金貨1枚で、変わり始める

 そして。イストファは衛兵への挨拶もそこそこに門を潜ると、冒険者御用達の商店街へと走っていく。

 新品のキラキラした装備から、中古の装備まで。そこでなら何でも手に入る。

 フリート武具店、と書かれた店に入ろうとすると、掃除をしていた店主のドワーフの男に片手で阻止される。


「なんだ、ガキ。武器盗んで何かやらかそうってんなら、そうは……って、んん? お前、イストファか。随分薄っ汚れたなあ」

「ど、どうもですフリートさん」

「いつだったか店の雑用の依頼で来た時ぁ、もうちょいマシだった気がするけどよ。で、どうした。まさか今日は客として来たってか?」

「えっと……その、まさかです」


 そう言って、イストファはピカピカの1万イエン金貨を取り出す。


「ほー。ついにそんだけ稼いだってわけか? その様子じゃ寝食も惜しみ……ってとこか。気持ちは分かるが、身なりってのも多少は大事なんだぜ?」

「は、はは……ごめんなさい」


 まさか身の上話をしたら貰えたとは言えず、イストファは笑って誤魔化す。


「ま、そういう事なら是非もねえ。流石に1万イエンじゃ鎧まで揃えるのは無理だぜ」


 店の中へと招き入れてくれるフリートについて店の中に入っていき、イストファは周囲に飾ってある武器を眺める。

 このピカピカの武器とまでは言わずとも、中古の安い武器でいいのだ。


「えっと……これで買える武器があれば、と」

「1万イエンぎりぎりでか。そだな、例えばそこの樽に差してある剣は1本6000イエンだが……ま、お勧めはしねえな。しっかりした短剣を買った方が幾らかマシだ」

「そう、なんですか?」


 6000イエンなら、買っても4000イエン残るな……と思っていたイストファは、フリートの言葉に驚く。


「ありゃ訳ありのもんだからな。素人に近い弟子が打ったとか、ゴブリンが持ってたもんを鍛え直したとか、あとは死人の持ち物だったとかな。それでも価値がありゃ良い値段がつくが、そこまででもねえと判断されたもんだ」

「うっ……」

「命をかけるにゃ不安だろ?」

「……はい」

「だろ? まあ、任せとけ。そうだな、鉄の短剣……この辺りの7000イエンのやつと、あとはお前に合いそうな中古の服一式と靴、頑丈な袋。ついでにベルト……で、合わせて1万イエン。どうだ? 今ならついでに風呂とパンもつけてやる」


 嫌などと言うはずもない。言うはずもないが……イストファは、思わずぽかんとした目でフリートを見上げる。


「どうした。不満だってか?」

「い、いえ。不満どころか……どうして、そこまで?」


 正直に言って、優遇されすぎていると。そう感じてしまったのだ。

 無理もない。世界はイストファに優しくなかったのだ。

 何かの罠を疑いたくすらなってしまう。


「どうしてって、お前。ガキのくせに妙な遠慮しやがるな」

「いえ、でも」

「お前、幾つだ」

「え? えっと、たぶん……13?」

「そんなクソガキが、腐らず真面目に生きようとしてんだ。見てみろ、店の外。お前よりでっけえのにしょうもねえのがウロウロしてらあ」


 言われて店の窓の外を見て、イストファは「うっ」と声をあげる。

 何度も見た顔が、幾つかある。

 イストファを殴って金を奪っていった奴の顔もそこには混ざっていて、周囲を注意深く見回している。

 隙のある奴がないかを見定めるその顔は、イストファが「ああはならない」と何度も自戒したものだ。


「あんだけデカけりゃイチかバチかゴブリンと取っ組み合いでもしてみりゃいいもんを、その度胸もねえ。だから、ああやって腐って堕ちていくしかねえ」

「……」


 その言葉に、イストファはグッと拳を握る。

 自分だって、いつかそうなっていたかもしれないのだ。

 

「行く先が牢屋か死刑台かって分かってても、それしか選ぶ気がねえんだ。そんなのに比べたらお前、実に立派だ。応援くらいさせろ」

「……でも」

 

 そんなに真面目にやっていてもお金は溜まらなくて、今手の中にある1万イエン金貨は偶然貰ったもの。

 そう言ってしまいそうになって、しかしイストファは黙り込む。

 黙り込んで……しかし、決意と共に顔を上げる。


「いえ、はい。是非お願いします。その厚意に、甘えさせてください」

「かってえなあ。その年で鉄みてえに硬ぇのはどうかと思うね、俺ぁよ」


 そんな事を言うとフリートはイストファから1万イエン金貨を受けとり、巻き尺で軽く寸法を測りだす。


「ん、大体分かった。おいケイ! この子を風呂に突っ込んでやれ!」

「はーい! 久しぶり、イストファ君!」

「あ、は、はい。久しぶりですケイさん」


 自分と同じくらいに見えるドワーフの少女……実際には自分より上らしいのだが、それはともかく……そんなドワーフの少女ケイにイストファが頭を下げると、ケイは悲しそうな表情を浮かべる。


「苦労してたんだね……ごめんね、助けてあげられなくて」

「い、いえ」

「じゃ、こっちだから」


 そう言って手招きするケイに連れられて、イストファは小さな風呂場に入る。


「お風呂はお湯入れてないけど、汲み置きの水があるから。それ使って?」

「あ、ありがとうございます」

「石鹸はそこね。頭、かなり汚れてるからしっかり洗った方がいいかも」

「う……ごめんなさい」

「いいの。それじゃ、これ洗い布。また後でね?」


 そう言って布を渡し風呂場の扉を閉めるケイが遠ざかっていく音を聞くと、イストファはほうと息を吐く。

 どうにも、人の善意に触れると緊張してしまう。

 そんな自分を少し嫌に思いながらも、イストファは汚れた服を脱いで身体に水をかける。


「……そんなに冷たくはないな」

 

 昼間だし、ちょっと水が温くなったのかもしれない。

 そんなどうでも良い事を考えながら、イストファは濡れた手に石鹸をつけて身体を洗う。

 洗い布でごしごしと擦れば汚れがボロボロと落ちていき、申し訳ない気持ちになりながらもイストファは汚れを足でちょいと押して排水溝へと押し込んでいく。

 そうやってしばらく身体を擦って、頭をごしごしと何度も指で揉む。

 指のとおりの悪かった髪の毛もそうしていると多少はマシになっていき、纏めて水で流す頃には貴族とまでは言わずとも一端の市民くらいには見えるようになる。


「……ふう」


 いつの間にか洗い場の外に置かれていた布で身体を拭き、やはり置かれていた服に袖を通す。

 冒険者用の少し分厚めの下着と服。着心地は、今まで着ていたものよりもずっと良い。

 ベルトを締めれば、イストファは自分の気まで引き締まったような錯覚を覚える。

 そうして扉を開けて店の方へと歩いていくと、つまらなそうに店番をしていたフリートが「おっ」と声をあげる。


「サッパリしたじゃねえか、ちゃんとした冒険者に見えるぜ?」

「え、えへへ。ありがとう、ございます」

「そんじゃ、短剣はコレで袋はこっちだ。お前の持ってた小袋も適当にベルトに吊るしときな。で、靴はコレだ」


 そう、イストファのつけているベルトは冒険者用で、あちこちに物を引っ掛ける為の仕組みがついている。

 短剣を差す為の構造などは、その一番重要なものだ。

 靴も多少古びていて中古だとは分かるが、今まで履いていたものに比べれば格段に良い。

 

「これって……凄く立派に見えます、けど」


 恐らく鉄製だと思われる短剣は、あのステラの持っていたものと似たような長さだ。

 長剣ほど長くはないが、ナイフ程短くはなく取り回しの効く大きさ。

 それが短剣というものだが……イストファの目には、それはとても立派なものに見えた。


「何処がだ。ただの鉄の短剣だ、そりゃあ。ま、造りはしっかりしてるから大切に使えばかなりもつ。しっかり稼ぐんだな」

「……はい!」


 短剣を腰のベルトに差すと、イストファは何度も頷き……そして、頭を下げる。


「ありがとうございます、フリートさん!」

「俺ぁ貰った金以上の事はしてねえよ。ほれ、パンだ。此処で食ってけ」


 手元の皿に載っていたパンをフリートが放り投げると、イストファはそれをしっかりとキャッチして「頂きます」と笑う。

 口に入れたパンはほのかに甘く、その味に思わず涙する。

 金が無くて口に入れていた雑草などとは、段違いの味だ。


「泣くほどのもんでもねえが……いや、いい。ほれ、水飲め」

「……あびがどうございばぶ」


 零れる涙を拭いながら、イストファはコップの水を飲み干す。

 ようやく人に戻った。そんな気がしたのだ。


「……よし、今なら出来る気がする!」

「お、その意気だぜ。で、上手く成り上がったならうちの店を宣伝してくれや」

「勿論です!」

「カカ、まあ期待せずに待ってるぜ」


 そう言ってひらひらと手を振って見送るフリートに会釈して。

 イストファは、1つの疑問をフリートへと投げかける。


「あの、フリートさん」

「なんだあ?」

「……その。僕が真面目、だったから。だからこんなに優しいんですか?」


 正直に言って、いままでイストファはフリートに優しくされた経験はない。

 だから、こうして好意に甘えても尚、本当にいいのかという感情が生まれてきてしまう。


「なんだそんなもん、決まってんだろ」


 そう言うと、フリートはふうと息を吐く。


「真面目に生きてて、最低限の金を持ってきた客だからだよ。真面目に生きてるからって理由で慈善事業する程、ウチも儲かってはいねえわな」

「……なんか納得しました」

「おう、そうかい。ま、頑張りな」

「はい!」


 一礼して店を出ると、イストファは自分に幾つかのねばついた視線が向けられているのを感じた。

 それが誰かを考えるまでもない。

 どういう意味を含んだ視線であるかも、考えるまでもない。

 アレがあれば、と。そう思われているのだ。

 足早にその場を通り過ぎると、イストファは冒険者ギルドの建物に駆け込む。

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