閉じ込められた
わたしがトウキョーエリアの警備を命ぜられてかれこれ三日は経過している。早くこの業務時間が過ぎて家に帰りたいという焦燥感が半分、まだ出会ったことのない風景への好奇心が半分といったところ。
この業務に就く前は、毎朝出勤して、適度にデスクワークをこなし、食堂で日替わりランチを食べて、定時になったら帰る――その繰り返しの生活をしていた。これを退屈な日常と呼ぶのかどうかは個人差があるだろう。わたしは退屈とは思わない。はたから見れば繰り返しではあるが、流れる雲の形や日替わりランチの内容は日々異なっている。
この地域は、ヒトの支配していた時代には盛んに経済活動が行われていたらしい。その証拠として他の地域よりも出土品の数が多い。現代に転用できる技術やクリーニングすれば実用に耐えうる工作物など、言うなれば宝の山だ。
ヒトが作り上げた芸術作品の数々は、ヒトの有志が叡智を振り絞って作り上げた保管場所にて保存してある。プロジェクトノアと呼ばれていたらしい。トウキョーエリアには
各エリアに政府からの認可なく侵入し、個人の都合で出土品を持ち去ってしまう者が後を絶たない。政府はわたしのような下っ端に装備を持たせて、不埒な輩を成敗させるようになった。わたしは何事もなければ一週間ほどで解任される予定だが、この期間はまちまちである。今日を含めてあと四日間。中には志願してこの任務に就く者もいるとかいないとか。
コンクリートの床に、半壊した扉が取り付けられている場所を発見したのが小一時間前。その先に階段が続いているのが確認できたので、わたしは扉を蹴り破って階段を降りていった。地下に道が続いている例は珍しくない。地下を走る鉄道や地下に広がる商業施設や車庫など、地上とはまた異なる光景を見せてくれる。各地から無許可でかき集めた貴重な出土品の価格を適正価格よりも高値で取引する不届き者どもが徒党を組み、このような地下にアジトを構えていた事件を思い出し、わたしは改めて気を引き締めてから進んでいった。
階段を降りきった先に檻があり、その檻の中にこの男がいたのだ。長く伸び放題になっている黒髪も剥き出しの上半身も、ヘソから下は埋めて固められた姿と、電源を入れられずに長期間放置されている周辺の電子機器類と相まって一種の彫像のようでもあった。
その顔をライトで照らすと「うわっ」と声を出したので、わたしは驚きのあまり尻もちをついてしまう。作品の中ではなく、実際に動いているヒトを見るのは初めての経験だ。
連れ帰らなければならない。
使命感に駆られたわたしは、すぐさま立ち上がると檻のカギを手持ちのレーザーガンで破壊した。わたしが近づいていくと、男は「ね、ネコ耳!?」と素っ頓狂な声を上げて目を丸くしていた。わたしは耳を動かしつつ「この耳のどこがおかしいのか」と訊ねると、男はその問いには答えずに「今、平成何年?」とまたもや不思議な質問をしてくる。男の頭上には耳がなく、耳は左右の側頭部についていた。ヒトだ。
「平成ではない。西暦は人類史とともに終わった」
わたしが真面目に人類史を履修していて本当によかった。知識は身を助ける。もしわたしが怠惰な学生であったならこの疑問には答えられなかっただろう。現代に〝年号〟という概念は存在していない。
「オレの知らない間に人類史終わっててウケるんだけど、地上で何があったのか教えてくれないすか?」
聞かれたならば答えるしかあるまいて。
わたしが学生時代に学んだ知識を披露すると、男は乾いた拍手の音を辺りに撒き散らした。
「ありがとう。よぉくわかった」
男は口角を上げてニヤけた表情を作りつつ「オレは『猿の惑星』ならぬ『猫の惑星』に不時着した宇宙飛行士みたいなもんか」と自身のアゴを人差し指で撫でる。その映像作品の名前は知っているが観たことはない。だから、男のこの比喩が適切かどうかの判断はできない。
この現代において、映画という娯楽はごく一握りの富裕層のためのものだ。とりわけヒトが生み出した作品は市民の生活の妨げになるとして規制されている。そこに描かれている思想に、我々が影響を受けないように。
わたしは人類史を専攻しており、ヒトの映画を観る講義は何度かあった――教授が映画好きであり「政府から規制されてしまうような映画が如何なるものかを学生に教えるのも自分の仕事だ」と豪語していた。他の講義よりも眠くならないとして人気があった――が、男はムービースターと並び立たせても遜色なさそうな精悍な顔つきをしている。わたしがヒトであったなら、同性ではあるが一目惚れしていたかもしれない。
ただ、わたしは“ネコ”ではない。その一点は訂正させていただこう。わたしは先ほど説明した通り、祖先は“ネコ”であったかもしれないが今は“ネコ”とは違う生き物である。ヒトがサルから進化していったようなものだ。
「わたしはネコではない。我々を“ネコ”と呼ぶのは、ヒトを“サル”と呼ぶのと同義だ」
毛を逆立てて歯を見せると、男には正しく怒りの感情が伝わったようで「オーケーオーケー。キレるなって」と両手を前に伸ばしてわたしを近寄らせまいとした。わたしは男に危害を加えるつもりはない。これっぽっちもない。少なくとも、現時点では。
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「敵か味方かもわからぬ男に名乗る名はない」
「なら、ネコちゃんって呼ぶけどいいんすか? それとも、ジョン・ドゥ? 名無しの権兵衛?」
「その三つから選べというなら、ジョンでいい」
男は自ら提案したくせに「ネコちゃんじゃなくてワンちゃんの名前みたいすね」と笑っていた。
「お前の名前は?」
「
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