第19話 廃屋の学校で

●廃屋の学校で


 辛うじて屋根と壁のある廃屋は、教団を名乗る有志によって運営される学校だった。甘いジュースや食べ物でスラムの子供逹を集め、読み書きと計算を教えているようだ。そして道徳に当たる宗教教育。


 因みに、この世界には無数の神々が居る。

 天地開闢の神や地水火風など元素の神を初めとし、ありとあらゆるものに神は宿る。

 つまり、国ごと土地ごと、種族ごと民族ごと部族ごと。いや家族ごとにも存在する。

 祖先に英雄、山や川。果ては信義、忠誠、礼儀正しさと言った徳目も神格化されている。

 そして神格の高さ霊験のあらたかさは、人々の信仰に比例する。これがこの世界の宗教感だ。


 さて彼らが信じる神だが、過去と未来と今を司る三柱みはしらの神。三つに居まして一つなる時の神だと言う。

 彼ら曰く時の神は三つの神格を持つ。

 すなわち知識と記録の験能を持つ過去神・ちいさき者の護り神にして御法みのりきみ御書みふみきみたるイクイェヂ・ホート・マーメィ。

 すなわち予言と希望の験能を持つ未来神・博愛の神にして姫巫女なるオーカ・ヤティコ。

 そして選ばれし者に、機会と七難八苦と戦いを授ける主神にして現在神イズヤ。その苛烈なる試練が故に、このイズヤの神格は邪神の異名を持つ。


 さて、こうして学校を主宰する彼らは、稚き者の護り神イクイェヂ・ホート・マーメィの眷族を名乗る人々と言う訳だ。

 有志の先生は女性の方が多い。ただ治安の問題なのか、子供逹を集めるのは専ら男性の役割らしい。

 子供達の殆どが襤褸ぼろを纏った裸同然の酷い格好だが、中には街で物売りをしているのか、天秤棒と籠を携えた子が居る。そしてスラムの子では無いのだろう、靴を履きまともな服を着ている子供も混じっていた。


 リンゴーン! リリンゴォーン!

 その時お昼の鐘が空に響いた。


「坊や。お嬢ちゃん。ここに来た子供は誰でもご飯を食べて行く決まりよ。お勉強は兎も角、ご飯だけでも食べて行きなさい」


 有無を言わさず、僕もネル様もテーブルに着かされた。


「あれ? さっきの人は?」

「用事があるので帰ったわ。教団の活動はね。それぞれが無理なく出来る事をするの。そうじゃないと長く続かないわ」


 気が付くと先程スジラドをここに案内した男性の姿はもう居ない。


「お姉さん。なんであの人、あんな格好してたの?」

「他人にはそれぞれ理由があるの。立場的に公に動けないからと言って、神様が望まれる行いを諦める法は無いのよ。教団は正体を隠した奉仕活動も認めているの。やらない善行よりやる偽善の方が人を救うものだから」


 そう言う教義なのだろうか? どこから見ても怪しい風体の男だったのに、誰も気にしていないのが清々しい位。


「二跳び! ニ、四、六、八、十、十二……」


 子供達に昼食を振舞うと午後の部の始まりだ。身形みなりの良い若いお嬢さんのような女の人が、一抱えもある巨大なそろばんの玉を弾きながら唱える数に、子供達が唱和する。二十まで読み上げると次は、


「三跳び! 三、六、九、十二、十五、十八……」


 これまた三十まで一緒に読み上げる。次は四跳び次は五跳びと九跳びまで続けた。


「お免状の無い子はこのまま。初級のお免状を貰ってる子はお兄さん先生。それより上は被り物をしたお婆さん先生です。移動!」


 子供達は一斉に担当の先生の所に移動する。

 がやがやしたお喋りが静まって、一区切りした頃。お嬢さん先生は小箱を沢山取り出して、


「今からおはじきを貸し出します。取りに来て下さい」


 一塊になって集る子供達にお嬢さん先生は、一人に一つずつ小箱を配り始めた。


「……あら? そこのあなた達。まだ受け取って無いよね。もじもじしないでこっち来なさい」


 大方済んだ所でネル様は、服の代わりにドンゴロスのような粗い布袋の破れを、綴り合せるように身体に巻き付けている子供二人に声を掛けた。


「さぁ、恥かしがらずにこっち来ると良いよ」


 気後れしていると思ったネル様お嬢さんが近づいて行く。手を引こうと右手を伸ばしたその時、僕は見た。真っ赤な瞳がギランと光るのを。


「ネル様逃げて!」


 声が響いたのが一瞬だけ遅かった。僕の声の後半は、


「きゃあ~!」


 お嬢さん先生の悲鳴にかき消されたのだ。


 ネル様に襲い来るらんらんと輝く紅い目の魔物。そいつのひとみは小さく絞られている。ぞくっとする痺れが僕の背中を骨に沿って走った。それで一瞬出遅れて間に合わないと思ったその時。


「ネル様!」


 まろぶように躍り込んで来た者が、身体ごと木剣をそいつにぶつけ、壁に向かって跳ね飛ばした。


「デレック! 助かったわ」

「ここは俺に任せろ! 不埒者め顔を見せろ!」

「ぐぅあぁぁぁぁ!」


 襤褸を脱ぎ捨て露わに為ったその顔は、


「ゴブリン!」


 なんでと言う戸惑いを覚えながらも、デレックは短剣で斬り付けて来たゴブリンの攻撃を払う。


「スジラド! ネル様の傍で護れ! 俺は前で防ぐ」


 魔物と判って遠慮の要らなくなったデレックの突きは、木剣だろうと殺しの術だ。腹に食らったゴブリンが血反吐と泡を噴く。だが流石に子供の力と木剣では一撃で斃すには至らず、もう一匹と手負いで逆上したゴブリンとの攻撃に防戦がやっと。


「うぎゃー!」


 緊迫した空気の中、後方にいた教団の男の人が血煙を上げて倒れた。


「なんだとぉ!」


 新手のゴブリン、その数五匹。皆紅い目の恐ろしく凶暴な奴らだ。


「男衆、エドマンド卿を守れ! 閣下と一緒に子供達を逃がすぞ!」


 被り物をしたお婆さん先生が指示を飛ばす。

 エドマンド卿と呼ばれた人は、中級者担当のお兄さん先生だ。頭は良さそうだけれど、どう見ても腕っぷしはからっきしに見える。多分、今の僕でも勝てると思う。


 あー。やっぱり避難が遅れてる。さっきの一斉に取りに来た様子を見ても判るけど、この仔達は集団行動を教えられたことが無いんだ。と、言うか。幼稚園児に見事な行進させる現代日本が特殊なのかも。


「何よぉ! 男なら戦いなさいよ!」


 ネル様は言うけれど、


「武器を見繕って来る。それまでなんとか凌いでくれ」


 そう。魔物相手に素手で、しかも子供達を庇いながら戦って斃すなんてのは無茶だ。


「心得た! ネル様。俺とスジラドから離れるなよ! スジラドは後ろから来る奴を頼む」


 デレックが胴震いして、


「うぉぉぉぉぉ!」


 と吠えた。

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