(5)

「……立ち入った事で申し訳ないんだけどね」

 話がひと段落して互いに持っていた飲み物を一口ずつ飲んだ後で。それまでの様子が一変して、急に真剣な眼差しになった雪人さんにそう問いかけられた。そんな彼の瞳にどきりとしながら、何でしょうかと返事をする。普段はにこにこ笑っているから忘れがちだけど、雪人さんはかなり綺麗な顔立ちをしているから真顔になると心臓に悪い。

「春妃のお母さんは、どうしてるの?」

 家族の話をしているのにお父さんの話ばかりだから、と言われて、思わず息を飲んで口を噤んだ。別に、今更激情に駆られる事はないし避けたい話題でもないのだけど、一から説明するのは久々だから。ちょっとだけ、動揺してしまったのだ。

「……私の母は、十年前に亡くなりました」

 今度は、雪人さんの方が口を噤んでしまった。ごめんね、聞くべきではなかったと話が打ち切られそうになってしまったので、大丈夫ですよと微笑んでみせる。

「私が小学校に入学する直前でした。当時の事はあんまり覚えていないので聞いた話なんですけど……車との接触事故だったと」

「そうか……」

 そう呟いた後で、雪人さんは何事かをもごもごと呟いた。微かに聞き取れたような気もするけど、はっきりとは分からなくて。だから、どうしたんですかと尋ねてみたけれど上手くはぐらかされてしまった。

「それ以来、ずっとお父さんと二人暮らしなのかな?」

「はい。研究所の人達も皆で面倒見て下さってたので、寂しいとか悲しいとかって感情を抱く事は少なかったですけど」

 多かったのは、もしこうだったのならどうだっただろうかという漠然とした空想だ。友達や先輩、後輩が自分の母親について話してくれる度に、母さんが生きていたらそんな話したのかな、とか一緒に出掛けたりしてたのかなってぼんやり考えていた。

「春妃は、周りに愛されて育ったんだね」

 しみじみと言われて、面映ゆさに俯いた。確かに、両親そろって子供がいる……といった世間一般で言われている家族構成とは少し違う環境ではあったが、周りの人達が大切にしてくれていたのは十分理解しているし、感謝しているのだ。

「……出来る事なら、その頃に一緒にいてあげたかったな」

「その頃?」

「春妃のお母さんが亡くなられた直後くらいに。君の事を、傍で支えられたら良かったのになって思ってさ」

 今更言っても仕方ないのにね、と雪人さんが力なく笑った。彼が辛そうに、苦しんでいるように見えて、こちらまで苦しくなってくるような気がして。何とか元気づけたくて、気が付いた時には、私は彼の手を両手で握りしめてその瞳を見つめていた。

「過去には出来なかったとしても、今一緒にいて下さってます。私の話を聞いて、困ってる事を聞いて、貴方なりの言葉を返して下さってます。だから、そんなに悲しまないで下さい」

 彼の黒い瞳が、ぱちぱちと瞬いた。次いで、かっと耳の方まで朱に染まる。はるひ、あの、と焦ったような声音が聞こえてきて手を振り解かれそうになったので、握る力を強めた。

「こうやって今一緒にいてくれてる事が、私の話を聞いてくれて、私に色々話してくれるのが、嬉しいの。だから、貴方はそれでいいんです」

 言いたいと思った事を言い切れたので、ほっとして手を放す。赤い顔のまま茫然としている雪人さんが、はくはくと口を開いて声にならない言葉を紡いだ。

「雪人さん?」

 聞き取れなかったので、聞き直すべく問い掛ける。よく聞こえるようにと思って少し距離を詰めると、彼は明後日の方向に手をぶんぶん振りながら後ずさった。

「あ、あり、が……とう……」

 さっきよりも、距離は離れてしまったけれど。私に聞こえる声で、そう言ってもらえたから。そう言ってもらえたのが、嬉しかったから。

「こちらこそ、ありがとうございます!」

 お礼にお礼を返して、笑ってみせた。

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