第28話 死に寄り添うは人間の心

7月1日。


「道明。時が来たぞ。来るが良いわ」


「へいへい」


「なーんじゃお前、勝手に人んに忍び込もうとして落とし穴に落ちたクセに」


「いや……悪かったよ。ゴメンだけどさ……まさかそれでそこそこ危なそうな連盟の、そこそこ危なそうな作戦に付き合わされるとは思わなかった」


「今のわらわ一人では正直怖いんじゃ。連盟のみんなにはナイショじゃぞ」


「何でそんなどこぞのお金くれる魔物みたいな言い回しなんだ」


午後7時。


眠りこけている瑠莉奈の目を盗み、ベルは寝起きの俺を部屋から引きずり出す。


尾行に失敗し、落とし穴に落ちた状態でベルに発見された日の後。


俺は瑠莉奈を通じて、「連盟に入るかは別として、次の作戦には外部の協力者としてでも参加して欲しい」と伝言を受けた。


しかし、どうやら今回の話は別件のようであった。


ベル曰く、「落とし穴と尾行を不問にする分、もう一件付き合え」とのことだ。


蔵王キャンパスから連盟員の車で走ること7時間。


「「やってきました、池袋ー!!」」


やっとる場合か。


「……で、何で池袋?」


時刻は深夜2時を回っている。


「ついてこい。話はそれからじゃ」


そんな中、ベルは地理を知らない俺の手を引いて繁華街へ向かって雑居ビルのエレベータへと押し込む。


「……どこに向かってるんだよ」


「着けば分かる」


ここまで一切の説明が無い。


「上って……クラブくらいしか無かったような……」


あとは風俗とかバーとか……そもそも、このビル自体いかにもザ・繁華街みたいな店しか入っていなかったような……。


こんなところに魔術師とか悪魔とか、そういうもの絡みの施設なんてあるのだろうか?


エレベーターを降りるなり、黒服らしき人間がベルと俺の身分証を確認するなり、学生証を見せるように迫ってきた。


「ホレ、これでどうじゃ。道明も見せるが良いわ」


「はいはい」


俺とベルが学生証を提示すると、黒服は黙って俺達をクラブ内へと案内する。


室内はけたたましく音楽が鳴り、おそらく一般客と思われる大人達が歌ったり踊ったりしている。

本来なら俺のような子供……というか、未成年者が来る場所では無いだろう。


「ここは子供が来る場所じゃないよぉ~?」


「ガキが何のためにこんなところに……?」


今にもパリピに絡まれそうだ。


「わらわ達の用事があるのは奥の部屋じゃ。ダンスホールじゃない。一般客は無視するが吉じゃな」


「奥の部屋?」


「そうじゃ。わらわの優秀な部下が、ここを拠点にしておってな。わざわざこんな場違いなところまで足を運んだのは、そういう理由じゃ」


「ボスの方から部下の拠点まで出向くんだな」


「『上に立つ者ほど仕えるべきだ』と、神の娘ペトラは言っておったな。結局ヤツとは相容れなかったが、そこにだけは同意じゃ。皆、わらわが掲げた目的に共感してくれる者ばかりじゃが……。実質、部下は皆わらわの復活に付き合わされているようなものじゃからな。なのに、部下に対して横柄な態度をとるのはガキくさいとは思わんかのう?」


「ベル……意外と暴君くさいと思ったけど達観してんのな。つーか復活って何だ」


「我儘だけでは生きていけぬという訳じゃ。そうやって滅びていった国をわらわはいくつも知っている。尤も、遠慮ばかりでも生きてはいけぬがのう」


「そういえば長生きなんだっけか」


「とうに貴様の100倍は生きとるわ」


「ふーん……。ますます復活って言葉が気になるけど……。まあ、お前の言う復活が何かとか、異様なまでに長生きなのに見た目が幼いのとか……そういうとこまではわざわざ聞かないけどさ。……いつか、気分が乗ったらでいいから教えてくれよ。お前のこと」


「それもそうじゃな。あのアガレスを、兄妹という関係以上にあそこまでベタ惚れさせた主人であるお前そのものにも、丁度興味が湧いていたところじゃ」


このベルが、かつて瑠莉奈を巡って争ったあの悪魔のような少女と同一人物とは……。


人は時間や相手との関係性でこんなにも印象が変わるものなのかと、最近は何気に少し驚きながらベルとは接している俺である。


俺とベルは思っていたよりも広いクラブの中を歩き回りながら、ベルはカウンターで身分証を見せて、呪文のような名前のカクテルを注文し、いよいよ奥の部屋へと向かった。


しかしそのカクテルは結局、一口もつけられないでこの空間に放置されることになる。


ベルは奥の部屋へと繋がる扉を開き、部下と合流……。


「……ダメじゃ、死んでおる」


できなかったらしい。


「死んでるって……?」


「文字通りじゃ。見てみるか?死体」


「いや、いいや」


正直、講義や今まで見習いとして関わった事案を含めれば、そこそこリアルな遺体の画は見慣れているつもりだ。


しかし、人間の死体というものは何度見ても再び見たいと思うようなものではない。


「これは……近距離まで近付かれて殺されたという訳では無さそうじゃな。遠距離から呪い殺されたか、或いは私物に罠を仕込まれたか……」


「そんなこともあんのか、術師界隈って……」


「普通にあるわい。尤も、術師がその辺の……現代の言葉を使うなら量産型みたいなザコや貴様のように魂魄剣もどきしか使えんようなぶきっちょではないということは確かじゃがな」


ベルは死んでしまっていた部下の頭を撫でたような動きをし、「山神やまがみ のぞみ」と書かれた身分証を拾いあげ、ポケットへ納める。


「ふーん……それにしても冷静だよな」


「何じゃ、冷たいと言いたいのか」


「それもちょっと思ったけど……慣れてるんだなって」


「フン、20世紀以上も生きていればそうなるわ」


「……何か思い詰めるようなことがあったら言えよ」


「アガレス欲しさにお前を一度は殺そうとしたのにか?」


「死んでないからいいんだよ。それに、あれからしばらく同じクラスで過ごしてきたんだし、そのよしみもあるしな」


「……そうか」


ベルは俺の手を引き、カクテルを希の遺体が転がっている「奥の部屋」のテーブル上に置いたままクラブを出ていく。


そして、そのままビルのエレベーター前まで移動していた迎えの車に乗り、そのまま7時間かけて俺達は再び魔術学院へと戻った。


部屋へ戻る時にはもう朝日が昇り切り、もうじき一限が始まろうとしていた時間になっていたが、俺もベルも車内で眠りこけていたおかげで元気に朝を迎えることができた。


「ふぁぁ……眠っ……うん?」


車内、俺の左肩に重みを感じる。


「すぴー、すぴー」


朝、やけに冷たいと思ったら……。

ベルが俺の肩に寄りかかって眠っていた。


あまりにも冷たいのだから死んでいるのではないかもしれないとも思い焦ったが、本人が2000年以上生きていると言っているのだ。

身体が「一般的な人間」と同じような温度を保っているとは限らないのだろう。


「……疲れてんだろうな。部屋まで連れてくかぁ」


車が学院付近にまで辿り着く。


俺はベルを背負いながら、寮へと戻ってベルのポーチから拝借した鍵を借りてベルの個室へと入り、ベッドの上にその小さな身体を寝かせる。


「……むにゃ」


「おはよう」


「今、何時じゃ」


「9時半」


「一限がもう始まっておるではないか……まあよい、わらわは履修とか単位とか気にしなくて良いからな。貴さ……道明。其方は大丈夫なのか?」


「俺も今日は授業入ってないから大丈夫」


「そうか。……道明よ。少し聞いても良いか?」


ベルは早々に部屋を去ろうとする俺の服の裾を掴み、引き留める。


「何を?連盟の話?」


「違う。もっと単純なものじゃ。……貴様は、悪魔についてどう考える?」


「うーん……。最初はゲームに出てくる魔物みたいなイメージだったけど……瑠莉奈とかお前と接してる内に、個体差はあるのかもしれないけど、人間とあんまり変わんないんじゃないかと思い始めてきてる……って言えばいいのか?ただ慣れてきただけかもしれないけどな、よく分かんねーや」


「……悪魔も人間と大して変わらない、か」


「ああ。瑠莉奈もお前も、ちょいちょい刺激的なとこを見せることはあるけど……でも、こうして普通に接してる訳だしな」


瑠莉奈は悪魔だし、ベルも何かしら普通の人間ではない何かなのだろう。


しかし、そんな秘匿存在或いはそれに近しい存在である彼女らではあるが、俺も蘆屋も山村も、皆、普通にコミュニケーションをとって普通に同じ学院へ通って、同じように寮で寝息を立てているのだ。


時に人間ではないことを感じさせる行動もあるが、そこを除けば、人間かそれ以外かの差異など存在しない。


「そうか。……安心と心配が半々じゃな」


「どうしたんだよ、藪から棒に」


「なに、ちょっとした余計なお世話じゃ。妹が悪魔なんじゃからな、何か悪魔に対して変に油断をしていないかを確かめたかっただけじゃ」


「どういうことだよ」


「何でもないわい。ただ、面倒なのがいるというのは人間も悪魔も同じというだけじゃ」


「……大変そうだな」


「20世紀も生きていればな」


ベルの身体は、いつの間にかベッドに座らされていた俺に寄りかかっていた。


「お疲れ」


「突然優しくなるな、気持ち悪い」


「妹が今後お前みたいに長生きすることになるかもしれないんだから、ちょっと重なっただけだっつーの」


「それはそれで気持ちが悪いのう。自分が死んでからも妹のことを心配し続ける兄……兄妹愛があるというのは良い事じゃが、流石にドン引きじゃ」


「はいはい悪うございました」


「早く良い女を見つけろ、妹離れできなくなる前にな」


「エー……。しばらく会えてなかった妹なんだし、もう少し大切にしたいんだけど」


「やれやれ。兄がそんなんでは、アガレスだっていつまでも自立できんぞ。それこそ貴様が死んだ後はどうするんじゃ」


「……それもそうだなぁ。はぁ……俺も、そろそろ人間だった瑠莉奈を失った過去と決別しなきゃいけないのかねぇ」


「そうじゃ。いつまでも寂しがったところで、今はもう悪魔として現界しておるではないか。それに、貴様なんかよりよっぽど頑丈じゃし、よっぽど長生きすることになるじゃろうな。……安心せい。貴様はもう、心配する側じゃあないのじゃ」


ベルは俺の頬を小さな右手で掴み、口をすぼめさせる。


「ちょ」


「いいから、力を抜けい」


そして、ベルはそのまま俺の頭を太腿の上に置いた。


「……何のつもりだよ」


「サービスじゃ」


「本当にどうしたお前」


「嘘嘘、冗談じゃよ冗談。なぁに、気分が乗っただけじゃ」


「もっとどうした」


数か月前と比べたベルの豹変ぶりに、驚きを隠せない。


調子が狂うというか、慣れないというか。

毎日三食白米を食べていたのに全部それをオートミールに変えられたとか、目が覚めたら突然日本からイングランドに拉致されていたとか、そんな気分だ。


「たまにはいいじゃろ」


「いいけど……ちょっと複雑だな」


「美少女に膝枕されるありがたみを味わっておけ」


「帰っていいっすか」


「【包囲藻ほういもう】。これで脱出不可能じゃ、諦めろ」


「……そうっぽいな。じゃ、折角だしお前のオススメ通りにしてみるか」


「うむうむ、ういやつよのう。人間の言う『孫』というのはこういうものなのじゃろうか」


「お前の孫になった覚えはないけど」


「反抗期じゃな」


「誰が反抗期だ」


「あーあー、大人しくせい。太ももが痛い」


「ちょ、あがっ」


ベルはサービスだと言っている割に、やはり人間離れした力で頭を腿に押し付けてくる。


そのまま俺は半ば押さえつけられるようなかたちで、しばらく横になっていた。


頭を撫でられ、その冷たい手が眠気を誘う。


あれからどれくらい時間が流れたのだろうか。


どうやら俺はベルに撫でられたまま眠ってしまっていたらしい。


昼食の時間になっていたようで、気が付いた時にはベルに起こされていた。


「道明よ。貴様、よくもまぁわらわの膝でたっぷりと眠っておったな」


「マズかった?」


「ちょっと重かった、頭が」


「悪い悪い」


「よいよい、アガレスしか見た事がないであろう貴様の気の緩み切った寝顔が見れた訳じゃしな」


「そんなにだらしない顔してた?俺が?」


「しとったぞ、そりゃあもうユルッユルに」


「……」


「……」


しばしの沈黙。


「……飯、食いに行くか。食堂空いてるだろ」


「うむ。時計の針はちょうど正午を回るところじゃ」


「よし、瑠莉奈にも連絡して……」


スマホを持つ俺の手を掴み、ベルが部屋の出口の方へと手を引く。


「折角、腹を割って話をしたんじゃ。今日は……二人で食わんか」


俺の服の袖を掴んだままのベル。


その頬は珍しく紅潮しているように見えた。


ベルのこんな表情は見た事が無い。


「……そうするか」


俺の口は、ベルの顔を見ている内に自然と動いていた。


「うむうむ、それでよい」


ベルは鍵とカードを持ち、俺を連れて食堂へ向かう。


いつもの傲慢な態度とは違い、今のベルは無垢に笑う子供のようだ。


「何か……かわいいな」


「な、何じゃ突然、貴様……」


「二人目の妹ができたみたいで」


「ズコーーー!!」


いつに無いオーバーリアクションである。


「どした」


「おっ、お、お前が変なこと言うからじゃーっ!阿呆がーっ!」


結局あの後、俺達は二人で昼食を済ませた。


しかしその間ベルはずっと口を利いてくれず、食事が済むなり「……さらばじゃ。連盟の話、良い返事を待っているぞ」とだけ言い残してさっさと部屋へと戻ってしまった。


「……やっぱり妹みたいって言ったの、マズかったかぁ。ナメられたと思わせたのかもしれない。次会ったら謝るかぁ」


俺は小さく独り言を呟いて、自室へ戻る。


「お帰り、兄さん!」


食堂から廊下へ、そして廊下から扉を開けると、そこには瑠莉奈の姿があった。


「ただいま。部屋開けててごめんな」


「いいよ。ベルちゃんに呼ばれてたんでしょ?」


「ああ」


俺は机に座り、魔導書を開く。


瑠莉奈も肩越しに顔を覗かせ、そのまましばらく一緒に魔術の勉強をしていた。


あの紅潮したベルの顔。


後で、あの妙な表情の正体を瑠莉奈に聞いてみるとしようか。

女子同士、人ならざる者同士ならば、俺よりは少しわかることも多いかもしれない。

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