第12話 魔力の触れ合い


「……私の身内に何してるんですか?」



 低い声が響く。注射器を持ったおじさんが、目玉だけを動かし……自分達を見下ろすジュリアを見上げた。


「ルーチェ・ストピド。人工魔法石の影響データを取るためだけの被検者であると、お伝えしてたと思いますが」

「……すみません。こちらに……手違いがあったようで……」

「手違い? はあ。これは、許される手違いですか? ジュリア・ディクステラの身内ですよ?」

「……申し訳……ございません……」

「謝罪は結構。どう責任を?」

「……っ……も、申し訳……ございません……」


 ジュリアがおじさんの腕を踏んづけた。


「ひい!」


 ヒールの踵で。


「うぐうう……!」

「処罰は後で。全員です。人体実験はかなりのリスクを負います。きちんと調べてから行ってください」


 ジュリアが踵を離し、地面を叩くと、あたしを押さえていた……今は地面に這いつくばる男が、思い切り吹っ飛び、壁に叩きつけられた。


「今後、汚い手でうちの子に触れないでくださいね」

「た、大変失礼致しました……!」

「……捜しましたよ。ルーチェ」


 笑顔で手を差し出される。


「さ、部屋に戻りましょう」



 目 が 笑 っ て な い 。



「……」

「さあ、ルーチェ」

「……」


 あたしは恐る恐るジュリアの手を握ると、そのまま強く掴まれ、無理矢理立たされる。ジュリアが大股で歩き出し、あたしを連れて部屋から出ていった。


(……やばい)


 引っ張られる。


(めちゃくちゃ怒られるかも……)


 迷ったあたしが一番悪い。


(そういえば初日に、ミストさんに関係ない部屋に入らないよう注意受けてた。うわ、どうしよう。やらかした。うわ、やばい。どうしよう)


 言い訳を考える。その間にも部屋に近づく。


(ジュリアさん、ずっと無言だ。どうしよう。怖い)

「……」

(どうしよう。怖い。どうしよう。うわ、お腹痛くなってきた。うわ、どうしよう。吐き気してきた。うわ、うわ、どうしよう、殺されるかもしれない。どうしよう、怖い。どうしよう。とにかく、謝らないと。今の方がいいかな? 後の方がいいかな? タイミング、空気、読まないと……)


 考えている間に部屋についた。ドアを開け、ジュリアが投げるようにあたしを部屋に入れた。


(わっ)


 ジュリアがドアを閉め――鍵をかけた。


「……」

「……ご、ごめんなさい。あの、ま、ま、まよっ、迷っちゃって……」

「……」

「ごめん、な……さい……!」


 ジュリアが振り返り、大股であたしに近付いてきた。


(ひっ、あ、わっ!)


 後ろに下がるとベッドに膝裏が当たり、拍子に座り込んでしまう。


「ご、ごめんなさい! ごめんなさ……! ひっ!」


 怖くなって目を閉じると――ジュリアがそっと、あたしの額と自分の額を重ねた。


「……」

「……熱、下がったみたいですね」

「……」

「なぜあんな場所に?」

「……さ、散歩してたら……道に迷って……」

「怖かったでしょう。可哀想に」

「……え……」

「二度と近づいては駄目ですよ。結構違法なこともしてるので。あ、魔法省が許可してるので、リークしても無駄ですよ? ふふっ」

「……」

「よしよし。怖かったですね」

「……え、……あの……」

「ん?」

「怒らないん……ですか……?」

「迷っちゃっただけなんですよね?」

「それは……はい。でも……」

「うん。反省すべき点は君自身わかってると思うので、これ以上私が言うことでもないでしょう」

「……」

「怖かったでしょう。もう大丈夫ですからね」

「……、……、……」

「……ああ、こんなに震えて……可哀想に」


 涙を流すあたしを見て、ジュリアがあたしを優しく抱きしめた。抱きしめられたものだから、あたしもつい、しがみついてしまって、一気に恐怖と安堵の気持ちが溢れてきて、涙が止まらなくなる。まるで、ジュリアが天使のように思えてくる。ルーチェ、これはストックホルム症候群だと思うけど。いや、どうでもいい。


 今は――どうでもいい。


 ジュリアがあたしの頭をとろけてしまいそうなくらい優しく撫でた。


「間抜けな子。無事で良かった」

「……っ……、……っ……!」

「よしよし。大丈夫、大丈夫。……大丈夫ですよ。側にいますからね」


 ジュリアがあたしの背中を軽く叩き、頭を撫で、そしてゆっくりと……あたしを押し倒し……それはそれは、とても優しい笑みを浮かべた。


「君には私がついてますからね。大丈夫。いつだって守ります」

「……っ、……っ……」

「よしよし。……ふふっ。意外です。君は泣き虫だったんですね。そんなに沢山泣いたら、目が溶けてしまいますよ?」


 優しい手があたしを撫でる。その手に安堵する自分がいる。


 ――とても変な気分だ。恐怖が残っているからだろうか。ジュリアが側にいることの安心感を凄まじいほど感じる。心がとても落ち着く。なんだろう。この気持ち。とても不思議だ。ふわふわしていて、ジュリアにしがみついていないと、不安でおかしくなってしまうんじゃないかという気になる。だから、あたしは精一杯しがみつく。その行動に、ジュリアが笑った。


「ルーチェ、そんなにがっつかなくても、私はここにいますよ」


 あたしはしがみつく。怖い。思い出して、体が震える。抱きしめて、撫でてくれるジュリアに甘える。


「……もう。仕方ないですね。……今夜も、ずっと一緒にいましょうね」

「……」

「でも、いくつか書類を作らないといけないんです。仕事道具を取ってきますから、ここにいてください」


 やだ、まだ離れないで。


「……はあ。もう……。愛おしい子……」


 ジュリアが幸せそうに微笑んだ。


「愛しくてたまらない」

(安心する……。魔力が温かい……。なんでだろう。相手は……ジュリアさんなのに……いや……ジュリアさん……だからなのかな……)

「……ルーチェ……」

(……闇が入ってくる……。……あ……)


 ――唇を重ねられる。


(これ……拒んだら……一人になるのかな……)


 一人になるのが怖い。


(側にいてほしい……)


 キスを受け入れる。暴れない。大人しくする。舌が入ってきた。あたしは大人しくする。息が苦しくなってきた。体を震わすと、ジュリアが唇を離した。


 ジュリアが無邪気な笑みを見せ、耳に囁いた。ちょっと、温まることしましょうか。あたしは瞬きした。怖いことじゃありません。少し、温まるだけです。そう言ってジュリアが自ら着ているものを脱ぎ始め、下着姿となった。耳に囁く。ルーチェも、脱ごうね。優しい手があたしの服を脱がし始めた。あたしは恥ずかしくなって、それでも拒んだらジュリアが離れて、この部屋で一人ぼっちになってしまうと思って、それが物凄く恐ろしく思えて、自分の手で着ているものを脱いだ。内ポケットが見えないように、カーディガンから脱ぎ始め、ジュリアと同じように下着姿となった。ジュリアが舐めるように見てくる。恥ずかしい。けど、一人になりたくない気持ちが勝つ。ジュリアがクスクス笑い、再びあたしを抱きしめる。大丈夫。可愛い。頭を優しく撫でられた。痛いことはしないからね。耳に囁く。ね、間抜けちゃん、誰かと魔力を触れ合わせたことってある? ……わからない? そう。……じゃあ、私が教えますね。これがね、ふふっ。すごく気持ちいいの。そうだな。魔力を使って、マッサージをしあってるとでも思ってください。きっと、怖いことも忘れる。大丈夫。私の魔力が触れたとしても、君なら平気でしょ? いい? 触るよ?


 ジュリアがあたしの肌に指をなぞらせた。その指から魔力が流れてくる。あたしの魔力が反応する。ジュリアの魔力があたしの魔力に触れ合った。ゆっくりと絡み合うと……あたしの心臓が突然、高鳴った。


「ひゃっ!」

「ん。ふふっ。くすぐったかった?」


 ジュリアの指がゆっくりあたしの腹をなぞった。


「ん、んん……!」

「大丈夫。怖くない。相手は私ですから」

(くすぐっ……たい……)


 まるで全身を舌で舐められているような感覚。


(声……出る……やだ……恥ずかしい……)

「……間抜けちゃん?」

「……っ」

「ふふっ。別に声出しても平気だよ? 部屋に魔法がかかっているから、私以外、誰にも聞こえない」

「……んっ……!」

「聞かせて? ルーチェ。君の声、すごく好きなの」

「っ」


 魔力が混ざり、絡み合う。


「はぁ……あ……う……」

「……気持ちいい?」

「わか……んな……んんっ……!」

「……少し寒いかしら?」


 ジュリアが上からシーツをかけた。あたしの世界がシーツとジュリアに覆われる。ジュリアがあたしの首にキスをした。魔力が触れる。体がぴくっ、と揺れた。ジュリアの唇が更に下りていき、キスを繰り返す。その度にあたしの心臓が震えていく。


(なに……これ……)


 頭がぼーっとしてくる……。


(ちょっと……怖くなってきた……)


 なぜか呼吸が荒くなる。

 なぜか鼓動が激しくなっていく。

 ジュリアの指が優しくなぞる度におかしな感覚になっていく。

 魔法は使われてない。わかる。これは魔法ではない。魔力だけが触れられる感覚。何もおかしなことはしてない。魔力が入ってくる。闇が滝のように降ってくる。





 中が――疼いた。






「あっ!」

「っ!」

「ちょ、はぁ……ちょっと……ま、待って、ください……!」


 慌てて起き上がり、ジュリアの手が止まった隙に、あたしはジュリアに背を向け、胸を押さえる。心臓が激しく鳴っている。瞼を閉じて深呼吸すると、後ろからジュリアが抱きしめてきた。驚いて身を硬くすると、ジュリアがあたしの頭にキスをした。


「……」


 ジュリアがあたしを優しく抱き寄せ、耳に優しい声をかける。


「ごめんね」

「……や……」

「君が可愛いから、ちょっとやりすぎちゃった」

「……」

「何も恥ずかしいことじゃないよ。魔力の触れ合いはそうなるものなの。氷山で遭難したりした時に、お互いの体を温めるために使ったりする技なんだけど……心を落ち着かせることも出来る」

(……そうなんだ……)

「まあ、いわゆる体を使わない疑似セックスなんだけど」

「え?」

「あ、何でもないです。ふふっ」


 ジュリアがあたしの肌を撫でた。


「この後、ご飯、どうする?」

(あ……そういえば食べてないな)

「一緒に食べますか?」

(そうですね。こういう時は無理矢理でも食べないと駄目って……ミランダ様が……)

「……ルーチェ?」

(ご飯……なに……食べようかな……。……。……)

「……あら、ピロートーク中に寝るなんて、デリカシーがないと言われてしまいますよ?」


 ジュリアがクスクス笑い、また近づいた。


「お休みなさい。マ・ビッシュ私の小鹿ちゃん


 頬に触れるだけのキスを送り、呟いた。




「この時間が、永遠に続けばいい」




 愛しい人の肌を撫でる。
















 暗闇が広がる部屋。

 寝息を立てる女。

 この女が起きないように気配を消す。

 おや、手が動いた。だから足を動かしてみた。

 あ、動く、動く。


 行ける。


 私はベッドから抜け出した。


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