第9話 大魔術師ベル

2017年12月23日、午前8時。


俺は瑠莉奈と共に、蘆屋の研究室へと呼び出された。


「いやぁ、急に呼び出してごめんヨ。今日は、道明クンと同級生になる女の子を紹介したくてネ」


「「まーた随分と急な」」


俺と瑠莉奈は顔を見合わせ、眉をひそめる。


同期との初対面という、所謂キーイベントがあるなら事前に言ってくれればいいのに。


「いやー、ごめんネ。昨日の昼に入学が決まったばかりなのに、ボクの部屋に来るや否や『すごい悪魔に会わせろ』なんて言って聞かないものだからサ。本当はもっと後になってから会ってもらおうと思ったんだケド……期待の問題児が暴れる前に、瑠莉奈クンと……ついでに同期の道明クンにも会わせようと思った次第でネ」


なるほど、今から会う予定の同期は暴れん坊な女の子、と。


……ロクなことになる気がしない。


「蘆屋さん。私、帰っていい?」


そう思っていたのは、瑠莉奈も同じようだったようだ。


「ダメだネ」


「「そんなぁ」」


しかし、当然ながらそんなことは許される筈も無く。


蘆屋は同期になる筈の女子とやらを、さも当然のように魔法陣から召喚した。


蘆屋曰く問題児な少女、その姿は華奢……どころか幼すぎるくらいで、長い銀髪を縛ってポニーテールを結んでいる。


花柄のドレスに身を包み、その手には薔薇を模した装飾が施された全長1メートル程度の杖を持っていた。


「それじゃ、自己紹介をお願いしようカナ。具体的には、フルネームと歳、それと身長に体重、スリーサイズは言わなくていいケド、代わりに得意な術を教えてあげてヨ」


蘆屋の声に合わせてこちらを振り向いた少女の顔立ちは、まさに整った西洋人のソレといった具合である。


「うむ!悪魔とそのあるじよ、初めましてになるのう!わらわの名は『ベル』!『マーキィ=フェリディア=ベル』じゃ!年齢はピッチピチの2567歳、身長138センチメートル、体重37キログラム、好きな食べ物はチョコレートである!よろしく頼むぞ!」


「うん……?」


これはどこからツッコめば良いのだろうか。


「自然魔術と剣の扱いなら誰にも負けぬ!あとは、猫とキメラに変身するのが得意じゃな!どうじゃ、凄いじゃろ!えっへん!」


見た目は子供、頭脳も……多分子供。


その名もベル。


「……ということで、ベルちゃんだヨ。よろしくネッ!」


いやいやいやいや。


「勢いで乗り切ろうとしないでもらえますか!?」


溢れる情報を「よろしくネ」で片付けられる訳にはいかない。


俺は強引に締めようとする蘆屋を制止する。


「どこからツッコめばいいんですかねぇ、コレ」


一方の瑠莉奈は、ベルの奇怪な自己紹介に頭を抱え始めた。


「わらわの自己紹介におかしなところなどあったかのぅ」


「……ツッコミどころなんてどこにあるのカナ?」


「「名前以外全部が噛み合っていないところ」」


「……はて?」


どうやら、違和感については蘆屋どころか本人にも自覚がない模様。


「ああ、きっと年齢のことが気になってたんだヨ。その辺について、何か事情があるなら説明してあげて、ベルちゃん」


「逆に何故気にならなかったのか」


「ボクは『そういうもんなんだ』と思ってスルーしちゃってたネ」


「出ましたね、職業癖」


瑠莉奈が久しぶりに悪態をつく。


イレギュラーな存在に慣れているが故に、ありとあらゆるイレギュラーを「そういうものだから」という理由で許容してしまうのは魔術師の悪い癖なのだろう。


「いやぁ、そこは言ったまんまじゃよ。こんな身体じゃが、わらわはそこそこ歳いっとるんじゃ」


「「ほへー」」


「なんじゃ、そのいかにもピンときてない感じの返事は」


バレてしまっては仕方がない。


「いや、だって……人間じゃあないってこと?古代文明の冷凍睡眠装置でも使ったのか?」


冷凍睡眠装置とは、読んで字のごとく「人体を低温に保ち、仮死状態とすることによって老化を防ぐ機械」の名前である。


「ンな訳無かろう。物分かりの悪い小童こわっぱ共じゃな。アレか?『わらわ自身が秘匿存在に近しいものだから』と言えば理解できるか?」


ベルの語気が少し強くなる。

……年齢に関する質問はして欲しくなかったのだろうか。


「あー、理解した。乙女に年齢の話させるのは悪手だったか、ごめん」


「フン。まあ、あまり気にするでないわ。元より歴が短い魔術師と、成って1年やそこら悪魔如きにわらわの事情が理解できるとは思っておらぬ」


しかし、俺や瑠莉奈がイレギュラーな存在に対しての理解が浅いのは理解していたようだ。


これはナメられていたと考えるべきなのか、一般人の考えに対して理解が深いと考えるべきなのか。

いずれにせよ、ベルが寛大な人で良かった。


「いやいや、ご苦労だネェ。ベルちゃん」


其方そなたも魔術教授なら少しは説明しておけ。突然2000歳超えのババアに、新高校一年生を名乗られても混乱するであろう」


「メンゴメンゴ。とりあえず……キミが会いたいと望んでいた大悪魔は目の前にいるヨ。……瑠莉奈ちゃん。少し、ベルちゃんの話に付き合ってあげてくれないカナ?キミに会いたくて仕方無かったんだって」


蘆屋はベルの叱咤を軽く受け流し、その意識を瑠莉奈へと向ける。


「私に?」


そして、瑠莉奈はベルに近づいて顔をまじまじと見つめ始めた。


そんな瑠莉奈の頬に両手を添え、ベルは何やら妙な事を吹き込み始めた。


「大悪魔よ、会えて嬉しいぞ。汝の名は……アガレスじゃったか」


「何であなたが知ってるのかは分かりませんけど、そういうことになってるみたいです」


「ふむ、そうか。……時にアガレスよ。わらわと組む気は無いか?」


「はい?」


突然の誘いに戸惑う瑠莉奈。


俺にも、ベルが何を言っているのか解らなかった。


「其方は、あのひ弱な道明とかいう魔術師に従っておるな?あやつは実戦の経験も少なく、知識などもってのほかじゃ。だがどうじゃ、わらわは魔術も剣術も、あやつより優れておる。特に自然魔術はわらわの得意分野でな、右に出る者はおらぬ程じゃ。そこで、わらわからありがた~い提案をしてやろう」


「は、はぁ」


これは嫌な予感。


「悪魔アガレスの名を継ぐ者よ。かの道明ではなく、わらわの僕とならぬか?」


出た、ヘッドハンティング。


まさか、初対面の同級生に妹を取られそうになるとは思わなんだ。


とはいえ、俺が魔術師としても人間としても未熟なのは確かだ。


故に何も言い返せない。


せめて兄として、俺は瑠莉奈の意思を尊重するとしよう。

それがたとえ、妹と別れる結果を生むことになったとしても。


……もっとも、そんな事は有り得ないだろうが。


「……それは、私に兄さんを裏切れと言っているのですか?」


「うむ。道明とやらには悪いことをしてしまうが、そうなるな」


「そうですか。なら、その案には乗れませんね」


瑠莉奈はベルのとんでもない提案を、考える間もなく切り捨てる。


やはり瑠莉奈と俺の絆は絶対だ。

ここまで仲の良い兄妹というのも珍しいのではないだろうか。


「な、何故じゃ?わらわ強いよ、わらわ頭いいよ!?道明あやつより絶対強いご主人様になるよ!?何故じゃ!答えてみよ!」


ベルの口調が乱れている。

彼女は、そんなにも己に自信があったのだろうか。


「何故って……初めて会った人に従えとか言われても困りますよ。それに、貴方は兄さんを散々バカにしてくれましたね。自分の兄と主人を同時に愚弄される気分を考えたことはありますか?そんな相手に、契約に忠実な悪魔がわざわざ寝返るような真似をする訳がないじゃありませんか」


「なっ……。其方、あくまでも主人との契約を守ると言うのか?」


「うーん、ご主人様が他の人だったら裏切っていたかもしれませんけど。でも、私が契約している人間は、何を隠そう実の兄です。そして、私は兄さんを誰よりも信頼しています。そして兄さんも、きっと私を信じてくれている筈です。だから、私は兄さんとの契約を守るってだけですよ」


「愚か者めが。わらわに従えば、知識も力も手に入るというのに」


「どうやら、私とベルちゃんは価値観が違うみたいですね。やっぱり、貴方には従えません。でも、これからはお友達として一緒に過ごせますから。お互い、仲良くやっていきましょう」


捨て台詞を吐くベルに、瑠莉奈は右手を差し出して握手を求める。


しかし、ベルはその手を「パシッ」と叩いて出入口へ向かいドアノブに手をかける。


「フン、もはや今の貴様に用など無いわ!……いずれまた、貴様に声をかける。次は判断を間違えるでないぞ、アガレスよ。……そして蘆屋。わらわは来年度に再び戻る。それまでに、入学の準備を頼むぞ」


そして、これだけ言い残して部屋を出て行ってしまった。


「や~れやれだネ。あーあ、面倒なことになってきたナァ」


何だったんだ、あのベルって幼女……。


「……何だったんですか、あの子」


椅子に踏ん反り返って頭を抱え始めた蘆屋に、俺は一連の流れについて説明を求める。


「ああ。ベルちゃんはネ、本当に2567歳なんだヨ。ボクも詳しいことは知らないケド、そういう異常を持っているんだって。でも、年の功だか何だか知らないケド、自然魔術だけはボクでも敵わないくらい強いんだよネ~。いやぁ、キミ達。随分とエラい人にケンカを売っちゃったかもしれないネェ」


どうやら、ベルはただのホラ吹きではなかったようだ。


「ふん、それでも兄さんの元を離れるよりはマシです。……それに私、喧嘩なら絶対に負けませんから心配いりませんよ!」


「いやぁ、さすがの瑠莉奈クンでも厳しいと思うけどネェ」


そして、この蘆屋の表情から考えるに、ベルは俺達が思っているよりもヤバい……具体的には魔術師として格上すぎるのかもしれない。


「じゃあ、もっと強くならなきゃですね!兄さん!」


「……そうだな」


悪魔なのにアドレナリンが分泌され始めたのか、瑠莉奈は何だか浮かれているようだ。


しかし……俺の方はというと、そう簡単には事を楽観視できなかった。


瑠莉奈は、彼女をアガレスたらしめている豊富な言語及びボキャブラリーに関する魔術を中心に、並の魔術師を僅かに上回る程度の実力らしいが、所謂サブウェポン的な扱いで大地に関する魔術も使えるらしい(本人談)。


一方で、俺は未だに何も使える魔術が無いのだ。

強いて言えば、「アガレスの主人」という概念を纏っている存在であるため、霊体に対しても肉弾戦が可能ということくらいだろうか。


俺は魔術学院を訪れてから4ヶ月が経つのだが、瑠莉奈や自身の登録などに追われてバタバタしていたため、まともに魔術の勉強など、できたものでは無かったのだ。


という訳で俺は新学期までの間、毎日2時間、最低限の「魂魄魔術」と「自然魔術」を蘆屋に一対一マンツーマンで教えてもらうこととなった。


魂魄魔術はベルや秘匿存在への武器に、自然魔術はベルが繰り出してくるであろう攻撃に対しての対策として学ぶそうだ。


他に蘆屋が得意としている「混沌魔術」と「深淵魔術」にも興味があったのだが、これらは何かとリスクが大きいものが多いらしく、初心者には向かないそうなのだ。


一方の瑠莉奈は、己の自然魔術(岩や土に関連するもの)が名の知れた悪魔が使う魔術としては少し力不足であると考えたのか、俺が個別指導を受けている間、大書庫を漁って上位の術を学ぶらしい。


「……ま、とりあえず三が日が終わるまではゆっくりしなよ。年末年始は人間が物理的にも精神的にも大きく動く時期だからね、ボクも頻発する事案の処理で忙しいんだヨ。……ってわけで、あと1週間ちょっとは魔術師としてのモラトリアムを楽しんでおくといいヨ。魔術師の世界は過酷だからネ」


蘆屋はそう言い残すと、あらかじめ床に描いていた魔法陣へ身を沈め、どこかへと消えてしまった。


蘆屋がいない蘆屋の部屋に残された俺と瑠莉奈。


「……とりあえず、部屋に戻るか」


「そうだね」


今更になってきて、事の重大さに肝を冷やし始めてきた俺と瑠莉奈。


その後、俺達は特に何をすることも無く、常に不安感が付きまとう一日を過ごすこととなった。


あの容姿にしてあの魔力、そして怒気に混じる、仰々しいまでの殺気。


今思えば、彼女が放つオーラのようなものは、深夜に俺がベッドの中で思い出し笑いならぬ思い出しビビりで軽く身震いしてしまう程、只者のソレでは無かっただろう。


一方、大魔術師?からのヘッドハンティングを突き放すように断った瑠莉奈は、「ベルの誘いを断るにしても、もう少し言い方を考えるべきだっただろうか」と、少し反省していた。


俺はそんな瑠莉奈に「ありがとう」と一言残して、夢の世界へ旅立った。

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