第三章 歯車が回りだした

(1)

『友達というのは、あの男だったのか』

『もう、あの男とは金輪際連絡を取り合うな』

 あの日、玄関の扉を閉めるなり父さんはそう捲くし立てて自室へと向かった。それはあまりにも横暴すぎる、理由もなしにそんな事出来ない、と遠ざかる背中に反論すると、二十歳を超えた大の男が女子高生に近づこうとするなんてやましい理由でもあるに違いない、何かあってからでは遅いんだぞと返ってくる。うまく答えられずにいるうちに、父さんは部屋の中へと入ってしまった。

「それは、流石に極論過ぎないかしら……」

 コートをハンガーに掛け荷物を机の上に置いて、そんな事を呟きながらごろりとベッドの上に寝転がる。私だって、完全に初めましての男の人だったのならそう簡単に連絡先は教えなかったし、二人きりで会おうとだって思わなかった。自分は、そこまで愚かな方ではないと信じているが。

「というか……父さんは雪人さんを知っててもおかしくないよね、雪人さんのご両親がここで働いていたんだもの。面識があるかどうかまでは分からないけど……」

 雪人さんの両親は研究所の研究員だったと聞いた後で、念のためと思って研究員名簿を確認したのだ。そしたら、そこにはきちんとご両親ともに名前が載っていた。だから、少なくとも父さんと雪人さんのご両親には間違いなく面識がある。

「まさか……他でもない雪人さんだから、なんて言わないわよね……?」

 それだと、状況が一気に変わってくる。男性一般を警戒しろ、なのではなくて、雪人さんを警戒しろ、だったのなら……。

「ううん、やめやめ。憶測だけで変に邪推するものじゃないわ」

 それこそ非効率的だ。考え事は、きちんと信頼性のある情報を元に綿密に進めるものだ。かもしれない、かもしれない、を重ねていっては余計に本筋から逸れていってしまう。

「まずは、きちんと正しい事実を知らないと」

 目を閉じて脳裏に浮かぶのは、穏やかな優しい笑顔。どんな理由をつけたって、私があの人に恋焦がれているのは紛れもない事実なのだ。そして、あの人も私を好いてくれている……はずだ、まだ。

 そこで思考を一旦終わらせ、スマホを手に取る。今日のお礼を伝えるために新規メールを作って送り、送信ボタンを押し終えた後で……きらきらと光る夜空を見上げた。


  ***


 数日後の事だった。

『春妃は、確か今月が誕生日だったよね?』

 そんな文面を見て、思わず息を飲んだ。一気に頬が熱くなって、心臓がうるさくなっていく。お互いの誕生日がいつ頃か、という話題は最初の方に少し話したくらいだったのに……覚えてくれていたのか。

「はい、そうです! 来週の土曜日です!」

 ばくばくと逸る心臓を宥めながら、雪人さんに返信する。わざわざ聞くという事は、もしかして……なんて。やっぱり、期待してしまうものだろう。好きな人からの連絡ならば、なおさら。

『その日、少しだけでも会えないかな?』

「きゃーっ!」

 堪え切れずに悲鳴を上げてしまったので、どうしたんだと扉越しに父さんが尋ねてきた。いきなり大きな虫が出てきてびっくりしただけ、もう叩き出したから大丈夫、と嘘をついて事なきを得る。

(お、落ち着け、落ち着け)

 意識してお腹から息を吸い、大きく深呼吸をする。落ち着いてきた頃合いで、投げ飛ばしてしまったスマホを拾うためにベッドから降りた。良かった……壊れてはいないようだ。

(……誕生日には家にいろって、父さんは言っていたけれど)

 この前の小テストの成績も良かったし、夕方には帰る事を条件に出掛けたいと交渉しても良いかもしれない。夏葉にも誘われてるし、途中まで一緒にいてもらえば……万一後日父さんに問い質されても、夏葉と二人で出かけてたらたまたま雪人さんに会った、ちょっとお茶でもしようという話になって、途中からは三人でいた……そんな風に話せば上手く誤魔化せるのではないだろうか。二人には口裏を合わせてもらう必要があるけれど、そこは正直にお願いすれば……きっと二人なら協力してくれるはず。

「私も、会えるなら雪人さんに会いたいです。そこで、あの、提案があるのですが……」

 一時間くらい悩んで文面を考えて、夏葉と雪人さんにそれぞれ送る。双方からOKの返事を貰えたので、一番の強敵を納得させるため、頬を張って気合いを入れ居間へと向かった。

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