理由はどうあれ、僕は自分の手で文章を書くことができた。

 長いスランプから脱することができるなら〈魔法の万年筆〉でも何でも大歓迎だ。

 それでも、いったん机に置いた万年筆を再び取るのは、少々不気味に感じられた。自分が書くものはあくまでも自分で考え、計算し、コントロールしていなければエンターテイメントのプロとは言えない。

 僕は、パソコンの前に椅子を移動した。

「さて、お久しぶりだな」

 このところの丸々2ヵ月は、電源さえ入れたことがなかった。

 僕はわずかに息を止め、パソコンに初めて触る中間管理職のように身構えながらスイッチを入れた。

 不覚にも、心臓が高鳴るのを感じる。

 何を怯えている?

 ペンで書けるなら、キーボードでだって書けるだろうが。

 最初はチラシの裏に書いた原稿を見ながら、機械的に同じ文章を入力した。

 いいぞ、指がスムーズに動く。

 白色の液晶画面に、整った文字が並んでいく。

 にやりと笑っているうちに、手書きの原稿は終わってしまった。

 さて、次をどう続けるか……。

 指が硬直した。

 いや……硬直したのは、脳だ。

 入力を終えた後に続くべき文章が、全く頭に浮かんでこない。万年筆で書いていた時にはすらすらと流れ始めた物語が、分厚いダムに塞き止められでもしたように動きを阻まれてしまった。

 うそだ……。

 なぜ僕は、僕が書いた物語の先を続けられない……?

 じっと自分の指先を見つめる。

 キーボードの上にかざされた指は、しかし動かせない。どのキーを押せばいいのか、全く思い浮かばない。

 というより、反発する磁石のように、全てのキーに拒否されている。

 かすかな吐気がこみあげた。

 まさか……。

 昨日までと同じじゃないか……。

 脇の下に冷汗が流れ落ちるのが分かった。

 スランプを脱したわけではなかったのだ。

 だったらなぜ、チラシの裏には書けた?

 パソコンと万年筆が、どう違うというんだ?

 同じ筆記用具にすぎないじゃないか……。

 机の上の万年筆に目が移った。

 やはりこの万年筆には、何か特別な力があるのだろうか……。

 僕は意を決して、もう一度万年筆を握った。息を殺して、チラシに残った書きかけの原稿の最後の文字にペン先を近づけていく……。

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