第8話/人違い……?
暫くするとガラガラと建付けの悪い引き戸が開かれる。同時に涼けさを連れてくるほど透き通った声色が玄関から響き、待ち望んでいた人物が帰ってきたことを知らせた。
「うわー、今度は子供に手出したの?」
「違ぇし、客だし、生憎僕にはそんな趣味はないからな!」
「そこは自信もって『ロリコンです』って言えよーつまらないなー」
「ありもしないことを誰が言うか!」
真っ先に顔を出したのは、両手に買い物袋を握る充。見たところ野菜やお菓子、カップ麺やら日用品やら、とにかく色んなものがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
女性一人ではなかなか重そうだが、充はゴリラ並みに力があるから心配しなくても大丈夫だ。
「というか、そんな大荷物どうしたんだ?」
「えーっとね、本当は凛花ちゃんのもの買いに行ったんだけど、安売り見て野菜とか消耗品とかなかったよなーって思って。あとカプ麺は私の非常食で、お菓子は凛花ちゃん用~」
「あーそういうことか」
実は朝と夜の飯を僕が作っているため、本来買い出しは僕がやることになっているんだけど、「一応学生さんなんだから、そこまで時間割くのは大人として黙ってられないかなぁ」とか充に似合わないセリフを言って、彼女が買い出しをするようになっていた。
僕自身料理するのが好きだから買い出しくらいなんてことないんだけど、どうしても譲ってくれなくて、一週間に二度ほど仕入れてくる。まあ正直その分の時間を、自分の時間に当てれているから助かっている。
「そういえば、凛花は?」
「部屋に荷物置いてるから、もうそろそろ来るんじゃない?」
なんて話していると噂をすれば何とやら。正しくは噂をすれば影がさすって言うらしいけど、その言葉通り凛花がリビングに顔を出してきた。
だが、完全に来たわけではない。顔だけがリビングに入っている。なにかを覗いているようにも思えるけど、その視線は警戒の視線。じとっと睨んでいるような目つきでこちらを見ているから間違いない。
それに凛花にとってマツリのことは赤の他人。警戒するのも無理はない。けれど、こうやって見てると、知らない猫が縄張りに入ってきて、相手の様子を伺っている猫にしか見えなくなってくる。
「凛花……なにもそんなに警戒しなくても」
「だって知らない人。急に指さしてきた」
「だとさ、マツリ」
視線をマツリの方へと戻して言うと、一定のリズムを刻むように僕と凛花を何度も見ては「え?」っと発していた。多分理解が追い付いていないんだろう。
「ほ、本当にミレイザじゃないの……?」
「そうだって。多分。な?凛花」
正直、僕も凛花のことは殆どわかっていない。唯一わかるとするなら、引き締まるところは引き締まってる体をもつ女性であることだけ。だからこそ『凛花』を知るいい機会かもと、敢えてもう一度凛花に話を振る。
その問いかけに即答すると思いきや、苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべて言った。
「うーん、ミレイザ……マツリ……なんか聞いたことはある……気はする。でもボクは一応『凛花』だから、多分人違い?」
「き、聞いたことがある気がする……じゃないわよ!ミレイザ!それがあなたの、宇宙での本当の名前で、私は貴女の友達、マツリよ!?よく思い出して!!!」
聞いたことがあるという単語を聞いて、急に立ち上がるマツリ。直後、これでもかというくらいには大声を出して、『凛花』が『ミレイザ』である【かもしれない】を【確信】に変えようとしているようだ。けれど不思議と大声に怯むことなく小首を傾げた凛花は、困った表情を浮かべて。
「う、うーん……そう言われても、思い出せないし、わからない」
「……そう。本当に、人違いか、思い出せないか、なのね……」
凛花の答えに納得はしていない様子だったが、どこか大切なものを失ったような寂し気な表情を浮かべて、すっと静かに座って黙り込んでしまうマツリ。
急に空気が重くなったからか、先ほどのマツリのように凛花が視線を送ってくる。凛花は嘘をついているわけではなく、本当のことを言ったのが伝わってきて、なおさらマツリに言葉をかけづらくなった。
ただ、聞いたことがあるということは、もしかしたら凛花は本当に宇宙人であるかもしれなくて、マツリの言うことも嘘ではないとしか思えなくなってくる。
けれど今の現状からして凛花は知らないの一点張り。それが友人の口から出てくるのが、どれだけ辛いのかは考えてみれば簡単にわかること。
どこかの誰かが言っていたけど、本当に真実ほど残酷なものはない。なんて思っていると、ガタンと机を強く叩かれた音が沈黙を切り裂いて。
「ごめんなさい。私、帰ります。夕ご飯は、お気持ちだけで」
「え、ちょ!」
顔を俯かせたままのマツリは足早にその場を去る。瞬間、揺れる黒髪の隙間から蒼色の瞳が見えたが、今にも泣きそうなほど潤んでいるのがわかった。
それにマツリの言葉に聞き覚えがある凛花が、本当にミレイザという人物であり、友人というのならば帰らせてはいけない。絶対後悔してしまう。そんな気がして咄嗟に後を追うように足を運ぶ。
けれど、それまで二人の様子を伺っていた充がぐっと僕の肩を掴んで行く手を遮り、
「やめときな優人。心配するのもいいけど、時にはそのお人好し癖が人を傷つけるんだよ?忘れたわけじゃないでしょ?」
「でも、こんな」
「いいから。私には宇宙だの、本当の名前だの、なんだのはよくわからないけど、今はあの子のことはそっとしとくべきだよ。さっきのマツリちゃん……だっけ?その子の言うことが本当のことなら、今のこの現状はつらくて仕方ないだろうし」
確かに充の言う通りだ。マツリが背負った辛さは考えてみれば簡単なことだってわかってたのに、今僕は引き留めようとしていた。今の状態で引き留めたところで、何かが変わるわけじゃないのに。
――あの時のように、僕は引き留めようとしていた。
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