夜空への願い事

あおきとしよ

 夜空への願い事ー平和の使徒となった二匹のペットの物語

 飼い猫のタマが犬ぞりに乘って夜空を駆け、星の陰に消え去ってから何年になりますでしょう。


 ある年のクリスマス・イブでした。

 ショートケーキを指先にからめて差し出したら、ペロッとひと舐めです。

 欲しそうな表情でわたしの顔を見上げます。

 「もうダメ」というと、タマは言葉のニュアンスでわかるのでしょう、おとなしくテーブルに座るわたしの足元に来て寝ころがり、わたしの目線から姿を消しました。


 四五分経ったでしょうか、ベランダに面しているこの部屋のガラス戸が、パッと明るく火花を散らしたように輝いたのです。


 そして、軽い地鳴り。

 「花火かしら!」、わたしは思わず声をあげました。

 「クリスマスに花火? 地震じゃないのか」

 夫は、疑心暗鬼という顔つき。

 何事かと、わたしたち夫婦は顔を見合わせ、起こったことの意味を探ろうとしました。


 子供のない夫婦のクリスマスには、ジングルベルもサンタクロースも不要です。

 タマが唯一夫婦のかすがい、団欒の中心です。わたしは、足元にいるはずのタマを求めてテーブルの下を覗きこみましたが見当たりません。

「タマは?」

「きみの足元だろう」

「いないわ」

 前に座る夫が、腰をかがめて、テーブルの下に目をやります。

「ぼくの足元に来ている」

 夫は手を伸ばしてタマを抱き上げようとしました。

 不審な顔つきですぐに顔をあげます。

「水をこぼしたのかな、下が濡れている!」

 タマは、前あし、後ろのあしを伸ばして、横向きに倒れています。

 夫の言葉がすぐに、驚きの声に変わりました。

「おかしい!タマがおかしい!」

 夫はあわてて、タマを抱き上げました。


 タマはまったく反応を示さず、ひとみは大きく見開いたまま動きません。

 床の上に流れていた水は、タマの体内から流されたオシッコだったのです。

 ショートケーキをひと舐めして、わたしの足元に入って来てから僅か数分しか経っていません。ウンでもスンでもないのです。わたしは「病院に!」と声をあげましたが、夫はもう少し冷静でした。

「心臓が動いてない!」

 わたしは、夫の腕からタマを奪い取りました。

 見開いたひとみがわたしを真っ直ぐに見据えていますが、一点に焦点を当てたように動きません。

「ママよ、タマ、ママよ!」

 声を挙げ、ゆすりましたが、まったく反応がありません。

 夫は床に流れたタマの体液を毛布でぬぐい取りました。かなりの量がありました。ひと、動物にかかわらず、死が骨盤の周りの筋肉を弛緩(しかん)させ、汚物を垂れ流すと聞いていましたが、わたしには始めてのことでした。生物(いきもの)としての機能を失ってしまうことを目のあたりにして、ただ、タマを抱きしめ、再生を願ってタマの名を呼び続けるだけでした。


 よく、ピンコロリといいます。

 タマの死にざまは、まさにピンコロリでした。

 ネコによくあるといわれる、心臓麻痺によるものかもしれません。

 うちに来てから十二年。

 タマは六才くらいの時にわが家の住人になりました。

 丈夫で元気。賢い猫で団地の子供たちの人気者。

 ここ一年ばかり、足元が少しあやしくなってきたのは確かです。

 十八年の生涯をおえたのです。


「ルルが迎えに来たんじゃないのかな」

 わたしがタマを毛布の上に寝かせ、まだ、奇跡を願いつつ、その躰をさすり続けている様を見て、夫はふっと云いました。

 偶然とでもいうのでしょうか、わたしも同じことを思い浮かべていたのです。


 その時、電話がなりました。

 そういえば、イブには、小学生、中学生の甥っ子、姪っ子から電話でメリークリスマスを云ってくるのが慣例のようになっていました。彼らにとっては、プレゼントの期待と、正月のお年玉の前哨戦でもあるのです。


 タマの死をどのように伝えようか、彼らも可愛がっていた猫です。わたしたちは思わず顔を見合わせました。メリークリスマスを云ったり、云われたりする気力など、わたしにはまったくありません。目顔で夫に出てくれるように伝えました。

 受話器を取った夫は、首を静かに横に振ります。

 プレゼントを当て込む電話ではなかったようです。


「あっ、秋元さん、お久しぶりです・・。はい、・・えっ? 犬ぞり・・もちろんありますよ。北の国では、犬が・・・」

 夫の顔色が生真面目なものに変わってきました。

 なにか、話を聞かされているようなのです。

「い、いえ、特にございません。・・では、失礼します」

 受話器を置いた後も、夫はわたしの顔をじっと見つめたままです。

「秋元さんから? こんな日に又なんだって・・」

 秋元さんは、隣りに住んでいる還暦を過ぎたおじいさんです。朝早くから自転車でお仕事に出ています。隣りとはいえ、“あの時” 以来、あまり顔をあわせる機会がありません。電話など恐らく始めてのことではないでしょうか。

「クリスマスに、犬がそりを引っ張ることってありますかって?」

「・・トナカイでなくて? 犬がそりを? そんなことをわざわざ電話で聞いてきたの?」

「・・うん、年だからと、思ったけど・・・」

「なんておっしゃったの?」

 夫は、わたしの顔をみつめながら、話をためらっているのです。

「・・うちのベランダから、犬がそりを引いて夜空に飛び出すのを見たって」

「まあ、やっぱり、お年だから・・」

「・・・・そりにネコが乘っていたって・・」

「ネコが・・・?」

 わたしたちは、顔を見合わせました。

 夫はためらいがちに続けます。

「失礼ですがお宅になにか変わったことありませんかって聞くんだ」

「秋元さんが? あなた、なんて云ったの?」

「聞いていただろう、突然のことで、思わず、特にございませんって云ってしまった。・・・タマのことでは、いろいろあったけど、気持ちの整理もついていないし、・・・もしかすると、生き返るかもしれないし・・・。明日の朝、本当のことを云いに行こう」

 常日頃ものごとに冷静な夫が、支離滅裂なことを口走っています。

 秋元さんの話が突飛すぎたのでしょう。

 しかし、果たして、突飛だといえるでしょうか。

 秋元さんは、わが家の変事を、ほとんど同時刻に言い当てているのです。


 犬ぞりに乘ってネコが夜空に・・・

 その夜、わたしは、タマの思い出にひたり、秋元さんのお宅との ”あの時” を思い出し、ほとんどひと晩中、寝ることができませんでした。


     *     *


「お宅のドアの前には、いつも、ネコちゃんが寝ていますね」

 新聞配達のお兄さんが、集金に来た時に云うのです。

「えっ、ネコが?」

 わたしは、耳を疑いました。

 わが家は、団地のマンションの六階にあります。

 六階までネコが上がってくるものでしょうか。

 そして、選りによって、何でわが家に・・・?

「・・・これから、寒くなりますから」

 お兄さんは、せっかく上がってきたネコを、わたしがうちに入れずに締め出しているような口ぶりです。

 朝刊の配達は、毎朝四時から五時のあいだ頃。

 十日ほど前から、ほとんど毎朝のように、共用通路から一段奥まったドアの片隅で、風を避けるようにしてネコが横になっているというのです。

 ブチの白黒のネコと云うからには、ノラ猫のタマに相違ありません。

 元気なオス猫で、わたしによくなついていました。

「知らなかったわ、今晩、のぞいてみるわ」

 わたしは、お兄さんに、うかつだったことを強調して、教えてくれたことにお礼をいいました。

  

 夫と交代で外を覗いて、タマをドアの前の共用通路で見つけたのは、午前二時頃でした。この時間帯を昔は「丑三つ時(うしみつどき)」といって、まさに、草木まで眠りに入る時間です。暗闇でうごめくのは、怪異なものだけと言い習わされてきた時間帯です。

「いやね、タマったら、選りによって、こんな時間に来るなんて」

 わたしは、すぐに、ドアを大きく開けて、タマに中に入るような仕草をしました。しかし、タマはどうしても中に入りません。無理に抱きかかえて入れるのも、タマの意志に反しているように思えました。ドアの前に小さな毛布をだし、水と食べ物を置いて、後ろ髪を引かれる思いで寝床に入りました。


 翌日のことです。普段みたこともない、ある料理番組を見るためにテレビをBS放送に切り替えていたのです。料理番組が終わった後、最近の世界の変わったニュースというのが続きました。ネコの出る話らしいので、そのままチャンネルを変えずに見ていました。

 こんな話でした・・・。

『むかし、春の星座のひとつに、「ネコ座」というのがありましたが、ここ二百年ばかり使われていませんでした。それが復活しているようです。この星座は三等星以下の光度の乏しい小さな星座で肉眼でみることが難しいため、忘れ去られてしまっていたのです。 最近、光度が上がったようで、ある地域によっては、東南の位置に、午前二時前後のほんの数分ですが、はっきりと見ることが出来るとのことです。』

 「ネコ座」と云われる星座の写真やら、それにネコを無理やりに重ね合わせたような画像がテレビに写りました。

ネコ好きにとっては興味ある話題です。更に続きます。

『星の光度が変わるというのは、世界に一大変事が起こる前触れだといわれています。地球の終末期だという人もいるほどです。ただし、幸せなカップルがこの星に住むようになれば、この星座は再び人々の目から消えて、不吉な言い伝えもこの世から消滅すると云われています』

 このネコ座の話題は、しばらくの間、わたしの頭を離れませんでした。地球の終末期を救うために、幸せなカップルが、宇宙船に乗ってネコ座を目指すといった筋書きの幻想映画を想像したくらいですから。


 わたしは、このテレビを見た翌日、午前二時に玄関前に出てみたのです。既にタマが来ていて、共用通路の真ん中に座り、外を見上げています。わたしを見ても、いつも食べ物をくれるおばさんだと知ってのことでしょう、動こうともしません。何気なく、タマの横に立ち、かがみ込んで、タマに近い目線まで顔を落として、東南の方向に目を向けました。他人が見たら何をやっているのかと思われるでしょう。確かにテレビでみたような、小動物のかたちをした星座が見えます。それがいま云われているネコ座かどうかはわたしには分かりません。ただ、タマがその方向に顔を向けていることは事実です。


ところが十分もすると、その星座はわたしの目の先から消えていきました。素人考えですが、消えたのではなく、地球が回って居るのですから、位置がずれて、見えなくなったのではないでしょうか。すると、タマは、座っていた位置から離れて、わたしどものマンションの玄関の前に移っていきました。前足を出して座り込みます。新聞配達のお兄さんが毎朝見ていたタマになるわけです。

 

 わたしは次の日も、六階の共用通路にタマと一緒になって、そのネコ座とかいう星座を見ることが出来ました。タマがこの階まで上がってくるのは、この星座を見る為だろうかと思ってもみるのですが、幾ら星が明るいと云っても、ネコの視力は人間の十分の一くらいで、識別できるのは、せいぜい十メートル位と聞いています。星は見えないというのが通説のようです。見えないとしてもなにか「感じること」は出来るのではないでしょうか。


その夜、わたしはひとつの実験をしてみました。 タマを抱いて五階に降り、ほぼ、六階で星を見ていた位置にタマを下ろし、わたしもその場所に立ちました。ところが、タマは、その場所にじっとしていません。すぐに、六階に駆けあがって行ってしまいました。わたしは、念のために五階のその場所から、ネコ目線になって、星座を見ようと試みましたが、どうしてか、見えないのです。時間の経過がそうしたのかと、すぐに六階にもどりましたら、タマは、先ほどまで座っていた位置に座っているのです。わたしもその場所に戻って、ネコ目線で、空を見上げましたら、まだ、ネコ座を見ることが出来ました。消えたのはそれから、三分くらいたってからでした。

 

ネコ座は、うちのマンションの六階からは見えて、五階からは見えないのです。他の階を試したわけではありませんので、わたしの推測の域をでませんが、タマは、最近、見えるようになったと云われている、ネコ座を見るために、六階に上がってくるような気がするのです。星そのものは見えないとしてもネコ特有のテレパシーで「感じあえるもの」があるからではないでしょうか。

 

 次の夜、わたしは自分のいえのベランダからも、東南の位置に、午前二時、ネコ座が見えることを確認しました。すぐに、共用通路にいるタマを抱き上げて、ベランダに連れて行き、星が見える位置に置いたところ、タマはおとなしく夜空を見上げているのです。

 

 こうして、タマは我が家の住人になりました。

 ネコ座を見ることが出来るのは二十四時間のうち、わずか数分にすぎません。この時間には、タマは、なにか近寄りがたいネコになりますが、その他の時間は、まったく普通のネコです。


 少し、寝不足気味になっていたわたしも、これでほっとしました。

 タマは、うちに来た当時は、用意したネコ用ベッドになかなか入らず落ち着かない様子でした。用を足したいときには、せっかく準備したネコトイレでせず、玄関のドアの前に立って、開けるまで待っているのです。ドアを開けると、それまで我慢していたのでしょう、飛ぶように階段を駆け下りて行きます。ベランダから下を見ていると、だいたい決まった草やぶの中に飛び込んで行って、用を足すのです。そのあと、一時間くらい、むかしの仲間たちと外の散歩をしてから六階まで上がってきます。迷うことなくわが家の玄関に直行し、ドアを開けるまで、前に座って待ちます。


 小事件が起きたのは、タマが来て一年くらい経った時でした。

 朝七時、夫が勤めに出ようと、玄関のドアをあけたら、タマが座っていたのです。

「タマを外に出したのか」

 わたしはそんな覚えはありません。天気のいい日は空気の通りをよくするため、ベランダに面したガラス戸をいつも若干開けておくので、部屋のネコベッドにいなければベランダにいるものとばかり思っていました。我が家に来て以来、タマはベランダで横になっていることが多かったのです。簡単な階段状のベランダ花壇を作り、鉢植えの花が置いてあるので、わたしの目で見る限り、ネコ向きのベランダだと自賛していました。タマはベランダと室内を気分にまかせて自由に行き来しています。


 その日は、なぜ、玄関前にいるのか、分けが分かりませんでしたが、忙しさにまぎれて深く考えてみませんでした。しかし、それから二日後、また同じことがおこりました。朝早く、出かけようとした夫が、玄関のドアの前にいるタマを見つけたのです。

「おい、おい、また、タマが玄関にいるぞ。夜中に出しっぱなしにしていたのと違うか?」

 そんなことある分けがないのです。夫は寝床に入る前に、ネコベッドにいるタマをからかっていたじゃありませんか。

 玄関前には、マンションの共用通路が通っていますから、タマは通路に面した部屋から、ガラス戸を開けて通路に出たとしか思えません。通路に面しているのは、台所の小窓と、夫が書斎に使っている部屋です。調べましたが、しっかり閉まっていて、いくらタマが賢くても出るような方策を取る余地はありません。二回続けて、おかしなことが起こったことから、がぜん、わが家では、タマの不可思議な行動が夫婦間の話題になりました。


  カギのかかった密室状態の部屋からどうやって玄関の外に出ることが出来たのか。

  問題が氷解したのは、その次の日でした。

  早朝、五時頃でしょうか、夫が「おい、タマがいないぞ」と、わたしを起こすのです。わたしは飛び起きました。

 さして広くもない、二LDKの部屋のどこにもタマはいません。

 すぐに玄関のドアを開けてみました。

 ところが、タマはいません。

 わたしたち夫婦は、押し入れの中などもう一度探し回って、タマがいないことを確かめると、寝間着にガウンを羽織って、マンションの通路、階段を探し回りました。念のためにマンションの芝生の外庭まで歩き回りました。どこにもいません。三十分ほど探し回って、六階のわが家に戻ってみると、玄関のドアの前に、隣に住む、秋元さんがタマを抱いて立っているではありませんか。


 朝の六時に近くなっていました。

 わたしたち夫婦の驚きの顔をしり目に、秋元さんは、少しご機嫌斜めの様子です。

「お宅のタマが、夜中によくうちに来るのご存じでしたか」

 わが家は六〇一号室で、六階で一番端の部屋。各階に十部屋づつあり、秋元さんはお隣の六〇二号室。確かに続いていますが、どうやって、隣の部屋に行ったのか。

「えっ、お宅に?」

 不審顔をするわたしたち夫婦に向かって、

「ベランダですよ。ベランダから入って来るのです。ご承知のように、うちにはヨークシャテリアのルルがいます。ルルに会いに来るみたいです」

 ルルは頭に赤い蝶々結びのリボンを載せた可愛い白毛のメス犬です。

 秋元さんのご家庭はなにか複雑みたいで、二年ほど前に、奥さんが家を出て行って、犬のルルちゃんと秋元さん、一匹と一人の生活です。秋元さんは温和な方で、逢えば、お互い愛想よく挨拶を交わす間柄です。滅多にお目にかかることはありませんが。

 その秋元さんが、ご機嫌斜めな理由が分かったのです。わたしたちは、まったく知りませんでしたが、秋元さんによれば、タマとルルちゃんは、殆ど毎晩のようにデートを繰り返していたというのです。

 

 夏場に限らず、夫が暑がりで、わが家はベランダに面した部屋のガラス戸を少し開けて寝ることが多いのです。真夜中すぎに、タマがベランダ伝いにお隣の秋元さんのベランダにやってきて、ルルちゃんと、ベランダでじゃれあったり、二匹並んで座って、夜空を見ていたりと、とてもネコとイヌとは思えない仲の良さだというのです。夜中にトイレに起きた時など、その様子を見て、もともと動物好きな秋元さんは、微笑ましく思っていたそうです。


「夜空にむかって、二匹並んで座っていますよ。」

こう口にする秋元さんは幸せそうな顔をしています。

夏場はそれでよかったのですが、秋口が近づくと、秋元さんはベランダに面したガラス戸を締め切って休みます。真夜中を過ぎた頃、タマがベランダのガラス窓をガリガリこすり、ルルちゃんを起こすのだそうです。するとルルちゃんは戸を開けろと吠えて、秋元さんは真夜中に叩き起こされる羽目になるというのです。

 ここ数日、涼しい日が続いたためか、タマが家の中に入って来て、ルルちゃんと同じベッドに入って、二匹で頭を揃えて寝ているそうです。

マンションのベランダには、隣との間にがっちりした仕切り塀があります。火災などの緊急時には、叩き割って隣のベランダに逃れることができるようになっているのですが、床面は三センチ程度の隙間です。いかにネコが躰をくねらせても、となりに入ることはできません。

ベランダのどこから、お隣に入るのでしょう?

「手すりですよ、手すり。ベランダの手すりです」

 手すり? 確かに、ベランダには、六○一号から六〇九号室まで、手すりが一直線に続いています。高さは一メートル二十センチ、上の手すり幅は、七センチですが、両端は丸みをおびているので、上部の平たん部分は約六センチです。秋元さんによると、この手すりの上を歩いてタマはやってくるというのです。人間の一般常識ではちょっと考えられないことでした。我が家のベランダのお隣りに面した仕切り塀のところには、花壇が造られています。お隣もご同様で、ガラクタらしきものが、仕切り塀のところにつまれています。


 わたしは想像しただけで寒気がして、躰が震えてきます。

 手すりの上部に乘るには、百二十センチの高さを飛び上がらなくてはなりません。六階です。飛び上がり、着地した時のバランスがちょっと崩れたら、真っ逆さまに地面まで落下です。タマは秋元さんの話によると、ここ一月のあいだ、殆ど毎晩のように来るそうですから、三十回やって、失敗なしということです。すごいバランス感覚です。更に、飛び乗ったとしても、隣のベランダの飛び降りる場所までたどり着くには、少なくとも八メートルは歩く必要があります。

 夜明けが近くなると、今度は、タマは、ルルの見ている前で秋元さんのベランダから手すりに跳び乘り、自分のねぐらに戻って行くのだそうです。

 この事実を知るに及んで、秋元さんはタマの軽業振りに感嘆してしまったようです。無理もありません、考えただけでも、寒気がしませんか。


 たまにタマがルルと一緒に寝込んでしまうことがあるそうです。そんな時には、朝方、秋元さんがお勤めにでるときに、六時半頃出るそうですが、タマを我が家の玄関口に置いて行ってくれるとのことなのです。

 その日は、我々が、探し回っていて戻ったところに、秋元さんが、タマを外にだすのに出くわしたということだったのです。

 秋元さんは、眠たそうに、これを続けられると、神経衰弱になりますから、タマをしっかり管理してくださいと云われました。当然のことです。夫とわたし、平身低頭、何回も頭を下げ、後ほど、下戸で、甘いもの好きと伺っていたので、名の知れたお店の菓子折りをお届け致しました。

 わたしたちは、夜はベランダに面したガラス戸はしっかり閉め、タマがベランダに出られないようにしました。


 悲劇が起こったのは、それから三月ほど経ってからです。

 ルルちゃんが急死したのです。

 無謀にも、ルルはベランダの手すりに飛び乗ろうとして、しくじったのです。


 われわれは、無意識のうちに、タマとルルのデート、はっきり言えば、恋路の邪魔をしていたのです。毎日のようにタマが手すり伝いにルルのいるベランダに出向き、一緒に夜空を眺めて過ごしていたのが、ある日を境に、タマがぱったり来なくなってしまいました。並んで夜空を見るという、二匹の毎日の楽しみを奪ってしまったということなのです。

 秋元さんの仰るのには、タマが来なくなってしまったので、ルルは自分で行こうと思ったのではないかというのです。まさかと思うか、その通りと思うか、ルルの気持ちは、ルルを身近に置いた方でないと分かりません。秋元さんは十年近くを共に過ごしたとのこと。

 わたしはネコの習性はある程度学びましたが、犬は飼ったことがありません。秋元さんが仰るのですから、間違いないのではないでしょうか。ルルは、姿を見せなくなったタマに会いたくて、踏み台に乘ってみて、これなら大丈夫と思ったのでしょう、とび乗ったと思った手すりから足を踏み外して六階から落ちてしまったのです。


 突然、愛犬を失った悲しさは、ペットを永年、身近に置いた者でないと分かりません。秋元さんは、お年に加えるに、ルルを失った悲しみが倍加して、急に老けられたようです。

 わたしたちは、ルルの遺体の処理についての費用をすべて負担させて頂きました。タマの足の爪をちょっと切ってルルの遺体のそばに置き、特別に、ルル単独で焼いてもらい、骨壺に入れて、秋元さんにお返ししました。

 タマとルルの逢瀬は、半年ばかりの短い間でしたが、ルルには燃え尽きた月日のようであり、タマには思い出を残した月日だったに違いありません。

 

 秋元さんは、それから数年経って、ルルの位牌を懐にして、このマンションを出て行かれました。 行く先は仰いませんでした。わたしたちもお聞きしませんでした。

行かれるときに、ひと言仰いました。

『星は見えなくても「願い事」なら出来たはずです』  

 未だに、タマとルルがベランダに並んで座り、夜空を見上げていたことをお忘れにならなかったのですね。


 タマはそれから、八年近い歳月を生きました。

 毎年、ルルの命日には、タマと一緒にお線香をあげていました。

 その日になると、わたしは、少し気がかりなことを思い出すのです。

 それは、秋元さんは、タマとルルの「願い事」が、どんな願い事だったのか、おっしゃいませんでした。

 夜空にどんな願い事をしたのでしょうか。

 老いたタマはその願い事を覚えているでしょうか。

 

 クリスマスの前夜、秋元さんが目にした、我が家のベランダで起きた光景は、幻想でも妄想でもない、二つの魂の願い事がかなった瞬間ではないでしょうか。

 わたしたち夫婦は、あの夜、ベランダに面したガラス戸が火花に照らされて大きく揺れたのをはっきりと覚えています。


 タマはわたしたちに、その亡き骸(なきがら)を残して、魂は火だまとなってガラス戸を抜け、ルルの犬ぞりに乘って共に夜空に旅立ちました。


 わたしは、こんな願い事を想像してみました。

 ネコになりたいと願ったルル。

 イヌになりたいと願ったタマ。


 二つの魂は夜空に輝く星の世界で一緒になれたに違いありません。

 東南の空から「ネコ座」が消えているのを、わたしは次の春に知りました。


(終わり)



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夜空への願い事 あおきとしよ @toshiyo

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