけどな」
「うむ、レベルが上がったあとに然るべき場面に際して、新しい技の極意が頭の中に『降りてくる』ものだからな」
アースゴーレムを倒したことで、リスティとプラチナのレベルは5に、ナナセはレベル4になっている。ナナセは作成できる薬のレシピが増えたようだが、リスティとプラチナの新しい技がどんなものかは気になるところだ。
「マイトさん、わざとはぐらかしてません? 経験って、そういうことだけじゃないですよ」
「ん? ……あ、ああ、そういうことか。そういうのってやっぱり気になるかな」
「それはそうだろう、全く気にしないというのはマイトに対しても失礼ではないか」
(しまった、質問を質問で返すんじゃなかった……目が据わってる)
あまりこっちを見られること自体が得策ではないのに、プラチナが完全に俺を逃さないという目になっている。
「……それで、どうなの? 女の人とパーティを組んだこととか、あるの?」
「それは……ある。あるけど、こんな状況はさすがに初めてだ」
そろそろ三人には状況を理解してもらい、穏便に退出させてほしい。暗にそう言いたいのだが、三人は楽しそうに目だけで意思疎通している。
「私たちは、マイトがパーティに入ってくれて本当に良かったと思ってるの……」
「そ、それは、もっと長く一緒に冒険してから出てくるかもしれないセリフじゃないか?」
「かもしれない、ではない。今の時点でも十分すぎるほどに感謝している。まだ未熟な私たちの力を、マイトが引き出してくれている……それは、間違いのないことだろう」
「最初はレベルだけで判断して、私の方が先輩なんて思ってましたけど、今ではもうそんな自分が恥ずかしいくらいで……凄い人に入ってもらっちゃったなって、毎晩寝る前に思ってます」
そろそろこれ以上聞いたら後戻りできなくなりそうだ――ムーランの実の威力が凄すぎる。歓楽都市だからって、こんなものを気軽に流通していいわけがない。
「……なんで三人とも距離を詰めてくるんだ?」
「えっ……気のせいじゃない?」
「そうだ、マイトからこっちに来ているのではないか……」
「そうですよね……ふふっ、男の人の濡れ髪っていいですね」
14歳が何を言っているのか、と言う余裕もない。三人との距離が、浴槽の中という制限された空間の中で徐々に狭まり――決定的な境界を超えるところで。
(っ……!?)
三人には見えない、俺だけに見えるその発光――錠前が、見える。
しかし今回見えた錠前は、前に見えたものとは違う。前は白色だったが、今回は赤に近い色だ。それも一律に胸の前ではなく、三人とも別の場所に出ている。
リスティの胸の前、プラチナの太腿のあたり、そしてナナセは耳の後ろあたりに出ている。それが何を意味するのか、冷静に推し量る余裕がない。
――常時発動技 【ロックアイⅡ】 生物・非生物が持つ二つ目の『ロック』を発見する――
「マイト……私、普段からこんなこと考えてるわけじゃなくて、今日は……」
「そう……私もリスティと同じで、マイトに対して邪なことなど、今までは……」
「ま、待て……今までって、それだとこれからどうなるか……っ」
「マイトさん、たじたじじゃないですか。女の人とお風呂なんて余裕だって顔してたのに……あれ……?」
ナナセが俺に手を伸ばしてくる――その途中でふらつき、こちらに倒れかかってくる。
「
反射的に支えようにも、触れていい場所などこの状況ではどこにもなくて、辛うじて許されそうなところを探して受け止める。
「っ……ナナセ、大丈夫か?」
「……すー……」
「……え?」
ナナセは俺のほうに寄りかかったまま、動かずにいる。彼女が寝息を立てていることに遅れて気づき、他の二人の様子を見ると――風呂の縁に座ったままで寝てしまいそうで、危うい状態になっている。
「た、頼む……寝るなよ、こんなところで。一人ならまだしも三人は……っ」
「……マイト……もっと食べていいよ……?」
「うむ……育ち盛り……なのでな……」
(……俺が悪いヤツだったらどうするんだ、全く)
俺にできることは一つ、三人を浴室から離脱させること。そして風邪を引かないように何とかすること――『賢者』らしく、無心の境地に至らなければ。
◆◇◆
ムーランの実の効果は、一定時間の媚薬的な効果の後に眠くなるというものだった。
俺の体質では微妙に身体が火照ったりする程度だが、リスティたちにとってはかなり強い作用があったようで、三人とも寝ぼけながら着替え、すぐ寝入ってしまった。
部屋の割り振りも検討している余裕がなく、同じ部屋にリスティが寝ている。最初は毛布もかぶらず寝ていたので、起こさないようにかけてやると自分で手繰り寄せていた。
こちらも自分のベッドに入るが、なかなか寝付けない。誰でもそうだろう、あんな状況に遭遇した後では――しかしリスティが寝ているのだから、俺も無理矢理にでも寝なければと思う。
(……経験があるのか、か。シェスカさんにも聞かれたな)
ファリナはそういうことには興味がないようで、自動人形のエンジュは概念だけ理解しているようだった。そういうパーティだったからこそ、男女混成でも長く旅ができたのだと思う。
三人はその目立つ容姿もあって、立ち寄る街で男性から声をかけられることが多かった。そんな時は俺がいることで男除けにはなったのだが。
――マイトがあんな目をするの、珍しいと思って。
――私たちのために怒ってくれたんでしょう。そういうところ、頼りになるわよね。
――私は魔導人形ですので自己防衛は可能ですが、マイト様には感謝しております。
かつての仲間たちの言葉が脳裏を過ぎる。仲間に対して過保護が過ぎるかもしれない、そういうのは重いだろうか。そんな俺の迷いを察したかのように、三人は笑ってくれた。
そんな出来事が頻発した街では、俺のことを『番犬』と呼ぶ輩が現れたりもしたが、自分の振る舞いを考えたら否定はできない。
「……マイト、起きてる?」
「ああ、起きてるよ」
眠ったものだとばかり思っていた――いや、一度は本当に寝ていたのだろう。
リスティは目を覚まして、こちらに背を向けたままで声をかけてきた。俺が返事をすると、彼女は身体をこちらに向ける。
「……ごめんなさい。夕飯の後からのこと、あまりよく覚えてなくて」
「そうなのか。まあ、みんな疲れてたからな」
「うん。でも、何となく良いことがあったような気がするの」
「っ……そ、そうか……」
何を言っていいものか分からない。リスティは楽しそうに笑うと――ふと、真剣な目をする。
「私……まだ、マイトに言ってないことがある」
「……どうして冒険者をしてるのか、か?」
はぐらかすようなことでもなかった。俺の推測は当たっていたのか、リスティは身体を起こし、ベッドの端に座る。
寝室の窓のカーテンが揺れ、月明かりが差し込んでいる。リスティはそっと自分の髪に手櫛をしながら、言葉を続けた。
「プラチナも私も、まだあなたに本当の名前を名乗ってはいない。そのことは、気づいてた?」
「……プラチナも、リスティも、所作を見れば何となく分かる。まあ、上手く隠してるとは思うけどな」
「そう……やっぱり、マイトは凄いね。見ただけで分かっちゃうなんて。ここに来てからずっと、誰も分からなかったのに」
盗賊ギルドの長であるメイベルなら、リスティたちについて何か知っていてもおかしくはない。
尋ねていれば何か教えてもらえたのかもしれないが、できるならば、リスティたちから直接事情を聞きたかった――彼女たちが、なぜ身分を隠しているのか。
「……なんで、冒険者になろうと思ったんだ?」
「強くなりたかったから……ううん、それだけじゃない。色々なところを自分の目で見て、知りたかったから」
「それで、この街に来たのか。プラチナと一緒に」
「そう。彼女は、私の親友なの……プラチナにそう言ったら、怒られてしまうけど」
「プラチナがリスティのことを大事にしてるっていうのは、見ていれば分かるよ」
背を向けていたリスティが、こちらを振り返る。そして、とても嬉しそうに微笑む。
「プラチナはそういうこと言うと照れちゃうから、あまり言わないであげてね」
「……真っ直ぐな、いいやつだよな。たまに少し危なっかしいけど」
「そう……『パラディン』って名乗ってくれていたのも、私のため。私を守るために前衛になりたいからって……」
プラチナの本当の職業は『ロイヤルオーダー』。高貴な者の命に従うことが、その役目。
つまり、リスティの職業は『ロイヤルオーダー』を従える者ということになる。
「……マイト、私は……私の、職業は……」
「リスティは『剣士』だろ。料理の技能を持ってたりするけど、俺たちのパーティでは攻撃役だ」
「っ……料理は、職業と関係なく習ってたから……それに攻撃役なんて言っても、マイトの方がずっと強いじゃない」
「後衛の攻撃が強力でも悪いことはないからな」
しれっと答えると、リスティは少し不満そうな顔をする――大事なことを言おうとしたのに、ということだろう。もちろん、そこを誤魔化すつもりはない。
「レベルが上がって覚える技は職業によるものだからな……俺たちの前で見せると、リスティの本当の職業も分かるかもな」
「……マイト、私は……」
「本当はどういう職業だったとしても、リスティの自由にすればいい。俺はこのパーティの一員で、パーティが決めた目的を達する。そのためにここにいるんだ」
リスティは何も答えない。本当にそれでいいのか、というように俺を見ている。
「普通の魔法がろくに使えない俺と組んでくれて、感謝してるんだ。だから、リスティが冒険者を続けたいと思う限り、俺は全面的にそれを肯定する」
「……そんな……全面的に、なんて。大げさなこと言って……」
「本当に思ってることだからな。例えばリスティの正体がお姫様でも、俺の考えは変わらない。そういうことだ」
さらりと言ってしまったが――リスティは、否定をしなかった。
俺に背を向けると、リスティは目元を拭っているようだった。さっきから目が潤んでいることには気づいていたが、もう一度こちらを見たときには、いつものリスティに戻っていた。
「マイトは前にパーティを組んだ人にも、そんなふうに言ってたの?」
「い、いや……そんなことはないけど」
「私じゃなくても、そんなふうに言われたら嬉しいだろうなと思って。ごめんなさい、試すようなこと言ったりして」
「構わないが、元気になったみたいで何よりだな。今日はもう寝た方が良いぞ」
「ふふっ……マイト、何だか私のお兄さんみたい。同い年なのに」
リスティはまだ少し話したそうだったが、俺の言う通りにベッドに入る。
「……ありがとう、話せてよかった」
「ああ。俺で良かったらいつでも聞くよ」
「私とプラチナのこと……まだ、他の人には言わないでおいてね」
「心配するな、口は堅いから」
答えてしばらくすると、リスティが静かに寝息を立て始める。俺も目を閉じていると、今度はすぐに眠気が訪れた。
眠り際に思うことは一つ――リスティが言っていた、冒険者を目指した理由。
強くなりたい、自分の目で色々なものを見たい。
自分が魔竜討伐を志し、この街を離れたときのことを思い出す。その思いは、今も変わらずこの胸に残っていた。
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