第5話 嫉妬は身を滅ぼす


 アルバイト中、商品の防犯シールを付けながら考える。


(文は五種類の文節で成り立つ。主語と述語。『あたしは、走る。』主語と修飾語と述語。『あたしは、廊下を、走る。』主語と修飾語と接続語と述語。『あたしは、廊下を走る。そして、疲れた。』主語と修飾語と接続語と独立語と述語。『あたしは、廊下を走る。そして、疲れた。よし、まだ頑張るぞ。』確かにこう考えたら文章を作るというか、呪文の言葉が変わってくるかも)


 呪文って今まで頭に思い浮かんだものをそのまま言葉として言っていたけど、意外と単語と単語を繋いでみるのも綺麗な魔法の見せ方の一つなのかもしれない。


(なるほどねー。……さて品出しに行こう)


 あたしは防犯シールを貼った商品を台車ごと押していき、商品コーナーに入った。棚の前に立ち止まり、顔を上げる。


(そういえば……これも主語述語の関係とかあるのかな)


 商品タイトル。森の中でヤリマンに出会った。〜危険なクマさん〜


(主語がヤリマンに……述語が出会った。……修飾語が、森の中で……かな……)


 あたしは防犯シールを貼ったコンドームの注意書きを見た。


 ――コンドームの使用は、一個につき一回限りです。


(コンドームの使用は……が主語かな? です。が述語。一個につき一回限り……がこの場合修飾語になるのかな……)


 あたしはローションの注意書きを見た。


 ――お肌に合わない時は、ご使用をおやめください。


(主語が……お肌に合わない時は……おやめください……述語……ご使用を……が修飾語……?)


「オ・ララ。ローションに興味がおありで? 間抜けちゃん」

「わっ!!」


 耳元で囁かれてぞわっとして、慌てて振り向くと、――闇魔法使いのジュリア・ディクステラが笑顔であたしを見つめていた。


 ジュリアさん! ……はあ……びっくりしました。

「男性客が恥ずかしがってアダルトコーナーから出ていってますよ。これでは売上が下がる一方。しかし私は嬉しいのです。なぜなら間抜けちゃんと二人きりになれるから。うふっ! もう、とても寂しかった。ですが私、将来のお嫁さんのお顔を思い浮かべてお仕事頑張ってきました。ええ。それはそれはすごく頑張ってきたんです」

 ああ……お疲れ様です……。

「というわけで間抜けちゃん。今夜うちにお泊まりに来ませんか? 間抜けちゃん用のパジャマを買ったんですよ?」

 行かないです。

「え!?」


 ジュリアが目を丸くし、かなり驚いた顔をした。


「どうして!? 私達婚約している身なのに!」

 してません!

「お泊りするならローションだって使えますよ? ええ。……私が……塗りたくりますから……ノン! 妄想したら涎が!」

 あたしがローションに興味があるのは売上がどれくらいかってことだけです。これでもアダルトグッズの担当ですから。

「そういえばこの間もえぐいの持ってましたね。ディルドってぶっちゃけ売上どうなんですか?」

 結構買われる方いますけど、やっぱり小さいローター系がよく売れますかね。リップみたいな形してるのがあるんですけど、そういうアダルトグッズに見えないやつがやっぱり店の売上に貢献してますね。

「……間抜けちゃん」

 はい。

「これはセクハラではありません。純粋に訊きたいんです」

 何でしょう。


 両手をそっと握られ、キラキラした目で訊かれる。


「使ったことありますか?」

 ないです。

「ノン!? 一回も!?」

 アダルトグッズは小説のネタになるから観察したくて自ら担当になりましたけど、別にそれ以外は興味ないです。

「だったら間抜けちゃん、私勉強しておきますね。その……いざっていう時のために……!」

 ああ、知識はあった方がいいかもしれませんね。使うとなると色々注意しなきゃいけなかったりするみたいで、この商品なんかもちゃんとローション使わないと危ないとか……。

「大丈夫ですよ。間抜けちゃん」


 ジュリアがあたしの左手薬指に優しいキスをした。


「君に使う時は痛くないようにちゃんと慣らしてから時間をかけて注意書きをきちんと確認した上で使用しますから」

 ジュリアさん、お疲れなんですね。そういう時はアダルトコーナーよりもペットコーナーの方が癒やされますよ。なんでアダルトグッズってこんなに変な形のが多いんだろう。

「そういう形のものが気持ちいいものなんですよ。私もローターしか使用したことないのでそういうエグい形のものはわかりませんが」

 ……使ったことあるんですか?

「ん? ローターですか? まあこの年まで生きてたら多少は」

 ……あの、デリケートな質問なんですけど。

「どうぞ」

 どんな感じなんですか?

「あー……♡」


 ジュリアがにやけだした。


「そうですねぇ。やっぱり普通に体を重ねるだけでは得られないような快感は生まれますよねぇ……♡」

 あー。やっぱりそうなんですね……。

「しかし、やはりミランダのお屋敷で、しかも住み込みとなると、そういったことをするのも難しいでしょう?」

 いや、流石に男性は連れ込みませんよ。

「ですので……間抜けちゃん」


 ジュリアが横からあたしに抱きつき、すりすりしてくる。


「ね? 今夜……お泊りしましょう? お姉さんが……色々……教えてあげますから……」

 すみません。もう少しで大切な試験があるので、家政婦のアルバイトをしてる暇はないんです。

「まあ、頑張る子。でも……今夜くらい良いじゃないですか……♡ 試験なら私が見てあげますし、それに……私、明日の昼まで時間があるんです……♡ 将来のお嫁さんと時間を共有したいんでs……」

 あ、そうだ。ジュリアさん。今月の末って空いてますか?

「……今月の末ですか?」

 うちの学校祭があるんですよ。一般でも入れるのでよろしければいかがですか?

「……ヤミー魔術学校の学校祭ですか……。確かに行ったことありませんねぇ」

 沢山の魔法学生がいるので、よっぽど大きな魔法を使わなければジュリアさんの魔力に呑まれることもないでしょうし、時間が空いてたら、是非。

「ウイ。覚えておきます。今月末ですね。何時までですか?」

 深夜の3時まで。

「そんなにやるんですか?」

 ふふっ。うちの学校、18歳以上はやっていいんですよ。教室発表は閉じちゃうんですけど、夜の部って言ってダンスしたり飲んだり食べたり出来る時間があるんです。

「クラブみたいな?」

 まさに、そんな感じです。

「トレビアン! それなら行けるかもしれませんね! 遠出してなければですが!」

 お酒飲めるなら結構楽しいと思いますよ。それに、ジュリアさんもいつもお一人だと寂しいと思うので、そういうところなら羽目も外せるかと。

「そこに君もいるの?」

 あたしはどうですかねぇ。一応眠くならない程度には参加したいんですけど……。

「お約束は出来ませんが行けそうなら行きますね。なかなか楽しそうです。見所のある学生の見学も出来そうですし」

 あ、そういうのなら沢山いると思いますよ。特に駆け出しクラスの人達はほぼほぼデビュー直前の方が多いので。


 品出しを終え、台車を押してアダルトコーナーから出ていく。品出ししてても別にお客さん入っていいのに。何も思わないのに。ただ、需要ある商品とか確認したいからチラ見するかもしれないけど、特に恥ずかしいことなんかないのに。コンドームを買う男性はちゃんと避妊対策していて偉いと思うし、AV女優さん美人だし、すごく綺麗な体してていつまでも眺めていられるし、テンガは卵みたいで可愛いし、ぶるぶる震えるピンクのローターとか、鎖とか、手錠とか、網タイツとか、面白いじゃん。アダルトグッズ。昼間の担当者は恥ずかしいからもうこんなの担当したくないって愚痴ってるみたいだけど、楽しいじゃん。別に。


(次は家電コーナーかな)


 ジュリアさん、今日は何か買われていくんですか?

「うーん。どうしましょうかね。今日の目的はお買い物よりも間抜けちゃんの顔が見たくて会いに来たので」

 あ……それは……あの、……ありがとうございます……?

「やっぱり写真よりも実際の君の方がいい。声も聞けるし触れられるんだもの」

 ……写真?

「あ、こっちの話です。まーあ、見てぇー。テレビおっきぃー! 素敵ですねぇー! まーあ、面白そうな番組ぃー」

 ニュースですけど。

「まーあー何か喋ってるぅー!」

『今夜は、今注目の魔法使いに迫ります。デビューしてから数々の活躍を見せているジェイス・プランク、リマンダ・カーチャーター』

(うわ、結構デビューしてるんだな……。みんな年下だ……)

『アニー・アグネス。そしてアンジェ・ワイズ』


 あたしの足が止まり、ジュリアは目を留めた。


『今注目されている若手魔法使い達ですが、私はこの間アンジェ・ワイズに依頼をお願いしたところです。大切な指輪を落としてしまってね。しかし、彼女はとても親切に、そして素晴らしい魔法を見せてくれました。VTRをどうぞ』


 アンジェちゃんが全部のモニターに現れる。杖を構え、美しい声で呪文を唱える。そして、なんとも言えないほど美しくて綺麗な水魔法が発動され、依頼人の指輪を見つけ出した。


『様々な魔法使いがいる中、私は特にアンジェ・ワイズに注目してます!』


 途端に、あたしの胸に黒い何かが現れた。


『アーニー・アグネスさんとコンビでやっているそうですね』

『相性が良くて、評判もとても良いようですよ! 依頼をお願いした方々からはこんなお声が届いてます!』

『最初見た時、こんな若い子達が魔法使いなのかと驚いたけど、でもとても綺麗な魔法を見せてくれたよ!』

『私はまたアンジェちゃんにお願いするわ! 彼女最高!』

『アグネスさんはとても明るくて、ワイズさんはアグネスさんのストッパーっていうところでしょうか。まるで漫才コンビみたいで、とても愉快でしたし、お二人の魔法は素晴らしい!』

『僕はアンジェ・ワイズさんを推すね! 彼女まだ18歳だけど、只者じゃないよ!』

『それだけではありませんよ。なんと、彼女は過去』


 あたしは目を見開いた。


『あの英雄の光魔法使い、ミランダ・ドロレスの元で修行をされていたのです!』


 あたしの心臓がトクトクと震え始める。


『学校に入学してからたった一年で魔法使いデビューした逸材、その名はアンジェ・ワイズ。今一番注目すべき魔法使いとも言えるでしょう!』

「店長、体調悪いので帰ります」

『え?』

「えっ」


 ジュリアがインカムを構えたあたしに目玉を向けた。


「間抜けちゃん?」

「ジュリアさん、あたし早退するので、これで失礼します」

「あら、それでしたらミランダのお屋敷までお送りしましょうか?」

「いいえ」


 あたしはきっぱりと答えた。


「結構です」


 あたしは台車を押しながら倉庫へ向かって歩いていく。その背中を見て、ジュリアが笑った。


「いひひ。私、やっぱり間抜けちゃんが大好き。君の嫉妬に燃える瞳は何よりも闇深い。素晴らしい。この空間に君の闇が充満している。いひひひ! トレビアン!」


(働いてる暇なんかない)


 あたしはさっさと着替えてバイト先から出ていった。


(花火の魔法の練習をしなきゃ)


 より美しく、誰よりも輝く光を作り出さなければ。


(あたしは選ばれる)

『僕はアンジェ・ワイズさんを推すね! 彼女まだ18歳だけど、只者じゃないよ!』

(あたしだってやれる)

『それだけではありませんよ。なんと、彼女は過去』

(あたしは)

『あの英雄の光魔法使い、ミランダ・ドロレスの元で修行をされていたのです!』


 あたしの心臓がドグドグ震えている。


『学校に入学してからたった一年で魔法使いデビューした逸材、その名はアンジェ・ワイズ。今一番注目すべき魔法使いとも言えるでしょう!』


 ――過去のくせに。


 止められない。嫉妬があたしの脳を支配する。


(元弟子のくせに、出しゃばってんじゃねえよ……!)


 自分からミランダ様の弟子を辞めたって、胸を張って言ってたくせに。


(テレビではその過去もまるで栄光のように語ったわけ? 自分はミランダ様の弟子だったんですよって。だから魔法使いになるのだって簡単でしたって?)


 あたしは12年経っても魔法学生のまま。

 アンジェはたったの1年で魔法使いになった。


(……くそ……)


 唇がぶるぶる震える。


(畜生……!)


 電車から下りる。大股で森の中へと入っていく。大股で歩く。どんどん森が深くなっていく。あたしは杖を構える。


「あたしは出す」


 主語、述語。


「あたしは、魔法を出す。」


 主語、修飾語、述語。


「あたしは悔しい。だから、あたしは魔法を出す。」


 主語、述語。接続語、主語、修飾語、述語。


「あたしがミランダ様の弟子。さあ、魔法を始めよう。」


 主語、修飾語、述語。独立語。主語に述語。


「花火は打ち上がれ」


 あたしの杖から魔力が空に向かって飛んだ。


「もっと」


 あたしの杖から魔力が空に向かって飛んだ。


「汚い。もっと」


 あたしの杖から魔力が空に向かって飛んだ。


「もっと!」


 あたしの杖から魔力が空に向かって飛んだ。


「違うってば!!」


 もっと綺麗なやつ! もっと輝いてるやつ! 違う! イメージと違う! 違う! 違う!!


「花火よ、もっと綺麗に打ち上がれ!」


 あたしの放たれた魔力が空に打ち上がり、ただ爆発した。


「あぁぁああああぁぁあああ……あああ〜〜〜〜〜〜ああああぁぁぁぁぁぁぁああああああーーーーーーーー!!」


 あたしはイライラが収まらず、暴走するように空に向かって花火を打ち上げた。空に爆発が起きる。あたしの怒りのように、あたしの気持ちのように、衝動性が爆発し、派手な音を鳴らしてひたすらひたすら空が花火で燃えて爆発して打ち上がってやっぱり爆発する。


(なんでイメージ通りにいかないんだよ!!)


 あたしは集中する。イメージする。


(あたしはミランダ様の弟子だ)


 あたしが、ミランダ様の弟子だ。アンジェではなく!


(あたしなのに!!)

(あの女なんか、ただちょっと顔が良くて利口なだけじゃん!)

(センスが良かったんだよ!)

(魔法使いに合ってたんだよ!)

(天才だったんだよ!)

(運が良かったんだよ!)

(あんな女、ただ若いだけの、ただの水魔法使いってだけじゃん!)

(なんであんな女が注目の的!?)

(ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな!!)

(散々ミランダ様の悪口言ってたくせに! こういう時に限ってミランダ様を使うなんて言語道断!)

(あたしの方がミランダ様を尊敬してる!)

(あたしの方がミランダ様を愛してる!!)


『なんと、彼女は過去、あの英雄の光魔法使い、ミランダ・ドロレスの元で修行をされていたのです!』


「夜を支配する暗闇よ、星空いっぱいに花火を上げよ!!」


 あたしの魔力が黒く染まり、杖から闇が飛び出してくる。星空に黒い花火が打ち上がった。黒くてどろどろした汚い花火が打ち上がった。爆発して、噴火して、どろどろと消えていく。あたしはまだ杖を振る。闇が爆発する。あたしはまだ杖を振った。影が更に黒くなった気がした。もっとだ。もっと。ふざけんな。アンジェ・ワイズ。あたしは負けない。あんなクソガキに負けてたまるか。あたしのほうがすごいんだ。だってあたしはADHDの脳を持ってるのにここまでやれてるんだから、ミランダ様の弟子として修行してるんだから、あたしの方がすごいんだ! 絶対選ばれてやる! 寝てる暇なんかない! 学校に行ってる暇なんかない! 花火だ。オーディションの花火を完成させるんだ! 畜生! もっとだ! 違う! これじゃない! 違うって言ってんだろ! 畜生! 畜生! 畜生! これじゃないってば!!


 いい加減にしろよ!!!!!!!!


「いい加減にしな。ルーチェ」


 指が弾く音が耳に届いて、――はっとした。途端にあたしの魔力が無効化された。


「何時だと思ってんだい」


 振り返ると、ミランダ様が両腕を組んだままあたしを睨んでいた。


「森の中とは言え、あんなでかい音でばんばん爆発されたらたまったもんじゃないよ。近所からクレームが来たらどうすんだい」

 ……魔法の練習してたって言えばいいじゃないですか。

「ルーチェ」

 オーディションが近いんです。ミランダ様も仰ってましたよね。数が物を言うって。

「時間を考えな」

 昼は学校に行ってて夕方はバイト。バイトがない日は家事をしなくてはいけません。どこに練習の時間があると?

「花火の魔法なら部屋でも出来るだろう。あんな音出さなくたって」

 そうですよね。貴女はあたしと違って優秀ですものね。小さな花火を打ち上げて練習して、本番それを大きく調節することくらい容易いですよね。

「へそ曲げんじゃないよ。時間を考えなって言ってんだよ。練習するにしたってもっと音を抑えることくらいお前にも出来るだろうさ。近所迷惑だし、屋敷にだってとんでもない音が響いてきたから私が来たんだよ」

 ああ、そうですか。……それはすみません。

「ルーチェ」

 なんですか。

「その態度はなんだい」

 態度ってなんですか。

「何があったか知らないけどね、私に八つ当たりするんじゃないよ」

 八つ当たりなんてしてません。

「ルーチェ、子供じゃないんだよ」

 そうです。あたしは大人です。もう19歳です。誰の指図も受けません。

「お前ね」


 あたしはミランダ様を無視して屋敷に向かって大股で歩き出した。


「ルーチェ!!」


 怒鳴られて足が止まる。背中がひやっと冷える。それがおそらく、ミランダ様に睨まれているからであろうということだけはわかる。だけど、今のあたしは胸がむかむかして仕方ないのだ。いつも愛おしいと思うミランダ様のお声を聞くと、虫唾が走って仕方ないのだ。


「身の程をわきまえな」


 その冷たい声すらも、今は恐怖よりも不快感が勝つ。


「私がお前を破門にして追い出すことも出来るんだよ」


 ……。あたしは思わず鼻で笑った。


「あー、破門ですか」


 口が止まらない。今ので完全に理性が切れてしまった。


「そうですよね。あ、あたしはぶ、ぶ、不器用で、発達障害持ちで、いう、ゆ、優秀じゃないですもんね」


 そうでしょうね。


「じゃあ、アンジェちゃんを弟子に戻せば良いじゃないですか」


 ――ミランダ様が目を見開いた。


「アンジェ・ワイズは、あたしなんかよりもずっと使える子でしたよね?」

「……セーレムかい?」

「最初、弟子は取らないって言ってましたよね。すご、す、すごく、断られましたもん」

「あのね」

「どうせアンジェちゃんよりも不器用です。発達障害を持ってるからって言ったら言い訳って言われて、向いてないから諦めろって言われて、言い訳したくないから練習しても時間を考えろ」

「ルーチェ」

「部屋でひっそりやります。それならいいんですよね」

「ルーチェ」

「もうご迷惑かけません。すみませんでした」


 あたしは屋敷の扉に杖を構えた。


「オープン・ザ……」


 ――手首を掴まれた。引っ張られる。その強さに耐えきれず体をふらつかせながら振り返ると――光のない目で、ミランダ様があたしを睨んでいた。


(やばい。やってしまった。怖い)


 頭の中ではわかってる。でも、体はわかってない。


「なんですか?」


 あたしの口は心にもないことを言うだけ。


「疲れてるので離してもらっていいですか?」

「……」

「痛いです。まじで」

「……ああ。そうかい」


 ミランダ様があたしの手を離した。


「好きにしな」


 ミランダ様がドアを開けて、あたしが入る前に閉めた。


(……うわ、ガキくさ……)


 あたしはドアを開け、自分も中に入る。セーレムがうろうろしている。


「ミランダお帰りー! 花火はもう終わったみたいだよ。音が止まったんだ。あ、ルーチェお帰りー! な、さっき空に大きな爆発が起きてて俺すごく怖かったんだ。あれは新手の雷だな。この敏感な耳を鍛えるという名目で訓練しても良かったんだけど、やっぱりいざ目の前に来られると足も前に出なくなるな。でも俺だっていつか強い耳を持ちたい。その時までは今のままでいよう。現状維持じゃない。その時を待つだけだ。今はな。というわけでルーチェ、お腹撫でて」

「後でね」

「あ、ミランダ何やってるの? お茶飲むの? だったら俺の頭撫でていいぞ」

「後でね」

「ルーチェ」

「後でね」

「ミランダ」

「後でね」


 あたしは手を洗い、ミランダ様はお茶を淹れ、あたしはカップ麺を作り、ミランダ様はお茶を待ち、こんな時に限ってタイミングが揃う。リビングに重たい空気が流れる。あたしはカップ麺を食べる。ミランダ様は紅茶を飲む。


 口は利かない。


「……え、何々? なんかすげー静かじゃん。まあ、いいや。とりあえずその作業が終わったらミランダは俺の頭を撫でて、ルーチェは俺のお腹を撫でること。ちゃんと俺を慈しむような優しい手でだからな? さて、それまで俺は少し寝ることにするよ。何せ空にばんばん爆発が起きて震え上がってたもんだからさ、疲れてるんだよ。俺はいつも以上に疲れたね。でもなんであんなにばんばん鳴ってたんだろ。やっぱり雷だな。雷の神様が何かに怒り狂ってそれを吐き出すために変な雷を起こしたんだ。そうに違いない。俺はそう思うね。でないとあんな恐ろしい音は出ない。すげえ。俺今、雷専門家みたいなコメントをしたくない? やばくない? ふう。ああ、怖かった。というわけで俺は少し寝るよ。いいか? 二人とも忘れるなよ。ミランダは俺の頭を撫でる。ルーチェは俺のお腹を撫でる。そして俺は寝る。はあ。くたくただよ。ぐおー」


 あたしはラーメンをすする。

 ミランダ様が紅茶を飲む。


(……相談出来ない)


 もういい。相談なんてしなくていい。誰もあたしの気持ちなんてわからないのだから。


(あたしがこうと決めたらそれしかならない。花火はイメージ通りで行こう。迷わない。これで行く)


 ナルトを口に入れる。


(選ばれたらそれがあたしの実績となる)


 こうして経験を積んで、


(あたしこそがすごいんだって証明させてやる)


 そのためにはどうしたらいいか。


(猛練習だ)


 あたしはカップ麺の汁を飲み干した。

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