第10話 モグラ大騒動


『現在、多くの巨大モグラが土から現れ、町を襲っております。中継が繋がってます』

「はーーーーい! こちら! 得体のしれない巨大モグラが街に入ってきて、今、魔法使い達が対処しております!」


 アルバイト先では気前のいい先輩と呼ばれている記者が箒に乗ってカメラを街に向ける。


「最近多い動物の凶暴化問題! 一体彼らは私達に何を訴えているのでしょうか!」

「先輩! あっち! あっち写して!」

「あ! 今ですね! 只今現在、魔法調査隊リーダー、闇魔法使いのジュリア・ディクステラが部下を率いてやってきました!」

「先輩! 次はあっち!」

「おっと! すげえー!! 今を生きる女優兼タレント兼氷魔法使いのパルフェクトまでやってきた! まじで美人! まじで巨乳! 腰ほっそ! 足なっが! パルフェクト! 名前の通りパーフェクトじゃん!!」

「先輩! あっち! あっち!」

「こいつはどうしたことかー! 期待の新人と謳われている火魔法使いのアーニー・アグネスまでやってきたー!! あ、待って! あっちにも、こっちにも! そっちにも! 有名どころの魔法使いだらけ! ふーーう! 興奮しちゃう! あーあ、ルーチェちゃんにも見せてやりたかったなー! テレビで俺の写してるもの、見てるといいけど!」

「アーニー! 私の後ろから離れないように!」

「はい! マリア先生!」


 モグラが一体、二体、三体、ぞろぞろと土からやってきてこんにちは。巨大なモグラからしてみたら人間はまるで蟻のように小さく見える。それを見てたらなんだかお腹が空いてきた。モグラは長い爪の両手を、足がすくんで動けなくなった人間に向かって、ゆっくりと近付けていった。



(*'ω'*)



「ルーチェ! やばいって! 俺、久しぶりに命の危険を感じてるよ!」


 あたしは闇の中を全力で逃げる。後ろからは長い爪のある手が振り回され、あたしがなんとか避けられて出た空振った音を奏で続ける。


「俺モグラの餌なんかになりたくないよ。ミランダにいつもお願いしてるんだ。俺が死んだら家の庭にお気に入りのぬいぐるみと一緒に埋めてねって。俺の隣には相棒のクマちゃんが必要なんだ。だからまじでモグラの餌だけは勘弁。これだけは譲れないんだ」

「ごめん! セーレム! ちょっと、ちょ、ちょっと……ちょっと……黙ってて!!」


 モグラが土に潜った。あたしははっとして足を止めた。セーレムがカゴに頭をぶつけた。


「あ、痛い!」


 土が盛り上がって、こっちに向かって高速で進んできた。あたしはカゴを抱きしめて、横に飛び込んでそれを避ける。


(つ、杖……!)


 あたしは杖を構える。しかし、盛り上がった土がUターンして再びこっちにやってくる。あたしは口を早く動かした。


「森の茂みに緑の葉っぱ、我らをままっ……」


 あ、守りたまえって言いたかったのに噛んだ!


(やば!)


 あたしはカゴを横に投げ、反対方向に飛び込んだ。セーレムの悲鳴が聞こえる。


「わあ、痛い。頭を打ったよ。脳震盪だ。大変だ。世界が揺れてる。地震が起きたみたいだ。あ、待って、酔った。吐きそう……」


 あたしはすぐに立ち上がり、一瞬で深呼吸をして杖を構えた。盛り上がる土がUターンして、あたしに向かって進んでくる。


(駄目だ。ゆっくり言ってる暇がない)


 あたしの口では、早口で呪文をはっきり言うのは無理だ。アーニーちゃんのようには出来ない。


(……くそ)


 杖を構えて、集中して、電気のように走ってくるモグラを仕留める魔法を唱える。何秒あれば足りる? あたしが全てを出来るのは何分だ?


(……あ?)


 盛り上がった土が動きを止めた。


(何?)


 あたしの足元の土が、小さく盛り上がった。それを見た瞬間、血の気が引いた。


(まずい!!)


 あたしはすぐに後ずさると、あたしの足があった場所から図太い爪が現れて、地面を切り裂いた。月に反射して輝く恐ろしい爪にあたしは腰を抜かし、悲鳴を上げ、慌てて走り出し、セーレムの入ったカゴを持ってまた逃げ出す。


「ルーチェ、大変だ。俺、なんだか変な気分になってきた。これが恋ってやつかな。さっきから頭がふわふわしてるんだ」

(やばいやばいやばいやばい! なんで急にこんなことに!!)


 試験で落ちるわ、ミランダの弟子にはなれないわ、今日であの家を出ていかなければいけないわ、不動産屋に行って部屋を探さないといけないわ、この先どうしようとか、色んな事を考えなきゃいけないのに、なんでこんなことになるんだよ! 神様、あたしが何をしたっていうんだよ! ただ魔法使いを目指して勉強して、人生の11年を費やしただけじゃん!!


(11年も費やした)


 ただ、魔法使いになることを目指して。


(最初はクラスメイト達への復讐だった。でも)


 どんどん光に魅入られていった。


(だから11年の間、色んな事を諦めてきた。着たい服も我慢して、食べたいものも我慢して、行きたいところも我慢して、ただ、アルバイトと、勉強に、時間を費やした。魔法使いになりたかったから)


 あたしの口はどうだ。魔法使いの口か。こういう状況でも早口で呪文を唱えられる口か?


(……)


 あたしは息を吸い込み……滑る足を止め、高速で追ってくる巨大モグラに振り返った。


 さあ――魔法を始めよう。


「闇夜で生まれし影よ、聞け」


 謡う。


「ヤミ」


 謡う。


「声」


 歌が響くと、闇夜の影がモグラを捕まえた。


「右耳からおばけの声がする」


 おばけが笑った。


「左耳から人魂揺れる」


 森が風で揺れる。しかし支配者は風ではない。闇だ。


「光を包め」


 唯一光るモグラの目を闇が潰す。


「影で覆え」


 我は夜の支配者。


「光を隠せ。闇が世界だ」


 ――暗闇がモグラを覆う。モグラは何も見えなくなる。だってここは闇。モグラが右を見た。何も見えないよ。だってここは闇。モグラが左を見た。何も見えないよ。だってここは闇。モグラが辺りを見回した。何も見えないよ。だってここは闇。モグラが匂いを嗅いだ。何も感じないよ。だってここは闇。モグラがぐるぐる回った。無駄だよ。何もないよ。何も感じないよ。だってここは闇。それがわかって近付いてきたんでしょう? 闇。暗闇。光がなければ世界は闇。夜は闇。黒。黒で覆われた常世の国よ。笑い声が聞こえる。モグラが反応した。爪を振り回す。無駄よ。無駄よ。ここは闇。何もないよ。何もありはしない。闇に物はない。存在しない。瞼を閉じた闇の世界? うふふ。それよりももっと奥の闇よ。引きずり込んでやる。あたしと一緒なら怖くないでしょう? どうしたの? 逃げないでよ。モグラさん。逃げないでよ。あたしはね、今とても悲しいの。だから逃げないでよ。一緒にこの暗闇で過ごそうよ。光のない、何もない、味気のない、暗闇の世界で――。


 モグラが悲鳴を上げた。口からネバネバの唾液を吐いた。それが頭から降り掛かって、あたしの集中力が切れた。あたしは膝から崩れ落ちた。魔法が解けた。世界は森に戻った。モグラが叫ぶ。怒り狂ったように土を両手で叩いた。耳元でセーレムの声が聞こえる。


「ルーチェ、ルーチェ! 大変だよ! あいつ超怒ってるよ! なんか嫌なことでもあったのかな」


 あたしはだるい体を起こし、ねばねばの水滴に吐き気がしながら、セーレムの入ったカゴを持ち上げようとして――黒い血を吐き出した。


「おごっ!」

「わっ」


 地面にあたしの黒い血がついた。


「ルーチェ!」


 魔力の使いすぎで副作用が体に起きたようだ。喉の奥から変な味の液がこみ上げてきて、口から吐き出される。べちゃ、べちゃ――!


「わあ、ルーチェのゲロって黒いんだな。ゲロが黒い人間、俺初めて見たよ」


(あ、苦しい)


 あたしの手の力が抜け、カゴが地面に落ちた。セーレムがまた悲鳴を上げた。


「うわあ!」


(やばい、止まんない)


 おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!


(試験で、魔力、使って、今も、結構、使ったから……)


 おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!


(おかしいな。魔力の量には自信があったのに……)


 おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!


(結局、全部、駄目だってこと……?)


 ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ。


(あたしは……魔法使いになれない……?)


 地面に倒れる。体が痙攣する。口から黒い血がとめどなく溢れ出ていく。


(ああ、もう、どうでもいい……)


 だって、どうせもう魔法使いになれないんだもん。だったら一層のこと、このまま副作用で死んだほうが魔法使いらしい死に方かもしれない。だからもう放っておいて。あたしはもういい。もう生きたくない。ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ。


「ルーチェ? おーい、ルーチェ? わお。大変だ。これはもう絶体絶命じゃん。俺逃げられないじゃん。やばいじゃん。これまずいじゃん。あれ、ちょっとまって」


 セーレムが蹴っ飛ばすと、カゴの扉が開いた。


「おお。やった。出られた。俺やるじゃん。やっぱりウインクを練習した甲斐があったな。俺のウインクに神様が惚れたんだ。いやあ、モテる男は辛いね」


 ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ。


「ルーチェ、大丈夫か? 意識あるか? よーし、ちょっと待ってろよ」


 セーレムが首輪の鈴をちりんと鳴らした。





「ミランダ、ここだ」





 怒り狂ったモグラが急に何かを感じたように――はっと振り返った。真っ暗な森の中に、冷たい風が吹く森の中に、一つの影が現れる。黒の帽子を揺らして、黒のマントをなびかせて、黒い瞳で獲物を睨む。モグラがかすれた声で鳴いた。威嚇しているようだ。でもそんなことしても無駄だ。彼女は美しく、囁くように、優しい声で唱えた。


「ほうら、見てごらん。鳥が飛んでるよ」


 小鳥の形をした光の影が現れた。とても小さな小鳥は――ミランダの肩に乗り、ちゅん! と声を鳴らし、ぱたぱたと飛んでいった。しかし飛んでいくに連れて鳥は大きな鷲に成長し、尖ったくちばしでモグラの体に穴を開けた。モグラが痛みに驚いて悲鳴を上げる。しかし鷲は容赦ない。モグラの膨らんだ体に穴を開けていく。モグラが手を振り回した。爪が木に当たり、木が切られていく。自然は大切に。ミランダが胸の谷間から小さな瓶を取り出し、ポイと投げたのをセーレムが口に咥えてキャッチした。地面を走り――あたしの前にやってきた。


「ぺっ! ルーチェ、これを飲め。楽になるぞ」


(……何これ……)


 変な色の液体が入ってる……。


「ルーチェ、早く!」


 セーレムに急かされるまま、あたしはおぼつかない指で瓶の蓋を開け、未だ出てくる黒い血と一緒に液体を喉の奥まで無理矢理飲みこませた。そうすると……一瞬で黒い血が止まり、頭が真っ白になり……瞬きを三回すると……我に返った。頭に冷静さが戻り、体を包んでいた怠さはなくなり、あたしはすっきりした気分でその場から起き上がった。


「それ、すげーだろ。ミランダの魔力なんだぜ。これまで何人その瓶で魔法使いを助けてきたことか。どうだ。すげーだろ。運んできた俺すげーだろ」


(なるほど。ミランダさんの魔力を飲んだから副作用が収まったのか……。ああ、胸が痛い。暴れてた魔力が急に大人しくなったから耳鳴りがする、気持ち悪い……。先輩がよく言ってる二日酔いってこんな感じなのかな)


 その時、空から何か降ってくる音が聞こえた。あたしははっとして顔を上げる。


(しまった! モグラの爪がまたここまで来て……!)


 ミランダがあたしの目の前に着地した。あたしの心臓が一瞬にして凍りつく。マントと帽子を翻し、ヒールに踏まれそうになったギリギリのところでセーレムが避けた。


「うわあ。やべえ。ヒールの餌食になるところだった。酷いよ。ミランダ。俺が可愛くないの?」


(うわあ。やべえ。どうしよう。ブチ切れてとんでもないことしちゃった。なんかよくわかんないけど、あのまま何も出来ずに家から追い出されるんじゃないかと思って、なんとかしないといけないと思ってセーレムを連れてきちゃったこと、謝らないといけないけど、この人の顔見たら一気に頭パニックになって全然伝わりやすい言葉が思いつかない! やべえ! どうしよう!)


 ミランダに首根っこを掴まれて、モグラの方に向かされる。ひっ!


「注目」

「えっ」

「巨大モグラが現れて森で暴れている」

「え、な、えっと……」

「私の魔力で引き付けた。あとはどうする」

「あ、あと?」

「私じゃない。モグラに注目」

「あ、はい」

「お前ならどうする。このまま放置入れば、私の魔力が攻撃を続け、やがて尊いモグラの命が失われるだろう」

「……殺すのは違うかと」

「そうかい。だったら、お前はどうするんだい」

「えっと……」

「私の魔力を飲んだんだろう?」


 その一言が、ミランダがあたしに魔力を飲ませた理由に繋がっていた。


「どうするんだい。ルーチェ・ストピド」


 冷静な頭でモグラに注目する。こうしている間にも、光の鳥はモグラに穴を空け続ける。あたしは瞬時に考える。一瞬でやるべきことを考える。あたしはもう一度……杖を持って、構えた。


「狙いを定めて」


 大丈夫。あたしの側にはミランダがいる。


「イメージして、その絵を描くように呪文を唱える」


 お前、絵を描くのが好きなんだろう? 物語を考えて、小説を書くのも好きなんだろう?


「描いて、物語にしてごらん。どうなるんだい」


 あたしの体の奥底の心臓のもっと奥のもっと奥のもっともっともっと奥の深いところから魔力がこみ上げてくる。狙いを定める。殺させはしない。アーニーちゃんも言ってた。気絶させればいい。


 だからあたしは冷静に、


「やってごらん」


 集中して、息を深く吸って、


「ルーチェ」


 唱えた。



「鳥は恋して愛を抱く。モグラは叩けば小さくなるから、どんどんどんどん叩かれる」



 さあ――魔法を始めよう。


 あたしの杖からもう一羽の鷲が現れた。あたしの鷲が美しいミランダの鷲に恋をした。猛烈なアタックの末、ミランダの鷲が根気負けし、二羽の間には晴れて愛が生まれた。卵から孵った雛達はくちばしでモグラを突き出した。つんつん突くとモグラがしぼんだ。つんつん突くともっとモグラがしぼんだ。空いた穴から空気が抜けていく。つんつん突いたらしぼんでいった。つんつん。抜ける。つんつん。しぼむ。つんつん。つんつん。つんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつんつん。ミランダが杖を構えた。あたしはもっと集中した。ミランダが口を開いた。あたしも口を開いた。


「光よ」

「光よ」

「「意識を飛ばせ」」


 ミランダとあたしの魔力が協調されて同調された。魔力が混ざり合い、星のように輝く光を森に照らし、萎んでいくモグラに向かって真っ直ぐ飛んでいく。


 モグラが悲鳴を上げるように鳴き――、














 ――元の大きさに戻って、地面に転がった。


 ミランダが杖を構え、唱える。


「傷テープでは隠せない。さあ自然治癒、今こそ本気を見せるんだよ」


 モグラが負っていた傷口が塞がり、モグラがぱっと目を開け、きょろきょろと辺りを見回し、ぶるぶると体を震わせた。そんなモグラをミランダが優しい手付きで撫でた。


「さあ、まだ夜は長い。お家へお帰り」


 モグラが穴に潜ってお家へ帰っていった。


(……眠い……)


 何これ。だるい。眠い。でも頭はすっきりしてる。体がふらつくのに意識はしっかりしてる。何これ。完全に脳と心がバラバラだ。あたしの脳がどうしていいか混乱してるし、心もどうしていいか混乱している。


(今夜一晩だけあの家に泊まらせてもらえないかな……。ネットカフェに行きなさいとか言われるかなあ……。……ネットカフェに行くくらいのお金ならあるかなあ。ああ……運が良ければ店に行けば先輩がいるかも……。先輩の部屋に泊めてもらうのは……流石に駄目か……。先輩に女の子なんだから気をつけなさいって言われそう……)


 ああ、足元がふらつく。意識はしっかりしてる。頭はスッキリしてる。だけどなんだこれ。目眩がする。でも意識はある。ああ、何だこれ。駄目だ。限界だ。顔が夜空を見上げて重力に引っ張られて後ろから地面にぶっ倒れた。セーレムが悪寒を感じて走ってなければ、あたしの下敷きになっていただろう。セーレムが悲鳴を上げて避けて、あたしの顔を覗き込んだ。


「ルーチェ、急に星空を見たくなったからって何も言わずに後ろ向きで倒れるのはやめてくれよ。俺、ぺっちゃんこになるところだったよ」

「わざとじゃ……ないよ……」

「ほら、二人共、何やってるんだい。帰るよ」


(帰るってどこに帰れば良いんだよ……。もう帰る所なんかないよ……)


「ルーチェ、帰るよ」

「……あたし……どこに……帰れば……」

「何言ってるんだい。家に帰るよ」

「え……?」

「試験の復習もまだじゃないか。早く起きな」

「……でも……不合格だから……出ていかないと……」

「ん? お前何言ってんだい?」

「……すみません……。あたしに……わかるように……言ってもらって……いいですか……」

「家に帰るよ。早く起きなさい」

「……? なんでですか……?」

「なんだい。さっきから。セーレムみたいに話が通じないね」

「俺みたいってなんだよ。俺は世界一空気の読める猫だぜ? 近所のまーちゃんもそう言ってた!」

「早く起きな。夕飯食べたら寝ていいから」

「……動けないです……」

「手のかかる子だね」


 ミランダが文句を言いながら呪文を唱えた。


「風よ、波を作っておくれ。弟子が重たくて仕方ない」


 優しい風があたしを包み込み、ふわりと体が宙に浮かんだ。それをミランダが抱き上げる。


「はあ。全く。余計な仕事を増やすんじゃないよ」

「すみません……。申し訳ないです……」

「明日は一日休んでいいけど、今日の試験について反省するように」

「ええ……。明日も寝泊まりして、い、い、……いいんですか……。あーがとう……ございます……」

「ああ、そうだ。部屋から出れるように荷物はまとめてるね?」

「まとめてます……」

「じゃあ部屋の移動は帰ったら出来そうだね」

「ええ……。いつでもやし、や、屋敷……から出れます……」

「あの部屋はリフォームしないといけないからね。悪いけど一階の奥にもう一つ部屋があるだろ。そっちに移動しておくれ」

「……ああ、あの本ばっかりの部屋ですね……。あそこ埃すごい溜まるんですよ……。わかりました……。……え?」

「ん?」

「部屋の移動ですか?」

「さっきからそう言ってるだろ」

「家から出て、出ていかないといけないんですよね?」

「お前さっきから何言ってるんだい? 住む場所でも決まったのかい?」

「ミランダさんこそ、何言ってるんですか? 試験でふぎ、ふご、不合格になったから、……貴女の弟子を諦めて、家から出ていくっていう話じゃ……」

「私がいつそんなこと言ったのさ」

「……」


(?????????????????)


 あたしの頭がパニックになる。それを見越して、ミランダがゆっくりと話し出した。


「ここに来てしばらく経ったからお前に試験を出す。試験日は今日。合格は25点以上。24点以下は不合格。とは言ったけど、誰も出て行けなんて言ってないだろ」

「……え? じゃあ、……あたし、まだここにいても……」

「出ていきたいなら出ていきな。私は構わないよ」

「いいえ!!」


 あたしはぎゅっ! とミランダを抱きしめた。


「居て良いなら、居ます!!」

「耳元で大きい声出すんじゃないよ。うるさい」

「あたし、本当に居て良いんですね! 出てい、いかなくて良いんですね!」

「ああ、セーレムも懐いてるからね」

「え、あの、じゃあ、えっと、あの」

「なんだい」

「あたし、」


 体を離して、相手の顔を見て、息を吸って、ゆっくり言葉を言って、相手に伝えて、確かめる。


「貴女の弟子になれたんですか?」


 ミランダが鼻で笑った。


「やる気が無いと思った時点で追い出すからね」

「セーレム! あたし、まだここに居れるって!!」

「え? どこか引っ越す予定だったの? 嫌だなあ。俺お友達がいなくなると寂しくて体震えちゃうんだよ。だって寂しがりやの猫だもん」

「あたし頑張ります!!」

「わかったから声を押さえとくれ。うるさくて仕方ないよ」

「あっ、すみません。ミランダさ……」


 ……ミランダ「さん」か……。


「……ミランダさん、あの」

「ん」

「さん、ってちょっと近しいですよね。どう呼んでいいかわかんないから、そう呼んでたんですけど」

「呼び方なんてどうでもいいさ」

「マリア先生に、親しい仲にも、礼儀あり、っていうのがあるって、き、き、聞きました」

「で?」

「……ミランダ『様』の方が、いいかなって」

「はっ! そんなに変わらないじゃないか」

「いや、全然違いますよ。弟子になれた以上は、そういうところ、しっかりしておきたいです」

「真面目だねえ。いいよ。好きにお呼び」

「じゃあ、……ミランダ様。……またしばらくお世話になります。よろ、よろしくお願いします」

「はいはい。よろしくね。……滑舌の練習するんだよ」

「……はい」


 もう次はないと思ってた。いいや。次がないのが普通だ。

 あたしは運が良かったのだ。ミランダ『様』の慈悲に救われたのだから。


(舌、なんで動かなくなるんだろ)


 これも研究だ。研究するんだ。どういう時に舌が動かなくなるのか。滑舌は舌の筋肉だとマダムが言ってた。


(寝る前にスマホで調べてみよう。あ、……久しぶりに漫画読もう。やったぁー)


 あたしは上機嫌でミランダ様を抱き、ミランダ様の溜め息に気づくことなく星空を見上げた。今夜は、この一ヶ月の間で一番綺麗な空に見えた。




(*'ω'*)




 モグラ騒ぎが収まった街に黒いブーツの足音が響く。気を失ったモグラを軽く蹴り様子を見てみるが、モグラは既に気を失っている。彼女は口元を押さえて事件について考えてみる。調査して見つけた手掛かりを頭に思い浮かべるが、真相は闇の中。まるで私の魔法みたいだ。


「ジュリアさん」


 部下の魔法使いが背後から声をかけてきた。


「全てのモグラの鎮圧に成功したと報告が」

「ブラボー。素晴らしいことです。お怪我はありませんか?」

「かすり傷程度なら」

「結構。つばで舐めておけばそのうち治るでしょう。明日の調査に支障をきたさないように」

「はっ」


 ジュリアがそっとしゃがみこんだ。モグラを観察し……隣に置かれた石に気がつく。それを指で取り、見つめる。


「魔法石……」


 ジュリアが眉を潜ませ、じっと魔法石の欠片を見つめた。


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