感謝の標識
ギンナコ
ただ運が悪かった
「ねぇ、真也君。山にある不思議な標識の話って知ってる?」
昼食を取りに来る学生で賑わう大学内の食堂。
いつもの様に好物のカレーを一人バクバクと食べていると、同じ講義を受けている女友達の香乃が、断りなく眼の前の席に座って来た。
まあそれはよくある事なので特に気にはしなかったのだが、今日は挨拶もなく開口一番に訳の分からないことを尋ねてきた。
何言ってんだこいつはと思いながらも、相手をしないと後が面倒だと知っている俺は、一先ず口の中に入っていたカレーを呑み込んで、水を一口飲む。
そして俺の反応を今か今かと待っている香乃へと視線を向けた。
「――で、不思議な何って?」
「不思議な標識だよ。近くの山道に見る人によって変わる標識があるらしいんだ」
香乃は珍しくいただきますと言いながら、うどんを食べ始めると話を続けた。
俺も残りを食べながら話を聞くと、どうやら近くの山道で、そこにあるのがおかしい標識があったことから広まった噂らしい。
同じ大学内でも何人かが目撃したことがあるらしいが、その標識の中身は一致しなかったとのことだ。それ以外にも、その標識の近くで女の幽霊を見たとか、事故死した霊が道連れを探しているだとか色々な噂を聞かされた。
で、それを聞いた香乃自身も友人と探しに行っては見たものの、何も見つからなかったらしいとのこと。
相槌を打ちながら話を聞いていた俺だったが、また今度探しに行くから俺も一緒に行こうと言われ、深々とため息を吐いた。
「嫌に決まってるだろ」
「えー、なんで? 真也君、何時もよりノリ悪いよ」
「まだ運転に慣れてないし、急カーブとかもあるから走りたくない。以上」
中古ではあるが、必死にバイトして金を貯めて買った愛車を傷つけたくないというのもあるが、それ以上に行きたくない理由を簡潔に告げて話を終わらせる。
そんな俺にブーブーと抗議の声を上げる香乃をよそにさっさと残りを平らげると、食器を返しに席を立つ。
「他の所だったら幾らでも付き合ってやるから。そんじゃ、香乃もさっさと飯食えよ。次の講義に遅れるぞ」
暫くは香乃から一緒に行こうという攻撃があるだろうなと思いながらも、そのまま香乃を放置して、次の講義のある教室へと向かった。
背中に香乃からの視線を感じながらも、これで話は終わりのはずだった。
それから三週間後の夕方。
俺は香乃たちと共に件の山道を車で走っていた。何故こうなったのかなんて簡単だ。
香乃と共通の友人の雄二の二人に嵌められたのと俺が迂闊だっただけだ。
あれから毎日のように誘ってくる香乃をバイトやレポートなど色々と理由を付けて断っていた俺だったが、いい加減うんざりしていた頃にピタリと止まった。食堂や講義の時にも顔を合わすけど、普通に会話するだけ。
ようやく諦めたんだろうなと思っていたのだが、一週間ほど前に遊びに行きたいから一緒に行こうと言われた。
当然怪しんだものの、遊びに行きたい場所が山とは反対方面だったのと、そういったオカルトが嫌いな友人も一緒に行くということだったので、まあ大丈夫だろうと判断した。
そして当日。俺は香乃と雄二、その彼女さんでオカルト嫌いの麻紀さんの四人で遊びに行くことになった。
一日中遊んで、夜は近くのカラオケにでも行こうかと車を走らせていると、香乃が近道があると行って、カーナビとは違う道の案内を始めた。
よく行く場所しか運転しなかったものだから、そうなのかと呑気に香乃の指示に従ってしまったのが運の尽き。
町並みからどんどん離れていく段階でおかしくないかと思ったが、雄二も大丈夫だと言うので信じた俺がバカだった。
気付いた時には件の山道に入ってしまっていて、一本道で引き返そうにも道路の幅が二台分ぐらいしかないため、Uターンしようにもできそうにない。
このまま進んで行くしかなさそうだ。
「……騙された」
「えー、人聞きの悪いこと言わないでよ。こっちの方が近いのは確かなんだからさ」
女に手を上げるつもりはない俺だが、助手席でニヤニヤしている香乃を見て、この時ばかりは引っ叩いてもいいんじゃないかと思った。
実際には運転中の俺がそんなことができるわけもなく、抗議の声の代わりにため息を吐く。
ちらりとバックミラーを見てみると、雄二が不機嫌そうな麻紀さんのご機嫌を取っていた。
麻紀さんは聞いてないとか、またこんなことをしてなどと物凄く怒っている。
どうやら今回の件は、香乃と雄二の二人が計画していたようだ。
謝り倒している雄二の姿に内心ざまあみろと少しばかり溜飲が下がりはしたが、今はこの山道を無事に走り抜けなくてはと気を引き締める。
雄二の謝罪の声をBGMにするのも嫌なので、お気に入りの曲を流しながら暫く車を走らせていると、隣から物凄い視線を感じた。
「……何? 今運転に集中してるんだけど」
「べっつにー、ちょっと見てただけじゃん」
「あっそ。悪いけど相手できないから、噂の標識でも探してたらどうだ?」
そもそも香乃がこの山道に来たかったのは、不思議な標識を探したかったからじゃないのか?
何時も以上に素っ気ない返事になってしまったが、横からずっと見られていると気になって集中が途切れてしまう。夕方で視界が悪くなるから、あまり集中を途切れさせたくはない。
香乃は不機嫌そうにわかったとだけ返事をしたが、暫くするとまたちらちらと俺に視線を向けてくる。
少しだけ気にはなったものの、運転をしているうちに気にならなくなった。
時折対向車のライトや後続車の追い越しでヒヤリとしたり、山道の急カーブや上り坂にやや苦戦することもあったが、運転しているうちに段々と慣れてきた。
最初はこんな場所を通らせやがってと思っていたが、実際香乃が言うようにこの道の方がスムーズに進む分早く着きそうだった。
カーナビの表示を見ると、次で急カーブは最後だ。
ここを曲がったらスピードを出そうと思っていると、急カーブの手前で何かが飛び出してきた。
「――やばっ!?」
驚いた俺は慌てて急ブレーキを掛ける。
キキィッと甲高い音が響き、香乃たちの悲鳴が上がる。幸いカーブ手前で速度を落としていたこともあり、飛び出してきた何かにぶつかる前に車は停止した。
「おい、真也! 何急にブレーキかけてんだ!」
「なんか飛び出して来たんだからしょうがねえだろ!」
シートベルトをしていなかった雄二が顔をぶつけたようで声を荒げているが、知ったことじゃない。
猿か猪か何かの動物が飛び出してきたのかと前を見た瞬間、目の前が光に包まれた。
「――っ!?」
思わず目を細め、顔を逸らす。その直後、俺たちの隣を轟音が通り過ぎた。
顔を上げた俺はバックミラーを覗くと、大型のトラックが猛スピードで走り去っていくのが映っていた。
その光景に思わず血の気が引いた。
もしあのまま急カーブに入っていたら、事故を起こしていた可能性があった。
先ほどまで文句を言っていた雄二もそのことに気付いたのか、押し黙ってしまっている。香乃や麻紀さんも怖かったのか静かだ。
それから少し固まっていた俺たちであったが、麻紀さんがあっ、と声を上げた。
「前見て、前」
麻紀さんの言った通りに前を見て、俺は先ほど飛び出してきた物の正体が分かった。
「……標識?」
それは何年も経過してボロボロになった標識。俺たちに見えなかったのは木の陰か何かに隠れていたようで、劣化したのか分からないが、それが目の前に倒れ込んできたようだった。
俺はその標識に描かれている絵を見て、疑問符を浮かべた。
「こんな絵の標識あったか……?」
その標識に描かれていたのは、二人の大人。それも男女が手を繋いでいる標識だった。
子供と大人が手を繋いで歩いているのは見たことあるが、こんな標識は見たことがない。まさか香乃が言っていた不思議な標識なのだろうか?
この標識は俺たちを助けるために倒れてきたのか、それとも驚かすためか偶然か。幾つか疑問に思い、君の悪さを感じたが、この標識が倒れ込んできたおかげで事故を起こさずに済んだのだから、別にいいか。
流石にそんなことを口には出せなかったので、胸中でこの標識に感謝した。
――
「えっ、消えた?」
「おいおいマジかよ……」
目の前にあった標識が突然消えたからか後ろで二人が騒いでいる。
俺は助手席に座っている彼女を見る。
「消えちゃったね。でも一緒に見れてよかったよ。真也君、帰ろっか?」
「……そうだな」
消えてしまったものは仕方ない。
俺は改めてアクセルを踏んで、運転を再開した。
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