決別

「起きたか、クソガキ」


 気持ちよくない朝、どうにもどんよりとした気分のところにスティーグの声が響く。


「クソガキじゃないよ、メルタだよ。スティーグがつけたんでしょ」


 体を起こし、ベッドに腰かけて彼と向き合う。


「…… まだ冒険者になるつもりか」

「僕はその気持ちを変えるつもりはない。理由は昨日言った通りだよ」


 酔いが覚めて少しは聞く気になってくれたのだろうか。昨日みたいな剣幕はそこにはない。


「そうか―― なら俺との生活も、ここまでだ」


 絞りだすような声で、彼が言う。その一言に、僕はみぞおちを打たれたように声一つ立てることはできなかった。

「今まで面倒みてきたのは、てめぇがただのガキだからだ。冒険者になるってぇなら、話は別だ」

「ま、待ってよ。冒険者になっても一緒に生活する方法だって……」

「自分のケツを自分で拭くのが冒険者だ。お前と組んだって、てめぇのケツを俺が拭く未来しかねぇよ。わかりやすく言ってやる、お荷物にしかならねぇ」


 はっきりと断言するその言葉に僕は反論をすることは……できない。言い淀んでいる僕に、彼が小さな革袋を投げ渡してくる。


「そいつはてめぇが稼いだ金だ。持ってけよ。そんで、あとは自分で生きるんだな」


「ま――」


 待って、と僕が言うより先に荷物をまとめていたスティーグは部屋から出て行ってしまう。


 あとに残るのは少ない僕の荷物と、海の底にいるような沈黙だけ。気が付けば目には涙らしい光の影がだんだん溜まってきていた。


 こうなる可能性を考えていなかったわけじゃない。ただ心のどこかで、一緒に冒険者として生きていく、そんな未来を描いてしまっていた。でもそれは今、幻想として消えてしまった。そう思えば思うほど、じーんと鼻の奥がしびれるほどの熱い涙が溢れ出てくる。


 恋をしていたとか、そういうのじゃない。ただ、人間として憧憬の念で見ていて、僕にとっての幸せが、一緒に過ごす未来だっただけだ。

 

「うっ…… ふぐっ……」


 かみしめた歯の間から、やがて嗚咽が迸る。涙は、止まらない。それでも、やるべき事がある。それは確かに僕が一人で背負うには大きすぎるものだけれども、膝を折ることはできないし、きっと許されない。


 そう心を決めると、服の袖で目をこする。すこし腫れぼったくなった目の縁がひりひりと傷むけど、いつまでも感傷には浸っていられない。


 階段を下りて大男さんに朝ごはんをお願いする。


「銀貨1枚」


 そう、だよね。今までは先にスティーグが支払っていて、僕は受け取るだけだった。もう別々なんだっていう現実感が襲い来る。


 受け取った朝ごはんのサンドイッチも、どこか味がしない。一人、隅の席でもそもそと食べる。


「悪いが、部屋は引き払いだと聞いた。部屋を取るなら、一人部屋で、銀貨5枚だ」


 分かってる。今までただ、スティーグの優しさに甘えていただけだって事くらい。


 投げ渡された袋の中身は今まで僕が働いてきたお金。でもそれを彼は結局全部僕に渡してくれた。そこから一掴み、手のひらと指の感触で数えて5枚取って大男さんに渡す。


 これから生きるには色々必要だけど、まずは安心できる場所を確保したい。


「2階、左手、奥から2番目」


 受け取った枚数を確認すると、それだけ言って去ってしまう。 


「先ずは、生きていけるだけの仕事と道具、かな」


 食べ終わったサンドイッチの残骸を見てひとりごちる。フィリーネさんの所に行くのだって、いつもスティーグが教会に寄付をしていてくれたからだ。それがない今、教会に頼るのは最後の手段になる。


 扉を抜けて通りに出れば、人通りが今までと違って見えて来る。今までは、隣にスティーグがいてくれたけどーー


「自分で決めた事に弱気になってどうする。いか、なきゃ」


 道を歩く足取りは、いつかみたいに鉄枷を嵌められたみたいに重い。あの小屋から抜け出して煌びやかに見えた世界も、今はもうどこかくすんで見える。


「ええい、沈んでばっかいられない!」


 例の神様たちとの事もあるし、動かなければいずれ世界が滅びます、だなんて笑い事じゃない。まぁ動いたからといって滅亡回避できるかなんて、分からないけど何もしないよりはきっとマシなはず。


「冒険者として有名になって、スティーグを見返そう。うん、それが目標だ!」


 ふんぬーっと急に街中で伸びをした僕に少しだけ視線が集まる、が無視無視。


 行く場所だって決まってる。目指すは剣と盾と杖の看板!


 スイングドアを手で押し上げた先には既に喧騒があった。


 鎧を着た人、ローブを着た人、杖を持った人、様々な人が壁に貼られた紙を見たり、ローカウンターの人と話していたり、それこそテーブルで話し合いをしていたりまちまちだ。


 ローカウンターの中に目当ての人を見つけると、僕はその人に恐る恐る声を掛けた。


「あの、冒険者になりたいん、ですけど」

「はい、じゃここに名前と年齢と出身地ね」

「出身地って必要、ですか?」

「死んだ時の連絡用にね。いらなければ名前と年だけでいいわよ」


 この三年で覚えた字体を集中してかく。折角の門出になる紙なんだから綺麗に書いておきたいね。


「メルタちゃんーー ってスティーグが言ってた子かしら」


「はい、そうです。街に来た時に会った事あります。」


「ああ、あの時の子! そう、結局冒険者になるの」


 ポンと思い出したかのように手を叩く女の人、そうラウラさんだ。


「はい、色々見て回りたいのと、やっぱり助けてくれたスティーグみたいになりたくて」

「見て回るだけなら商人とかの道もあるけど、決めた事に私が口を出すのは、お門違いね」


 顔を傾け、耳をふせて少し残念そうな顔するラウラさん。


「大事な事を伝えておくわ。ギルドは飽くまでも寄合所。目安としてのランクはあるけど、どの依頼を受けてどうするかは自分次第よ。そして、その途中で死んでもギルドがするのは、さっき書いた紙にある出身地に連絡をだすだけ。それも、後で渡すメダルがギルドに提示された場合だけよ。そこら辺で死んでも、何もしない。」


 要するに、自分が死なないように頑張ればいいってこと。


「後は犯罪さえしなければ、どうするも自分次第よ。ま、頑張りなさい。メダルだけ作るから、暫く待っててね」


 ラウラさんが、僕が名前を書いた紙を持って奥に行ってしまう。手持ち無沙汰にうろうろしていると、紙が沢山貼られた掲示板が目に留まる。


 薬草の採取、狼退治、ゴブリンの巣の掃討、色々あるんだなぁ。紙に描かれた模様の中には依頼の難易度を表すものなのか、A~Gのアルファベットも一文字記入されている。


 あ、こんなところでキョロキョロしてたらちょっとゴロついた冒険者に絡まれたり…… しなかった。なーんか皆、他人の事はあまり気に留めていないのか、声すらかからない。


 結局、広間の隅っこでぽつんと過ごす羽目になった。

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