鶏のお宿

 ゴンゴンとノックらしからぬ音が扉から響く。ちょっと音の大きさにビックリしたところで、恐る恐る扉を開けてみた。

 

「湯の、用意ができた。」

 

 物凄い上の方から声がふってくる。思わず見上げるけども、その顔はドアップ枠で見切れていてみる事は叶わなかった。

 

「こっちだ」

 

 わー、おっきーって見惚れているうちに目の前のお腹がのしのしと階段の方へ去っていく。森の中でおっきい某に出会った子供はこんな気分だったのかなーとか思いながらその背中を追いかけて階段を降りる。

 

 テーブルの群れを越えて案内されたのは、床が石造りの一室だった。その壁近くには湯気をあげている大きな木桶。ああーーお風呂。今まで、水で体を拭くぐらいしか出来なかった。何度も夢見たお風呂が、ここに…… 思わず何度目かの涙が出そうになるが、そんな僕に大男さんが布の山を手渡してくる。


「拭くのに使った布は、籠へ。これは、あいつだと気が回らんだろうからな。娘のお古で悪いが。返さなくて、良い」

「あ、あのーー」

「湯の追加が必要なら、扉を叩け。ゆっくりすると、いい」

 

 僕がお礼を言いきる前に、それだけ言うと大男さんはドアを、それこそ体を屈めて潜って出て行った。

 

 布の山を整理してみると、体を拭く用の布とーー服と下着だった。お古って言ってたけど、そんなに古びた感じもなくかった。デザインはそれこそ絵画で見た事があるようなシンプルなワンピースだけど、今の僕からしたら贅沢にも程がある。

 

 この世界、もしかして見た目が怖そうな人ほど優しいんだろうか。

 

 さて、生前の日本みたいに保温なんて無さそうだし冷める前に身体を拭いて、浸かりたい。どこか焦りを感じながら靴を解き、腰紐を最早千切るように取って、服ーーズタ袋を脱ぐ。途中でなんか破けた音が聞こえたけど、もう関係ない。

 

 後はお湯に布を浸して…… ああ、お湯に浸けた手が気持ちいい。でも感傷にひたってる場合じゃない。ごしごしと今までの事を削ぎ落とすように力を入れて身体を擦る。ちょっとごわついた布だけど、それだからか生地が皮膚に擦れる感触が心地よい。

 

 木桶の前にあった手桶で湯を掬い、頭から流す。10年、感じることのなかった感覚に身体の芯が疼く。それに薄汚れてまるで固まった血の様な色だった僕の大嫌いな髪が、少しづつその色を変えていく。そして最後は……たっぷりと残っているお湯に、身体全体を沈める!

 

「ふぁ〜」

 

 思わず声が出てしまうほど、体がこのまま溶ける様な心地よさが襲ってくる。どうやった所で浮かんでくる垢とかにはちょっと目を背けて…… うん、でも気になるから外に出しておいて、頭まで浸かってみる。熱めのお湯のヒリヒリとした感覚がすごい新鮮に感じる。

 

「ぷはっ」

 

 顔を上げると、お湯に髪が踊っているのが目に入る。

 

「僕の髪、こんな色だったんだ」

 

 親に嫌われ、自分も目を逸らしていたその色は、本当に鮮やかな赤だった。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「あの、ありがとう、ございました」

 

 お風呂を散々堪能した僕は、風呂上がりに受け取った服を身につけて大男さんにお礼を伝えた。髪もちょっと結ってみたりして、ちょっとは普通っぽくできたかな?

 

「気に、するな。子供はーー子供らしく、あるべきだ」

 

 それだけ言うと、僕の頭をゴリゴリと撫でた後、店の奥の方に姿を消して行った。期待はしてなかったけど、雑さNo.1だね。なんだろう、力強さと顔のせいで森のクマさんみたいなイメージが湧いてしまう。

 お風呂で色々と削ぎ落とせた所為か、足取り軽く階段を登って元の部屋に戻る。

 

「おう、少しは見れるようになったじゃねぇか」

 

 戻ると既にスティーグは帰ってきていて、自分のベッドに色々と荷物を広げていた。

 そして見れる、とか言った割にこっちを見ている様子はない。

 

「何お店広げてるのさ」

「ああん? 整理だよ整理。荷物も詰める順番考えねぇと、咄嗟の時に出せねぇだろ。死なない為の準備だよ」

 

 そういうとまた、荷物探りに集中しだした。僕の方を全然見る様子がない彼のベッドに腰掛けて顔を近づける。

 

「それより、可愛くなったーとかそういうのはないの?」

「はっ、そういうのはもうちょっと育ってから言えよ。服は借り物か?」

 

 こっちを見たかと思いきや、向かい合った額を人差し指で押し退けられる。むあー! なんでああいえばこう言うかな! 

 

「宿のおじさんから服まで借りたんだから、ちょっとは何か言ってくれてもいいのに」

「はいはい、可愛くナリマシタネー」

 

 絶対それ気持ち篭ってないよね。もう、なんでこの人はこう偏屈かなぁ。

 

「ったく、ひとっ風呂浴びたら急にガキらしくなりやがって……」

 

 やっと荷物整理が済んだらしい、ベッドから背嚢を床に下ろすと、初めて僕ときちんと目が合う。

 

「ほー、良い髪の色じゃねぇか。そんだけ目立つ色だと迷子ん時便利そうだな」

 

 スティーグに気の良い言葉を期待したのは間違いだったね。確かに人込みの中で目立ちそうな色だけど……

 それより彼にお願いしないといけない事がある。

 

「ね、スティーグ。ナイフとか在ったら貸してくれない?」

「ああ? あるが、扱いには気をつけろよ」

 

 そういいながら鞘に収まったままのナイフを手渡してくれる。抜きはらってみると使い込まれたであろう、傷だらけの鈍い光を放つ刀身がそこにあった。

 

「よいしょっと」

 

 結った髪の適当なところに押し当てて、引き切る。ざくりという感触と共に一房の髪束が手に残る。その髪束を床に備え付けてあるゴミ箱……かな?  に投げ入れる。

 前髪や横の髪も借りたナイフで、今までの自分に別れを告げる気持ちも込めてどんどん切っていく。

 

「おいおい、もったいねぇな。そういうのはちゃんと髪切りのところに行ったほうがいいだろうが」

「うーん、さっぱりしたついでに切っちゃいたかったからね。ありがとう」

 

 軽くなった頭を確認しながら、ナイフを鞘に戻して彼に返す。うん、まぁ失敗はしてない程度には切れたかな。

 

「お前がそれいいならいいけどよ、そんじゃ待望の飯といこうか」

 

 渡されたナイフを手早くしまい、スティーグが立ち上がり扉へ向かう。

 そんな彼を見ながら僕は、きっとここのご飯も最高に違いないという期待を胸にその後ろを追いかけた。

 

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